世界は淫魔に支配されましたが、聖女の息子は屈せない

池家乃あひる

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第二章

11-6.騙されたのは ☆

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 ――全くもって、人間とはなんて矮小で愚かな存在だろう。
 忌々しい姿が布に遮られ、程なくして聞こえた鈍い音と呻き声。そうして、あとは捨てるだけとなった馬車が発つのを見届けた淫魔が笑う。
 女は自分が優秀であると自覚している。故に顔に出すほど愚かではなく、されどその心は歓喜に満ちていた。
 自分たち淫魔と対等に交渉できると考えていたことに哀れみを覚える。疑いを抱きながらも結局信じたのは、自身の立場を弁えずに誤ったからだ。
 専属と付こうが、気に入られていようが、所詮は奴隷。自分たちに搾取されるだけの餌。馬鹿馬鹿しい規則さえなければ、とっくに食い尽くされていたというのに。
 ウェルゼイ様の慈悲によって生かされていることも知らず、あろうことか傍に纏わり付くなど、到底許されないことだ。
 確かにそれだけの魅力があったことは認めよう。聖女の血を濃く受け継いだ、若々しい肉体。
 単に聖職者の血が混ざっている奴隷とは比較にもならない。あれ以上の餌は存在しないと断言もできる。
 ウェルゼイ様が夢中になるのも頷ける。だが、あくまでも奴隷だ。餌であり、消耗品であり、捨てられる存在でなければならない。
 専属までなら、まだ耐えられただろう。
 元より自分たちとは違う感性を持った御方。並の奴隷では気に入らないのだと納得することも、まだ辛うじて。
 だが、その範疇を超えるならば……それは過ちでしかない。
 淫魔は淫魔と付き合うべきだ。あくまでも人間は愛玩物止まり。
 恋人などあり得ない。あの御方の血をこんなことで絶やすなど、あってはならないこと。

 女は淫魔の中でも上位に属する自覚があった。知識の含有量も、魔力の豊富さも、それらを活用する頭脳だって。
 だからこそ、女は自身の認めた相手へ忠誠を誓い、従うことのできる現状に歓びを見出していた。
 あの完璧とさえ言える作戦を立案し、まんまと人間たちを手中に収めたウェルゼイを。他のどの淫魔とも異なる、特別な存在を。
 彼の命令であれば間違いなどないと断言できよう。故に、どんなことでも従ってきた。逆らおうなんて思ったことは一度もない。
 ……だが、どんな存在であろうと過ちを犯す。そして、それを正すのもまた、優秀な配下としての努めなのだ。
 そう考えたのが女一人ならば、まだ踏み止まった。だが、彼を慕うほとんどの淫魔がそうであれば、やはりあの御方の選択は過ちであったのだ。
 一度目は失敗し、犠牲を出してしまった。だからこそ、今回は確実に、あの忌々しい存在を殺す必要があったのだ。
 何があっても。何としてでも、絶対に。
 ヒールが刻む足音は、その心境を表すように軽やか。ああ、そうだとも。すでに女の目的は達成された。

 己の役目は、あの奴隷を騙してこの場所まで連れてくること。
 愚かにも淫魔を信じた奴は、馬車の中で殺され……死体は、他の屍と共に捨てられる。
 すでに馬車は見えずとも、全ては終わった。あとは引き継いだ者たちがうまくやるだろう。
 これであの御方は道を誤ることなく進める。奴隷を恋人にしようなどと血迷ったことをせずに済む。
 あの御方の血を、あの御方に相応しき同胞によって受け継がせることができるのだ。
 その位置に納まろうなどと、不相応な願いは持っていない。だが、人間があの御方の幸福を妨げるのであれば。
 その身体でたぶらかし、誘惑するというのなら、下級の淫魔の方がよほど相応しい。
 全てはあの御方の為だ。あの御方を正しい道へ。そうして、あの御方の幸福のため。
 奴隷など自分たちがいくらでも用意しよう。あの外見が気に入っていたのなら、そう作り替えてしまえばいい。味は劣るだろうが、それも仕方のないこと。
 考えることも、しなければならないことも多いが、今はこの喜びに浸ってもいいだろう。
 ああ、これでやっと、あるべき形に、

