世界は淫魔に支配されましたが、聖女の息子は屈せない

池家乃あひる

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第一章

3-3.人間の義務 ♥

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 次いで襲い来るのは、臀部から背中にかけての痛み。足払いをかけられたと、そう気付くのにどれだけの時間を要したのか。
 一瞬息が詰まり、それから追い出された肺が空気を求めて口を開かせる。
 真っ先に出るはずだった呻きも、欲しかった酸素も行き交わず。唯一触れたのは、熱く柔らかな感触だけ。
 圧迫感に目を見開けば、視界いっぱいに広がるのは金色だ。
 軋むのは骨ではなく眼鏡のレンズ。魅了封じの魔術が壊れかける悲鳴に、やはり息を呑むことはできず。
 叫ぼうとしたのか、それとも拒絶しようとしたのか。最善は口を開かないことだと、分かっていたって全ては無意識。
 入り込んできた生暖かい感触を認識するよりも先に突き抜けるのは強烈な甘さだ。
 頭の随へ染みこむような、そのまま奥まで溶かし尽くすような。されど、抗い難い甘い甘い――毒。
 淫魔の体液は、文字通り人の身には毒にしかならない。死ぬことはなくとも、クラロにとっては死も等しい。
 淫毒。媚薬。読み方などどうでもいい。それが今まさに、クラロの神経を犯そうとしているのは変わりないのだから。
 咄嗟に突き飛ばそうとした腕が動かないのは、物理的に押さえ込まれているからだ。上に乗り上げ、膝で押さえ込む形でクラロの身動き全てを封じている。
 抵抗する間もなく追い詰められている。このままではマズいと力を入れたくても、痺れるような甘さのせいで四肢は弛緩していくばかり。
 僅かな力を振り絞り、奥歯を噛み締める。それは入ってきた舌を噛み千切ることはできず……しかし、相手を引き剥がすのにはこれで十分。

「ん゛ぅっ……! にっ、が! まっず!」

 勢い良く唇が離れ、かと思えばペッペと唾を吐き出す姿に周囲から声が上がる。が、引いているのはその動作自体ではなく、それほどまでにクラロがマズいという認識からだ。
 苦痛を味わっているのはその本人も同じく。なんとも言えない生臭さ、ギリギリ耐えられなくもない苦味は口の奥……正確には、奥歯に仕込んでおいた薬からだ。
 魔除けと気付け薬、あとは淫魔サマが嫌いそうな成分を適当に。クラロの数少ない奥の手の一つだ。
 彼のように物珍しさから手を出そうとする淫魔サマに漏れなくプレゼントされているが、今のところ効果は抜群。そして、二度と絡んでこないというおまけも付いてくる。
 作るのには相当苦労したが、その見返りは十分過ぎるほど。
 一番はこんな事態にならないことだが、襲われてしまったものはしかたない。
 まだ毒も回りきっていないので、状態異常を解除する魔法を使えば業務にも支障はない……はずだ。

「だから、オラはマズいって、言ったじゃないですか」

 まだ苦味が取れないのか、ぺっぺと吐き出し続けるメイドに乗り上げられたままという、なんとも言えない状況。
 今の隙に逃げ出そうとも考えたが、しっかり押さえ込まれて身動きはとれず、涙でにじんだ金を見上げ続けるしかできない。

「うぅ……確かにこれはキツイッス……」

 苦しむことたっぷりと十数秒、ようやく呻き以外に発せられたのは文句の言葉。
 キツイと思ってくれなければ意味がないと突っ込みたい気持ちをぐっと抑え、ついでに溜め息も食い止めて。大人しく待っても、やはり退く気配は一向になく。

「あー、ご期待に添えず申し訳……」
「……でぇもぉ」

 謝罪が遮られる。言葉ではなく、己の唇を舐める赤い舌に。まるでその表面に残った味を思い出すように。
 苦味しかないはずのそこに、僅かに見つけてしまった甘美を。じっくりと、味わうように。

