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003:呪霊魔術師『拝み屋』シド
しおりを挟む光の王国ジグムントの王都、グロリアスは光の神のお膝元だ。
太古の昔、初代勇者が魔王征伐を果たした栄誉を讃え、光の神が与えたという土地に在り、各地に分殿の建つ光の神殿の総本殿が歩いて半日もかからない山の上に建てられ、王都を見下ろしている。
歴史ある王城の下には整然とした街並みが広がっているが、しかし街外れに向かうにつれて雑然とした部分が目立ちはじめる。石造りの屋敷が並ぶ区画から城壁を一枚隔てて、外に張り付くように建ち始める木造の古いあばら家。古布でできた簡易なテントすら混じりはじめたその並び方には計画性など皆無であり、目抜き通りを除いて入り組んで絡み合った路地は迷宮のごとき様相を呈している。
それもその筈、その中央街から外れた一角は、本来ならば王都ではなかったはずの場所だからだ。
元来、王都は貴族と神官の為の街。しかし長い年月を経て、物を求めて職を求めて各地から人が集まった結果、人口は爆発的に膨れ上がった。
その中には脛に傷をもつ人間も大勢いた。
罪を犯して逃げてきた者。
居場所を無くして流れてきた者。
貴族社会から追放された者。
信仰の世界から見捨てられた者。
都には入れぬそうした者たちが徒党を組んで、王都のすぐそばに居座りはじめた。勝手気ままに暮らす彼等を国は疎ましく思いながらも、退去させる手間を惜しんで放置した結果その規模はまたたく間に膨れ上がっていった。
国の管理も受け付けず、神殿の布教も行き渡らず、無頼故に纏まらず、しかし散り去ることもなく。輝く光の都の片隅に積りに積もった綿埃のように、気が付けば彼等は増えてそこに吹き溜まる。
シドもまた、その一人。古びた木造アパートの一室を拠点に、この吹き溜まりで暮らしていた。
「で? なーんーでー着いてくるんだよ」
時刻は既に日も沈みきった宵の口。
月明かりの照らす路地を歩きながらシドは背後に問いかける。傍からは見えていないことを考慮してか囁くような声量だが、後ろから憑いてくる彼女にはしっかりと聴こえていた。
『……まだ私の問題は解決していない』
厳しい表情のクルスは、シドの背後にピッタリと憑いてくる。
「俺が協力する理由が無いって言ってんだろ。自分で解決しろよ、勇者様(仮)」
『しかし貴方以外に頼れる者がいないのだ』
「神にでも頼れや、勇者様(仮)」
『……何度も祈ったが応えて下さる様子がない』
「ご愁傷さまです、勇者様(笑)」
ひゅん、とシドの頭にクルスの拳が振り抜かれた。笑いもの扱いは流石に腹に据えかねたか。
しかし悲しいかな、その一撃はシドの頭をすり抜ける。肉体の無い霊の拳が突き刺さることはない。
『ええいっ! 腹立たしい!』
歯軋りをする音すらシドには聴こえているというのに、理不尽といえば理不尽だ。
「……アンタよっぽど霊の才能無いんだな。ポルターガイストも起こせねぇのか」
実際のところ、霊となっても生者の世界に干渉する術は存在する。物体を動かすポルターガイスト。音を発生させるラップ現象。その他にも壁に血文字を浮き上がらせたり、一時的に肉眼で視認できるよう姿を現すこともできるはずだ。
先程アルトが鉄鍋でシドの頭を打ち叩いたのもそうだ。ある程度の条件さえ整えば、霊は並の魔術師よりも強力な存在にもなりうる。
最も、霊の存在を否定する光の神に選ばれた勇者に霊としての才覚があったとしたら矛盾もいいところだが。
(……ちょっと試してみるか)
歩きながらの片手間に、シドは手のひらに力を込める。腹の底に溜めたエネルギーを、血の巡りに合わせて捻り出す。腕に沿って手のひらの中へ。
『む?』
気配を感じ取ったクルスが注視するなか、練り上げられた魔力がシドの手の中で形をとった。魔術師ならば見えるだろう、暗い紫紺の光を宿す五センチほどの魔力の玉だ。
「ほい、パス」
