世界は淫魔に支配されましたが、聖女の息子は屈せない

池家乃あひる

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第一章

1-6.グッバイ平穏 ♥

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「ひ――っ、ん!」

 咄嗟に押しのけたはずの手に指が絡む。握りこまれ、外すこともできず。左腕も動かなかったと、そう認識するにはあまりにも遅すぎた。
 耳の穴を塞ぐ熱に視界が散り、悲鳴を唇でかみ殺す。嬌声を食い止めるまではできても、奥へ滑り込もうとするソレを止める術はなく。
 ぐちゅ、と。空気が弾ける音が鼓膜に響く度に肩が跳ね、目の前で星が散る。
 振ろうとした首は反対に添えられた手で支えられたまま。指先で探り当てられた穴を塞ぎ、耳殻を擽られる感覚に震える膝が折れることも許されず。
 そこで耳を舐められていると理解したところで、捕まった獲物になにができたというのか。

「っ、ん! ふ……っ……!」

 自覚と同時に腕が強張る。否、男と己の身体に挟まれているのを忘れたまま突っ張ろうとしたのだ。
 強く絡んだ指は解けず、挟まれた片腕は痛みこそないものの押しのけるには体勢が悪い。
 絶えず注がれる水音。産毛が分厚い舌に逆撫でられ、くすぐったいのとも、気持ち悪いのとも違う震えが頭の先へ駆け上がっていく。狭い穴を尖らせた舌先がにちにちと抉り、まるで蜜を啜るかのよう。
 片耳を塞がれれば嫌でも音は大きく聞こえ、集中せざるをえない。
 耳殻から窪み、耳たぶ。その裏側までも余さず指でくすぐられ、右に意識を取られればすぐに左側からの笑い声に引き戻される。
 まるで鼓膜が腰と直接繋がれたかのように、下肢に重く伝わる響きに含まれた感情はなんだ。
 哀れみか、愛着か、それ以外のなにかなのか。
 少なくとも、続けて貪られているクラロに考える余裕はなく。頭の中は疑問と快楽だけが渦巻いている。
 どうして、解放されない? どうして、まだ、弄られている?
 今日も魔除けのオイルは仕込んできた。頭から足先まで、文字通り全身くまなく!
 耳だって、確かに塗り込んだはずだ! 我慢できるような苦さではない。
 調合だって間違えていない。量だって適切だった。
 それなのに、どうして、
 
「かわいいね」

 なけなしの思考が、注ぎ込まれる快楽に流されていく。その可愛いはクラロのよがり方か、必死に声を我慢しようとする姿にか。
 あるいは、抜け出せないとわかりながら、もう抵抗とも呼べない藻掻きに対しての呆れもあったのかもしれない。
 どれであろうとクラロにはどうしようもなく、男もまた解放する様子はない。
 ようやく絡んだ指が解放されても、縋り付くのが精一杯。それでも本人は引き剥がそうとしたつもりだろうが、少し舌を動かすだけで跳ねる指先でなにを掴むつもりだったのか。
 ジワジワと、与えられる痺れが頭の奥でわだかまっている。
 内側から焼けていくような、そこさえも犯されているような。そんな形容しがたい感覚に翻弄され、声はまだ我慢できているのかさえ判断できず。
 音が響く度に、舐められる度に、一層波が強まるのは淫魔の体液のせいだ。
 人間にとって、彼らの含む全ては毒。身体の感覚を鋭くし、思考を鈍くさせるそれは間違いなくクラロを蝕んでいる。
 みち、と。狭い穴が分厚い肉を受け入れきれずに悲鳴を上げている。何度律動を繰り返そうと、届くことのないその奥まで味わい尽くしたいと言わんばかりに。
 くぷくぷ、ぐちゅぐちゅ、届かぬ熱の代わりに音の振動が鼓膜を犯す。もはや、触れる全てが、聞かされるなにもかもが、クラロには快楽でしかなく。
 縋っていた指が、唇へ。手のひらを押しつけても、声を抑えることはできない。くぐもった悲鳴が鼻から漏れても、息ごと止めることはできず。

「かわいいね。かわいい、かわいい」

 律動の合間に注ぎ込まれる音。その意味を理解できずとも、クスクスと笑う息が耳を犯していることには違いない。
 舌を触れさせたまま囁かれる声は、思考さえも震わせ、愛撫するように低く、甘く。
 無意識に振った首は、やはり支えられたままで動かず。宥めるように頬をくすぐる指に、ほんの一瞬、意識が逸れる。

「――イって」

 それは、口調だけなら命令ではなかった。ただのお願い。響きだけ聞けば、懇願とすら取れただろう。
 腕を解放した手が乳首を摘ままなければ。分厚い生地の上からでも紛れぬよう、強く、その尖りを愛撫することがなければ。囁くと同時に、ぐちゃぐちゃと舌先で掻き混ぜられることがなければ。
 それはただのお願いで、終わったのに。
 頭の中で光が弾ける。わだかまっていた痺れが、抑えていたそれが、視界を覆いながら脳内を満たしていく。
 血流に乗って全身を支配する多幸感と、爆発的な痺れの波。膝が揺れ、力が抜け、それでも姿勢をたもっていたのは支える腕があったからこそ。
 腰が重く、中で押さえ込まれた分身の圧にさえ痺れが増す。
 背筋を行き交う波は、どれだけ経っても収まることはなく。

