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09.過去話は陰湿で妄想家な義弟がでているので要注意です-06
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――織田レイの三年前の事。
ボクは無口な小学生だった。
ハニーブラウンの髪と瞳は、同級生達が彼を遠巻きに扱う理由だった。幼さ故の残酷さでボクはクラスの“いない者”となった。
母親からの愛情は充分に与えられていたが、その頃のボクの心には届かない。家庭でも教室でもボクは、いつも独りだった。
環境から与えられた精神的抑圧感と深奥の部分に絡まるグチャグチャして気持ち悪い感情らを開放する為、ボクは、自分よりも弱い者で発散する事にした―目の前の仔犬にである。薄汚れた灰色の雑種犬は人懐っこそうにハァハァと舌を出していた。ボクは、目の前のソレを殺そうと思った。
理由はないが方法はある。その方法に、想像を巡らせるのが楽しかった。餌にちょっとづつ“毒”を入れて弱らせるか。石かバットで殴るか。袋に入れて、プールに沈めるか。想像が愉快で堪らない。――その楽しそうな様子は、天使のような姿容をした美少年が、仔犬と戯れているように周りからは見られるだろう。でも、彼は殺す事を考え、笑を浮かべる。
「ねぇ」
そんな時、背後からの声がかかった。
ボクはこの風貌なので、他人からよく声をかけられていた。だから『またか』と思い、いつものように無視を決め込んだのに、図々しくも声の持ち主はボクの隣に座りこんで来た。瞬間、むかついた。いったいどんな奴なんだと、視線を向けると、真新しいセーラー服が目に入ってくる。そして眩しく綺麗な黒い髪がはらりと肩から落ちる様子に“ドクリ”と心臓が跳ね上がった。
(え? なんで?)
「この仔、君の仔? 触ってもいい?」
澄んだ声の持ち主は、そう言って仔犬を抱き上げた。仔犬はボクには振らなかったしっぽを振り、舌を出し全身で喜びを表している。
その様子は不愉快さを極めた。彼女に対して? それとも仔犬に対して? すぐに答えがでなかったので考えるのを放棄して、ぶっきらぼうに質問に答えた。
「捨て犬」
「……そうなんだ。君が飼うの?」
「飼わない」
「そうか」
淡々とした会話。その間も、彼女は仔犬と遊んでいる。なんだか、全てが馬鹿らしくなって、ここから立ち去ろうと思った間際の事だった。
ジャ――……
仔犬が嬉しすぎて、小便を漏らしたのだ。
「「……」」
仔犬の背中を見る形で抱き上げていたので、運良くボクにも彼女にもソレ(・・)はかからなかったが、お互いびっくりして思わず顔を合わせた。
「プッ」
「あははははははは」
「うれションって、初めてされたわ」
「……あは……はは……」
見知らぬ人の前で、声をあげて笑った気まずさと同時に“ドクンッ”彼女の笑みに心臓がまた跳ねた。まだ、幼さが残っている顔ながらも、その瞳は強さが溢れ、そらさずにはいられない。
ドクドクドクと、さっきよりも早い鼓動を感じ、身体から熱を感じて、ボクの手が勝手に……
「あーちゃん」
背後からの苛立った声がかかり、反射的に手をひっこめた。声の持ち主はハンカチを彼女に手渡し、ボクに一瞥を向けている。それはもう敵意に溢れた瞳で。
