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第27話・閉ざされた記憶

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 テストが終わると生徒達は歓声を上げ、連日のストレスを発散するために、友人たちと遊ぶ予定をたて始めた。

 しかし、リリスのことで心がいっぱいだったカシリアは、彼らが喜んでいる間に、こっそりと教室を抜け出した。

 医務室に着くと、そこには1人のメイドがリリスの様子を心配そうに見守っていた。

 「あっ、ご挨拶が遅れて大変失礼いたしました、殿下。お初にお目にかかります、私はリリス様に仕えるメイドのロキナでございます。」

 メイドはカシリアに気づき、慌てて頭を下げた。

 「うむ。リリスは未だ寝ているのか。君がここに来た時に医師はいたか」

 カシリアは当たりを見回したが、カロリンはここにはいないようだった。

 「カロリン子爵様のことなら、リリス様が目覚めた後の食事を用意しに一旦離れました。」

 「そうか。カスト公爵殿は未だ来てないのか?」

 「公爵様には使いを出しているのですが、生憎公務で遠くへ行っていますので、戻るまでは少し時間がかかります」

 「そうか…」

 『そういえば、公爵の動向を調べさせていたナミスから、近頃頻繁に辺境まで行っているのは聞いていたが、そのナミスが負傷してしまい、結局この件は未だ把握しきれてなかったな』

 リリスと公爵家の関係か…どうも気になる。

 「ロキナ、リリスの具合が悪いことを知っていたのか?」

 「…実は昨日からお嬢様の具合が良くないことに気づいていました。でもよほどのことがない限り授業を休むことはありません。しかも今日は大事なテストの日でございます。幾ら私が進言しても、聞き入れてはくれませんでした。でも今朝、お嬢様は私に医師の予約をさせたので、恐らくご自身も病状の深刻さを認識していたのだと思います。」

 ロキナはリリスを見つめ、慈愛と憐憫の表情を浮かべながら、苦笑いをするほかなかった。

 「リリス様は…いつも無理をしていたんです。長年リリス様に仕えてきたのですが、特にここ数年間のリリス様には…本当に何のお役にもたてませんでした。」

 「ここ数年間、とは?」

 カシリアにはその意味がよくわからなかった。昔はそうではなかったということか?

 「すみません、変なことを言ってしまいました。」

 ロキナは動揺して、何を言いたいのか一瞬分からなくなったが、思い出して落ち着いたようだ。

 「いや、リリスの昔のことを聞かせてくれないか。」

 「…殿下はその、なぜリリス様の昔に興味をお持ちでございますか?」

 「…私は、なぜリリスがこのように一生懸命に努力するのか、彼女が苦しみの裏に隠していること、すべてを知りたい」

 カシリアはこの戸惑うメイドに、真剣に話した。

 「そうですか…。殿下なら、信じても大丈夫ですよね。」

 「今のお嬢様は、あまりにも優秀すぎたのでしょうか。」

 ロキナはわずかに苦笑いをし、目を細めて、窓の外の夕日を横目で眺めながら、回想し始めた。

 「たしか、リリスとは、12歳のパーティーで初めて会っってから、ずっとこんな感じだった。昔はそうじゃなかったのか?」

 「…殿下がご存じないのも当然でございます。じつは昔のお嬢様は相当なわがままで泣き虫でございました。」

 「泣き…虫?」

 どういう意味だ?

 言葉の意味が全く理解できない。誰に対しても丁寧な言葉で対応するリリスが、悲しくても隠れてひそかに泣くことしかできないリリスが、かつては泣き虫だった?長年リリスに仕えてきたメイドに聞かされたのでなかったならば、全く信じられなかっただろう。