それをクルスに向かって投げ渡す。
『? うわっ!? たっ、なっ、何だ?!』
クルスは受け取ろうとする、が、それはその手に触れる直前にスルリと軌道を変えた。差し出した手を滑るように避け、クルスの顔面へと向かう。反射的に腕で払い除けようとすると、それも避けて空中に浮かぶ。
『……?』
今度はそっと、慎重に、優しく掴もうとしてみる。が、にゅるん、と変形して手の隙間から抜け出した。
活きのいいウナギのような動きだ。その後も半ばムキになって捕まえようとするがにゅるにゅるヌルヌルと変形して逃げ回る。
異極の磁石が反発し合うように、クルスの手が近づくと魔力玉は離れていくのだ。
「やっぱりか」
『なんだコレは? ただの魔力の玉、ではないのか?』
合点がいった、という風情のシドにクルスは問いかける。
シドはそれを無視して首元に手をやる。下げられた首飾りに付けられた、親指の先ほどの大きさの黒水晶。二つ在るそのうちのひとつを指で弾く。
「出てこい、クロ。食っていいぞ」
合図に応えて水晶の黒が霞となって湧き出る。するとその細やかな粒子は、やおらひとつの姿を成した。
黒い長毛種の犬。
体高はシドの膝上ぐらい。両耳の垂れ下がった顔に爛々と金の眼が光る猟犬の霊だ。
クロという名のその犬の霊は、浮かんだ魔力玉に跳び上がって齧り付いた。クルスからは逃げ回っていたそれは、吸い込まれるようにクロの口におさまる。咀嚼もなしに丸呑みにして、満足そうに口元を舐めた。
「美味かったか?」
『ゥオン』
満足げに唸るクロに、シドも愉快そうに笑った。
『使い魔、か?』
「いんや、俺の眷属さ」
細かいが、彼にとっては重要な訂正を挟んでシドは手を下に伸ばす。クロはその手に頭をぐりぐりと押し付けて心地よさそうに目を細めていた。
飼い主とペットの心温まる交流にもみえるが、クルスの目は厳しい。
『……死者を魔術に利用することは禁じられている筈だぞ』
「そりゃあ死体損壊の問題だろ? 俺のは飼ってた犬の霊に魔力を与えてるだけだ。普通の契約と変わらん」
使い魔。眷属。
名称こそ違うが、どちらも魔術師が契約を結び、パスを繋いだ存在のことをいう。
これらはいわば総称のようなもので、実際にはその形態は多岐にわたる。
最も一般的なのは、鳥や鼠のような小動物に魔力を与えて変異を促し、異能を備えさせたもの。次点で既に異能をもつ魔獣を屈服させ従えたもの。実体のない精霊などと契約を結ぶ場合もあるし、人工的に術式と魔力で組み上げた自動人形やゴーレムの類も広義では使い魔の一種といえる。
シドの場合は、その相手が霊であるというだけだ。
『霊が魔力を取り込んだら、ゴーストになるのではないのか?』
「普通はな。問題があるってんなら言ってみろ。十年来の俺のツレだ」
世にアンデッドモンスターの一種に数えられるゴーストは、死者の霊が穢れた魔力を取り込んで狂気と力を手に入れてしまったものだとされている。生前の恨み辛みを破綻した思考と暴走した感情の赴くままに見境なく叩きつけてくる。危険物以外の何物でもない。
しかしシドの足元に座るクロは、大人しく座って主人の顔をうかがっている。ふさふさした尻尾を振り、澄んだ瞳で上を仰ぐその表情は狂乱とは無縁で、むしろそこらの野良犬よりも躾けられているとみえた。
『むぅ……』
クルスも邪気が感じられないのか、より深く見極めようと覗き込む。クロの鼻息すら面先に当たりそうな距離にまで近づいて。
『アグッ!』
一瞬で豹変したクロがその顔面に噛み付いた。
『ぎゃああああああ!!!?』
『グルァッ!』
突き立てられた牙に絶叫するクルスには一切構わず、唸り声を上げて首をひねる。成人と中型犬だ。通常ならば重量の差で牙は食い込めどクルスが振り回されることはないだろう。
しかし霊と霊のぶつかり合いにおいて、その理論は当てはまらない。
クルスの霊体をガッチリと挟んだ顎。全身を振るわせて起こす竜巻のような回転は、クルスの全身を宙へと振り上げた!
