うちの可愛いの

明日葉

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僕の名前、覚えてる?

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「ちゃんと、病院行ってたのかな。薬、飲めてた?」



 悠人の弟が急逝したと言われて行った通夜の席。一度だけ、顔を合わせたことがあっただけの弟は、人当たりの良い好青年で、がっしりした体つきが悠人とよく似ていた。
 会場は、家族はもちろん、列席者側も茫然自失、と言った様子で。家族の悲しみに寄り添うとか、気遣うとか、そういう余裕もないような列席者も多いようだった。彼の、人柄が偲ばれる、とこういう時に言うのだろうなと冷静に思ってしまう自分はやはり冷たくて、どこか欠陥品のような人間なんだろう。

 弟の元妻、が悠人に教えたところによると、以前同じ部署で働いていた人たちだ、というその中にいたな、という年配の女性が、若手、というか、中堅、というか…その辺りの女性に向けた言葉を耳が拾ってしまった。
 どちらも、ずっと止めようもなく泣いていて、よくそこまで泣ける、とさめた思いになっていた。悲しんでいる自分に浸っているのか、と。
 言われた方は、なんとも言えない顔になったのが目に焼き付いた。
「…様子がおかしいけど、どうしたのって、少し前に聞いたんですけど。なんでもない、大丈夫って言われたから」
「大丈夫なわけ、ないんだよ」
 泣きながら、年配の人はいう。
 そういうあなたは、言われている彼女の気持ちは汲めているのかと、ふと、妙に苛立った。
 ぼくが気にしていたのを悠人は気づいたんだろう。後で、元妻、に何気なく聞いていた。去りかねてずっと残っていた彼らに、見かねた遺族が精進落としの席に誘ったのをきっかけに帰った後で。
「あの人は?」
「ああ。ずっと、圭人がお世話になっていた職場の人で。MSWの資格を持っている人なので、わたしも知っていて、圭人のこと話したこともあるんです」
「ふぅん」
 その悠人の声が低くなったのを耳で拾いながら、だから、ダメなのだ、と嘆息する。福祉も、医療も、警察も弁護士も…何にしても、身内のことは、できない。
「あっちの子は?」
「…ああ、琴葉さん。同僚というか先輩というか。あの人たちと一緒に仕事している時が、一番楽しそうに仕事行ってました。琴葉さんとは、スマホのゲームとかいつも一緒にやってて。多分、わたしがいなくなってからも、変わらずに連絡とってて。ご飯も行ったり、みんなで飲みに行ったり…ばかだなぁ」
 毎日のように連絡をとっていたのに気づけなくて。そうだから知っていて当たり前のように聞かれた彼女の気持ちを想像して、怖くなった。聞いてもはぐらかされたのだろうけれど、それでも。





 悠人が、その子を連れてというのか、拾ってというのか帰ってきた時には呆れてしまったけれど。ただ、遺言、のことは聞いていた。
 客間に通して休んでもらってから一緒に寝室に上がると、悠人が後ろから腕を回してくるが、やんわりとそれを解いて向き直った。視線を受けて軽く両手を上げて苦笑いを浮かべるのを眺めながらため息が漏れる。
「この家に連れてきて、どうするつもりなんだい。僕らに何かできるとでも?」
「別に。思ってねぇよ。でもついてきたところ見ると…家も、なんかあるんだろうな」
「おせっかいだよね、君」
「だから恭と今、こうしているんだろうなぁ」
 そうだな、とそれは思う。あしらっても無視しても、かまってくるのをやめなかった男だ。いつも周りに人がたくさんいたのに、なぜ僕に目を向けたのか。
 その夜は、軽いキスだけで眠った。悠人もきっと、この家のもともとの主人を、弟を思い出しているんだろう。

 翌朝起きると、すでに彼女は出かけたようで、テーブルにメモがあった。犬と猫のご飯は終わっていること、散歩も終わっていること。味噌汁が残ったので、よかったらと。残っていたら、夜自分で飲みます、と。
 悠人が温め直して出した味噌汁を前に、何も言わない僕に、悠人が苦笑いする。
「他人が作ったもの、食いたくないか?一緒に住むんだぞ」
「うん…嫌なわけじゃない、不思議と」
 器用貧乏、というか。何をやっても人並み以上に簡単にできてしまう。料理も。悠人も、料理は得意で。
 その僕と悠人が口にしても、美味しい味噌汁だった。薄味だけれど、出汁をしっかりとっているからしっかりと沁みてくる。
 薄味が好みなんだな、と思いながら、それなら問題ないと思っている自分に驚いた。味覚がずれていると生活は難しい。ただ、それが似通っていることを安堵するというのは、もう、受け入れているということだ。この家に彼女がきてからまだ、一言も言葉をかけていないのに。昨日も、玄関で出迎えながら、何も言っていない。
 その夜、僕が食事を出して。なぜか、その翌朝から、食事は置いていなかった。夕食も、仕事で遅くなるからと家で食べない。週末くらいしか顔も合わせない。


