世界は淫魔に支配されましたが、聖女の息子は屈せない

池家乃あひる

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第二章

7-9.上映会

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 壁に映し出されたのは、かつての光景だ。
 十数年前。本来なら喜ばしい日になるはずだった記念日。魔王が倒され、ようやく開かれた式典。
 飾られた装飾は無残な姿に。聞こえてくる悲鳴はどれも助けを求め、逃げ惑うもの。
 だが、見えているのは、そんな阿鼻叫喚の光景ではない。
 呼ばれて振り返る男も、呼び止めた男も。どちらの髪も同じ金色。だが、その瞳に携えた色は薄青と緑。
 振り返ったのは男だけではなく、共にいた女性も同じ。亜麻色の髪に、緑の瞳。その顔も名も知らずとも、この組み合わせだけで理解しただろう。
 彼らが、英雄と呼ばれた者たち。勇者と聖女、そして……目の前にいる男の父、仲間と呼ばれていた聖騎士なのだと。

「こ、れは……っ」
『無事だったか! ――は!?』

 戸惑う声は掻き消され、問う声では返答にはならない。
 悲鳴のせいで名は聞こえず、分かったところでクラロたちには誰だか分からなかっただろう。
 それが彼らの仲間。他の英雄と推測できたのは、表情の悲痛さから。

『くそっ! 魔王は確かに倒したはずなのに、何故……!』
『考えるのは後よ。今はともかく、民を安全な場所に避難させなければ』

 怒る勇者を宥める声は、こんな状況でも凛と響く。その強い眼差しは、これまで人々を救い、導いてきただろう。
 彼女の声をクラロが聞くのはこれで二度目。一度目は知らぬまま眺め、見届けることのできなかった最期。
 彼女が、彼女たちがどうしてそうなったか。クラロがずっと探し続けていた光景は、確かに今、目の前に。

『っ……ああ』

 諭され、冷静さを取り戻す勇者の瞳に輝きが戻る。クラロと同じ薄い青。その強い光もまた、民の希望となっていたのだろう。
 ようやく取り戻した平和を踏みにじられ、怒りは握り締めた剣に宿る。柄の軋む音まで聞こえてきそうな程に、その顔に満ちる気迫。
 敵の数はあまりに多く、勝率さえもわからず。それでも、諦めることなく立ち向かおうとする姿は、まさしく英雄と呼ぶべき存在。
 今度こそ、自分たちの日常を。あの日々を取り戻すのだと、強い決意はその胸に。

『君は民の避難を。僕は――と共に城へ――』

 映像が乱れる。否、揺れるのはクラロの手。無意識に握り締めた拳の震えが、過去に反映されている。
 この後何が起きるのか知っている。なぜそこに至ったのか、知りたかった。
 一年。この一年ずっと、確かめたかった理由は、間もなく。

『その必要はない』

 淡々と述べる声と破裂音は同時に。一瞬で白に覆われる画面は映像の不備ではなく、聖騎士が投げた袋から溢れる煙によって。
 まるで濃霧のように勇者たちを包み込み、影さえも見えず。驚く声だけがそこにいるのだと示している。
 戸惑い、咳が聞き取れぬ声に変わるにつれて煙が晴れていく。
 再び露わになったのは、這いつくばる二つの影。それも、辛うじて起きているのは聖女だけ。
 乱れる呼吸。苦痛に歪む顔。毒の症状に似て、そうでないことを紅潮する肌が伝えている。
 意識があるだけマシだったのか。あるいは、それは更なる苦痛であったのか。
 呻きとも嬌声ともつかぬ声は、横たわった男から漏れたもの。
 悲鳴に似た呼び声に返されたのは、止まぬ痙攣と垂れ流す涎だけ。
 目を見開きガクガクと揺れる身体は、誰の目から見ても手遅れであると気付かせるもの。
 息を呑む音は周囲から。クラロの呼吸は乱れず、映像が揺れることもない。

『っ……ど、うしてっ……あなた、一体何をっ……!』

 叫ぶ彼女自身も、その身を犯す熱に耐えている。常人であれば理性を手放すほどの媚薬。ほんの数秒吸い込んだだけで、本来なら勇者と同じ状況になっていた。
 人体に耐えられぬはずの毒に反応し、その身が浄化されてもなお、苦しめ続ける疼き。
 熱に浮かされた瞳が、仲間と呼んだ男を睨み、問いかける。

