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第2章
8話 非常識令嬢の襲来 前編
しおりを挟むグレイシアからの手紙に返事を書き、それを王宮へ送ってもらった数日後。
アドラシオンが朝食を済ませ、週1ペースでこなしている領内の視察に出かけてから数時間後に、その嵐は到来した。
「奥様、失礼致します」
「どうぞ。――あら、ニーネ。どうかしたの? 何かトラブルでもあったのかしら」
ニアージュが自室でアナにお茶を淹れてもらいつつ、アルマソンに頼んで書庫から出してもらった領地経営に関する本を読んでいると、侍女のニーネがニアージュの元を訪れた。
ニーネは、行儀見習いという形でエフォール公爵家に勤めている、子爵令嬢である。
髪の色も瞳の色もダークブラウンで、外見に華やかさはないが、大企業の社長秘書を彷彿とさせる、キリリとした知的美人だ。
しかし今のニーネは、困惑と申し訳なさが入り交じったような顔をしており、折角の涼やかな美貌も、いささか鳴りを潜めてしまっていた。
「いえ……実は、先程正門を警備している者から知らせが来たのです。どうやら、先触れもないまま当家を来訪された方がおられるとの事で……。
大変失礼な事をお伺いするのですが、奥様は本日、来訪される方がおられる事など含め、何かご存じでいらっしゃいますでしょうか」
「先触れもないまま来訪を? ……ごめんなさい、私も知らないわ。どちらからお越しになられた方なの?」
「それが、バラト侯爵家のご令嬢、エーゼル様を名乗られていると……」
「バラト侯爵家……? どこかで聞いた事があるような……」
「バラト侯爵家は、現王太子妃殿下のご生家、ステパノス公爵家の遠縁に当たるお家でございます」
「現王太子妃殿下の……。ああ、思い出した! この間、グレイシア様から頂いた手紙に書いてあったわ。王宮で開かれたお茶会の時に、様子がおかしかったって……」
「さようでございますか……。いかが致しますか、奥様。当家の方が家格が上である事や、旦那様が視察でご不在である事、来訪の先触れがない事などを鑑みれば、敷地の中へご案内せずこのままお帰り頂いたとしても、当家としては特に非礼な応対ではないと思いますが」
「そうね……」
ニアージュは手元の本を閉じてテーブルに置きながら、僅かばかり眉根を寄せる。
ニーネの言っている事は正しい。
特に、侯爵家の令嬢が来訪の先触れを出さず、格上である公爵家を訪れている、という時点で、マナーとしては完全にアウトだ。
相手が格上だろうが格下だろうが、貴族家を訪れる際には基本的に大体6日前、最低でも3日前には来訪先に、そちらを訪ねます、という旨が届くようにしておかねばならないと、ニアージュは以前、行儀作法の家庭教師に教えられた。
詰まる所、貴族同士の家の交流においては、アポなし訪問など以ての外なのである。
まだ年若い貴族令息や令嬢の中には、格下相手の家なら先触れを出す必要もない、という、思い上がった浅はかな勘違いからマナー違反を犯す者も時々いるらしいが、今回のケースのように、格上相手にやらかすというのはだいぶ珍しい……というか、初耳だ。
恐らくニーネも初耳であろう。
(正直、追い返すのは簡単なのよね。けど、それで全部が全部丸く収まるかと言われると……)
ニアージュはため息を零す。
「ねえ、そのバラト侯爵家のご令嬢、エーゼル様って、積極的に社交をなさる、顔の広い方なのかしら」
「え? ……あ、はい。エーゼル様は今年で御年23を数えられる、未婚のご令嬢ですので、婚姻の話を調える為、あちこちの夜会やお茶会に出席されている、とは聞き及んでおりますが」
「23で未婚……。貴族社会では珍しい事ね。……グレイシア様のお手紙に、昔から旦那様に想いを寄せておられたとあったのだけど、もしかしてその方、何年経っても旦那様の事が忘れられず……という事なのかしら」
「社交界では有名な話のようですから、確かにそれもあるかも知れません。ですがそれも今となっては、対外的な理由になっているのではないかと……。
あまり大きな声では言えないのですが、エーゼル様は大変ご自由な立ち居振る舞いをされるご令嬢だと、以前から噂されている方ですから。
かつて、旦那様が王太子であらせられた時分にも、その事を理由に婚約者候補から外されたと聞いております」
「……。それはつまり……色々な意味で、とても香ばしいご気性をなさっておられて、良くも悪くも大変お目立ちになるって事よね……」
ニアージュは再びため息をつくと、座っていた椅子から渋々立ち上がった。
「奥様?」
「ひとまず、今回だけはお通しして話を伺いましょう。ここで適当にあしらって、後でよそのお茶会や夜会で、ある事ない事ピーチクパーチク囀られたら嫌だもの。
それに下手をしたら私だけじゃなく、旦那様の事まで言われてしまうかも」
「……。それは、否定し切れない所ですね……。世の中には、可愛さ余って憎さ百倍、なんて言葉もありますし、そもそもエーゼル様が口さがないお方だというのも、割と有名な話ですので」
「……そう。だったら尚更、ここで彼女を下手に扱う訳にはいかないわね。旦那様はいつも領民や私達の為に、あんなに身を粉にして働いておられるのに、私の知らない所で根も葉もない陰口を叩かれるなんて、我慢ならないもの」
ニアージュは静かな、それでいて決然とした口調で言う。
最近ニアージュとアドラシオンは、以前に比べてだいぶ親しくなったように思うが、それも友人としての枠内に収まる程度のもの。
アドラシオンはニアージュにとって、あくまでも仮の夫でしかない。
お互い、家族とまでは言い切れない存在だ。
だがそれでも、世の中には座視してはいけない事がある。
アドラシオンがとても勤勉で、誰に対しても真摯な振る舞いをする、よき領主だという事を、ニアージュは知っているのだから。
アドラシオンに関する事実無根の話が悪意を持ってあちらこちらにばら撒かれるなど、到底許容できる事ではない。
ならば今自分は、良心あるひとりの人間として、友の為に立ち上がってしかるべきだ。
ニアージュの心には今、義憤の炎がメラメラと燃え盛っていた。
「そうよ。ここはもういっそ、思い切って正面から迎え撃ちましょう。それで、あちらが我が家で無礼な振る舞いを重ねてくれるなら、それはそれで好都合。バラト侯爵家へ正式な抗議の手紙を送る事も可能になるわ」
「奥様……! かしこまりました、奥様が旦那様の為に戦われると仰るなら、私共もそれに倣わせて頂きます! では、アルマソン様にその旨をお伝えして参りますので、もうしばらくお待ち下さいませ! ……ああ、愛の力ってなんて偉大なのかしら……!」
「え、ええ、お願いね……」
何やら、大変感極まったような様子で退室していくニーネを、ニアージュは少しばかり顔を引きつらせながら見送った。
(なにか、勘違いさせたみたいだけど……大丈夫かしら。でも、今更訂正もできないし……。あー、まあいいか。今はそれより敵の迎撃に集中しなくちゃ!)
ニアージュは緩くかぶりを振ってから、両手で自分の頬を叩いて気合を入れる。
背後にいるアナから、なにやら生温い眼差しを向けられているように感じるが、気のせいだという事にした。
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