『はぁっ?! ぁぐっおッ!』
一瞬自分の置かれた状況が理解できずに硬直したクルスを、そのまま地面に叩きつける。強かに背中を打ち付けたクルスの横っ面を、右前脚の肉球で踏みつけた。
『ウゥウウウウウウウ……』
喉を唸らせてクルスを睨みつけるクロ。その眼光に、クルスも硬直せざるおえない。
『くっお、っな、んなんだっ、この力は! 本当に霊なのか……?!』
鎧姿の騎士様がさして大型でもない一匹の犬に振り回され、押さえつけられ、抵抗もままならない。
傍目からは信じ難い光景だろうが、シドからすれば順当な結果だ。
「俺の呪霊属性の魔力は、霊の意識はそのままに力を与えて強化できる。そうでなくとも霊になって三日かそこらの三下が、霊歴十数年の大先輩に勝てる訳ねぇだろ」
霊は魔力を持たない。魔力とは生命がもつ力であり、霊は既に死んでいるからだ。
だが、そんな彼らでも種々の心霊現象を引き起こせる。その為のエネルギーは、何処から引き出されているのか。
学院にあった数少ない資料をふまえて推測するに、霊は魔力とはまた別種のエネルギーを宿していると考えられた。
それは生命の有無にかかわらず、意思を持つ存在のもつエネルギー。ある意味で純粋な精神力ともいえるもの。
仮にそれを“霊力”と称するならば、長年にわたって霊を見てきたシドの経験からして、その霊力に関しては幾つかの一貫した性質があった。
まず霊力は、霊となって時間が経過した者ほど量が増える。
肉体の死後、解き放たれた直後の霊は正しくその場を漂うだけの存在だ。しかし日数が経ち、霊力が増すにつれて行動範囲が広がり、更に年数を重ねるごとに発動できる現象の規模も大きくなっていく。
加えてこの霊力という概念は、いわゆる魔力とは全く異なる概念であり、扱ううえで魔力のそれとは違ったコツが必要になってくるらしい。
シドは過去に魔術師の霊に会ったことがあるが、生前得意としていた火属性の魔術が全く使えなくなったと散々嘆いており、さらに彼はポルターガイストはおろか物音ひとつ立てられない脆弱な霊に成り下がっていた。
そしてシドの魔力、呪霊属性の魔力は、この霊力と非常に似通った性質を持っている。他者に魔力を分け与えるのと同じ感覚で、霊が霊として活動するためのエネルギーを肩代わりできるわけだ。
更に眷属として契約を結び、魔力によるパスを繋いで恒常的にエネルギーを注ぎ続ければ、それは霊としての格の上昇にも繋がる。
霊力の量を増やし、扱い方を培い、バックアップまで控えている。ここまで差があれば負ける理由がない。
『ウゥウウウウウ!』
『ぐっ! ちょっ、なんでそんな敵意むき出しに……!』
牙を剝くクロの唸り声は激しくなるばかり。クルスが両手でその顎を遠ざけようとするが、ギリギリと押し込まれる。
何を怒っているのか。何を求めているのか。
まぁ、ヒトの言葉に当てるならばこんなところだろうか。
ーーーー新入りがデケェ面してんじゃねぇ。
……犬というのは、序列をつくる。
ひとつの群れのなかで、誰が頂点か。誰が上で、誰が下か。
ここら一帯の霊をひとつの群れとしたとき、一番のトップは誰なのか。一番下は誰なのか。敢えて言わずともわかるだろう。
下なら下らしい態度をみせろ、とそう彼は言っているのだ。
しかし流石にこのままだと話が進まない。ちゃっちゃと片付けよう。
「クロ。スイング」
『アグッ!』
シドの合図を受けてクロは再びクルスの頭に齧り付く。上がる悲鳴は意にも介さず首を、全身を、グルンと振り回して、宙へ向かって放り投げた!
『ッうわあああああぁぁぁぁぁ…………』
壁や柱などの障害物をすり抜けて、女騎士は飛んでゆく。物理法則にとらわれぬ霊体は放物線を描くことすらなく只管夜空のむこうへ真っ直ぐに。叫び声が徐々に遠ざかっていくのがいっそ喜劇的であった。
ーーーー星の海に還るがいいさ。英雄らしくな。
天へと昇った魂はしばしば星の輝きに例えられる。そのひとつとするとなれば良い手向けだろう。
脛にぐりぐりと首の後ろをこすりつけてくるクロを撫でてやる。目を細める眷属の愛らしさに少しだけほっこりした気分になる。
「………………よし、行くか」
『ウォン』
何事もなかったかのように、シドは道行きを急いだ。
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