世界は淫魔に支配されましたが、聖女の息子は屈せない

池家乃あひる

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おまけ

アモルの最高の日々 後編

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 アモルがヴェルゼイの元に就いてからしばらくして、いくつか気付いたことがある。
 魔力の高さや信望は想定通り。扱いにも長けているし、新たな魔王になるだろうヴェルゼイの母よりも、よっぽど彼の方が長に相応しいまである。
 それは単純に、長である彼女が無気力で、ある意味最も淫魔らしい存在なのも関係しているが……彼にその意思があったなら、とっくに取って代わられていただろう。
 魔王の座に限ってのことではない。ヴェルゼイという男は、何かに関心を抱くことがあまりに少なすぎたのだ。
 自ら志願して征服作戦に関わろうとする淫魔に対しても、最も血が近い兄弟に対しても、彼が必要以上の関心を抱くことはなく、それどころか獲物に対してまで一切関与しなかった。
 彼ほどの淫魔であれば、供給が少なくとも力を維持することは容易。食事は、執拗に懇願する淫魔を抱く程度で賄えていたのだろう。
 下手な人間より同族の方が美味いとはいえ、極上とも言える聖職者の血にさえも興味を示さず、あっさり実験対象として引き渡してきたときはさすがに驚いたものだ。
 アモルの実験に興味を抱いたのがいかに特殊な例か、気付くのにそう時間はかからなかった。
 他に興味を抱いているのは、あの勇者たちがどこまで抗えるかの一点だけ。
 既に語られた作戦は、些細な穴さえ見逃すことなく固められ、もはや負ける要素は一切なく。慢心ではなく、そうだと思うしかないほどに、完璧な物になっていた。
 あらゆる事態を想定し、その上でどうやって潰すのか。戦えるだろう勢力と、その実力の想定。殺すことなく、必要以上に壊すこともなく、どうやって屈服させていくのか。
 何もかも万全に整えた上で、彼はその予想を裏切られることを期待している。そう、自分の想像を超える展開を待ち望んでいるのだ。

 ……だが、人間たちは呆気なく堕ちてしまうだろう。
 本能に揺さぶりかける自分たちが本気で人間を狩ろうというのだ。耐えられる者も、逃げられる者もいない。
 最初から逃がすと決めている者はともかく、そうでなければ人間が抗えるわけがない。そうして、その逃がした者たちだって、自分らを脅かすまで成長するとは到底思えなかった。
 そうなれば、きっとこの男は落胆するだろう。何もかもが計画通りで、想像通り。しばらくは人間をどう管理するかで楽しみを見出すかもしれないが、それだってすぐに飽きてしまう。
 アモルは命じられた通り、他の淫魔が退屈しないよう、ありとあらゆる玩具を用意したし、まだ作りたいものは山のようにある。
 この男が飽きたとしても、アモルの実験は続けられるが……彼についていこうと思ったのは、この男が楽しいと感じている限り、自分も面白いことができるという期待からだ。
 絶対に退屈しないと確信し、抱いた高揚感を失ってしまうのは正直惜しい。
 だが、こればっかりはどうしようもなかった。だって、どう足掻いたって人間があの男を満足させられるはずがない。
 アモルと使用用途は異なる。されど、ヴェルゼイにとってもまた、人間は玩具でしかないのだ。
 退屈凌ぎのための玩具。飽きたら捨てるだけの道具。どれだけ楽しみ方を見出そうとも、それ以上の存在になることはなかった。
 そうだと疑ってもいなかったのだ。あの瞬間、まさしく人間たちを襲おうという間際ですら、それは揺るぎないはずだったのに。

◇ ◇ ◇

 結果から言えば、アモルの予想通り呆気なく人間は自分たちのモノになった。
 勇者も、聖女も、かつて魔王を倒した仲間たちも、兵士も市民も例外なく。王都を堕とすのにかかった時間は、正味一日もなかっただろう。
 侵略を開始して三日目。勇者と聖女の陥落した姿を公然に晒し、そうして今、淫魔たちは文字通りお祭り騒ぎというわけだ。
 とはいえ、今後の計画もある。捕らえた全員を玩具にさせるわけにはいかないので、眼下で自分たちをもてなしているのは主に反抗心の高い者たちばかり。
 王族も市民も分け隔てなく、ある意味平等に使われている光景は見ているだけでも中々に楽しいものだ。
 勇者はもう使い物にならないが、志気を削ぐという役目は十分に果たした。
 聖女の研究も始まったばかりだが、既に有益な情報がいくつも手に入っている。
 淫魔も人間も死傷者はなく、街や城の破損も微々たるもの。全くもって順調で、完璧な作戦だったと言える。
 そう、完璧だったのだ。……いくつかの想定外を除けば。

