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005:世界の事情・死者と生者の都合
しおりを挟む「ハァ……まァ……ナルホドねェ。事情は分かっタヨ」
首を突っ込んできたというか引き摺り込まれたというか、ともかく己の工房にやってきた闖入者。見目は勇壮美麗であるのに、半透明の身体と顔面に残った犬の歯形で間の抜けた印象がぬぐえない。自覚はしているのか、チュンの胡乱げな目にクルスも若干いたたまれない様子。
「確カにコノあいだのパレードで見タ顔だけどモ」
「顔だけだけだよな」
「顔だけじゃネェ」
『……中身の無いヤツみたいに言うのは止めてもらえないだろうか』
既に無関心で明後日の方向をむくシドと疑念しかないチュンの言葉だが、反論しようにもクルスには材料がない。五体投地で拝み倒す彼女を見るシドは傍からも面倒くさいと顔面に書いてあるのがわかった。
「つーかよく戻ってこれたな。王都の外ぐらいにはすっ飛ぶと思っていたんだが」
『ああ、王城の屋根を掠めても止まらなかったからな……。生きた心地がしなかったぞ』
「そりャ死んでるからネ」
『だが雲のすぐ下あたりで急に止まってな。それでどうにか戻ってこれた』
「なんで俺が此処に居るってわかった? この場所を知ってるヤツはあんまりいないはずだが」
『…………よく分からないが、引き寄せられる感覚がした。此方に向かえば何かあると、進んできたら此処に着いた』
あまりにも感覚的、直感的な行動の結実。しかし偶然とするには出来過ぎなことに、シドは察した。
(こりゃあ……完全に憑かれたか?)
霊は人や物、或いは場所に“憑く”。生前から面識のあった人物や愛用品、思い入れのある場所などに強い執着をもち、因縁を結ぶ。小さなボートをロープで係留させるように、肉体という器を失い不安定になった状態を安定させる為と考えられるが……その辺の考察は置いておこう。
大抵の霊は生前の経験や記憶からその対象を選ぶが、クルスのような明確な自意識をもつ霊の場合は死後に出会った人物と因縁を結ぶことも少なくない。憑かれた相手に霊感が無ければ不都合もないが、霊の視える人間にとっては何処まで逃げても追ってくるストーカーに目を付けられたも同然である。
仮にも【拝み屋】が霊に憑きまとわれるなど笑い話にもならない。
頭の痛い事態に肩を落とすシド。それを尻目にチュンはウーン、と唸りながら目を凝らしてクルスを観察していたが、ふとある事に気付いた。
「その鎧ッテ、脱げるのかネ?」
霊の着ている服装は、生前の装いがそのまま反映されていることが多い。クルスが纏っているのは騎士の装い、鎧姿だ。しかし先日のパレードで着ていた物とはデザインが違う。
先日の装備は光の神殿の勇者らしく、かの神の意匠を含んだ細工の凝らされた薄い白金色に輝く華美なものだった。しかし今着ている赤みがかった鋼色の鎧には装飾は無く、どちらかというと無骨な印象が勝る。使いこまれていたようで表面に傷跡も見られた。
「儀礼用じゃなくテ、日頃から実用してタ鎧だナ。愛用品かイ?」
『あ、ああ。昔から付き合いのある工房のーーーー』
「マサヅチ爺サンだロ? 紅鋼工房の頑固ジジィって言ヤぁ職人の間ジャ勇者御用達ってンデ有名ダ。現物も何度か見たコトがアル」
スッと目を細めた仕事人の顔でチュンは断定してみせる。
「アソコの工房は質実剛健、飾り気ナシで機能性ダケを追求してルが……ソノ分、お客に対しても要求が高イ。特にマサヅチ爺サンは気に入ったヤツしか客にシナイってナ。まァソモソモ、半端なヤツに扱えるモンじゃナイらしいケド」