「随分と楽しそうだね」

 喉が狭まる音がした。その細首に指はかからず、実際に締めつける手はない。だが、首だけではなく全身が押し潰されそうなほどの魔力は――そこにいなかったはずの、尊き存在から。

「うぇ、る……ウェルゼイ、様。なぜ、このような場所に……」

 何もなかったはずだ。何もいなかった。確かにこの目はそう捉えていた。なのに、なぜ、
この御方がここにいる? どうして、自分の前に?
 今夜は戻らないと確かめたはずだ。実際に出ていく姿も見た。なのに、なぜ!
 血を煮詰めた赤黒い瞳、高貴な血の証が確信を持って女を貫く。
 取り繕うことすら諦めさせる蔑んだ光は、それこそ奴隷に向けるべきもので。

「君と言葉遊びをするほど暇じゃないよ。それなりに優秀だと思っていたけど、わざわざ説明しないと分からないほど馬鹿だったのかな。……いや、こんなの企む時点で馬鹿には違いないか」

 弁明の余地もなく拘束され、組み伏せられる。
 誰かが裏切ったのか。そうでなければ、この御方が知っているはずがない。
 あの奴隷につけていた指輪だって、確かに自分が無効化した。なのに、なぜ!

「遺棄場の馬車に紛れ込ませるなんて、本当に上手くいくと思っていたの?」
「な……なぜ……っ……! 全て、完璧にっ……!」
「そうだと疑いもしてない時点で君らの底が見えてるよね」

 あとを引き継いだはずの男は地面に叩きつけられ、馬車の音が戻ってくる。だが、座っているのは、局長と自称するふざけた男だ。
 ああ、いったいどこから……どうして!

「最初から知ってたに決まってるだろ」

 目は口よりも語る。混乱と恐怖に揺れる瞳だけでも、その疑問は現れていた。

「ゆ、指輪は、無効化したはずっ……!」
「そもそも、そこから違うよ。あれはクラロを守りやすくする為にあげただけで、見守るだけなら無くてもできる。あの子は、最初からこの作戦が僕に聞かれてると理解していたよ」
「そんなはずありません! あんな奴隷が、そんなっ!」

 髪を振り乱し、叫び、否定する。そんなことあってはならない。あるはずがない。
 聞かれていたと気付いていたなんて。それを、自分たちだけが気付いていなかったなんて。あの奴隷だけが、下等生物である人間が、気付いていたなんて。
 それでは、自分たちが劣っているようではないか!
 そんなこと、あっていいはずが……!

「君はまんまとあの子を始末できたと思っていたようだけど、あの子は無事だよ」
「っ……なぜ、そこまでして手元に置こうとするのですか!」
「お前に答える必要はない。そして、あの子がお前の罠に引っ掛からなかったのは、僕の力じゃなくてあの子の実力だよ」
「淫魔のくせに、人間に催眠されるなんて、だっさーい!」

 甲高い、明らかな嘲笑に頭を殴られる。
 催眠? この私が、優秀な淫魔である私が、あんな奴隷に……騙された?

「あ……ありえない。催眠なんて、馬鹿を言うなっ! いつそんなっ……!」
「だぁかぁらぁ~~~最初からだって! クラロ君がお願いするときに扉を開けたときから、ずーっとね! ほんと馬鹿すぎて笑える。音だけ聞いて殺せたなんて勘違いして、単純に利用されてんだもん!」
「うるさいよ、アモル。これはクラロが頑張った証拠だ。……まぁ、普通の人間じゃないことを忘れていたこいつらが馬鹿なのは、事実だけど」

 圧迫感が増し、心臓まで潰されてしまいそうだ。息ができない。身体の震えが止まらない。
 ありえない。嘘だ。そんなこと、私は、私は、

「まぁ、前は上手く逃げられたけど……これでやっと、全部片付けられる。淫魔の処刑なんて滅多にないから、みんなも喜ぶだろう」

 もはや目も合わせてもらえず、身体が引き摺られていく。
 違う、違う。私は、私はあなたのために、あなたの幸せのために!

「ウェルゼイ様っ――!」

 最期の懇願は、殴りつけられる衝撃と共に潰えた。
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☆新作☆

そうして『兎』は愛を知る

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