世界は淫魔に支配されましたが、聖女の息子は屈せない

池家乃あひる

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第二章

7-11.残された者たち ☆

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 まるで永遠にも思えるような静寂。蝋燭の火だけが灯り続ける空間。誰もが項垂れ、困惑し、感情を整理できずにいる。
 どんな絶望に陥ろうとも、どんな苦難に見舞われようとも、ルシオンの言葉に励まされてきた者たち。
 だが、その本人が何よりも言葉にできず。もう開くことのない扉を……その向こうへ消えてしまった男から目を離せず、立ちすくんだまま。
 頭の中に繰り返されるのは、かつての光景。英雄たちの最期。勇者と聖女。そして、ルシオンの父が、何をしたか。
 認めたくはない。だが、真っ向から否定しきれるだけの材料を、男たちは持っていない。

「……どう、するんだ」

 いよいよ静寂に耐えかね、誰かから声が上がる。
 誰に問うた物ではない、それは自分自身への疑問だったのか。だが、ルシオンは顔を上げ、それから周囲を見る。
 絶望と疑念。今まで信じてきたものが崩れ落ちた者たち。誰もが自分と同じ、あの光景を受け入れられないのだろう。
 当然だ。本当に聖騎士が勇者を裏切ったのなら。この世界が淫魔の手に堕ちた決定打が彼にあったなら、それは……ルシオンの父が、そうしたということ。
 清く、正しく。実際に対話した記憶は、本当に幼い頃の一時だけ。
 そう、父と母は愛し合っていたはずだ。自分を見る目も、息子に対するもの。それは美化ではなく、確かな記憶として残っている。
 たとえ聖女に恋慕していたとしても、それは過去の話。
 そう、本当に聖女を愛していたなら、なぜ母と結婚した? なぜ、子を成すに至った?
 矛盾している。そう、あれは淫魔にとって都合が良すぎる。
 そのうえ、彼が……聖女の息子がそれを手にしている状況自体、おかしいではないか。
 奴隷と呼び蔑んでいる者に魔法具など渡すはずがない。全て仕組まれたことだ。
 彼は騙されている。友に裏切られ、故郷を追われ、たった一人で敵に立ち向かい、打ちひしがれ。
 その上、あんな作り物を見せられて。そうでなければ、彼が自分たちを拒むはずがない。
 彼は自分たちの希望なのだ。
 ルシオンも英雄の息子。常人に比べれば有した魔力は高く、これまでの鍛錬でも実証されている。
 だが、勇者と聖女、その二人の血を引き継いだ彼には、どうしたって根本から敵わない。
 あの一瞬だけでも実感させられた。彼がいればこの戦いに勝てる。だからこそ、奴らはクラロから希望を奪い取ったのだ。

「……彼は、奴らに騙されている。何とかして洗脳を解かなければならない」

 瞳に光が戻ってくる。それは鋭く、強く。されど希望ではなく、狂気じみたなにか。
 見た者がねじ曲げれば、どんな真実も虚無になる。ルシオンは認めない。認めるわけには、いかない。
 それは、己の根本を。自分を保っていた全てを失うに等しいのだから。

「だが、あれは……」
「奴らなら捏造するぐらい容易だ。あの光景だけを記録していたなんて、都合が良すぎる」

 声にすれば。言葉として形にすれば、己への言い訳が現実になっていく。
 ルシオンが己の信念を支えにしていたように、彼自身を拠り所にしていた者たちも、顔を上げる。

「もし真実であれば、奴らは公開していたはずだ。あの日の、勇者と聖女のように」

 ルシオンは直接見ていない。だが、その光景を見てしまった当時の者は顔をしかめる。
 征服の宣言。民衆の前に晒された、かつての英雄の姿。その末路。
 人間たちに絶望を与えるのに十分過ぎる。そして、奴らが出し惜しみする理由だってない。
 そう、そうだ。やはりあれは、奴らによって作られた偽の光景なのだ!