隠す気のない他人からの敵意。同級生なんて比じゃない。恐怖を感じて背筋が凍る。
「かかってないし。いらない」
「ソレに触ったでしょ? それと、その男から離れて。近い」
「男って……瑛、小学生を睨まないで」
「でも、そいつ男だよね?」
「女の子でも関係ないくせに」
彼女が庇うようにボクの前に立つ。彼女の保護が出来たボクは、改めて目の前の男の容姿を見ることになる。
彼も真新しい制服を着ていた。
背も、ボクよりもずっと高く、彼を見るには上目遣いになる。まだ、少年の要素が残るが将来の姿を容易に想像させる美少年で、形のいい眉毛が弧を描き、少し拗ねた表情は憂いを漂わせる。
その彼の背後には、彼女と同じ真新しい制服に身を包んだ少女が五人立っていた。
「葛城くーん、汚いよー」
「行こ―」
「早くー」
「行こう行こう!」
「行きましょう!」
「うーん。ちょっと待ってね」
彼は、少女たちに優しく言葉をかけるが、その場から動こうとはしない。
「「「え―」」」
「ねぇ、行こうよ―」
「早くなさって頂戴!」
甲高い声。自分をいかに可愛く見せようと、身体を捩り上目遣いに彼を見つめる。その有様は、少女というよりも、発情した雌のようだった。「ふふふ。もうちょっとね?」とこたえる彼。彼女を“いない者”として、会話を続けられていく様子にボクは心を痛めた。
彼女、独り。そして彼と少女たち。世界が二つに分断される。それはボクの日常をみているようだ。
(教室でのボクとクラスメートだな……)
彼女は仔犬を改めて抱き直し、その五人の少女に向かい立つ。この後どうするかの話をしている少女たちと彼との会話に入り込み、さっきの事なんて、なんでもないかのように――軽々と世界を乗り越えた。
「この仔、飼えない?」
そう言って、ボクの方をちらりと見て「いいよね?」と聞いてきたので慌てて首を縦に振る。
「捨て犬なんだけど、誰か飼える人はいないかな? 知り合いでいない?」
「はぁ?」
「何、私たちの会話に入ろうとしてんの?」
「いらないし」
「私、犬苦手」
「図々しいにも程がありますわよ!」
空気が悪化して居心地が悪くなった。嫌だ。さっきから、この場所から早く離れたいと思うのに、足が動かない。そこで彼が動いた。頬をバラ色に染め恍惚に震えた彼は「あーちゃん、耐えられないんだけど」と少女たちを押しのけ彼女に抱きつく。
「ちょっ!! 瑛!」
「はぁ―。犬を抱っこしているあーちゃんって、マジ天使!! この糞犬は後で始末するべきと思っていたけど、あーちゃんを更に可愛く見せる小道具として特別に、生かせてあげる! でも犬臭いね。折角のあーちゃんの匂いを消しやがって……」
油断した彼女から、仔犬をペリっとはがして無造作に投げ捨てるから、ボクは慌てて仔犬を受け止め、ホッとする。
(あれ? ボク何をホッとしているんだ?)
「瑛!!」
「あの駄犬に、どこか舐められたりしてないよね? 一刻も早く消毒しないといけないなぁ。あーちゃんをお風呂にいれてあげなきゃ。それから体中を洗ってその後で僕の匂いを染み込ませてあげ……グハッ」
見事なミドルキックを決められた彼は、地面に倒れ込み「今日は、白か……グフ」と何やら呟いていた。
その様子を、呆気にとられていたのは少女たちだ。