「そんなクセのあるモンなのか」
「アア、使う鉱石からマトモじゃナイネ。鎧で言うナラ、日緋羽鉄ッテ特殊金属を使ってル。魔力を込めるホド強度が上がるッテ代物らしいケド、使用者ノ魔力を吸い取りつづけるカラ常人が纏うと半日足らずデ動けなくナルとか」
「……それもうほとんど呪具なんじゃねぇか?」
この工房でも取り扱う妖刀の類に近いものがある。工匠の執念の込められた武器というのは、使用者は勿論のこと、斬り伏せた敵の怨念や殺意すら取り込み呪具へと至りやすい。元が使用者本人の命すら危ぶむ代物ならなおのことだ。
と、それはともかく。
「紅鋼工房の作品にハ、必ず銘ガ刻まれてル。特殊金属を使ってるカラ文字を彫るにモ技術が要ルし、確認できれバ色々調べられルと思うヨ」
授けられた聖剣も無く、生まれ持った魔力も喪い勇者を示す証は無い。
クルスにとっては渡りに船な提案ではあるが。
「マァ、分かんナイ方がイイかもしんないけどネ」
『!? な、何故……?』
早速どうにかして鎧を外せないか試みようとしたクルスだが、チュンの一言に動きを止めた。
「イヤぁだってネェ。……勇者だっテ確定したラ、シドはどうするヨ?」
訊ねられたシドは、重苦しい溜息を吐いて目をすがめた。
「聞くまでもねぇだろ。どうもしねぇよ。勇者の手伝い……、神殿の片棒担ぐ為に働くなんざ真っ平御免だ。協力も手伝いもなにもしねぇ。テメェで勝手にどうにかしやがれ」
『なっ……!』
ハッキリとした明言にクルスが驚愕し固まる。
おそらくは初めてなのだろう。勇者という肩書きが信用どころか敵意を向けられる理由となるなど彼女の想像の埒外だ。
『あ、貴方は状況を理解しているのか!? 私が使命を果たさなければーー』
「あーあー世の中しっちゃかめっちゃかになるってな。耳タコで聴いてるよ」
この国では幼子の頃に寝物語に皆が聞かされる話だ。
★
ーーーー遥か太古の大昔、偉大なる五柱の神々により創造されたこの世界を、己の手中に収めんとする強大な存在があった。
それは神々の教えに背く悪徳の者たちを従え、原初の世界にあった国々を尽く滅ぼして回り、遂には魔王と呼ばれた。
強大な力をもって大地に生きるすべての者を支配した魔王だが、その無慈悲な凶行は地上に生きる者の所業としては神々の目に余る残酷なものであった。
しかし既に世界の創造を終え、維持と管理に専念していた神々には地上に生きる魔王を止める術が無い。無理に降臨しようとすれば、かえって世界の崩壊を引き起こしてしまう。
故に、その凶行を止めるべく地上に住む人々の中から資質のある者たちへ加護を与え、神意の代行者とすることにした。
地水火風と光の神より選ばれし五人の戦士は最も気高く強かった光の神の戦士を筆頭に勇者と呼ばれ、彼等は長く険しい旅の末に魔王討伐を成し遂げた。
しかし力を高めていた狡猾なる魔王は、討ち滅ぼされる直前に復活の為の布石を打っていた。
それは肉体が滅ぼされるとも消えぬ魂の行く末を操る、輪廻転生という世界の理を侵す秘術。それを以て新たな肉体を得て復活しようとしたのである。
戦いに勝利するも深い傷を負った勇者たちが、復活した魔王と再び闘えば敗北はまぬがれない。故に神々はその権能を挙げて魔王の魂を封じ込め、輪廻の環から隔離した。それによって魔王は復活することなく、世界は平和を取り戻したのである。
しかし、神々の力も無限ではない。今なお世界の支配を欲する魔王の魂は、消滅することなく復活の機会をうかがっている。数十年から数百年の周期で神々の力が弱まるたびに封印から抜け出し、現世での肉体を得て復権を目論みうごめき始めるのだ。
★