『……ずっとこの日を待っていた。お前がそいつに取られた日からずっと、ずっとだ』

 見下ろす青が淀み、鋭い眼光に宿るのは憎しみ。吐き捨てるように告げる想いは、嫉妬なんて単純な言葉で片付けることはできない。

『全部お前が悪いんだ』
『っ、なにを、言って……!』
『――俺の方がお前を愛していたのに! お前がそいつを選んだから!』

 叫びは、クラロたちのいる空間さえも揺るがす。
 憎しみ、嫉妬、恨み。理不尽とも言えるその想いは、狂気を纏って彼女に詰め寄る。

『誰よりも、何よりもお前を愛していた! お前を守るためにこの身も心も差し出した。どれだけ恐ろしくとも、辛くとも、お前を愛していたから! お前の為ならなんでもしてきた! それなのにっ!』
『そんな理由でっ……!』
『そんな理由!? そんな理由だと!?』

 逆上し、詰め寄った男が聖女の腕を掴む。引き寄せ、無理矢理立ち上がらせた足がフラつこうとも、肩を掴む男を支配しているのは、もはや狂気そのもの。

『俺は何度も、何度も何度も何度も! 愛していると伝えたはずだ! お前がいなければ生きていけないと! なのにっ、お前は俺を受け入れてはくれなかった!』
『私が愛しているのは――だけ! 何を言われても変わらないと、そう言ったはず!』
『だからこうするしかなかったんだ! お前が俺を選びさえすれば、俺だって奴らと取引なんかせずに済んだ! こうなったのは全部、お前のせいだ!』

 彼らの関係も、過去も、この場にいる誰も詳細を知らない。だが、男の叫びが身勝手であることは間違いない。
 愛してくれなかったから。受け入れてくれなかったから、全て彼女が悪いのだと。叫ぶ姿は、彼らが憧れていた英雄としてではなく、逆恨みする醜い男。

『まさか……魔物と……!』
『そうだ。そいつを渡せば俺の望みを叶えてくれると奴らは言った。お前を俺のモノにするともな!』
『そんなっ……そんなことのために、民を犠牲にしたというの!?』

 取り戻せた平和を。これから訪れる未来を。迎えるはずだった温かな日々を。
 そんな欲望のために魔物と手を組み、奪い去るなど。あってはならない。あっていいはずがない。
 悪い夢だと、そう願ったのは聖女だけではなく、この光景を見ている誰もがそうだ。
 何も抱かないのは、薄い水色ただ一つ。

『恨むなら、俺を選ばなかった自分自身を恨め! お前さえ俺を選べばっ――!』
『はいはい、もう聞き飽きたッスよ』

 だが、耳慣れた声に瞳が僅かに見開かれる。一度聞けば忘れるはずも無い特徴的な高音、癖のありすぎる語尾。
 違うのは、その纏う衣装だけ。映り込む銀の髪も、その赤い髪飾りも、場に似つかわしくない笑顔までも今と変わらない。

『にしても、ひどい言いようッスね。僕らよりも、よっぽどいい性格してるんじゃないッスか?』
『っ……淫魔……!』

 どれだけ懸命に睨もうとも、熱はその身を犯したまま。アモルに続く他の淫魔に囲まれずとも、男の手を振り払えぬ時点で逃げ場はない。

『初めまして聖女様、オイラはアモルって言うッス。これから長~いお付き合いになるッスから、どうぞよろしく』
『黙りなさい! よくもっ……!』

 発射される光の球は、彼女の出せる最後の力だったのだろう。だが、どれだけ威力が高くとも、避けられてしまえば無傷も一緒。
 隙を突いて逃げようとしたって、それで力尽きてしまえば愚策と変わらず。

『あはっ! アレを吸って、まだそれだけ動けるんッスね! いや~研究しがいがあるッスよ。でも、勇者の方はもう駄目そうッスね』
『おいっ、約束が違うぞ! 勇者を無力化すれば、俺らは見逃すって言っただろう!』

