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第2章

10話 非常識令嬢の襲来 後編

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 結論から言うと、バラト侯爵家のご令嬢――エーゼルが閉じ込められた大型馬車のドアは、どうやっても開かなかった。

 力のある使用人がドアのレバーを掴み、某童話の大きなカブを引き抜く要領で、数人がかりで引っ張ってみたのだが、びくともしない。

 それならば、工具を使ってドアを取り外そうか、という話になり、ドアの接続部分の蝶番を外そうと試みるも、これも上手くいかなかった。
 形とサイズの合うドライバーをネジの頭の凹部おうぶに差し込んでも、なぜかネジを回せないのだ。
 まるで、ネジの本体が接着剤で固定されているかのように。

 こうなると、もう後はドアを斧か何かで壊すしかないのだが、先程所有者(仮)であるエーゼルが、「壊したら許さない」と喚いていたので、間違いなく許可は出ないだろう。

 もっとも、他家の馬車をここで壊す(しかも本来の所有者は不在)というのは、状況的にだいぶ障りがある行為なので、ニアージュとしてはよほどの緊急事態でもない限り、そこまでやらせるつもりは初めからなかった。

「……ああ……一体どうしてこんな事に……。旦那様の馬車は、普段から整備を欠かさずにいるというのに……」

「なにをしているの! 勝手に諦めてないで、ドアを開ける努力をしなさいよ!」

 そして、万策尽きた様子の御者は馬車の側で屈み込み、膝の上に両手を置いてさめざめと嘆き、エーゼルは今もまだ身勝手な台詞を吐き散らしている。
 特に、自分の家の御者の男性に対しては、「愚図」だの「役立たず」だのと言いたい放題だ。

 御者や他の家の使用人が、自分の為にこれほどまでに骨を折り、四苦八苦してくれているというのに、なぜああも高圧的で偉そうな態度を取っていられるのか。
 ニアージュとしては、御者の男性への同情と、エーゼルへの疑問が尽きない思いである。

 それと――どうでもいいがこのご令嬢、もうかれこれ10分以上喚きっぱなしであるにも係わらず、一向に声量が落ちていない。
 もう1人の同乗者……お付きの侍女は、既に主人をたしなめる気力を失い、すっかり黙り込んでしまっているというのに、なんとも元気な事だ。

 第一、これほどまで大きく立派な馬車の中、ドアを閉め切った状態で上げた声を外へ淀みなく届かせるとなると、相当な声量が必要になると思うのだが、どうなっているのだろう。

(あの人、声楽でも習ってるのかしら。でも、上位貴族の家では淑女教育で、「絶対に人前で大口開けるな」って教わるはずだし、それはないかな。
 お貴族様の家の子なんて、みんな基本的に政略結婚の道具なんだし、よっぽどその道に関する才能がない限り、個人で身を立てる事に繋がる習い事なんて、やらせてもらえないわよね)

 ニアージュは目の前で、時折ガタガタと小刻みに揺れる馬車の中から、絶える事なき怒声が上がり続ける光景を、ただただ半眼で見据えていた。
 まるで、捕獲された猪が檻の中で騒いで暴れてるみたい、と内心で思いながら。

「しかし……こうまで力を尽くしてもドアが開かないとなりますと、もはや当家の手には余りますな」

「……そうね。よその家の馬車を、本来の所有者がいない所で壊す訳にはいかないし、私達にできる事はもうないわね。もうご自宅にお帰り頂いて、そちらの方で相談の上、適切な措置を取ってもらうしかないでしょう」

 困り顔をしながら小声で言うアルマソンの言葉に、ニアージュも眉尻を下げながら小声で同意した。
 御者も同じような結論に至ったのだろう、馬車に近付き、「一度お邸へ帰りましょう」と声をかけている。

「嫌よ! 私はここで、図々しくもアドラ様の妻の座に収まっている女に、自分の身の程ってものを分からせてあげないといけないのよ!」

 が、当のエーゼルは御者の提案を耳にした途端、更なる金切り声を上げた。

「私、知ってるんだから! 今ここで女主人面してふんぞり返ってる女は、ラトレイア侯爵がどこかの田舎で拾ってきた、淑女と呼ぶのも馬鹿馬鹿しい、下賤な山猿女なんだって!
 そうよ、今回も7年前と同じよ! アドラ様はまた卑しい女に騙されたの! 周りは勘違いしてるみたいだけど、私は知ってるわ! アドラ様はお可哀想な方なのよ!
 だから私がその山猿女を追い出して、アドラ様の目を覚まさせてあげなくてはいけないの! アドラ様に相応しいのは、この私なんだからあっ!」

「……。はぁ……。なんか、物凄い言いようね。ホントに侯爵令嬢なの? 彼女。
 ていうか、私が田舎の山猿女なら、あっちは視野の狭い猪女だと思うんだけど……」

 勝手な妄想と都合のいい思い込みだけを固めたような、なんとも口汚い長台詞を叫ぶエーゼルに、ニアージュは思わずげんなり顔でため息を吐く。

「もう面倒だし、ホントに帰ってもらいましょ……あれ? みんな?」

 それから背後を振り返り、アルマソンの改めて指示を出そうとした所で、ニアージュはふと気が付いた。
 なんだか、アルマソンを始めとした使用人や侍女達の様子がおかしい事に。
 誰も彼もみんな、揃いも揃って表情が消えている。
 傍らにいるアナなど、完全に目が据わっていた。

「あの……ちょっと? アナ? どうしたの?」

「……奥様、少しお時間頂いていいですか。今すぐあの愚かな無礼者を引きずり出して、奥様の間で這いつくばらせますから。アルマソン様、伐採用の斧はどこにありますか? 馬車のドアを叩き壊してこじ開けます」

「はい!? ちょっとアナさん!? いきなりなに言い出すの!?」

「……アナ、そのような事をあなたにさせる訳にはいきません」

「そ、そうよ! アルマソン、言ってやってちょうだい!」

「そのような力仕事は、男がやるべき事です。斧は重量がありますから、ドアを叩き壊すのならば私がやります」

 よく見たらアルマソンの目も据わっている。

「アルマソン!? そういう冗談言うのはやめましょう!? ホラ、御者の方も引いてるわよ!」

「……私は元々平民で、しがない御者でしかありませんし、お貴族様であるそちらがお怒りなら、到底私が止める事なんてできません……。できるとしたら、一緒にこの首を差し出すくらいしか……」

 御者の男性は、打ちひしがれた様子でその場にのろのろと正座した。
 その目は絶望感に打ちのめされて光を失っている。
 まるで死んだ魚のようだ。

「はいストップ! そんな大事なものを差し出そうとしない! やらないから! 冗談だから! ねえみんなちょっと深呼吸しましょうか! 息と一緒に腹立たしい気持ちも吐き出しましょう!」

「ちょっと! さっきから私を無視してなにごちゃごちゃ騒いでるの! いい加減にしないと本当に許さないわよ!」

「それはこっちの台詞よ! お願いだからもう黙っててくれない!?」

 つい反射で馬車の中のエーゼルを怒鳴りつけてしまい、ニアージュは一瞬、やっちゃった、と思ったが、すぐに、別にどうでもいいか、と思い直した。

 そもそも、今この場で起きている騒ぎの元凶は、先触れもなしに父親の馬車を使って人様の家に乗り込んで来た、このダメダメ令嬢なのだから。

 しかし――もう色々な意味で収拾がつきそうにない。
 ニアージュは内心で困り果てる。
 すると丁度その時、敷地の入り口付近から、馬車の走る音が聞こえてきた。

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