それを防ぐ為に再び魔王へ立ち向かい、討ち取ることこそが勇者の役目。それが成し遂げられなければ、世界は再び混沌の坩堝へと堕ちていく。この世界の平和を護る為に、人類一丸となって立ち向かわねばならない。神を仰ぎ信仰を注ぎ、勇者の後押しをするのは人類としての責務である。
神殿ではそのように説かれ、そう信じられている。
だが、それがどうした、という話だ。すくなくとも、シドにとっては。
「俺は異端の呪霊魔術師だぞ? 神殿サマにああしろこうしろ言われて、ホイホイ従うとでもおもうのか?」
『魔王が討たれず蔓延るのを許せば、国も街も打ち壊され荒れ果てる。原初から積み上げてきた人類の全てが破壊され混沌の坩堝となってしまうんだぞ!?』
「ああ、最高だな。ろくすっぽ働きもしねぇ糞な神とその使いっパシリが幅をきかせるよりゃ弱肉強食の終末世界のが億倍マシだ」
余りの物言いにクルスの頭へ無いはずの血が登る。声を荒げて激昂する寸前であったが、ひょいと眼前に差し込まれた手のひらに口を閉じた。
「ハイハイ、ちょっと待ちなヨ。クルっちゃンも一回落ち着きなっテ」
妙な愛称で呼ぶチュンに手招きされて、部屋の隅へと移動する。それを見るシドの眼は冷え切ったままだ。
『~~~~っなんなんだあの男は! 神を冒涜するにも程があるだろうっ!』
「マァマァ、そう言わナイでヨ。クルっちゃんとシドじゃ立場も違うんだしサ」
実際、都の中とは違い神殿の影響力の行き届かない裏街では神への信仰心の薄い人間が多く、総じて口も悪い。それでもシドのように面と向かって神殿関係者を罵倒する者は少数派だが、それは神殿に異端と定められて狙われる危険を犯したくないからだ。
信仰狂いの神殿の暗部も小市民の個々人をひとりずつ選別して狙うほど暇ではないだろうが、それが周囲に影響ありと判断されれば間違いなく刈り取りに来る。口を閉じて命を守れるなら安いものだ。
産まれながらに異端と定められ、神を毛嫌いしながらも今日まで生きているシドがまさしく異端児なのである。
「本音を言えバ、私だって神殿の為に働くなんテ嫌だしネ」
『なっ! 味方ではないのか貴方は!?』
「味方に成っタ覚えは無いヨ。面白そうだかラ、口を挟んでルだけサ。ナニをしテ、どう生きるカ。自分のルールは自分で決めル。この裏街でハ、皆そうしてるのサ。神官サマの導きなんテ必要ナイネ」
しれっと自らも異端じみた物言いをするチュンに、クルスは信じられないものを見たかのような眼差しを向ける。
信仰の世界は神殿に。世俗の世界は貴族に。とかくこの世は権威権勢にあふれている。数千年を超える歴史の上に立つ国と宗教は絶対的な力をともなって社会を回している。
そんな表の世界に嫌気の差した連中が、自由を求めてつくったのがこの裏街だ。
自分で考え、自分で選び、自分で定め、自分で守る。それにこそ価値を見出す人種の吹き溜まり。
何に従うかは信条次第。
得られる糧は力量次第。
乗るかそるかは気分次第。
死ぬも生きるも運次第。
飲む打つ買うを合言葉に、世俗の権威や神の威光に従うぐらいなら勘と思いつきに全賭けすることを選ぶような人間ばかりだ。
「ヤリたくないコトはヤらナイ。ヤリたいコトは駄目って言ってもヤルヨ。マサヅチ爺サンもそうだったデショ?」
『…………たしかに。金が無いと言っているのに予算度外視の武器やら防具やら造る御仁だったな……。最初に会った時には支払いはいいからとりあえず使えと武器を押し付けられた』
職人界隈にはありがちな話だが、年季を重ねた仕事人ほど偏屈な人物が多い。貴族のお偉いさんと衝突した結果、裏街に居を構えることになる職人は珍しくない。
