知らない異世界を生き抜く方法

明日葉

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 ヴィクターの注文どおり、呼び捨てにするのは簡単だと思っていた。もともとかなり年も離れていて、元いた世界では誰かに「様」で呼びかけることは仕事上でも滅多になかったから。実際、頭の中で注意してそうしているつもりだったのだが、いつの間にかそれが身に染み付いていたらしい。
 当然のように敬語もなかなか抜けず、苦労しているのをヴィクターは楽しそうに揶揄ってくる。
 間違えた時の脅しの道具が彼自身というのはいかがなものかと思うのだけど、あまりにもお世話になりっぱなしで何も言えない。

 森の中はひたすら道がない、という以外にはこれまで数日、何も起こらない。
 危険だとあれほど入る前に警告されていた場所とは思えない。ただ、これが異常なのだと分かるくらい、生き物に遭わない。
 ただ、と、周囲を見回す。気配はあるのだ。それこそ、のほほんと生きているわたしでも感じるくらいに。なのに、姿が見えない。

「ヴィクターさ…や、ヴィクター」

「ふっ…どうした」

 すんでのところで踏みとどまって呼び直すと、楽しげに応じてくれる。こんな姿、アメリアやラウルたちが見たら驚くんじゃないだろうか。
 騎士隊長という肩書きから解放されたこの人は、若者らしくのびのびとしているように見える。それすらも慣れない様子なのは、これまでそのようなことは考えもしなかったからなのだろう。

「ずっと、何にも遭わないですけど、ずっと何かが周りにいますよね?」

「…トワ、ことば」


「……」

 そんなことより、という思いが優ってつい恨めしげに見てしまう。
 悪い悪い、と頭をぐいと撫でられた。

「悪いものじゃない。大丈夫だ」

 そう言われても、そもそもそれが何なのかが気になる。


「害意はなさそうだ」

 夜、ヴィクターはあまり休んでいない。と思う。その間に接触をしているのかもしれないと思わせるような言い振りだ。
 休んでほしいと、せめて交代でと押し問答の末。交代にしたところで、わたしが番をしているときに何か起きてもどうにもできないのだけれど。強力な結界を張って一緒に休むことになった。そうは言っても、こういう場所で完全に油断して休めるような人ではないことは承知している。
 それでも、体を横にして浅くとも眠るだけで全然違うはずだ。結界も、タイちゃんがいるとより強力なものをはれるらしいが、タイちゃんには辺境伯領の家で留守番をしてもらっている。いない間に、国で何かあったときにすぐ知らせてもらえるように。竜と竜騎士よりも、契約を交わした精霊の方が早いのだと。



「様子を見られているの?」

「そこまではわからないが」

 大丈夫だ、ともう一度言う。それで安心してしまうのだから簡単にできているなと自分でも思う。





 本格的におかしい、となったのは、そこから2日後の夕方だった。
 あと少し歩いたら野営にしようと話したあたりから、急に前進しづらくなった。
 道なき道を、前を進むヴィクターが枝を払ったり下生えを踏んで進めるようにしてくれているのだが、その進みが急激に遅くなった。
 そんなことしなくても、と言ったのは、最初のいっときだけだった。やって貰わなければ自力で歩けない。枝に邪魔をされて前に進めず、下生えが深くて埋もれてパニックになりそうになる。人の面倒を見ながらヴィクターが歩いてくれても、一手間かけなかった結果進めないわたしがいるよりよほど早く進めるのだ。


「ヴィクター。おかしくない?そっちに行くなって言われているみたい」

 このおかしな森自体に恐怖は不思議と一度も感じていない。今のこの状況も怖くはない。
 ただ、阻まれているような行き先は、嫌な感じがする。
 道が険しくなったり、行く手を阻まれたり。その先には物語では宝物があったり、ボスがいたり、助けに来たお姫様がいたり。でも、そういう感じでもない。

 ただただ、嫌な感じがする。

 足を止めて振り返ったヴィクターを見上げる。
 ずっと繋いでいる手からはヴィクターの魔力がずっと流れ込んできている。どこかにたまらないように、体の中の循環までしてくれている。ずっと、ヴィクターといるからわからないけれど、ここが魔素の濃い場所だからということは除いても、体内に滞らせておけば命に関わるものを効率よく作り続ける体で生まれた人が、竜と魔力を交わすという方法がなければ確かに、長く生きるのは難しいんだろう。

「トワがいうのなら進む方向が…」

 ぼんやりと考え事をしている耳にヴィクターの声が入っていたが、途中で途切れる。
 多分、ヴィクターは森に入ってからまっすぐ、山地の方に向かっている。この日数を歩いてもまだ森の中というのは、大きく見えていた山地がどれほど遠く、森が深く、そして山が高いのかを物語っている。



 シュルシュル

 という音が、不意に耳に入った気がするのと同時に、息ができないほどに何かが胴体に巻き付いた。

 強く引かれるそれに引きずられそうになるが、これまた何か、ひんやりとした感触が足に吸い付き、その場から動かないように吸着されているような感覚になる。
 両方の力があまりに強くて、胴体と足で引きちぎれるかと。
 けれど、引っ張られる痛みが激痛になる前に、光が目の前を一閃し、同時に黒い大きな影が飛び込んできた。

 光は、ヴィクターが剣で腰に巻き付いたものを両断した光。
 黒い大きな影は、切り離されたものの、わたしに巻き付いていない方を大きな前足で逃すまいというように押さえつけている。


 3つの頭のある、犬のような、狼のような。

「ケルベロス…?」

 足に吸い付いているものを確認する前に、そちらに目を奪われ、反らせない。

 その耳に、ヴィクターの唸るような声が入った

「ワーム…っ!」


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