「ごめんね。うちの幼馴染(へんたい)がお世話をかけて。あなた達も、折角可愛いんだし、幼馴染(へんたい)のそばにいると変態菌がうつるよ?」
黒髪を靡かせ、弧を描いた優しい瞳を彼女たちに向ける。その眼差しに決して瞳を逸らせない。
彼女の髪の先から指先まで、惹きつけられる全ての物腰から逸らせられない。キラキラと彼女の周りの空気が瞬く。
「え、ええと」
「葛城くんって……へんた……」
「嘘……え? え?」
「……素敵……胸が高鳴る」
「……お姉様なんて、思わなくもないわよ!」
ボクから仔犬を受け取った彼女は、優しい瞳をボクに向け「ありがとう」と。その言葉はボクの身体に染み込んだ。
「あの!」
「ん?」
少女らは、さっきまで彼に見せていた瞳(ねつ)を今度は彼女に向けている。
「私、その仔の飼い主を探すの手伝います!」
「あーずるい! 私も!」
「はいはい!」
「私もやりたいー」
「手伝っても良くってよ?」
ボクを押しのけ、彼を無視し、少女たちは彼女に群がる。(今更だけど、一人だけ口調が変だ)
彼女は、瞳をパチパチさせた後
「ありがとう」
その場の者が、心奪われる笑顔を向けた。
「「「「「~っ!!」」」」」
頬を染める少女五人。
少女たちをゲンキンだなと、思いつつも、ボクの頬も赤く染まっていた。
「はぁぁ~」
今の今まで地面に寝ていた彼が、絶望に近い声を出す。身体の埃を払う姿もさまになっていた。
「あーちゃん、これ以上“信者”を増やすのやめてよね。排除する側の身にもなって」
「はぁ? 何を言ってんの?」
本当にわからないという顔をしてから、ボクの方を向き「この仔、私が責任を持って飼い主を見つけるから。いいかな?」と確認してくれた。仔犬はすっかり彼女に懐いて気持ち良さそうに尻尾を振っている。対してボクは「……よろしくお願いします」とボソボソと話すのが精一杯だった。
「老若男女問わず小動物まで魅了して、今日は、何? こんなガキまで捕まえて。本当に目が離せない」
『こんなガキ』で、ボクを睨む。その瞳は『わかっているんだろうね? これ以上近づくと殺すよ?』を雄弁に物語る。
「ほんと、つまんない。つまんない。つまんない。あーちゃん、全然“嫉妬”してくんないんだもん。あー、嫌だ。こんな奴らと一緒にいる意味なかったじゃん。馬鹿みたいな会話に付き合ったりして、我慢して損したよ。お前らさぁ~何? なんなの? あーちゃんに頬染めて、さ、ほんとさぁ~尻軽で反吐がでるんだよねぇ。こういう奴らって大っ嫌い。あのさ、その年ですでに貞操感の低いお前らなんて世の中の害になると思わないの? 人生リセットしたら? 死ねよ。死ね」
口元は笑っているが侮蔑しきった視線に、少女たちは顔を真っ青にして後ろに下がる。
「あーちゃんに近づくなよ」
「瑛!」
「あーちゃんも、その駄犬をいつまで抱いてんの? いい加減ムカついてしょうがないんだけど」
そう言って、彼女から仔犬を奪い、猫の仔のように首を掴んだ。犬が苦しそうに「キャンキャン」鳴く。
「あっ」
ボクは思わず両手を前に出して、仔犬を受け止めようとする。そんなレイの仕草を見た彼は、バカにしたように嗤った。
「お前も、本当はこの駄犬を殺そうとしていたんだろ? 今更いい子ぶっても僕にはわかるよ?」
「……っ!」
ボクは、恥ずかしさで震えて動けなくなる。
何で、知っているの?