嫌いな相手の注文は万金を積まれても受け付けず、気に入った相手には話も聞かずに武器防具を押し付けてくる頑固爺にクルスも当時は苦笑いさせられた。それでいて作る品は高品質だというのだから始末に負えない。
さる公爵の子息や神殿戦士にすら「鼻ッタレの餓鬼に持たせるモンは無ェ。棒っキレでも振るっとけ」と言って追い返した翁だ。目の前の二人もその同類だと考え直せばクルスにも理解できた。
そういう人間の主義主張を曲げさせるのが、どれだけ困難かということも含めて。
『………………』
クルスは思考する。己の目的を果たすには、どうするべきか。
今ここで【勇者】か否かを論じる事は、既に意味がない。目の前の二人にとって国や神殿の後ろ盾は無条件に従うべき秩序ではなく、自分たちの領域を侵す闖入者でしかない。そんな中で【勇者】という世俗と信仰の頂点付近に居座る肩書きをちらつかせたところで、反抗心をあおるだけだ。
ならば、どうするか。
答えの出ないまま時間だけが過ぎていく。
その沈黙を破る声は、扉の向こう側からやってきた。
『おーい。シドの奴ァいるかぁ?』
空気をふるわせる声ではなく、内側へ直接届く霊魂の声。
炭酸が抜けきったエールのように緊張感の無い声掛けとともに、にゅっと扉を突き抜け顔を出したのは無精髭の目立つ冴えない風体の痩せた男の霊だった。
「ソノ声……、バッスか? そんな顔してタのカ」
『んぉ? なんだぁチュン、見霊るようになったのかぁ?』
「コイツのお陰でネ。ナンダ、も少しゴツイヤツだと思ってたヨ」
チュンは興味深そうに眼鏡に手を添えて上下させる。呪具無しでは声が聞こえるのみのチュンとしては、これが初対面。長い付き合いながら知っていたのは声だけ、というのも珍しい関係性である。
『ガッカリしたかぁ?』
「イイヤ? よく居る顔ダ、悪くナイ」
そう言って笑うチュンに男の霊、バッスは小気味良さそうに肩をすくめていた。
『っと、なんだぁ来客中かよ。出直すか?』
「あー、気にすんな、タダの厄介者だ。なんの用だよ」
ぞんざいにクルスから視線を切ってシドはたずねる。
『いやそれがよぉ、また余所のヤツがウチに乗り込んできやがって』
「またかよ! 先週もお前の所に来てたじゃねぇかよ。別のヤツか?」
『あぁ、三日前ぐらいに、西区に流れてきた連中が抗争起こしたろぉ? その時にくたばった下っ端だろうなぁ。まとまって来やがったもんだから、流石に俺だけじゃキツくてよぉ』
情けない声で嘆くバッス。細い風体もあってかどうにも頼りない。
『手伝ってくれねぇか?』
「わかった。行こう」
『っ!?』
二つ返事で了承したシドにクルスは目を見開いた。
『ちょっと待て! 私と扱いが違いすぎないか?!』
「当たり前だろ。こいつも俺の眷属だ。ポッと出の馬の骨と扱いが同じなわけあるか」
『馬の骨って……いやっ! 待て、眷属だと!? 人の霊を使役しているというのか!?』
淡々と答えるシドにクルスは激昂する。
犬の霊と人の霊では、当然だが使役することの意味合いが大きく変わってくる。
「人聴きの悪いこと言うな。行く宛がねぇっていうから面倒見てやってるだけだ」
『無い訳ないだろう! 死者であるのなら神の定めし向かうべき場所があるはずだ! それを捻じ曲げ、まして意のままにしようなど……!』
そもそも天に召し上げられることなく地上に留まる霊たちは、生前の咎から天に上ることができないでいる者と言われている。その咎を浄化し、還るべき処へ還すのは神殿の仕事のひとつだ。
そして光の神の御元に還された霊魂は、そこで生前のおこないを裁かれる。
