世界は淫魔に支配されましたが、聖女の息子は屈せない

池家乃あひる

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第二章

7-6.レジスタンス

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 淫魔の数だけで言うなら、城内よりも街のほうが多いのは言うまでもなく、秩序が乱れていることも同様に。
 旧時代の観点から言えばとっくに崩壊している、なんて突っ込みを抜きにすれば、城には一定のルールが存在するのに対し、街で適用されるのは最低限のもの。
 全裸で連れ回されている者も、広場で晒し者になっている者も、街ではありふれた日常の一部。人目を避けて歩く今も、悲鳴とも嬌声ともつかぬ声は無差別に響いている。
 もう日が落ちるまで僅か。暗闇が濃くなればさらに人影は増え、その声も多くなるだろう。
 そんな中で人間だけが歩いていれば、それだけで目立つというもの。
 城の外に出たところで更に数人増え、今ではクラロを含めて五人もの集団。
 だというのに、先ほどからすれ違っても目もくれず、まるで何も見えていないかのよう。
 否、実際に見えていないのだろう。先頭と最後尾、それぞれが手に持つ石は、恐らく目くらましの術がかけられている。
 一定の範囲に対し効果を発揮するため。大人数の移動には向かないが、数人程度であれば問題なく騙すことはできる。
 クラロの村でも同じ物を使っていた。村と人では規模は違うが、原理は同じ。
 彼らの実力はともかく、媒体がなければ使用できない程度と推測できる。
 他の誰か。少なくとも魔術を知り、扱える者が用意したのだろう。そうでなければ、運良く残っていた遺物のどちらか。
 推測している間も男たちの足は止まらず、早々に広間を抜けた後は路地裏へ。
 複雑に入り組んだ道を何度も曲がり……辿り着いたのは、一件の廃墟であった。
 今に崩れ落ちてもおかしくないほどに歪んだ外観。壁と呼ぶにはお粗末な石壁は隙間だらけ。立てかけてある扉は、加減を間違えれば蝶番ごと外れてしまうだろう。
 辛うじて屋根は残っているが、役目を果たしていないことは言うまでもなく。
  到底人が住んでいるとは思えないが、先頭の男は躊躇なく扉を叩く。
 不規則なリズムの後、開いた先に明かりはなく。僅かに視認できたのは、違う男の姿。

「早く中に」

 後ろから押されるように急かれ、踏み込んだ床が嫌な音を立てる。今にも抜けそうな板は、数人の重みを受けてなお耐えている。
 扉が閉まればいよいよ何も見えず、聞こえる音だけが全てだ。
 木の軋む音。何かが擦れる音。そして……僅かに差し込む光は、足元から。
 切り取られたような四角い空間に続く階段。限られた者のみが知る仕掛けなのだろう。横幅は人一人分。すれ違うことは不可能。

「こっちだ」

 道中と同じく、挟まれるようにして中へ。後ろから続く足音が減ったのは見張りのためだろう。
 男の手の中。魔法の淡い光だけを頼りに地下へ進んでいく。

「淫魔に侵略された当時から使っている避難場所だ。この城下だけでも他に数カ所あったが、まともに残っているのはここだけだ」

 カビの臭い。視界の悪さ。狭い階段。なにより、自ら説明する口の軽さに眉を寄せる。
 聖女の息子だという確信と、味方になってくれるという思い込みからの行動。理解していても、不快さが拭えるはずがない。
 長く思えた苦痛も、実際は何秒か。照らされるのは次の段差ではなく、鉄製の扉。
 異様に響くノックの後、開いた穴から覗く二つの目。間もなく開いた先から飛び込む光に目を細める。
 暗闇から白へ。瞳孔の収縮が落ち着くにつれて、部屋の全貌が明らかになる。
 真上にある廃墟と変わらぬ程度の空間。真っ先に目につくのは、中央に置かれた机に散乱する書類たち。
 向かって正面、継ぎ接ぎで作られた看板にも同様の紙がいくつか。この光景だけなら、軍の会議室に見えたかもしれない。
 だが、それを取り囲む男たちの姿はお世辞にも綺麗とは言えず、どれもがギラギラと輝きクラロを凝視している。
 クラロも男たちを見渡せば、それだけで抱えていた疑問に答えを得て、漏れかけた溜め息は喉に押し止めたまま。

「――先輩っ!」

 否、たとえ漏れてしまっても、その甲高い声が掻き消していただろう。
 馴染み深い呼称は右の壁際から。椅子に縛り付けられたエリオットの頬は変色し、痛々しい痣が刻まれている。
 どんな経緯で連れ込まれたかはさておき、男たちの情報は正しかった。ならば、クラロはここに来て正解だったのだ。
 心情がどうであれ、この件にエリオットを巻き込むのは……それは、間違っているのだから。

「彼が、聖女の?」
「情報通りだ、間違いない」

 観察している間も男たちは勝手に囁きあい、クラロを連れてきた男はリーダーらしき者へと話しかけている。
 どうせ耳を澄ませたところで意味はないと、話しかけられるよりも先に痛々しい姿をした色男の元へ。

「先輩、どうして……」

 見上げ、見下ろし、視線の絡んだ一瞬で何を思いだしたか青が逸れる。
 余裕なのか、そうじゃないのか。吐き出した溜め息が大きく響いたのは、周囲に聞こえるようにするため。

「……ま~~~ったぐ、おめはどんくさぇなぁ!」
「…………え、えっ?」

 再び見上げる青は困惑で瞬き、出た言葉も意味のないもの。
 やれやれと首を振り、背後に回って縄をほどく。さほど強く縛られていなかったのか、うっ血はしていないようだ。

