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 辺境伯領には旅の荷物をまとめるためだけに寄ってすぐに出発になった。
 移動は、目立たないように高高度をとってフォスに乗る方法も取れなくはないらしいけれど、急ぐ必要もないからと馬を使うことになった。
 と言っても、乗馬なんてしたこともない。
 見た目はよく知っている馬と同じように見える。ただそもそもよく知らないから、実際はわからない。すごく大きい気もするけれど、実際、元の世界でも馬は大きかった気もするし。

 魔馬、という種類もいると言うけれど、竜騎士のヴィクターはまず乗らないという。

 移動手段としては転移魔法もあるけれど、行き先を詳細に特定できなければ危険なのだという。だから、帰りは急ぐことがあれば転移魔法で一瞬で帰って来れると話していた。

 大柄なヴィクターとわたし、二人を乗せる馬は大きな個体で、青鹿毛の凛々しい子だった。黒が混じると黒持ち、と言われるのは動物も一緒で、動物の場合は生まれた段階で殺処分されることがほとんどだと教わっていた。持って生まれた魔力が多いことで、魔素の影響を受けやすく、魔物化しやすいと考えられている、と。
 実際はそんなことはないとセージ先生は話していたけれど。実際は強い個体だからきちんと訓練すれば心強い味方になると言っていた。


「名前はなんというのですか?」

 鞍や手綱などをつけ、荷を括って準備しているヴィクターの背中に問いかけると、振り返ったヴィクターの顔は楽しそうで思わずこちらも笑顔になる。
 普段はフォスにしか乗らないが、この子もヴィクターの馬なのだという。竜が飛び交うこの領地では小心の馬は多くない。危害を加えられることはなくても、本能的に恐れる対象なのだろう。
 だからこそ、ここで、しかも最も竜に近い辺境伯邸の厩舎にいる馬はどこの馬よりも訓練の行き届いた肝の据わった馬なのだという。

 国の騎士団の馬よりよほど強いわよ。

 とアメリアは自慢げに笑っていたくらいだ。

「エボニーだ。フォスとも仲良くやっているぞ」

 誇らしげなヴィクターの様子が普段よりなんだか可愛く感じてしまう。

「わたしも乗って、大丈夫ですか?荷物もあるのに。…まあ一人で乗れないんですけど」

「今度乗馬は教えてやるが、別に一緒に乗ればいいから問題ないぞ」

 エボニーも大丈夫と言うようにこちらを見ている。賢そうな優しい目にほっとする。

「エボニー、よろしくお願いします。邪魔にならないように気をつけるから」

 何をどう気をつければいいのかすら分からないけれど。触れ方も分からないでいると、察したヴィクターが手招きして触れ方を教えてくれる。





 そうして挨拶を済ませたエボニーに乗って、旅を始めた1日目は、乗っていただけなのにヘトヘトになった。
 風は気持ち良いし、ヴィクターにしっかりと背後から抱えられている安心感で周囲を楽しむ余裕すらあったけれど。

 宿泊を決めた宿でエボニーを厩舎に預け、ヴィクターと一緒に水やご飯をあげてブラッシングをしてあげる。
 揃いも揃って「黒」であることに遠巻きにされたけれど、そんなものだ、とさらっとヴィクターは言う。
 今まで忌避される、とは聞きながらも実際そのような視線にさらされることがなかったのは、ヴィクターたちのおかげだとようやく実感した。
 怖いから、断られはしない。いや、断られることもあるとヴィクターは言っていたけれど。
 ただ、他の客もいるから食事などは部屋にしてくれと言われた。部屋の前まで運んで扉を叩くから、と。
 中に入るのも、怖いのだろう。

 この世界で黒が受ける扱いをようやく、受けたようなものなのだろう。
 だからきっと、聖女は「色」を変えた。いや、変わっているのは色だけではないけれど。

 ただ、正直それに落ち込む余裕はなかった。
 エボニーと厩舎にいるあたりまでは頑張れたけれど、部屋に案内されるともう、だめだった。
 乗馬でお尻が痛くなっているのと、内腿や腹筋、背筋がとにかく辛い。明日は、というかすでに筋肉痛になっている。
 その様子に気づいてヴィクターがひどく申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「トワ、すまん。気がまわらなかった」

「何を…ヴィクター様が謝るようなことじゃないです。早めに慣れますから」

 ただ、ちょっと横にならせてと言うと、何を言っているんだ、とそのまま抱え上げられた。

 ヴィクターから治癒魔法が流れ込んでくる。これに馴染んでいるのは実際のところ問題なんだろうな、と頭の片隅で思う。どれだけ治癒してもらわなければならない状況に陥っているのか。
 治癒魔法も便利だし、荷物をまとめている鞄に目を向けて、あれも、と思う。魔道具だと言うそれは、底なしに、物が入った。しかも、重さは鞄の重さだけで詰め込んだものの重さはない。二人分の、期間未定の旅の荷物が詰め込まれているとは到底思えない大きさだ。


「明日からは先に防護魔法をかけるから振動の影響はなくなるはずだ」

「あ…」

 そういうこともできるのか、と感心する反面、それはもったいないと思う。こっちに来て、あちこちに甘やかしてもらってほとんど動いていない。どんどん筋力が衰えていく気がする。自分で何もしていないけれど、いい機会ではと打算が働く。

 それに、いずれ乗馬を教えてもらうのに、今痛い場所は必要な筋肉ということだろう。自分で乗るのに防護してもらってはきっと馬は操れない。

「ヴィクター様、あの、ご迷惑にならなければ、明日もそのまま乗りたいです」

「いや、かなり辛いだろう」

「でも、それではいずれ教えていただいても一人で乗れるようにはなりません。…毎日こうしてヴィクター様に結局治癒をかけてもらうことになりそうですが」


「…それは構わないが」

 過保護なヴィクターは、そもそも一人で乗馬をするのは危ないとでも思っていそうだ。

 1日防護魔法をかけるか、1日の終わりに治癒魔法をかけるかの違いで、手間をかけることに違いはないわけだけれど。



 不意に、頭上からため息が降ってきた。

「そういえば、この世界に来た最初も、自立して一人で生きていく術を身につけたいと言っていたな」

 そんなことを言っていた時期もあった。そのためにこの世界のことを知りたいと、セージ先生やアメリアに色々教わったけれど、今にして思えばあの人たちが教えてくれたことは「一人で生きていくために必要なこと」というよりは「辺境伯家で生きていくのに必要なこと」だったような気もする。


 自分でやりたがるのは変わらないか、とため息交じりに言いながら、不意に顔を上向かされる。


 あ、

 と思う間もなく唇を重ねられる。
 口内に舌が入ってくるのと一緒に、より濃く治癒魔法が流れ込んでくる。

「ん」

 治癒魔法とキスの心地よさで思わず声が漏れて、それが恥ずかしくて反射的に体がこわばった。
 大きな手に撫でられて少しずつ緊張がほぐれる。

 キスの合間に、ヴィクターが囁く。



「旅の間に、その言葉遣いをなんとかしよう」


 まだ諦めていなかったのか、と思わず目を開くと、金色の目が優しく細められていた。







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