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第3章
13話 新年祝賀会~追い詰められる侯爵夫人
しおりを挟む――ラトレイア侯爵夫人、恐るるに足らず。
夫の婚外子憎さですっかり視野狭窄に陥り、周りが見えなくなっている時点で勝ち確同然。
お陰で落ち着いて対処できる。
(ありがとうクソババア。あんたが想定以上にむきになって乗ってきてくれたお陰で、思ってたより早くケリが付きそうだわ)
腹の内側ではラトレイア侯爵夫人をせせら笑いつつ、ニアージュは悲愴感たっぷりの顔を作ってみせた。
案外自分には、悪女の素質があるのかも知れない。
そんな風にも思えてくる。
「それにしても、夫人は一体どういうおつもりなのでしょう。まさか……私を貶めたいのですか?
だからなんの証拠もないのに、私が口いっぱいにお食事を頬張っていたとか、お酒で出来上がって泥酔しているとか、言いたい放題に仰られるのですね……」
「だっ……! 誰もそんな事言ってないでしょう!? あなたの方こそどういうつもり!? そんな幼稚な被害妄想を口に出して!」
「……そんな、幼稚な被害妄想だなんて……酷い……」
ニアージュはいっそ大袈裟なほどの仕草でうつむいた。
少々わざとらしい気もするが、実はこういうオーバーリアクションだと思うくらいの振る舞いをした方が、案外周囲からの同情を買いやすい。
でもってついでに、対峙している対象を煽る効果も同時に得られる。
一挙両得な必殺技だと言えよう。
ただし、いつでも誰にでも通用する訳ではない。
使いどころの選択をミスると、その場で即刻、自分で自分の首を絞める事になってしまう。
慎重にTPOを選ぶ必要があるのだ。
だが、今回の使い方はバッチリ上手くハマったようである。
(――やば。なんかちょっと楽しくなってきたわ……)
横目で周囲の様子をざっくり確認すれば、こちらに対して同情的な目を向けてくる者達が、思ったより多い事が見て取れた。自分の選択や行動は間違っていなかったようだと確信し、力が湧く。
しかしながら、少し問題も出て来た。
どうやら、ラトレイア侯爵夫人があまりに何回も大声を張り上げるものだから、アドラシオンにもすっかり状況を知られてしまったようなのだ。
形のいい細い眉を怒りで釣り上げ、こちらへ向かって歩き出そうとするアドラシオンに、ニアージュはさり気なく視線を向け、ごく小さくかぶりを振って意思表示する。
ここは私に任せて欲しい、と。
ニアージュの仕草を目にしたアドラシオンは、どこか納得いかなさそうな、心配そうな表情をしつつも、ひとまずその場に留まってくれた。
一切取り繕いのないその表情が、「君が心配なんだ」と雄弁に語っているその眼差しが、とても嬉しい。
なんだかますます力が湧いてきた。
大丈夫、そんなに心配する事なんてどこにもない。
これはもはや、勝ち戦も同然なのだから。
(しっかし……幾らあのクソババアがヒス気味な性格をしてるからとはいえ、まさかここまで綺麗にキマるなんてね。――さあ、ラトレイア侯爵夫人、そろそろ退場の時間よ? 覚悟はいいかしら! ……なんちゃって)
気分はどこかの恋愛小説に出てくる敵役。
周囲の人間が、主人公の令嬢に悪感情を持つよう仕向ける為、被害者面するぶりっ子令嬢だ。
ニアージュは、ともすればほくそ笑みそうになる顔を頑張って制御する。
「……あの、ちょっとよろしいですか? 先程から口に出して指摘していいものか、迷っていたのですけど」
「なによっ! 言いたい事があるならハッキリお言いなさい! ウジウジと気持ちが悪い!」
「――そうですか。では、ハッキリ申し上げますわ。淑女がそのように、品のない大声を延々と張り上げ続けるなんて、いかがなものかしら。少々はしたないのではなくて? ラトレイア侯爵夫人。近くの方々が笑っておられますわよ?」
「――えっ!? あっ、しまっ……!」
ニアージュに指摘され、ようやっと我に返ったラトレイア侯爵夫人は、慌てて周囲を見回した。
自分に対して周囲が向けているのは、好奇と嫌悪の視線。
そこに混ざっているのは、貴婦人達からのあざけるような忍び笑い。
「くっ……! よくもやってくれたわね、この私を嵌めるなんて……っ! 私はあなたの義母なのよ? それをこんな……! あなたには良心ってものがないの……!?」
「申し訳ございません、ラトレイア侯爵夫人。私には、あなたが何を仰られているのかよく分かりませんわ」
怒りと羞恥で顔を赤くし、声を抑えながらもしつこく非難の声を上げ、なじろうとしてくるラトレイア侯爵夫人に、ニアージュは困り顔を作ったまま小首を傾げて答える。
事実、ラトレイア侯爵夫人の発言の意味や意図が全く分からないのだ、仕方がない。
本当に分からない。
今の今までニアージュに対し、義母と呼ぶに足る言動を一切見せた事がない身でありながら、なにゆえ今ここで、自らを『義母』と称する事ができるのか。
ニアージュに分かる事はひとつだけ。
今目の前にいる女はどうしようもなく身勝手で、恥知らずな存在なのだという事だけだ。
「こ、このっ、ほ、本当に、お前は……っ!」
「本当に、何ですか? ……私がラトレイア侯爵家で暮らしていた間、あなたを母と呼ぶ事を決して許して下さらなかった、ラトレイア侯爵夫人?」
ニアージュは敢えて一度うつむいたのち、おもむろに顔を上げ、決然とした表情でそう言い放つ。
殊の外大きく場に響いたその声は、いつの間にか集まって来ていた見物人達の多くに耳に届き、周囲から、非難めいた色を多分に含んだざわめきの声が上がる。
――今の、お聞きになりまして?
――ああ。幾ら訳ありの身とはいえ、一度も娘扱いしなかったご令嬢に対して、あの態度はないだろう。
――母として接していなかったにも関わらず、窮地に追いやられた途端に母親面をして、情に訴えようとは……。
――昔から、厚顔な所がおありの方だとは思っていましたけれど……。
――ええ……。まさか、ここまで厚かましい方だったなんて。
――しかも、まだ年若い娘御に自ら食ってかかった挙句、言い負かされるとは情けない。
――ですな……。自制ができておらぬいい証拠でしょう。栄えある侯爵家の女主人があれでは……。
――確かに。今後、ラトレイア侯爵家との付き合いの形も、幾分考え直さねばならぬかと。
密やかに、それでいて人の耳に届くように囁かれる言葉の数々に、ラトレイア侯爵夫人は今の今まで真っ赤だった顔を、みるみる青ざめさせていく。
ニアージュが目論んだ通り、ラトレイア侯爵夫人の不名誉極まりない退場の時間は、すぐそこに迫っていた。
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