「他の奴ならともかく、オイラはこれぐらいなら平気なんッスよねぇ。だから、」

 ――残念でした♡ と。そう囁かれたのはすぐ目の前。瞬きの間、息と息が触れ合う、その距離で。
 咄嗟に閉じたはずの口が、顎を掴まれて無理矢理開かされる。痛みに呻いた声ごと舌を吸われ、途端に広がる猛烈な甘さに見開いた瞳が歪む金を捕らえた。
 くぐもり、叫び、藻掻き。されど足は地面を叩くだけで微塵も動かず、逃げ惑う舌は容易に捕らえられる。
 まだ猛烈な苦さの残る口内を、薄く小さな舌が容赦なく這い回る。
 舌の裏側も、横も、頬の内側も。上顎を擽り、肉板を吸い、その間も甘い毒が流し込まれて光が散る。
 いくら魔除けと言っても元より魔族、それも上位に属する相手に通用するとはクラロだって考えていない。
 故に、狙いは退けるのではなく二度目を防ぐことだ。
 もう食らおうなどと考えないように、ひどい味だと思わせるための、なけなしの防御策。
 今まではそれで己の身を守れていたのだ。
 まさか、この苦味に耐えてまで食らおうとするなんて!

「ふ、っ……んぁ、んんぅ……!」

 飲み込んではいけないと理解しているのに、流し込まれる甘味が喉の奥を通っていく。途端に火を付けられたように広がる熱が全身を粟立て、寒気に似た痺れが指先まで駆けていく。
 水音が鼓膜を叩く音にすら震え、粘膜が擦れ合う度に鼻から息が漏れてしまう。
 舌の動きさえ止められればとわかっているのに、動かしたそれは鈍く、重く。結局は、自ら強請るように絡めてしまうだけ。
 いよいよ暴れる力がなくなり、大人しくなったのに機嫌を良くしたのか、舌だけではなく耳や肩を撫でられ、内からも外からも痺れが走る。

「――うん、やっぱイけるッスね!」

 どれだけそうされていたか。息苦しさに意識が飛びかけたところで、ようやく離れた唇との間に糸が引いても、恥ずかしさを抱く余裕はなく。
 ただ、それを切る舌の動きが蛇のようだなんて、関係のないことしか考えられない。

「こんなに美味しいのに、よく今まで無事だったッスね。あ、だからさっきの苦いやつッスか?」

 あれは強烈だったとしみじみ呟かれても、結局こうして襲われたなら意味は無い。
 舌に残る強烈な甘さを吐き出したところで身体の熱は冷めず、それどころか触れられる度に昂ぶるばかり。
 存分に口内を嬲ったところで満足してくれないかと願うも、上から退くどころか首や肩を撫でる指先は明らかに愛撫するものだ。
 まるで産毛を掠めるように首筋から鎖骨へ。かと思えば耳元を撫でられ、ビクビクと身体が跳ねるのを止めることができない。

「ん? キスだけで、もうそんなになっちゃったんッスか?」

 まるで獣を撫でるような動きにさえ反応し、猫の顎をくすぐるように指先が踊る。
 大したことはしていないのにと笑う顔は、前後を知らなければ無邪気にしか見えない。
 しかし、その細められた金に嘲笑と愉快さが混ざっているのを、クラロは知っている。

「可愛いッスね~。ここ弄ったら、もっと可愛くなるッスか?」
「ちょ、まっ……待って、ください!」

 シャツのボタンに手をかけられ、なけなしの力を振り絞って足を動かす。
 性器も臀部も貞操帯で隠してあるし、それこそ壊されることはないと思うが……だとしても、これ以上続けられていいわけがない。

「もー……なんッスか?」

 どれだけ叫んだところで止まるわけがない……と、そう思っていたのに、あっさりと指は止まり、カクンと首が傾げられる。

「し、仕事の途中です、ので……っ、これ以上の戯れは……!」

 息も絶え絶えで呂律も怪しい。それでも訴えるしか止める手立てがないのなら、いくらでも。
 見るように促した周囲にそびえ立つ布の山。あまりに突然すぎて手が止まった同僚たち。この調子では、丸一日かかっても終わる気配がない。
 もう十分遊んだはずだと、もう満足してくれと。だから仕事に戻らせてくれと、必死の懇願が高らかな笑いに消されていく。

