ハニートリップ

Maybetrue Books

文字の大きさ
上 下
3 / 24
03.

さらば、美よ

しおりを挟む
さらば、美よ

 彼女は美しくあることを諦めた。

美しくあったとしても、自分の心は空洞で、一人の人間の心も留めることが出来なかったからだ。

彼女の手はいつも白く汚れていて、棒切れのように枯れていた。

 彼女は毎日粘土をこねていた。

 床に転がる酒瓶を跨ぎ、洗濯物を跨ぎ、ベランダに出る。

洗濯バサミに丁寧に塗装を施した人形の手足のパーツを挟み、吊り下げてゆく。

白い飛行機が青空の中に輝いている。

早く人形を組みたい、とパーツを見ながらうっとりとする。

 人形は歳を取らない。美しいままで、必要としてくれる主人に何も言わず仕える。

彼女はそうなれなかった。そうなれないと気づいた。

彼女は自分の代わりに人形に美を閉じ込め、人々を癒すことが自分にできる唯一の世界平和への貢献であると信じて止まなかった。
そして自分の生活をかなぐり捨てた。

 奮発して買った人形の塗装用インクの瓶を惚れ惚れしながら手の中に包む。

彼女はインクの匂いが好きだった。

 窓辺に座り、久しぶりにビールを飲んだ。
安いサンダルから覗く足先をちりちりと照りつける太陽。
首のあたりが少し汗ばむ。髪を後ろで括った。

「皮膚に付着した場合は速やかに石鹸で洗い流し・・・・色素沈着になる恐れが・・・・こぇぇわー」

インクの注意書きを一通り読むと、彼女はすぐにビールを飲み干した。

何日の何曜日かは全くわかってなかったが、今日も静かな一日だと酔いに身体を委ねた。

「皮膚じゃなければいけるかなー」
おもむろに筆を取り出し、爪先にひと塗り。
「可愛いじゃん」
彼女は微笑み、塗り続けた。
「オソロ、オソロ」

過去の自分を少し思い出した。でも昔よりずっと綺麗に塗ることが出来ていた。
ふふっ、と口の端から笑いがこぼれた。

昼の月を空に見つけた。さっきの飛行機がたくさんの弾丸を発砲して月を爆破するのを想像した。

「突撃ー!」
両足を空に向け勢いよく上げた。サンダルが片方脱げた。
しおりを挟む

処理中です...