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第3章

4話 新年祝賀会の準備~若き公爵の後悔

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 新年祝賀会参加の案内……というか、参加命令が来てから時は流れ、ついに年が明けた。
 いよいよ新年祝賀会の開催も数日後に迫り、アドラシオンは日々、落ち着かない気分を内心で膨らませ続けている。
 あの父王と顔を合わせ、言葉を交わさねばならない日が間近に来ているのか、と。

 その一方、当日のパートナーである仮の妻、ニアージュに対する不安は全くない。
 自称『田舎育ちの野生児』だという彼女は、相変わらず立ち居振る舞いの所作が美しく、言動にも気品がある。共に公の場に出たとて、恥を掻くような事には決してならないだろう。

 当人はダンスに対する苦手意識が強いようで、ダンスを共に踊る練習をしていた時には、アドラシオンの足を踏み付けないようにと気を張るあまり、おっかなびっくりステップを踏み、腰も引けていたが、それも今は解消されている。

 どうやら何度目かの練習の際、靴の甲の部分に鋼板を入れてあるから、足を踏むかどうかなどという事に意識を割かなくていい、思い切りのびのびと踊ろう、と告げた事が、いい方向に働いたらしい。

 そこからニアージュは急激にダンスの腕を上げ、アルマソンから手放しの賞賛を受けるほど、優雅かつ洗練されたダンスを踊れるようになった。
 体幹も大変しっかりしていて、片足だけでバランスを取る時であっても微塵も身体がぶれない所は、まさしく見事の一言だ。

 だが、それでもなおニアージュはダンスへの苦手意識が消えていないようで、ダンスの際は常に『油断大敵』を合言葉にして、気を張っている様子である。

 しかもその理由が、「絶対に、なにがあっても旦那様の足を踏みたくないから」だというのだから、アドラシオンとしては嬉しいやら面映ゆいやらだ。

 明確な言葉がなくとも、大切に思ってもらえているのだ、という如実な実感を得られる事が、こんなにも嬉しいとは。
 無神経な父王に代わっていつも心を砕いてくれていた、母王妃と離れて暮らすようになって以降、こんな思いはすっかり忘れていたように思う。

 それと、以前から気付いていたが、ニアージュは恐らく、剣術などを主体とした武芸を修めている。
 いつも背筋がしっかりと伸びているし、足運びを始めとした身のこなしにも隙がなく、何より、何度かエスコートの際取った掌には、固い剣ダコがあった。

 その剣ダコが一向に柔らかくならない所から見るに、今でも彼女は邸のどこかでこっそり、素振りなどの基礎的な修練を続けているのではないだろうか。
 そういった日々の修練があったればこそ、ごく短期間の練習だけで、ああまで見事なダンスが踊れるようになったのだろうな、と、アドラシオンは感心するばかりだ。

 また、ダンスの練習をしていて痛感した事だが、最近は机仕事にかまけてばかりだったからか、少々身体がなまっているようだ。
 これからは折を見て、ニアージュに負けないように、しっかり身体を鍛えねばならないだろう。

 そして、そんな風に気が引き締まるたび、アドラシオンは思い知らされる。
 日を追うごとに、仮の妻であるはずのニアージュへの想いが強まっている事を。
 契約結婚なんてしなければよかった、と後悔するくらいには。

 だが、かと言って今更、「契約を取りやめて、本当の夫婦になりたい」…などと、都合のいい台詞を口にするのは、どうしても憚られた。

 自分で彼女の意見を汲み、そうすると決めた事を勝手な都合で反故にしようとして、彼女に嫌われでもしたらと思うと、それだけで酷く肝が冷え、その時の彼女の反応を想像するだけで恐ろしくて仕方ない。
 そんな事に恐々として、ひとり縮こまっている矮小な男だと思われるのも嫌だった。

 だからこそ何もできない。
 身動きが取れない。

 王侯貴族に取って婚姻とは義務であり、通常そこに個人の愛が含まれるなど、ほとんどない話だと言っていい。
 はたから見た限り、父王と母王妃もそんな関係のようだったし、以前の婚約者、グレイシアと自分の関係もそうだった。

 元の婚約者グレイシアに対しては、友情や責任感、連帯感は感じていたが、恋情を抱いた事はなかった。
 王族の婚姻などこんなものだと諦めて割り切って、それが常となっていたあの頃には、こんな感情は知らなかった。
 こんなにも、傍らの存在を失くしたくないと思うなど。

(……色々と考えてみた所で、結局どれもこれも、突き詰めればニアに嫌われたくないという、情けない結論に辿り着くばかりなんだけどな)

 自身に対する苦い感情を抱えつつ、眼前の光景に目を向ける。
 そこでは先日ようやく出来上がった、新年祝賀会でニアージュが着用するドレスをトルソーに着せ、丈やサイズなどの最終確認と調整が行われている真っ最中だった。

 青を基調としたそのドレスは、上位貴族の夫人としての気品、ニアージュが本来持ち合わせている美しさと愛らしさを、絶妙なバランスで引き出して同居させる、素晴らしい出来に仕上がっている。
 ニアージュが身に付ければ、それこそ精霊のような美しい姿になる事だろう。

 町の仕立て屋達も、ニアージュを大変よい夫人だと思ってくれているようで、今回のドレスの作成にこぞって参加し、寝る間も惜しんで細部までこだわって仕上げてくれたらしい。

 そうと知った途端、領民からも慕われているのだし、正式な侯爵夫人としてずっとここにいて欲しい、という、別角度からの願望まで湧いて出てくる始末。
 自身に対する不甲斐なさがますます募った。

 どちらにせよ、いずれは勇気を出して話し合いをせねばならない。
 恐れをなして現実から目を背け、逃げていられるのは今のうちだけだ。
 彼女との『話し合い』がどのような結果になろうとも、それを認め、受け入れねばならない日は必ずやって来る。


 まだ学生だった時分、魅了魔法の餌食となる前。
 将来的に側近となる予定だった友人の公爵令息に、「君は頭もいいし武芸の腕にも秀でているが、肝心の度胸というものがいまいち足りない」と言われた事を思い出し、苦い笑みが浮かぶ。

 彼は今、元気にしているだろうか。
 爵位を継いだという話は聞かないので、まだ父君は健在なのだろう。いい事だと思う。

 恐らく――いや、間違いなく、魅了魔法の件を知らない彼とは、新年祝賀会で再会を果たしたとしても、もう二度と親し気な口は利けない。その事が、堪らなく口惜しく思える。
 話したい事や相談したい事が、山のようにあるのに。

 あの時、あの平民の少女の言葉に耳を貸さなければ。
 あの時、頼まれるままあの少女について行かなければ。
 そうすれば、あんな事にはならなかっただろうに。
 けれど。

(本当に、俺はいつも後悔してばかりだ。だが……その後悔の果てでなければ、ニアとは出会えなかった。そう思うと複雑だな)

 アドラシオンは少しだけうつむいて苦く笑うと、再び目の前にあるドレスに目を向ける。

 このドレスを着たニアージュに手を差し伸べ、公の場で彼女をエスコートして歩ける事。
 それだけが今のアドラシオンの楽しみだった。

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