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第3章
8話 新年祝賀会~公爵夫妻の少し呑気な会話
しおりを挟むニアージュに対して罪悪感を抱く事はなくとも、遣り込められてばつが悪い、という意識はあるのだろう。
上位貴族の身分でありながら、人前で居心地悪そうに背を丸め、コソコソと入場口へ向かうラトレイア侯爵夫妻の姿は、傍目から見て、大変みっともないものだった。
当然ながら、遠巻きに様子を見ていた他の上位貴族達の多くは、ラトレイア侯爵夫妻に呆れ交じりの視線を向けており、中には堪え切れずに失笑を零している者もいる。
そして。
(旦那様……! カッコいい……!! もはや甲斐性の塊……いえ、甲斐性という言葉の体現者だわ! むしろ、甲斐性って言葉は旦那様の為にあるんじゃないかしら!? ああもう、許されるなら全身全霊で崇め奉りたい……っ!)
ニアージュは内心、凛々しくも頼もしい仮の夫の勇姿に、ひたすら萌えて悶えていた。
もはや、『色呆けヤリチンクズ』と『身勝手クソババア』には目もくれていない。
元々件の夫妻に対しては、過度な負の感情を向ける事さえ勿体ない、時間とカロリーの無駄だと現在進行形で思っているので、尚更だった。
「全く、昔からあの夫妻は、どちらも人格面に問題のある人物だと思っていたが、まさか血の繋がった娘にまであんな態度を取るとは……。大丈夫か、ニア」
「あ、はい。旦那様のお陰で何ともありません。ありがとうございます」
気遣わしげな目を向けてくるアドラシオンに、ニアージュが笑顔で答える。
「でも、あの人達のああいった言動も仕方がない事なんです。ラトレイア侯爵は私を望んで儲けた訳ではありませんし、侯爵夫人も、婚外子の私を元から敵視していましたので」
「ニア……」
「とは言え、私もあの人達には全く興味がなくて、正直ファーストネームも知らない有り様なので、案外お互い様……いえ、無関心に近い分、私の方がずっと、あの人達に対して冷淡なのかも知れません」
一瞬、アドラシオンの眼差しに痛ましさが混じりかけるが、ケロッとした顔でそんな風に言われ、少しばかり目が丸くなった。
挙句――
「けど……あんな風に、嫌っている人間にわざわざ自分から近づいて嫌味を言おうなんて、本当にどうしようもないほど暇を持て余してるんですね、あの人達。
まるで家の中で飼われてる、躾の上手くいってない小型犬みたいだわ。犬と違って全然可愛くないけど」
うんざり顔をしながらそんな事を言い出すので、アドラシオンは危うく盛大に吹き出しそうになった。
「……っ、ふ……! い、犬みたい、か? あの連中が?」
「はい。犬みたいです。やる事がなくて暇を持て余して、無駄にあちこち歩き回ってる所とか、特に何も考えず、目の前に現れた嫌いな相手にキャンキャン吠えかかる所とか、そっくりですよ。
ただ、さっきも言った通り、犬の方があの人達より何兆倍も可愛いですし、ちゃんと学習すれば犬の方が、吠えかかる相手をちゃんと選べそうな気がしますね」
アドラシオンの問いかけに、ニアージュは涼しい顔でそんな言葉を返してくる。
言いたい放題だ。
お陰でアドラシオンは、自身の腹筋に更なる忍耐を強いる羽目になったが、ニアージュの口から次いで出てきた言葉に、一瞬で気が引き締まる。
「それと……多分ですけどあの人達、パーティー会場の中で旦那様が私から離れたら、またぞろ私を口撃しに来ると思いますよ」
「……! ああ……。やはり、君もそう思うのか」
「はい。だって、ああいうプライド振りかざす方向を根本的に間違えてる人間って、何度自分の失態で痛い目に遭っても、それを人のせいにして、現実から目を背けて逃げるじゃないですか。「自分は悪くない」って。
だから正直、あの人達が懲りて反省してる姿なんて、思い浮かばないんですよね」
「そうだな。俺もそう思う。――ニア、もういっそ会場の中では、俺の傍から絶対に離れないようにしてくれ」
「え、ですがそれでは、他の貴族家のご当主様方と、歓談する妨げになりませんか」
「そんな事はどうでもいい。第一、妻が傍にいるからというだけで、事業の話を持ち出すのに難色を示すような頭の固い人間と話をした所で、得られるものなどたかが知れているさ。
なにより……もしまた、あの夫妻が君に絡んで、下らない言いがかりをつけている所を目の当りにしてしまったら、と思うと……。正直、俺は自制できる自信がない。抜剣してしまうかも知れない」
「だっ、旦那様……! なんて事を仰るんですか。ああもう、もし……もしそんな事になったら私は、「宮中でございます」って叫びながら、旦那様を羽交い絞めにするしか……!」
「ニア、そこは自分で動くのではなくて、周囲に助けを求めて俺を押さえてもらうもので……いや違う、そうじゃない」
アドラシオンの発言に動揺したのか、斜め上にズレまくった事を言い出すニアージュに、アドラシオンまで一瞬流されかけるが、どうにか我に返って待ったをかけた。
「と、とにかく、そんな事にならないようにする為にも、傍にいてくれ」
「は、はあ。分かりました。それによく考えたら、刃引きされた剣であっても、金属製なのは普通の剣と変わりありませんし、刃傷沙汰は起こせなくても、撲殺沙汰は起こせますからね……。
別に、あの人達が誰にどんだけボコられようと私の知った事ではありませんが、旦那様の社交界での立場と名誉を守る為、不肖このニアージュ、最後まで旦那様のお傍にいます……!」
「ああ。……どこからどう突っ込んでいいのか分からないから、もう何も言わないが……ひとまずそういう事でよろしく頼む」
「はい!」
なんとも言い難い複雑そうな顔をしながら、改めてニアージュに傍にいるよう頼んでくるアドラシオンに、ニアージュも真剣な面持ちでうなづく。
そうこうしているうちに、侯爵位にある貴族達の入場が終わったらしい。
進行役の侍従が、別の公爵の名を読み上げ始める。
(――おっと。そろそろ時間みたいね)
ニアージュは頭を切り替え、同じく頭を切り替えたらしいアドラシオンが差し出してきた手に、自分の手を添えるように乗せた。
確か先に聞いていた所によると、アドラシオンとニアージュの入場順は3番目。
爵位を賜った際の立ち位置や状況の割に、家格が高い。
それはアドラシオンがこの7年間、いかに領主として堅実かつ実直に勤め、民からの信頼を得て税収を上げていたのかを示す、何よりの証左と言えた。
(確か……背筋をしっかり伸ばして、視線は基本、正面に固定。入場後はエスコート役の旦那様より、半歩分だけ遅く歩く。この時、余裕たっぷりに、それでいて柔らかく微笑む事で、公爵夫人の余裕を演出できる、と。
っていうか……「余裕たっぷりに、それでいて柔らかく微笑む」って、結構ハードル高いな。そんな高度な笑顔、私の表情筋で演出できるかしら……)
事前にマイナから教わっていた事を脳内で反芻しながら、入場口に視線を向ける。
なんだか、久々に緊張してきていた。
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