 「君は…リリスの乳母か?」

 乳母なら昔のリリスを知っているのは当然だ。しかし見たところ目の前の女性はまだ若く、せいぜい二十代前半だろう。乳母と言うにはあまりにも違和感がある。

 「恥ずかしながら、私はリリス様7歳の誕生日に公爵様に召し出されました。リリス様の乳母だった方は、既に辞めていました…」

 ロキナは少し困ったような顔をした。確かに、事情を知らない人が聞いたら公爵家の使用人への待遇が悪いせいだと思うだろう。

 「…リリスの小さい頃のことをもっと教えてくれないか」

 「しかし殿下…これ以上はちょっと…」

 ロキナは、これ以上は公爵家の評判に影響すると言いたそうに、難しい顔をした。

 「他人には絶対に言わないから。ただリリスのことをもっと知りたいだけなんだ。」

 ベッドで穏やかに眠る少女を見て、カシリアは少し表情を和らげた。

 それが嘘であれば、もっとましな嘘をつくはずだろう。リリスは他人とは深く付き合わないが、成績も礼儀も愛想も完璧で、あら捜ししても弱みのない正真正銘の化け物。

 使用にの立場から見てもそうだろう。

 例えるなら、リリスは紅茶のように暖かい人でもなければ、コーヒーのように苦みを含む人でもない。白湯のように、ごく普通で、味気なさだった。お金をもらって仕事をするだけの使用人にとっては、最高の主人ではないのか?

 「…実は、私はリリス様の3人目のメイドなんです。」

 ロキナは少し悲しそうな表情を浮かべながら、記憶を取り戻すように口調を緩めた。

 「えっ!?」

 カシリアはこの信じられない発言に衝撃を受けた。

 何の冗談だ、リリスが7歳で召し使ったロキナが、6人目のメイド?最下級貴族の男爵家の使用人でも、そこまで頻繁に辞めることはない。

 公爵家の待遇の問題か?それとも公爵の態度の問題か?それとも…リリスの…

 ロキナはカシリアの疑念を理解していたが、淡々と話し続けた。

 「公爵家に来たばかりの頃、先任の世話係だったメイドがいつも私に愚痴を言っていたのを覚えています。リリス様は毎日使用人を連れて公爵領の各地で暴れていて、領民の多くはお嬢様の被害者になり、結局は自分が頭を下げに行くしかなかった。貴族のレッスンもサボってばかりで、大金を払って雇った教授方もそんなお嬢様に耐えられずにやめていきました。」

 「ずばり、昔のリリス様は、まるで傲慢無礼で好き勝手でわがままな金持ち貴族のようでした」

 「そのメイドが嘘をでっち上げたわけではありません。私が担当しはじめた時は、確かにそのとおりでした。」

 ロキナはベッドで寝ている、まるでおとぎ話の眠り姫のように美しいリリスを見ていた。目に深い愛情を込めながらも、無力な笑みを浮かべていた。

 「その頃、公爵様も奥様もリリス様を溺愛し、リリス様の望みなら、なんでも叶えてあげました。例えそれが無理な要求だとしても、或いはリリス様がひどいことをしてしまったとしても、しばらく泣き喚いていれば、公爵様は必ず許してあげました。」

 

 「あの頃のお嬢様は、好きなものばかりを好きなだけ食べてしまうので太っていました。そして性格も悪かったので、同年代の貴族の方々は誰もお嬢様に近づきたがらなかった。公爵様のご友人でさえ、この様なお嬢様を褒めることが難しいようでした。パーティーで顔を合わせると、露骨に嫌悪感を見せたぐらいでした。そんなわけでお嬢様は子供の頃から貴族方と遊ぶことを好まず、周りにはお嬢様を仕事としてチヤホヤする使用人しか残らなくなりました。」

 「お嬢様はわがままで、他者の忠告を全く聞かず、やりたいことはなんでもすぐにやり放題で、使用人として付いて回るだけで大変でした。トラブルを起こした後始末もしなければなりません。一日の世話で心も体も疲れ果ててしまいます。正直、家が貧しくなかったら、もうとっくに辞めていたかもしれません。」

 「お給料は十分で、公爵様御夫婦の仲は良く、人に優しく、使用人である私たちにも威圧的な態度をとったことはありません。でもこの優しさが、リリス様をあんなわがままにさせてしまったのかもしれません。」