「呆気なく終わったのに、嬉しそうですね」

 窓の外から、横に。同じく見下ろしていたヴェルゼイに問いかければ、クスクスとした笑みが返ってくる。
 つまらなそうで、どこか楽しそうな瞳。されど、それは目の前の光景ではなく、どこか遠くを見つめるもの。
 どう考えても、この結果はヴェルゼイにとって想定内であり、同時に期待外れだったはずだ。
 勇者と聖女が抗うことを期待し、全力を尽くして攻防を楽しみたかったはずなのに、本当にあまりにも呆気ない終わりだった。
 それも自分たちの実力ではなく、仲間割れのせいで迎えた終わりならばなおのこと。その胸の内は失望に埋め尽くされると思っていたのに、赤は楽しげに歪んだまま。
 むしろ、これまでアモルが見てきたどの瞬間よりも、幸せそうにすら見える。

「うん、これからの楽しみができたからね」
「これから? 一番楽しみにしていたことを僕に任せるほどに夢中になれることが?」
「夢中? ……うん、そうだね」

 要領を得ない返答は、そもそも答える気がないのか、心ここにあらずか。
 何を言おうと、適当に返事をされるだけだろう。これが失望から来る反応ならアモルも理解できるが、どう見たってヴェルゼイは上機嫌のまま。

 そう、本来の計画では、ヴェルゼイ自身が勇者と対峙するはずだった。勇者の親友である騎士が裏切るよりも先に正統に戦い、楽しみ、その上で計画を遂行するはずだったのだ。
 だが、あろうことかこの男は、作戦が始まった途端に「やることができたから、あとは任せる」なんて言って、あっという間に姿を消してしまったのだ。
 これにはさすがにアモルも戸惑った。ヴェルゼイがこの計画の中で、最も楽しみにしていた一連を、あろうことか自分に一任するとは!
 とはいえ、任されたなりに楽しませてもらったし、結果として全て上手くいった。問題は、その楽しみをアモルに投げつけてまで何をしにいったのかだ。
 あの時点で彼自身が動かなければならない非常事態が発生していたとは考えられない。
 だが、勇者と聖女以上にこの男の興味を惹くような出来事があったとも思えない。
 求めた答えは得られず、この様子では追求したところで無駄だろうと、漏れる息はどうしても深いものになる。

「まぁ、あなたがそれで楽しいんだったら僕は別にいいですけど……で、逃げた聖女の息子はどうするんです?」

 男が作戦を放棄したのもそうだが、聖女に抱かれていた彼らの子どもを逃がしたこともまた想定外であった。
 聖女ごと逃げたならまだしも、彼女はアモルの研究に協力してもらっているし、そもそも自分たちが襲撃をかけた時点で誰かに預けていたのは把握済み。
 問題は、その相手ごと行方が知れないということだ。
 ヴェルゼイからはひとまず確保としか聞いていなかったが、結局はトドメを刺すのか、あるいはこのまま放置するのか。
 どちらにせよ、上手く隠れたところで見つかるのは時間の問題。
 そうでなくても、赤子を連れた一般人が魔物のいる外で無事でいられるとは考えられない。
 死んでいいのならこのまま何もしないが、利用したいのならすぐにでも行動しなければ。

「ああ、あの子ならしばらくルバ村の人間たちに育てさせるよ。まだ恋人にするには早すぎるからね」
「……はい?」

 何てことはないと、あまりにも軽く伝えられた言葉に、思わず聞き返したのも無理はない。
 ニュアンスはどう聞いても、その行方を知っているものだ。知った上で放置しているのまではいい。だが……今、彼は何といった?