「なんとかして彼の誤解をとかなければ……」
「だが、どうやって? 聖女の息子があの様子では……」
「もう一度接触を図るしかない。最悪は、彼を連れて王都から撤退する」

 取りたくはない手段だ。自分たちも、そして彼にとっても危険な行為。だが、このままではどちらにせよ共倒れ。
 淫魔からこの世界を救うには、行動し続けるしかない。もう待つだけの余裕はないのだ。

「だが、彼は関わるなと……それに、彼の言う通りこのまま王都に留まったところで……」
「それでも、私たちには彼の力が必要だ!」

 反論を声量で捻じ伏せ、歯を噛む。
 頼みの綱は話さえも聞かず、計画は狂い始めている。だが、どんな絶望の前でも立ち向かわなければならない。
 仲間の数は減り、現状もいつまで持つか。だからこそ、立ち止まってはいられないのだ。

「君たちも見たはずだ! 悔しいが、彼の力は私よりも強い。彼さえ協力してくれれば活路が見える! 彼の誤解を……いや、彼の傷さえ癒やすことができれば、私たちは淫魔に勝てるはずだ!」

 友に裏切られ、親同然の者にも見放され。その上、あんな作り物さえも見せられて。
 自分たちが遅れたせいで、一人で戦い続けてきた彼の絶望は計り知れない。
 いつその身が脅かされるか恐怖し、それでも頼る相手はなく。孤独に押し潰されそうになりながら、今日まで彼は生き抜いてきた。
 もう一人でないのだと。自分たちこそ、仲間なのだと。そう信じてもらえさえすれば、この戦いに終止符を打てる。
 彼には、自分たちが必要なのだ!

「私たちには切り札だってある。まだ勝機を失ったわけじゃない!」

 ルシオンの呼びかけに、男たちに光が戻り始める。
 そう、これまでも何度も挫け、絶望し、諦めかけてきた。もう終わりだと考えた瞬間だって数え切れない。
 だが、その度に自分たちは切り抜けてきたのだ。どれだけ状況が悪くとも、勝ち目がないとしても、諦めずにずっと。
 クラロさえ味方すれば、待ち望んでいた平穏はすぐそこにあるのだと。

「切り札って、あの薬と各地にいるっていう応援者ですよね……?」

 されど励まされたのは全員ではなく、一部からはまだ不安な声が響く。
 やや幼く聞こえる響きに聞き覚えがなく、駆られるのは違和感よりも説得しなければという思い。
 数こそ少なくとも、淫魔を無力化するほどの媚薬も、王都から離れた村街に潜む仲間も、ルシオンたちにとっては貴重な戦力。
 時が来れば。クラロを仲間にできたなら、その全てを駆使して反旗を翻すのだ。
 その為にも彼を連れ戻さなければ。信じてもらわなければ。そうでなければ、自分たちは――!

「勝てると思っているんですか? ――そんな媚薬と数百人だけでぇ?」

 背筋が震える。膨れ上がる魔力。ここで感じるはずの無い圧と、嘲笑うような声。それはこの場で聞こえるはずのない……だが、先ほど聞いたばかりの、甲高いもの。
 弾かれたように見やった先、姿こそルシオンも信頼の置ける相手。だが、その顔は醜く歪み、瞳は金へと変貌していく。
 ドロドロと溶け落ちていく皮膚。黒く腐り落ちていくような様に息を呑んだのは一瞬。剥がれ落ちた先にあったのは――映像で見た、あの淫魔と、同じ笑み。

「淫魔っ……!?」
「あっははは! ほんっと、君たちって馬鹿で可愛いッスよね~!」

 動揺は一瞬、すぐさま武器を構え、切っ先を向ける。一対多、数は明らかに勝っているのに、淫魔の表情に焦りはない。

「もう知っているだろうけど、オイラは英雄確保部隊だったアモルって言うッス! 今はヴェルゼイ様のメイド兼、研究所局長をやってるッス! これから長い付き合いになるッスから、どうぞよろし――」