 「公爵様も奥様もリリス様のことでとても困っていましたが、リリス様が泣いた時にはいつも通りに甘やかすしかありませんでした。使用人の中では裏でこっそりリリス様のことを泣き虫と呼ぶようになりました。」

 「この様なことの繰り返しが、公爵家の日常となっていました。誰もがお嬢様はこのまま公爵家の財産で一生わがままに遊んで暮らしていくのだと思っていました。」

 「……」

 カシリアは深く考えていた。

 どうにもメイドの話を理解出来なかった。

 なぜなら自分の知っているリリスは、完全無欠で、一挙手一投足も姿勢も表情も、並ぶものがいないぐらいの境地に達していたからだ。

 それは一朝一夕で身に付けられる物ではない。長い間高度な指導を受けてきた者でないとできないことだ。

 ロキナは話をとめた。何か悲しいことを思い出した様だ。

 「みんなそう思っていましたが、すべては、リリス様9歳のあの日で変わった。あの日、リリス様は公爵様に連れられて、エース侯爵様のご令嬢様の誕生日会に参加しました。」

 「そこで他国から来た使者が侯爵様のご令嬢様に、綺麗なサファイアをプレゼントしました。でもリリス様はその宝石を気に入り、堂々と奪い、侯爵様を侮蔑する言葉までかけました。公爵様と奥様は百人以上の貴族がいた豪華なパーティーで恥をかかされました。」

 「なんだ…と!?」

 そんなことがあったとは!

 カシリアはあまりのショックで言葉も出なかった。侯爵の娘のパーティーで暴れるなど、侯爵の権威に挑むのに等しいことで、許されないことだ。公爵とその侯爵の関係は一生修復できないだろう。

 「それから、リリス様は1ヶ月間部屋に閉じ込められることになり、公爵様は自ら侯爵邸へ謝罪に行きました。また、奥様は激昂され、気を静めるためと屋敷に戻らずご実家に向かわれました。」

 「あっ」

 カシリアは思い出した。リリス12歳のパーティーで見かけたサリスは車椅子に座っていた…もしかして!?

 「リリス様は部屋に閉じ込められて数日経っても、全く反省する様子はなく毎日暴れていました。このままだと外に出たら又今まで通りだと思っていました。しかしある日、奥様の実家から連絡がきました。」

 『奥様は両親と旅行中、事故で馬車が崖から落ち、奥様以外の全員が亡くなられました。』

 「なに!」

 カシリアは思わず声を上げてしまった。

 「公爵様は直ぐに奥様のために国一番の医師を呼び、なんとか奥様は助かったのですが、半身不随になり、介護が必要な体になりました。」

 

 「その時からリリス様は笑わなくなり、寝るとき以外、毎日ただ静かに奥様のベッドのそばにいて、奥様を見つめていたり、目が覚めた奥様と他愛のない話をしたりしていました。奥様は一度もリリス様を責めることはなかったのですが、リリス様は時々泣いて謝っていました。」

 「奥様の体を治すために公爵様は仕事を放棄し、毎日毎日、来る日も来る日も、雨の日も風の日も全国各地に名医を探しに行き、診察をさせました。しかしどの医者も奥様を治すことはできませんでした。」

 「そんなことが一年続いて、奥様は怪我から徐々に回復してきました。でも屋敷内で活動することしか出来ず、もう二度と社交界へ復帰することはできませんでした。仕事をまる1年放棄してきた公爵様も、領地管理と奥様の世話という難題に向き合わなければなりませんでした。」

 「おそらく奥様も、このままではリリス様が爵位を継いで領地を管理することはもちろん、政略結婚させようにも、いい結婚相手にはなれないことに気づいたのでしょう。」

 「そこである日、奥様はお嬢様にこう言いました。」

 「優秀な貴族になって欲しい」

 「公爵家の名に恥じない貴族に」

 「世の中で最も優秀な貴族に」
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