「一応は故郷の人間になるし、彼らも聖女の息子なら大事に育ててくれるはずだ。僕が育てることも考えたけど、馬鹿の面倒を見ながら守りきる自信はさすがにないからね」

 だが、ヴェルゼイはアモルが動揺していようと構わず言葉を連ねる。
 恋人。育てる。守り切る。到底淫魔が人間に向けるものではない。
 どれだけ耳を疑おうと赤は輝きを増し、唇は柔らかく線を描く。冷め切った故の微笑と感情からくる笑みの違いを、これだけそばにいたアモルが分からないはずがない。

「やっぱり迎えるなら、成人してからかな。身体の問題もあるし、奴隷制度を纏める時間もほしいしね。あとは保護区とか、君の研究所とか……うん、待っている間退屈せずに済みそうだ」
「ちょ、ちょっと待って。……本気で?」

 とうとう話を遮り、正気を疑っても笑みが崩れることはない。
 こんな冗談を言う男ではないとアモルだって分かっている。だからこそ、聞かずにはいられない。

「いや、でも……人間の赤ちゃんですよ? しかも聖女の息子って……」

 玩具にするならアモルもここまで困惑しないし、むしろ賛同しただろう。聖女の息子が生きていることはいずれ人間たちに伝わるし、それを逆手に取って愉しむ算段もある。
 だが、確かに恋人にすると彼は言ったのだ。まだ言葉も喋れないだろう赤子を、一目見ただけで!
 言葉通りではなく、それも遊びの範疇だと確かめるために問いかけても、現実は無情なもの。

「だから育つまで待つし、迎えられるよう万全の準備を整えるつもりだよ。君でさえその反応なら、他の馬鹿が騒ぐのも目に見えているし。もちろん、その時には協力してもらうからね」
「まさか、あの時作戦を抜け出したのって……」
「うん、あの子を逃がすためだよ」

 思わず、祈る神もいないのに天を仰ぎそうになる。これまで心身を費やしてきた最大の楽しみを、たった一人の赤子に奪われていたとは。こんなのどうして予想できようか。
 困惑と、それ以上の高揚感。想定外に振り回されたのは、もはやヴェルゼイではなくアモルの方。

「だって、仕方ないだろう? 僕らは我慢ができないんだから」

 そうして、何も言えなくなったアモルに対し、彼は肩をすくめて呟く。
 まるで子どものように瞳を輝かせ、乙女のように頬を染め。その一瞬の高揚を何度も思い出し、楽しみ。そうして、いつか迎えるその時を思い焦がれている。
 遊びなんかじゃない。一時の気の迷いでもない。
 もしこれが、聖女の血に淫魔の本能が刺激されたとしても、彼は本当に求めているのだ。
 年齢も関係なく、これから育つまでの十数年を待てるほどに。
 ただの獲物にかけるには、あまりにも長すぎる期間を。彼は、それにすら心を弾ませているのだ。
 もはやアモルには疑いようもない。彼は、自らを埋めるモノを見つけたのだと。
 ……それがまさか、これから奴隷とする種族の、ただの赤子だとは!
 途端、笑いがこみ上げる。阿鼻叫喚、喘ぎ声の混ざり合う空間に似つかわしい、あまりにも明るくて楽しい笑いが。
 でも、こんなのどうして笑わずにいられるだろう。こんな、最高に面白い展開を!

「あ、あんたっ、ほんっとうに面白い! やっぱり着いてきて正解だった!」

 面白すぎて涙が滲む。ああ、本当に、あの時の自分の判断は間違いではなかった。
 これまでも、そしてこれから先も。ずっと、この男と共にいれば面白いことに巡り会えるだろう。
 実験も、遊びも、そして想定外のことも。これからたくさんの面白いことが、アモルを待ち構えている。
 十数年なんてすぐのことだと、期待に胸を膨らませる主人を見て。アモルもまた、その未来を待ち望んだ。
 待ち望んだ赤子が大人になり、そうして――彼の隣でどう足掻き、堕ちていくのかを。