 背後から、左右から、正面から。誰が真っ先に斬りかかり、そうして弾かれたのか。
 指先すら動かすことなく、透明な壁に阻まれた武器が根元から折れ、地面に落ちる。

「な……っ……!」
「やんちゃッスねぇ……人が話している最中に斬りかかっちゃいけないって、教わらなかったんッスか? まぁ、オイラは人じゃなくて淫魔ッスけどね」

 あはは、と笑う声はあまりに無邪気で。こちらの攻撃など微塵も脅威と思っていない。
 それでも死角から飛び込んだ男は視線を向けられることさえもなく、弾き飛ばされた身体が仲間ごと壁にぶつかる。

「元気なのはいいッスけど、あんまり暴れると手加減できないッスよ?」
「っ、貴様! モリーをどうしたっ!」

 仲間たちの中でも信頼を置いていた。一体いつ、すり替わっていた。どれだけの情報がこの淫魔に流れた? いいや、それよりも、彼の安否は?

「モリー? ……ああ、擬態していた元の人間ッスか? 彼なら今も研究に協力してもらってるッスよ! ただ、どの実験に使ったかは覚えてないけど」
「貴様っ――!」
「やめろっ!」

 ルシオンの制止で踏み止まったのを来ないと判断し、アモルの手に集まっていた魔力が四散する。
 この一瞬で集められていた圧は、先ほどの比ではない。頭上から落ちる土埃に、判断が正しかったと裏付けされる。

「そうそう、こんなところで暴れたって仕方ないでしょ? 生き埋めなんて趣味じゃないし」
「……アモル、と言ったな。お前の望みはなんだ」

 武器から手は離せず、されど斬りかかることもできず。手の内に滲む汗を、拭うこともままならず。
 ルシオンにとっては親の敵も同然。否、あれは作られた映像。この展開を予想して仕組まれたもの。惑わされてはいけない。
 クラロがここに来ると予想していたからこそ、あんなものを彼に渡していたのだ。
 乱されてはいけない。自分を、仲間を守るためにも、冷静にならなければ。

「望みなんてないッスよ! オイラは命令でここに来ただけ。……それにしても、懐かしかったなぁ。あんなこともあったッスねぇ」

 しみじみと呟き、思い出すように壁を見やる。そこに紛い物の映像はなく、どれだけ偽ろうとも騙されることはない。

「ルシオン君、あの男の息子でしょ? ほんと、よく似てるッスわ」
「っ……あれはお前たちの作った偽物だ。あんなもので我々を騙せるとでも思ったか」
「そう信じたいなら別にいいけど、それで実際にあったことが変わるわけじゃないッスよ」

 君だって分かっているでしょうと、揺さぶりかけてくる言葉に惑わされはしない。
 たとえ幼い頃の一時であろうと、ルシオンは覚えている。母と父の姿を、敬愛する両親の在り方を。
 たとえ二度と会えなくとも、その記憶だけは穢されることなくルシオンの中にある。

「私の父は母を愛していた。聖女を使えば欺けるなどと見え透いた魂胆に惑わされることはない!」
「あー……うんうん、そのあたり人間の貴族って大変ッスよね。血筋とか家柄とか気にして愛してない相手と番うのって、僕らから考えると煩わしくって仕方ないッス」

 呆れたように首を振り、これだから人間はと嗤う顔のなんと憎いことか。
 確かに父は、かつては名門の生まれ。故に騎士となり、その中でも最高位とされる聖騎士にまで登り詰めることができた。
 生半可な精神では辿り着くことのできない者が、あんな邪な想いを抱いているはずがない!

「しかも聖騎士っていう体面を保つために、奥さんに興味がないことも隠していたし……あの時の爆発っぷりを見るに、相当ストレス溜まってたんだろうね~。でなきゃ、聖女以外の人間なんてどうなってもいい! なんて普通はならないッスもん」

 剣を握る手に力がこもる。惑わされるな。信じるな。
 嘘に決まっている。これは自分を動揺させるための戯言。真実なはずがない。そんなこと、あっていいはずがない!
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