 仕事帰りに買い物をしていて、声をかけられた。よほど中性的な外見なのか、昔からよくある。面倒で無視していたのだけれど、肩を掴まれた。嫌悪感でざわざわと寒気が走る。
 はっきりと拒絶しようとしたところで、間に割って入った人に、え、とつい声が漏れた。僕の顎のあたりにある頭頂部。女性にしては背の高い彼女。しっかりと背筋を伸ばして、僕と、声をかけてきた男たちの間に入っている。
「お知り合いですか?」
 背を向けたまま聞かれて、いや、と応じると、彼女は肩に乗せられたままの手が自然と離れるように立つ位置をずらして彼らを見上げている。と言っても、実際彼女は背が高い。中には視線の位置が同じくらいの男もいる。
「なんだ、モデルみたいな美人だと思ったら、待ち合わせ?君もなかなか…」
 怯みながらもそんな下世話な口に辟易としていると、彼女はふい、と無視するように目を逸らした。
「行きましょう。それ、早く冷蔵庫に入れないといけないものも、ありますよね」
「ああ、そうだね」
 僕の声に男たちが鼻白んだ。テノールの声は、女だ、とは思い込めなかったのだろう。
「なんだ、彼氏の方がよっぽど美人なのか」
 僕は、言われ慣れた言葉。なのに、カッとした。僕への言葉として、よりも、彼女に向けられたトゲに。なのに、淡々と彼女は、僕の手から袋を一つ自然な動きで取っていきながら振り返る。
「そうなんです。女性と間違える失礼な人もいるから、困るんですよ」




 よく、彼らがカッとして力に訴えなかったな、と思う。彼女の覇気のなさが伝染したように。
「どうして」
「…嫌なのかな、と思ったので。おせっかいだったらすみません」
 後になれば、あんな穏やかなやりとりが彼女らしくない、という風に感じる。そのくらい、弱っていたんだろう。
「ねえ、僕のご飯、口に合わなかった?」
「いえ…とても美味しかったです」
 気になっていたことを、歩きながら聞くと、渋々、と言った風に答えがある。
「あの朝の味噌汁、美味しかったよ」
「…あんなに美味しいご飯、作れるのにわたしの美味しかったんですか?」
「僕の料理の腕と、誰かの作ったものを美味しいと感じるかは別でしょ」
 驚いていうと、琴葉は、そうですよね、と小さく笑う。
「遅くなってもいいから、夜、うちで食べたら?外食ばかりはよくないよ。朝は、時間がずれるみたいだから言えないけど。食べられないくらい遅くなるとか急用とか、気にせず入れていいから。君が食べる分くらい、急に余っても悠人が食べる」
 我ながら、よく喋るな、と思った。じっと見上げる彼女の目が不思議で、つい、聞かなくてもいいことを聞いてしまう。
「朝ごはん、なんで最初の日以外、置いといてくれないの?」
「お口に、合わないかと思ったんです。もともと、料理ほとんどしないでいたので」
 祖母が、家のことを全てやってくれていたのだ、と。仕事を定時に上がれても、家に帰れば夕飯の支度は終わっている。何か食べたいものがあって作ると、動き方の勝手が違うからか、少し嫌な顔される。被害妄想かも、というけれど。味付けが違ったものは、次の食事の時には味が直されていた、と。
 それは、作りたくなくなるよな、となんだか無性に胸がムカムカした。
「料理、嫌い?」
「できないよりは、できた方が後々困らないだろうな、とは思います」
「今日、手伝ってくれる?」
「は、もちろん」
 驚いた顔で、それでもうなずいた彼女の本意は、後で聞いた。手伝い、でも住んでいる家のことをやるのは、なんとなく気が楽になれそうだと思った。でも、手際が悪いから邪魔になるかな、とか。言わせてしまったかな、という反省とか。
「ねえ、君、僕の名前、覚えてる?」
「和泉、恭さん」
 よくできました、と、笑みを向けると、ものすごく困ったような顔をされた。



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