善行、悪行。それらがどのような経緯と意志をもっておこなわれたか。地上のすべてを照らし見通しているかの神はそれらのすべてを精査し、その生を裁定する。その結果如何によって、死後に送られる場所が決まるのだ。
徳のある者ならば、安息に満たされた神世で働く栄誉を。
徳は乏しくとも善良な者には、地上での新たな生を。
そして悪行目に余る霊魂は、暗闇に満たされた地獄の世界に閉じ込められ、永劫にも近い時を責め苦を与えられながら過ごすことになる。
この裁定はすべての生命……人だけではなく鳥獣や魚、蜥蜴、虫にいたるまで受けることとなるという。獣の生き様に善も悪も無い気がするが、そのあたりは神殿の言っていることであってシドも預かり知らぬことだ。獣の世界の功罪など、人の身で推し量れるものではない。
そこは神殿も同意見なのか、率先して浄化をするのは人の霊のみだ。人の膿は人の手で排するべきだ、という理論もあるのだろう。
それに反抗し地上に留まろうとする霊は神の裁きを恐れ、地獄行きを免れようとしている……故に神の信徒たる神殿は、そんな霊たちを罪を犯して逃げ回る犯罪者と同等に許し難い存在と考えていた。
そんな彼等をシドが眷属とするのは、断罪から逃れようとする犯罪者を匿っているのも同然。社会的な規範でいえば同罪とみなされる。
正義の味方なら怒り狂うところだろう。
だが、
「……お前、その発言は完全にブーメランだぞ」
胡乱な眼差しのシドの言うとおり。
霊として此処に在り、地上に執着するという意味ではクルスも何も変わらない。
違うのは、名乗る肩書きだけ。それも後ろ盾もない紙一枚分以下の薄っぺらな代物。
目的も世のため人のためと言えば聞こえはいいが、そこに一ミリでも私情が挟んでいるのなら、それは言い訳でしかない。
「言っとくが、俺は強制して従えてる訳じゃあない。向こうに逝きてぇのならいつでも自由にすりゃいいとコイツらには言ってるさ。なんならお前が先導してやったらどうだ? 迷える魂を救うのも、正義の味方の仕事だろ」
『っ! いやそれは……』
言われてぐうの音も出ず、クルスは押し黙る。
『おいおいシドよぉ。勝手に話を進めねぇでくれよぉ。新しいのが来たからってお払い箱かぁ? まだ現役だぜ俺はぁ』
「イヤ脱落組でショ、人生的にハ」
『ギャハハハ! 確かになぁ!』
チュンの一言に腹を抱えて笑うバッス。己の生死すら洒落として暢気に笑い合うその精神には、クルスの理解の範疇を越えた何かがあった。
『っつーかアレだぁな。随分と神官くせぇこと言う姉ちゃんだなぁ。そんなんじゃ幽霊やってけねえぞぉ?』
『……やっていけなくて結構だ。務めが済めば早々に』
『いやマジメな話よぉ。そんな状態でプラついてたら、喰い散らかされちまうぜぇ?』
少し真剣な面持ちで言われて、クルスは訝しむ。
『喰い、散らかされる? 魔獣でも出るのか?』
『そうじゃねぇ。霊力を奪われて消滅しちまうぞ、ってぇ話よぉ。“魔力喰い”ってのがいるだろぉ? それと同じように、霊ってのはおんなじ霊から霊力を奪って自分のものにすることができるんだぁよ』
“魔力喰い”。
魔物や魔獣をその生態から分類する際の呼称のひとつで、草食でも肉食でもなく生物が身に宿す魔力そのものを糧とする種の総称だ。
小型の昆虫を中心にネズミや蝙蝠に近い姿をした種に多い食性で、同時に数千匹単位の群体を形成する習性をもつことが多い。一匹が奪っていく魔力の量はごく僅かだが群れ全体に一斉に襲われたなら魔力を吸い尽くされて死亡する場合もある。
『やってみせるかぁ? こんな感じだぁ』
バッスはスーッとクルスに近づき、その右肩口あたりに手を伸ばす。ゆったりとした動きにクルスは害意を覚えず、避けることもしなかった。