◇ ◇ ◇

「……ほんっと、あっという間だったッスね」
「ん、何、アモル」

 なんでもない、と手を振れば、大して興味を抱くことなく、青い瞳は再び自分の主人へ向けられる。
 十数年。正確には二十年近くもの歳月は、本当にあっという間に過ぎ去っていった。
 淫魔にすれば瞬きにも等しい期間。それでも、ヴェルゼイが一喜一憂した回数は数え切れないほど。
 保護を任せた村の連中が、寄って集ってクラロに希望を見出した時も、その幼い身に余る過大な期待を寄せたときも、精神史は意図も言える刷り込みにクラロが泣くことすらできなくなったときも、その度にどれだけこの男が怒り狂い、それを自制しただろうか。
 最終的には計画を前倒しにしてまで村を制圧したというのに、肝心の本人が逃げたと知った時のヴェルゼイはこれまで以上に面白かった。
 全力で探し出し、すぐに見つけたクラロがあろうことか自分らの城に身を潜めると知った時の喜びようといったら。
 それから一年もの間、毎日かかさず見守り、時には馬鹿を牽制し、無事であるのはヴェルゼイの尽力だと知らぬクラロの抵抗を可愛らしいと和み。
 結局は、勘のいい馬鹿に手を出される前にと、全ての計画を前倒しにしてしまうまで、本当にあの完璧な侵略作戦を打ち立てた本人とは思えない振り回されっぷり。
 接触してからも色々とあったが、ようやく望んだ形に落ち着いたというわけだ。
 愛しい恋人を膝の上に乗せ、幸せそうに笑う主人を眺めながら、アモルの短い回想も終わりが近づく。
 クラロを蝕んでいた呪いはとけ、馬鹿は淘汰され、全ての計画は無事に遂行された。
 ヴェルゼイは待ち望んでいた存在を手に入れ、クラロも幸せになり、アモルはこれからも研究を続けることができる。紛れもなく、大円満と言えるだろう。
 現状に何の不満もないし、未来に不安だってない。だが、一つ惜しむべきは、クラロを味見し損ねたことだろう。
 淫魔になっても、その身体に聖女の血が流れていることには変わりない。こうして近くにいるだけでも、普段は獲物として興味を持たないアモルでさえ食欲が湧いてくる。
 実際、一度だけ喰らった体液はどの人間よりも極上だった。
 唾液や汗だけであんなにも甘かったのなら、精液なんて比較にもならないだろう。 
 全くもって、本当に惜しい。だが、未遂で終わってよかったのも事実。そうでなければ、とっくの昔にアモルはヴェルゼイに殺されていた。
 冗談抜きで、本当に。この男の本気を見誤っていたつもりはなかったが、それでも抑えられなかった欲のツケをしっかりと払わされたのだ。
 好奇心は猫をも殺すというが、淫魔も死ぬことになるとは。
 いや、実際死ぬより恐ろしい目に遭っている者はもう数え切れないほど存在しているのだ。
 惜しい。本当に惜しい……が、アモルはヴェルゼイの一番の部下だと自負しているし、そうだと本人からも認められている。彼の指す、馬鹿の仲間入りをするつもりは毛頭ない。
 それに、計画が進んだ今、焦らずともじきに聖女の息子は味わえる。クラロには劣るだろうが、代替品としては十分だ。
 それまでは、新しく迎えることになったもう一人の同族に釘を刺す事を念頭に置いておこう。
 アモルとしても望まずに得た助手ではあるが、これはこれで面白いことには変わりない。
 幸いにもアイディアは尽きることなく、そして材料も実験体も溢れるほど存在している。退屈なんてする暇は、それこそないだろう。
 なにより、自分の言葉一つで、簡単に機嫌が変動するヴェルゼイが一番面白くてたまらない。これだけであと十年は暇を潰せそうだ。

「やっぱり、エリー君用のメイド服作らせようかなぁ」

 ヴェルゼイの部下というポジションまでさせるつもりは毛頭ないが、純粋に反応が見たいと呟いたそれに、クラロに向けられていた甘い視線が鋭いモノへ変わる。

「却下」
「別にいいんじゃないか? よく似合うだろうし」
「そうやって褒めたらアレが喜ぶでしょ。着せたら破くからね」
「エリー君なら、クラロ君に全裸を見られても興奮しそうッスけどね」

 というか、クラロが同じ空間にいるだけでも尻尾を振る勢いだ。もう何をしなくてもご褒美になるだろうと言外に含めれば、深い溜め息と共にクラロを引き寄せるヴェルゼイは、まるで子どものよう。
 あからさまに機嫌を損ねた主人に対し、部屋に響くのは高らかな笑い声。
 ああ、本当になんて最高の日々だ!
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