全身に鳥肌がたって、さすってもさすっても、生きた心地がしない。
「瑛! いい加減にしなさい!」
彼の頬に、容赦ない平手打ち。
バシッ
乾いた空気の中、音は大きく響いた。
その時の瞳にボクは惹きつけられ、同時に何とも言えない気持ちになった。彼女は仔犬を奪い、大事に抱き直してから、彼の第二ボタン辺りを掴み責めよる。
「謝って! この子と女の子たちに! 言葉も暴力のひとつなんだよ。それなのにあんたは! 人の心を簡単に傷付けていいと思っている! 馬鹿にするなっ! 言われた方は、当たり前だけど、聞いただけの私も傷付く。あんたにそういう事を言わせている原因が私だって思うと……私は」
「あーちゃんは、違うっ」
「違わない。……それに、瑛だって傷付いてる」
「……」
「謝って」
「……」
彼は、瞳をギュッと瞑ってから、ボクと少女たちの方向に向き直して頭を下げた。
「言いすぎました。ごめんなさい」
微妙な空気の中、彼女がボクのそばに寄り仔犬を差し出した。仔犬は尻尾を大袈裟に振りボクの顔を舐める。犬の舌は温かくてくすぐったかった。
「怖い事を考える人に動物はこんな事しないよ。ごめんね。瑛が、酷い事を言って」
仔犬を彼女にかえしながら、小さく「……いえ」と辛うじて出た言葉がこれだった。……ボクは真面に彼女の顔を見られない。見る資格がない。彼女が少女たちにも謝っている最中、彼がボクに近付いて囁く。
「あーちゃんがお人好しで、よかったね」
囁いた後に、薄い笑みを浮かべた。彼の瞳がボクの瞳を覗き込んで、全てを見透かされているようで、ボクはとても怖かった。
「君たちもごめんねー。さっきのはジョーダンだよー。ふふふ。じゃあ、一緒にこの犬の飼い主を、見つけてくれるよね?」
明るい声と爽やかな笑顔を少女たちに向け、彼女から仔犬を奪い別の少女にキラキラした笑顔で「抱っこしてもらえる?」と手渡す。「はい」と少女は頬を染め、その様子に彼女は呆れた顔をした。
彼女を中心とした、彼と少女五人はその場を後にする。ボクは、その場から一瞬でも早く離れたかったのに、ずっと彼女の後ろ姿を見つめていた。
◇
その日の夜。
ボクは紙に、自分の想いを発散させた。
彼女の顔を何枚も描いた。忘れないように。何枚も。あの黒い髪。あの瞳。あの白い指先。あの笑顔。なぞるように。手が黒くなるまで。
それからボクは、嫌なことがあると紙に発散するようになった。自分の中の“毒”が発散されると、自然と周り対して余裕が出来る。やがて、周囲もボクも大人になり、ボクを取り巻く環境も優しくなってきた。
あの日の事は、今でも夢にみる。
彼女に出逢わなかったら、ボクはあの仔犬を殺し、また別の者を殺して人生は暗いものになっていたかもしれない。
それだけは、わかった。
それは、ボクにとって大事な事だった。
ボクは無口な小学生だった。
ハニーブラウンの髪と瞳は、同級生達が彼を遠巻きに扱う理由だった。幼さ故の残酷さでボクはクラスの“いない者”となった。
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環境から与えられた精神的抑圧感と深奥の部分に絡まるグチャグチャして気持ち悪い感情らを開放する為、ボクは、自分よりも弱い者で発散する事にした―目の前の仔犬にである。薄汚れた灰色の雑種犬は人懐っこそうにハァハァと舌を出していた。ボクは、目の前のソレを殺そうと思った。
理由はないが方法はある。その方法に、想像を巡らせるのが楽しかった。餌にちょっとづつ“毒”を入れて弱らせるか。石かバットで殴るか。袋に入れて、プールに沈めるか。想像が愉快で堪らない。――その楽しそうな様子は、天使のような姿容をした美少年が、仔犬と戯れているように周りからは見られるだろう。でも、彼は殺す事を考え、笑を浮かべる。
「ねぇ」
そんな時、背後からの声がかかった。
ボクはこの風貌なので、他人からよく声をかけられていた。だから『またか』と思い、いつものように無視を決め込んだのに、図々しくも声の持ち主はボクの隣に座りこんで来た。瞬間、むかついた。いったいどんな奴なんだと、視線を向けると、真新しいセーラー服が目に入ってくる。そして眩しく綺麗な黒い髪がはらりと肩から落ちる様子に“ドクリ”と心臓が跳ね上がった。
(え? なんで?)