だが、バッスの指先がクルスの霊体と重なり、その内側へ突き刺さった瞬間に顔が歪んだ。
『ガ、グああああああああ!!??』
耐えることもできず無様に上がる叫び声。
その絶叫は、苦痛によるものとはまた違う。
霊を構成する精神そのものが、肉体的な痛覚をともなわずに陵辱される感覚。
生前の記憶にある痛みの感覚とは一線を画した不快感。
心の柔らかい部分を引裂かれ、秘めたる想いを踏み躙られ、魂を支える柱をえぐり取られる。
苦しい。悲しい。恐ろしい。痛みは無く、ただそうした負の情動が際限無く生み出される。
指先の刺さった箇所を起点に引き起こされる辛苦の荒波が、グジャリグジャリとクルスの内側を、精神を、押し潰しながら広がっていく。まるで風雨に晒された砂の城のように、溶けて崩れて、己という存在が無くなっていく恐怖。
それは、自身を自身たらしめる根源的な部分すらもーーーー
『グッ……ぎっ……っぁあああァッ!』
発狂寸前にクルスが腕を振り回す。バッスは涼しい顔でそれを避けた。刺さっていた指先が抜け、そこでようやく波がおさまる。
刺されていた肩を抑えながら、クルスはより青白くなった顔で肩を上下させていた。深く息をしようとしているが、肉の体を喪った今はその行為になんの意味も無かった。
荒れ果てた精神を肉体の生理機能も無しに、ただ純粋な精神力のみで立て直すのは容易ではない。
「ウワァ、実際に見ルとキッツいナ。声ダケ聴いてテ予想はしてたケド」
『生者にゃ理解しづらい部類の感覚だからなぁ。言っとくが、今のは霊力奪ってねぇぞぉ? ちょぉっと内側に手ぇ入れて掻き混ぜただけだぁ』
「ちょぉっと、ネェ……」
クルスの尋常ではない恐慌ぶりに、とてもそうは思えずチュンは苦笑いを浮かべた。
生者は肉体という器に霊魂を宿している。これはいわば霊魂が瓶詰めにされているのと同じような状態だ。外側から干渉をしようにも、器によってそれは防がれる。
仮に手を突っ込んで掻き回されても、器の中にあるかぎりはうねる波紋も時が経てばやがてはおさまる。
生者であるかぎりは霊魂を弄り回される感覚は漠然としたイメージでしか掴めないだろう。
しかしそれでも自身の内臓に手を突っ込んで弄ばれるなど、痛いどころの騒ぎではないのは想像に難くない。
クルスの中にも様々な苦痛の記憶は残っているが、それと比べるべくもない。今のがそのまま進行していたら、自分がどうなっていたか。残響のように残る虚無感が恐怖を掻き立てた。
その先には絶対に行ってはならない。生命なき霊でありながら、消失を避けるべく本能がそう叫んでいる。
『いやいやぁしかし存外根性あるんじゃあねぇの? 大抵のヤツはコレやると尻尾巻いて逃げてくからよぉ。そんな面できるだけたいしたもんだぁよ』
青白い顔で片膝をつきながらも、気力を振り絞って睨みつけてくるクルスを称賛するバッス。本人にそれを受け止める余裕はなさそうであるが。
『これなら鍛えりゃモノになるんじゃねぇのぉ?』
しかしバッスのその一言で顔色を変えた。
『鍛える……? 霊が、鍛錬をするのか?』
『あったりまえだろぉ。今やったみてぇに死人っつっても無敵じゃぁねぇんだ。消えたくなけりゃあそうならねぇように頑張るしかねぇだろぉ』
ある種の正論、ではある。しかし死してなお己を高めようとする発想が霊にあることがクルスには驚きだった。
『死ぬってぇのは、言ってみりゃ霊として生まれるってぇことだぁ。生まれたばっかの赤ン坊が弱ぇのは当然。年食ってデカくなりゃ強くなるのも当然。なら、なにもしねぇボンクラより鍛えた奴のが強ぇのも当然だろぉがよぉ』
『……強い、霊?』