「どうせぼんやりしてだべな。だはんで反逆者だきゃに捕まるんだ」

 あえて口にした単語に、同じく戸惑っていた周囲の空気が鋭いものへ変わる。どれだけ睨まれようと突き刺さらなければ無傷に等しく、クラロの手を妨げる要因にはならない。

「こったの淫魔サマさ見づがったっきゃ、磔どごろが研究所送りだ。うまぐ言い訳すろよ。せっかぐ上級になったってのに、こったので台無すにはたぐねべな」

 誘拐されていた、なんて信じてくれるはずもない。たとえ真実だろうと、付け入る隙を見せた方が悪いと判断するだろ。
 否、仕置きの口実になるなら、真実など関係のない。
 反逆者への加担は奴隷の中でも重罪。廃人になるまで研究所に使われる。
 エリオットがどれだけ気に入られているかにもよるが、上手く誤魔化せばキツめの仕置きだけで済むだろう。
 いや、そうなるようにする義務がクラロにはある。彼がこうなったのも、間接的とはいえクラロのせいなのだから。

「理由は後で考えるどすて。さっさど帰るだ」
「ま、待て!」

 縄を解ききるよりも先に肩を掴まれ、真っ向から睨み付ける光が悪夢と重なっても、クラロが揺らぐには到底足りず。

「お前っ、何のつもりだ!」
「何って、見ぃばわがる。馬鹿な後輩連れで帰るどごろだ」
「そうじゃない! お前が本当に聖女の息子なら、ここに来た理由が分かっているはずだ!」

 食い込む指は骨まで砕かんばかりに。肉が軋み、関節が擦れ、それでも表情一つ変わらない。
 むしろ、この痛みに懐かしさすら覚える。夕暮れ時、あの教会で、縋り頼ったかつての恩師の姿が重なるのは、その目の光が同じだから。
 恐怖と、焦りと……救済を望む、無責任な期待。

「……そもそも勘違いすてらようだが、クラロなんて奴はしらね」

 手を払いのけ、肩をすくめる。心底呆れたように呟くのも慣れたもの。
 演技は得意だ。ただ、騙す相手が淫魔ではなく人間であるだけ。

「なっ……だ、だがお前は!」
「あの時手紙受げ取ったのは、適当さ話合わせだだげだ。あった助げも期待でぎねところで、反逆者ど分がっだ態度取る馬鹿がどごさいるよ」

 嘘は言っていない。実際、他の奴隷だってまともに関わろうとは思わないだろう。
 侵入者がいると叫べるのは、周囲に人がいると分かっている場合だ。ほぼ城壁に近い、一人きりのところで騒いだところで誰が来るというのか。

「オラの故郷はルバ村でもなげりゃ、おめのごどだって知らね。もす助げが呼べだんだば、誰が反逆者だきゃと関わるど思うじゃ。それごそ淫魔サマにお仕置きされぢまう」

 これこそ、いい口実だ。引き入れたのはお前だろうと難癖を付けられることは間違いない。
 普通の奴隷なら当たり前の思考。彼らの狙いも、望みも分かっている。だが、そこで従ってやる理由は、やはりないのだ。

「オラだぢは今の生活で十分満足すてら。ここのごどは黙っとぐはんで、もう関わねでけ」

 呆然としている間に今度こそ縄をほどききり、腕を引いて立たせる。これ以上の会話は不要と足を踏み出せば、焦った数人が飛びかかろうとするのに手を突き出す。
 同時に放たれる空気圧。風に煽られた紙と共に男たちは吹っ飛び、距離は一気に離される。
 それでも向かおうとする者は見えぬ壁に阻まれ、無様に額をぶつける有様。

「なんだこれっ……おいっ、待て!」

 実力行使に対し、同じく力で対抗することの何が悪いというのか。
 クラロが普段魔法を使わないのは、淫魔相手では無駄だと知っているから。
 だが、簡単な防壁さえ壊せないところを見るに、クラロに対抗できる術者はいないようだ。
 ……つまりは、その程度の実力。到底淫魔に敵うわけもない。
 だからこそクラロを求めたのかもしれないが、それでも助ける道理はないのだ。
 何を言われようと、どれだけ恨まれようと。そのせいで、彼らがどんな目に遭おうとも。
 だって、クラロにできることは何もないのだから。
 淫乱、裏切り者、臆病。様々な罵倒を背に握ったノブは、クラロの予想に反して固いまま。
 それはクラロの心情とは関係なく。鍵はかかっていないはずなのに、強く閉ざされている。
 物理ではなく、魔術による施錠。クラロが入った時点で鍵をかけたのか。あるいは……この一瞬で、気付かれぬうちに施したのか。

「――トープから、君の話を聞いた」

 だが、少し時間をかければ解錠できると。手元に集めた意識が散ったのは、その名前のせいだ。
 忘れたくとも忘れられない故郷。今もそこで暮らしている、かつての友の名。
 クラロが聖女の息子だと告げた……あの男の名前。
 エリオットの手を離し、振り返る。机を挟んだ向こう、椅子から立ち上がったのはリーダー格と認識していた一人の男。
 金の髪に、緑の瞳。その組み合わせに胸底が騒ぎ、これ以上聞きたくないと願っても声は続く。

「君の友人にも、君自身にも手荒な真似をしたことは謝る。君が怒るのも当然だろう。だが……どうか、話を聞いてほしい」
「……お前は」

 進む足は、クラロの魔術を越えてさらに前へ。手を伸ばせば届く距離。近づくほどに重なる面影に、声の震えを押し止める。
 向き直ったクラロに対話の意思があると判断し、背筋を伸ばした男が問いに答える。
 その忌々しい緑の目を、強く輝かせながら。

「私はルシオン。……かつて君の父と共に戦った仲間の、息子だ」
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☆新作☆

そうして『兎』は愛を知る

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