「この仔、君の仔? 触ってもいい?」
澄んだ声の持ち主は、そう言って仔犬を抱き上げた。仔犬はボクには振らなかったしっぽを振り、舌を出し全身で喜びを表している。
その様子は不愉快さを極めた。彼女に対して? それとも仔犬に対して? すぐに答えがでなかったので考えるのを放棄して、ぶっきらぼうに質問に答えた。
「捨て犬」
「……そうなんだ。君が飼うの?」
「飼わない」
「そうか」
淡々とした会話。その間も、彼女は仔犬と遊んでいる。なんだか、全てが馬鹿らしくなって、ここから立ち去ろうと思った間際の事だった。
ジャ――……
仔犬が嬉しすぎて、小便を漏らしたのだ。
「「……」」
仔犬の背中を見る形で抱き上げていたので、運良くボクにも彼女にもソレ(・・)はかからなかったが、お互いびっくりして思わず顔を合わせた。
「プッ」
「あははははははは」
「うれションって、初めてされたわ」
「……あは……はは……」
見知らぬ人の前で、声をあげて笑った気まずさと同時に“ドクンッ”彼女の笑みに心臓がまた跳ねた。まだ、幼さが残っている顔ながらも、その瞳は強さが溢れ、そらさずにはいられない。
ドクドクドクと、さっきよりも早い鼓動を感じ、身体から熱を感じて、ボクの手が勝手に……
「あーちゃん」
背後からの苛立った声がかかり、反射的に手をひっこめた。声の持ち主はハンカチを彼女に手渡し、ボクに一瞥を向けている。それはもう敵意に溢れた瞳で。
隠す気のない他人からの敵意。同級生なんて比じゃない。恐怖を感じて背筋が凍る。
「かかってないし。いらない」
「ソレに触ったでしょ? それと、その男から離れて。近い」
「男って……瑛、小学生を睨まないで」
「でも、そいつ男だよね?」
「女の子でも関係ないくせに」
彼女が庇うようにボクの前に立つ。彼女の保護が出来たボクは、改めて目の前の男の容姿を見ることになる。
彼も真新しい制服を着ていた。
背も、ボクよりもずっと高く、彼を見るには上目遣いになる。まだ、少年の要素が残るが将来の姿を容易に想像させる美少年で、形のいい眉毛が弧を描き、少し拗ねた表情は憂いを漂わせる。
その彼の背後には、彼女と同じ真新しい制服に身を包んだ少女が五人立っていた。
「葛城くーん、汚いよー」
「行こ―」
「早くー」
「行こう行こう!」
「行きましょう!」
「うーん。ちょっと待ってね」
彼は、少女たちに優しく言葉をかけるが、その場から動こうとはしない。
「「「え―」」」
「ねぇ、行こうよ―」
「早くなさって頂戴!」
甲高い声。自分をいかに可愛く見せようと、身体を捩り上目遣いに彼を見つめる。その有様は、少女というよりも、発情した雌のようだった。「ふふふ。もうちょっとね?」とこたえる彼。彼女を“いない者”として、会話を続けられていく様子にボクは心を痛めた。
彼女、独り。そして彼と少女たち。世界が二つに分断される。それはボクの日常をみているようだ。
(教室でのボクとクラスメートだな……)
彼女は仔犬を改めて抱き直し、その五人の少女に向かい立つ。この後どうするかの話をしている少女たちと彼との会話に入り込み、さっきの事なんて、なんでもないかのように――軽々と世界を乗り越えた。
「この仔、飼えない?」
そう言って、ボクの方をちらりと見て「いいよね?」と聞いてきたので慌てて首を縦に振る。
「捨て犬なんだけど、誰か飼える人はいないかな? 知り合いでいない?」
「はぁ?」
「何、私たちの会話に入ろうとしてんの?」
「いらないし」
「私、犬苦手」
「図々しいにも程がありますわよ!」
空気が悪化して居心地が悪くなった。嫌だ。さっきから、この場所から早く離れたいと思うのに、足が動かない。そこで彼が動いた。頬をバラ色に染め恍惚に震えた彼は「あーちゃん、耐えられないんだけど」と少女たちを押しのけ彼女に抱きつく。
「ちょっ!! 瑛!」
「はぁ―。犬を抱っこしているあーちゃんって、マジ天使!! この糞犬は後で始末するべきと思っていたけど、あーちゃんを更に可愛く見せる小道具として特別に、生かせてあげる! でも犬臭いね。折角のあーちゃんの匂いを消しやがって……」
油断した彼女から、仔犬をペリっとはがして無造作に投げ捨てるから、ボクは慌てて仔犬を受け止め、ホッとする。
(あれ? ボク何をホッとしているんだ?)