『おぅよ、ポルターガイストやラップ現象も朝飯前。金縛りや壁から血文字をにじみ出させることもできるし、最終的には憎いクソ野郎でも祟り殺せるようにもなるかもなぁ』
「完全に凶霊ダヨネ」
「おいコラ、ヤるのは勝手だが筋は通せよ。そういう契約だぞ忘れんな」
得意げに語るバッスにシドは眉尻をつり上げた。
『分かってらぁ。お前は俺達に霊力をくれる。強くなって地上に居残る方法を教える。代わりにお前の決めたルールは守る。残るも去るも自由だが、守れねぇなら契約は終わり』
「『その時は俺が直々に消してやる』……ダッケ? カッコイイヨネー」
「格好良かねぇだろ。猿山の大将とたいして変わりゃしねえ。霊力くれてやるぐらい、たいした負担でもねぇしな」
声色を真似るチュンへ、シドはかったるそうに続けて言った。
呪霊魔術師のシドの魔力は霊力と同質のもの。魔力は食って寝て休めば回復する生命力。捨てるほどあるわけではないが、余剰分を他人に受け渡すぐらいは負担でもなんでもない。
「現世に居たいのなら、消えないための元手ぐらいは貸してやる。だが、そこから先はテメェ次第。今以上の何かが欲しいのなら、まずは助けを乞う前に自分の力で気張ってみせろ」
力が足りないなら、鍛えろ。
識らぬのなら、学べ。
その手段も無いというのなら、先達に倣い教えを乞えばいい。
それは当たり前で、とても大切なことだ。
『強く、なれるのか。私でも……死者であっても』
そんな当たり前は、もう既に終わったとクルスは思っていた。
当然だ。死んだらそこまで。それで最期のはずなのだ。無力な霊として、助けを乞うしか術はないと思っていた。
だがシドによって示された死の先にある筋道は、クルスの魂の奥底をざわめかせた。
「さて、そいつもまた、お前次第。まぁ手段が知りたきゃ付いてきて見てりゃいい。俺は協力はしないが、邪魔するつもりもないからな」
後は好きにしろと言外に伝えて、シドは立ち上がった。
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まずい、と思ったが少し足が入っていた陸は魔法陣に吸い込まれるように引きずられていく。
魔法陣の中心で困惑する男女の高校生と陸。そして眼鏡をかけた女子高生が中心へ近づいた瞬間、目の前が真っ白に包まれる。
次に目が覚めた時、男女の高校生と眼鏡の女子高生、そして陸の目の前には中世のお姫様のような恰好をした女性が両手を組んで声を上げる。
「異世界の勇者様、どうかこの国を助けてください」と。
困惑する高校生に自分はこの国の姫でここが剣と魔法の世界であること、魔王と呼ばれる存在が世界を闇に包もうとしていて隣国がそれに乗じて我が国に攻めてこようとしていると説明をする。
元の世界に戻る方法は魔王を倒すしかないといい、高校生二人は渋々了承。
なにがなんだか分からない眼鏡の女子高生と陸を見た姫はにこやかに口を開く。
『あなた達はなんですか? 自分が召喚したのは二人だけなのに』
そう言い放つと城から追い出そうとする姫。
そこで男女の高校生は残った女生徒は幼馴染だと言い、自分と一緒に行こうと提案。
残された陸は慣れた感じで城を出て行くことに決めた。
「さて、久しぶりの異世界だが……前と違う世界みたいだな」
陸はしがないただのサラリーマン。
しかしその実態は過去に異世界へ旅立ったことのある経歴を持つ男だった。
今度も魔王がいるのかとため息を吐きながら、陸は以前手に入れた力を駆使し異世界へと足を踏み出す――
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