世界は淫魔に支配されましたが、聖女の息子は屈せない

池家乃あひる

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第二章

9-1.決断

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 クラロがこの部屋に来てから良かったことは、毎食きっちりと出される食事が上級奴隷と同等であることと、この豪華な部屋があの男の自室ではなかったということだろう。
 着替えも家具も自室とは比較にすらならない。上級でも、これだけの待遇は受けられない。まさしく、最高の衣食住というもの。
 逆に悪かったことは――そもそもこの部屋にいること自体。
 現実逃避の読書も飽き、ふかふかのソファーに身体を横たえる。
 ここに閉じ込められてから早数日、クラロの体感としては既に一週間以上。
 淫魔同士の諍いに巻き込まれ、あまりにも多くのことがあって。最後には命まで失いかけた後、連れてこられたのがこの部屋だった。
 あの一連でどうして抵抗できただろう。
 確かに助けられたし、治療というのもまぁ嘘ではなく。だが、それを逆手に取られて部屋を移されるのまでは想定外。
 離れた位置にある机に並ぶのは、クラロの自室にあったものばかり。といっても数える程度だ。
 薬草に関して纏めた愛読書、雑貨、本来中身があったはずの瓶。こっそり育てていた薬草まで鉢に植え替えられているし、貞操帯の鍵なんか一番わかりやすい位置に並べられていた。
 その中に、一番ここにあってほしい魔除けの香油がないのを確かめたのも、これで何度目か。
 取りに行かなければ、と考えていたのも初日だけ。よくよく考えれば、あの個室が与えられていたこと自体、クラロを観察するためのものだった。
 手元に置いておける理由を得た今、あの場所を残しておく必要はない。元の部屋は別の者に与えられているか、物置にでもなったか。
 香油がなければ、クラロはただの餌。それも極上の、滅多にありつけないほどのご馳走。
 自分で言いたくはないが、聖女の血を引いているクラロは、この城の誰よりも美味だろう。だからこそ、あの男に目を付けられてしまったのだから。
 そんな獲物が防御策もなく逃げ出そうなんて、自らオーブンの中に入っていくようなものだ。
 そこまで自棄になっていないが、だからといって諦めてもいない。ただ、現状から抜け出せる案がないことも、また事実。

 溜め息は深く、そして虚しく響く。追い詰められている自覚はある。逃げられなければ、この先に待つのはクラロの終わりだ。
 あの男は今頃、術中に嵌まっている自分に舌なめずりしているだろう。そして、もっとも油断した時に骨までしゃぶりつくし、そうして飽きたら捨てる。
 そうだと分かっていながらも、身体はソファーから起き上がれないし、焦る気持ちも湧かない。
 冷静なのはいいことだ。対策をゆっくりと考えることができる。……だが、慣れてしまうこと自体はいいとは言えない。
 既に、直近で来るだろう試練がクラロに忍び寄っている。

 今日が何日か覚えていなくても、月初めと月末の区別ぐらいはつく。そして、特定の日に行われる催し事も、その悪質さもしっかりと忘れていない。
 間違いなく、あの男たちは『散歩』と言った。
 ただ城内を歩くだとか、気晴らしにするものだとか。そんな可愛らしいものでないことは明確。
 わざわざ間に合わせると言ってきたぐらいだ。こうして悩むことすらも愉しんでいるに違いない。
 上級奴隷や専属になった奴隷への洗礼。選ばれた者にはご褒美だが、クラロにとっては処刑そのものだ。
 聖女の息子と公言することはなくとも、お気に入りだと示すことには変わりない。
 魔王の子息。たとえその三男としても、実力は十分すぎるほど。専属にすることで手を出さぬよう牽制することはできるが、それこそ本末転倒。狙われるだけの理由を作っているだけだ。
 だが、すでに公然の事実であったからこそ、先日の事件は起きてしまった。
 ……あるいは、こうなることを狙っていたのか?
 黒幕がいるとは言っていたが、あれから続報はないし、そもそも本当にいるかさえ怪しい。
 あの男が絡んでこなければそもそも起こらなかったことで。でも、彼に関係なくいつかはこうなったことで。魔物に襲わせるのもリスクの方が大きいし、あまりに合理的ではないし……。
 それに……襲わせるだけならあの村に行かせる理由も、それこそ。

「……あー」

 呻き、仰ぎ。振り払いたいのは、キラキラと輝く赤い光。信じてもらえたと喜ぶ笑顔。
 信じたわけじゃない。慣れたわけじゃない。だが、初めの頃のような警戒心が薄れてしまっているのは、否定できない。
 抗わなければならないのに。このまま流されてはいけないのに。信じてしまえば、それこそ待っているのはクラロの終わりなのに。
 それでも、この状況から抜け出す方法をやはり思いつけず。吐き出した息は、やはり虚しく響くばかり。

「入るっスよ~!」

 どうしたものかと天井を見上げたところで天啓が下りるはずもなく、ここから逃げる手段を考え始めたところで、明るい声に慌てて起き上がる。
 ズカズカと踏み込むアモルの後に続くのは、まさにクラロを悩ませている張本人。
 毎朝毎晩、必ず顔を合わせているが、まだその時間ではないはず。
 もっと言うなら、アモルの手に握られているのは昼食ではなく別の何か。
 嫌な予感はしても、逃げ場がないのは変わらず。

「退屈していたかな。もう本も全部読み切っちゃった?」

 寝ていたところは見られていたらしく、今更取り繕ったところで無駄かと体勢を崩しても警戒は解かない。
 意味もなくここに来る……こともあるだろうが、どちらにせよ碌な事ではないだろう。

「……何か、御用で」
「そう固くならないで。ちょっと確認しておこうと思っただけだよ。ほら、立って」

 促されるままソファーを立ち、近づいたところで逆に詰められ、思わず後退り。

「そう警戒しないでよ。ただの採寸ッスよ」
「……採寸?」
「普段着は既製品でもいいだろうけど、仕事中の服はやっぱりオーダー品がいいと思って。あ、『散歩』の服はもう用意できているから、これは普通の採寸だよ」

 だから安心していいと伸ばされたメジャーはごくごく普通の物。なんだ、ただの採寸か……なんて、安心できるはずがない。
 胸に腕を回されかけ、今度こそ大きく仰け反る。後ろにソファーがなければ、もっと距離を離していただろう。

「こら、逃げない」
「…………いやぁ~! オラなんかが淫魔サマの専属なんて、恐れ多い! 何かの間違いじゃないですかね?」
「クラロ」
「いやいや、オラはペーター・・・・ですよ。淫魔サマ」

 ふざけているつもりはないし、苦し紛れでもない。正当な理由と勝算があるからこその抵抗だと念を押せば、男の眉が僅かに上がる。

「オラはただの下級奴隷。こんな田舎モンが目についたのは、単に物珍しかったからだ。そんな奴隷を専属にするなんて本気で思う淫魔サマがいるはずもねぇ。暫くすれば他の淫魔サマも勘違いだってって思うはず。それとも、まさか聖女の息子サマがこの城の中にいるとでも――」
「クラロ」

 ……訂正しよう、やはり苦し紛れであった。こんなので誤魔化せられるぐらいなら、とっくにこの部屋から出られている。
 呆れ混じりの溜め息。そこに僅かな怒りを捉え、沈黙したクラロの負け。
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☆新作☆

そうして『兎』は愛を知る

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