 聖女もろとも拘束され、喚く男に構わずアモルが勇者の前で屈む。聖女たちが話している間も毒に犯されていた彼から、意味のある言葉は聞こえない。
 痙攣し、呻き、喘ぎ。呼吸すらままならぬほどの快楽に浸り続けたまま。勇者と呼ばれた面影はなく。

『オイラが言ったのは、正気の状態で二人を引き渡すことッスよ。聖女はともかく、もうこっちは使い物にならない。……ろくに使い方も知らないくせに盗んだ挙げ句、致死量まで使いやがって』

 吐き捨てるのは、無知な者への軽蔑と怒り。使い方さえ正しければ、まだ勇者は正気を保っていただろう。今の結果が幸か不幸か、それは誰にもわからない。
 少なくとも、アモルにとっては望まぬ結果だったこと。

『こうなったら聖女の力でも手遅れだし、やっちゃったことは仕方がない。まぁ、見せしめぐらいにはなるか。……よかったッスね~? 何も知らないまま気持ちよくなれて?』
『へひゅっ――ひぁ、あ、あぁあ、あっあ――!』
『あははっ、おもしろ? うん、これはこれで悪くないッスね』

 悲鳴か、歓びか。頭を撫でられただけで一際揺れる身体と、響く水音。一連の反応に新たな価値を見いだしたのか、顔に笑顔が戻っても金の瞳は冷たいまま。

『アンタも一応英雄だし、使えないことはないッスよね。……ああ、せっかくだから同じ目に遭ってもらおうかな。大丈夫、ちゃ~んと量は管理してあげるッスから、長く楽しめるッスよ!』

 運ぶために持ち上げられ、抱えられ、引き摺られ。一つ一つの動作の度に絶頂する姿に、男は青ざめ、女は光を失う。

『大丈夫ッスよ! 聖女様も協力してもらうことになるッスけど、用が済むまでは勇者も生かしてあげるし、最後は愛してる人と一緒に過ごせるようにしてあげるッスから』
『っ……ゆる、さない……許さないっ……!』

 燃える緑が。憎む光が男を、敵を、彼らを睨み付ける。
 されど金は笑んだまま。愉しいと、嬉しいと。隠す気もなく、笑う。

『許さなくてもいいけど、悪いのはオイラたちじゃなくて、君を騙したそこの男でしょ? ……ま、淫魔なんか信じたのが悪いってことで』

 最後にアモルの上半身に光景が埋め尽くされ、装置を操作した素振りの後には、再び静寂が包み込んだ。
 光は消え、音も止み。再び灯った明かりに照らされる顔は、どれも青ざめたもの。

「っ……でたらめだ! 嘘に決まっている! 父がっ、あんなっ……!」

 張り上げる声。だが、今度は続く声はない。否定も、肯定も、困惑も、何も。
 どれだけ認めたくなくとも、今見た光景が変わるわけではない。そうだとわかっていても、ルシオンは喚かずにはいられないのだ。
 己の憧れを。自分が支えにしていた英姿を。それだけを胸に彼は戦い続けてきたのだから。

「信じないのは勝手だが、俺がお前たちを騙す理由だってない」

 腕を下ろし、熱を持つ薬指を意識しないよう、手を握る。込められた魔力が失われてもなお、その赤は爛と輝いたまま。
 嫌でも思い出すあの瞳を振り払うように、張る声は淡々としたもの。

「作り物だ、こんなの……っ君だって騙されて……!」
「関係ない」

 耳障りな声がようやく止まる。
 そう、関係ない。この映像が作られた物でも、騙されていたとしても、何もかもが嘘だったとしても。結論は何も変わらない。

「俺はお前たちに協力しない。助けてほしいとも思っていないし、助ける義理もない。……お前たちができるのは、この王都から去ることだ」

 最後の警告は、彼らに届いたのだろうか。届いたところで、やはり全ては手遅れか。
 その真偽を確かめることこそ無意味だと、手をかけたノブは呆気なく開かれる。

「エリオット」
「あ……っ……」
「……残りたいのなら止めないが」

 動く気配のない後輩に声をかければ、青は揺れながらもクラロの元へ戻る。
 その行動が、淫魔への忠誠心ではなく恐怖や焦りからの行為だとしても、やはりクラロが関与することではない。
 扉は軋み、光が狭まる。そうして、道は隔たれた。
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☆新作☆

そうして『兎』は愛を知る

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