「瑛!!」
「あの駄犬に、どこか舐められたりしてないよね? 一刻も早く消毒しないといけないなぁ。あーちゃんをお風呂にいれてあげなきゃ。それから体中を洗ってその後で僕の匂いを染み込ませてあげ……グハッ」
見事なミドルキックを決められた彼は、地面に倒れ込み「今日は、白か……グフ」と何やら呟いていた。
その様子を、呆気にとられていたのは少女たちだ。
「ごめんね。うちの幼馴染(へんたい)がお世話をかけて。あなた達も、折角可愛いんだし、幼馴染(へんたい)のそばにいると変態菌がうつるよ?」
黒髪を靡かせ、弧を描いた優しい瞳を彼女たちに向ける。その眼差しに決して瞳を逸らせない。
彼女の髪の先から指先まで、惹きつけられる全ての物腰から逸らせられない。キラキラと彼女の周りの空気が瞬く。
「え、ええと」
「葛城くんって……へんた……」
「嘘……え? え?」
「……素敵……胸が高鳴る」
「……お姉様なんて、思わなくもないわよ!」
ボクから仔犬を受け取った彼女は、優しい瞳をボクに向け「ありがとう」と。その言葉はボクの身体に染み込んだ。
「あの!」
「ん?」
少女らは、さっきまで彼に見せていた瞳(ねつ)を今度は彼女に向けている。
「私、その仔の飼い主を探すの手伝います!」
「あーずるい! 私も!」
「はいはい!」
「私もやりたいー」
「手伝っても良くってよ?」
ボクを押しのけ、彼を無視し、少女たちは彼女に群がる。(今更だけど、一人だけ口調が変だ)
彼女は、瞳をパチパチさせた後
「ありがとう」
その場の者が、心奪われる笑顔を向けた。
「「「「「~っ!!」」」」」
頬を染める少女五人。
少女たちをゲンキンだなと、思いつつも、ボクの頬も赤く染まっていた。
「はぁぁ~」
今の今まで地面に寝ていた彼が、絶望に近い声を出す。身体の埃を払う姿もさまになっていた。
「あーちゃん、これ以上“信者”を増やすのやめてよね。排除する側の身にもなって」
「はぁ? 何を言ってんの?」
本当にわからないという顔をしてから、ボクの方を向き「この仔、私が責任を持って飼い主を見つけるから。いいかな?」と確認してくれた。仔犬はすっかり彼女に懐いて気持ち良さそうに尻尾を振っている。対してボクは「……よろしくお願いします」とボソボソと話すのが精一杯だった。
「老若男女問わず小動物まで魅了して、今日は、何? こんなガキまで捕まえて。本当に目が離せない」
『こんなガキ』で、ボクを睨む。その瞳は『わかっているんだろうね? これ以上近づくと殺すよ?』を雄弁に物語る。
「ほんと、つまんない。つまんない。つまんない。あーちゃん、全然“嫉妬”してくんないんだもん。あー、嫌だ。こんな奴らと一緒にいる意味なかったじゃん。馬鹿みたいな会話に付き合ったりして、我慢して損したよ。お前らさぁ~何? なんなの? あーちゃんに頬染めて、さ、ほんとさぁ~尻軽で反吐がでるんだよねぇ。こういう奴らって大っ嫌い。あのさ、その年ですでに貞操感の低いお前らなんて世の中の害になると思わないの? 人生リセットしたら? 死ねよ。死ね」
口元は笑っているが侮蔑しきった視線に、少女たちは顔を真っ青にして後ろに下がる。
「あーちゃんに近づくなよ」
「瑛!」
「あーちゃんも、その駄犬をいつまで抱いてんの? いい加減ムカついてしょうがないんだけど」
そう言って、彼女から仔犬を奪い、猫の仔のように首を掴んだ。犬が苦しそうに「キャンキャン」鳴く。