「ははっ、ペーターくんって、可愛いうえにおもしろいんッスね! 確かにこれはベゼ様が夢中になるわけだなぁ」

 うんうんと、満足げに頷く金は満面の笑みだ。素直に喜べないと首を振れないのは、スルリと喉を撫でられ震えてしまったから。

「むしろ、君たちの仕事はこっちでしょ? ……ね?」
「ひゃい……!?」

 悲鳴はクラロではなく、視線を向けられた先。同意を求められたエリオットの口から。
 作業に戻れず凝視していたのだろう彼の顔は赤く、なぜ聞かれたのかと戸惑っているのにも構わずアモルの言葉は続く。

「君、よくこっちでも見かける子ッスよね。そろそろ上級入りかな?」
「え、えとっ、い、いまは、まだ、そのっ」
「でも、その資格はあるわけだから、人間である君たちがしなければならないことがなにか、ちゃあんと分かってるッスよね?」

 笑みは絶やさず、クラロへの愛撫も止まず。視線も向けずに片手でボタンを外していくあまりの器用さに、感心する者もおらず。
 まだ熱の引ききらないクラロには意図が読めないまま、話は続く。

「い、淫魔様が快適に過ごせるための、全てです」
「そうそう。掃除に洗濯に炊事に雑用、他にも僕らが過ごすために必要なことぜぇ~んぶ!」

 基本ッスよねと周囲に同意を求め、皆が肯定する。当たり前だ、それが今の人間たちの存在意義であるとすり込まれたのだから。
 淫魔を喜ばせ、淫魔のために存在し、そうして施しを受けることこそが至上。そうでないのは全て排除され、反乱分子として罰せられる。
 当たり前の事だ。たとえどれだけ異常でも、おかしいと思っても。今はそれが当たり前。そうなってしまったのだから。
 そして、たとえ淫魔サマに構ってもらえないような下級奴隷であっても、その気持ちは同じ。
 違うのはクラロだけ。クラロだけが……ここでは、異常。
 汗をかくのは興奮だけなのか。背筋を伝う温度は、本当に熱いのか。妙な胸騒ぎは、はたして媚薬のせいだけなのか。

「とはいえ、君たちの役目を馬鹿にするつもりはないッスよ。シーツとかすぐに汚れるッスから、いくら洗っても足りないんッスよねぇ……でーも、」

 何の脈略もなく指を口につっこまれ、上顎をくすぐられて呻く。それだけなのに過剰に跳ねた反応に、責める男の笑みは絶えず。

「なにより優先させなくちゃいけないのはぁ、僕らへのご奉仕ッスよね~?」

 そうだろうと問いかけ、しかし答えは求めず。挟んだ舌を扱くように撫で回され、息が弾んでも痺れとは違う震えが治まる気配はない。

「まぁ、どんなことを求めるかはそれぞれ好みがあるっスけど、どんな形であれ君たち人間は僕らにご奉仕するのが一番嬉しいのには変わらないっスよね?」

 そうだろうと、鋭利な爪が舌を引っ掻く。だが、走るのは痛みでも血の味でもなく、あがる吐息と痺れ。そして、変わらぬ笑みへの、言い知れぬ恐怖。

「求められたらどんなことでも嬉しいはずなのに……ペーターくんって、ほんっと僕らの気を引くのが上手ッスね! 普通の人間なら、ここまで嫌がる演技なんてなかなかできないッスもん!」

 ねー、と。同意を求められても頷けず、首を振ることもできず、演技でないなんてそもそも否定すること自体できない。
 そんなの、そんなこと、できるわけが、

「――それとも、本当に嫌なの?」
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☆新作☆

そうして『兎』は愛を知る

別作品はこちらから

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