「……ぁ、……ふ……っ……」

 どれだけその光に溺れていただろう。一瞬のような、永遠のような。時間の間隔さえ鈍り、チカチカと光る眼前に己が何をされたか理解できぬまま。
 実際はほんの数秒にも満たぬ出来事だったと気付くことなど、それこそ。
 ただ、漠然と分かっているのは……自分が、この男にイかされたという事実。

「本当にイったの?」
「んぁ……っ……」

 余韻に浸る間もなく、低音が奥を犯す。馬鹿にするのでも、驚くのでもない。ただ、事実を述べただけのそれ。
 だから、そこに笑いが混ざったのは、もっと違う意味を持っていて。

「ちゃんとメスイキできたんだね。……いい子だ」

 頬に口付けられるのでさえ、ピリピリと皮膚が痺れる。
 子どもなんて年ではないと、突っ込む気力どころか思考自体もなく。頭を支配するのは繰り返される疑問と混乱ばかり。

「いい子、いい子。……かわいい子」

 舐められていないのに溶けてしまう。そう思わせるほどに重く、甘い声。ドロドロと流し込まれる音色に、呆ける頭が警鐘を鳴らしている。
 これ以上はだめだと、逃げなければと。分かっているのに、分かっているはずなのに、支えられる顎をどうすることもできず。
 とうとう唇が触れる――寸前で、視界が崩壊した。
 パリン、と。亀裂が走る。それはそれはもう心地良い音を立てて、文字通り。

「――うわぁ!」

 驚きと戸惑いと恐怖。それら全てが入り交じった力は、驚いた男を押しのけるほど。
 思わず眼鏡を外し、被害具合を確認する。もう修繕とかそういうレベルではない完全破壊だ。むしろ装着した方が何も見えないまである。
 たかが眼鏡、されど眼鏡。視力が悪くなくともかけていたのは、そうする必要があったからだ。
 そう、裸眼に防衛魔法をかけ続けることはできなくとも、媒体を通せばそれは可能。
 つまりそれは……目が合ったあの瞬間に、許容を超える魅了をかけられたということで。

「お見苦しいところを失礼しました! 眼鏡も壊れてしまったんで俺はこれで!」

 ノンブレス、ノンクッション。淫魔サマにする対応ではないが、もはやそんなの気にしている場合ではない。
 逃げるなら今しかないと震えていたはずの足は地面を蹴り、軽やかに通路をかけていく。

「エリーあと任せたよろしく!」
「――えっ、ちょ……せ、先輩!?」

 この始末を付けさせるにはあまりにも可哀想だが、他人の身より自分が大事。すまないエリオット、お前が無事だったらなにかお詫びをしよう。
 むしろお前にとっては今こそがご褒美かもしれないがと、そう考えている間にも影はみるみる遠ざかる。
 清掃用のスライムを通り越し、時には踏んづけ、あまりの勢いに淫魔サマまで仰け反る姿を横目に入れながら、滑り込むようにリネン室へ。
 勢いのまま棚に掴みかかり、そこでようやく……ようやく息を整え、座り込む。
 ここに誰がいれば、突然の暴挙に罵声の一つでもかけられていただろう。だが、ここもまたクラロの作業場の一つ。滅多な事では誰も近づくことはない。
 故に、どんな姿を晒していようと、どんな顔をしていたって。それを見る者は誰もいないのだ。
 息が整えば、吐き出されるのは呻き声だ。
 やってしまった。とうとう、やらかしてしまった。
 握り締めた手をほどけば、粉々になった眼鏡が悲惨な姿を晒している。
 多少の魅了では傷一つ入らないはずの、厳重に魅了除けを施したはずのクラロの相棒が、哀れ木っ端微塵!
 問題は壊されたことではなく、壊されるほどの力を相手が有していたこと。そして、それを自分にかけようとしていたことだ。
 眼鏡があったからこそ致命傷で済んだ。そう、無事ではない。断じてこの現状を無事と呼んではならない。
 耳はジクジクと痺れ、摘ままれた乳首も疼いたまま。なにより、押し込まれた股間は痛く、重く。
 畳んであるシーツに顔を埋めても、その冷たさがなんの救いになったというのか。
 ああ、本当に……本当に、やらかしてしまった。
 その後悔は目を付けられたことでも、ましてや襲われたことでもない。
 未遂で終わってよかった? 逃げられてよかった? 否、今回は見逃されただけだ。そうだとクラロは理解している。
 運が良かったのではない。わざと逃してもらえたのだ。慈悲をかけてもらった。遊ばれた。
 つまり、それは……これで、終わりではないということで。

「……エリーを気に入りますように、エリーを気に入りますように、エリオットを気に入りますように……」

 唱えて三回、されどそこに流れ星はなく。虚しい願いは、果たして誰に届いたのであろうか。

『――いい子だ』

 ……少なくとも望む男の耳に届いたのは、まだ鼓膜を擽っている男の囁く声と、クラロ自身の深い、深い溜め息ばかりだった。
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☆新作☆

そうして『兎』は愛を知る

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