「あっ」
ボクは思わず両手を前に出して、仔犬を受け止めようとする。そんなレイの仕草を見た彼は、バカにしたように嗤った。
「お前も、本当はこの駄犬を殺そうとしていたんだろ? 今更いい子ぶっても僕にはわかるよ?」
「……っ!」
ボクは、恥ずかしさで震えて動けなくなる。
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全身に鳥肌がたって、さすってもさすっても、生きた心地がしない。
「瑛! いい加減にしなさい!」
彼の頬に、容赦ない平手打ち。
バシッ
乾いた空気の中、音は大きく響いた。
その時の瞳にボクは惹きつけられ、同時に何とも言えない気持ちになった。彼女は仔犬を奪い、大事に抱き直してから、彼の第二ボタン辺りを掴み責めよる。
「謝って! この子と女の子たちに! 言葉も暴力のひとつなんだよ。それなのにあんたは! 人の心を簡単に傷付けていいと思っている! 馬鹿にするなっ! 言われた方は、当たり前だけど、聞いただけの私も傷付く。あんたにそういう事を言わせている原因が私だって思うと……私は」
「あーちゃんは、違うっ」
「違わない。……それに、瑛だって傷付いてる」
「……」
「謝って」
「……」
彼は、瞳をギュッと瞑ってから、ボクと少女たちの方向に向き直して頭を下げた。
「言いすぎました。ごめんなさい」
微妙な空気の中、彼女がボクのそばに寄り仔犬を差し出した。仔犬は尻尾を大袈裟に振りボクの顔を舐める。犬の舌は温かくてくすぐったかった。
「怖い事を考える人に動物はこんな事しないよ。ごめんね。瑛が、酷い事を言って」
仔犬を彼女にかえしながら、小さく「……いえ」と辛うじて出た言葉がこれだった。……ボクは真面に彼女の顔を見られない。見る資格がない。彼女が少女たちにも謝っている最中、彼がボクに近付いて囁く。
「あーちゃんがお人好しで、よかったね」
囁いた後に、薄い笑みを浮かべた。彼の瞳がボクの瞳を覗き込んで、全てを見透かされているようで、ボクはとても怖かった。
「君たちもごめんねー。さっきのはジョーダンだよー。ふふふ。じゃあ、一緒にこの犬の飼い主を、見つけてくれるよね?」
明るい声と爽やかな笑顔を少女たちに向け、彼女から仔犬を奪い別の少女にキラキラした笑顔で「抱っこしてもらえる?」と手渡す。「はい」と少女は頬を染め、その様子に彼女は呆れた顔をした。
彼女を中心とした、彼と少女五人はその場を後にする。ボクは、その場から一瞬でも早く離れたかったのに、ずっと彼女の後ろ姿を見つめていた。
◇
その日の夜。
ボクは紙に、自分の想いを発散させた。
彼女の顔を何枚も描いた。忘れないように。何枚も。あの黒い髪。あの瞳。あの白い指先。あの笑顔。なぞるように。手が黒くなるまで。
それからボクは、嫌なことがあると紙に発散するようになった。自分の中の“毒”が発散されると、自然と周り対して余裕が出来る。やがて、周囲もボクも大人になり、ボクを取り巻く環境も優しくなってきた。
あの日の事は、今でも夢にみる。
彼女に出逢わなかったら、ボクはあの仔犬を殺し、また別の者を殺して人生は暗いものになっていたかもしれない。
それだけは、わかった。
それは、ボクにとって大事な事だった。
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