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しおりを挟む馬車を降りるよう促され、アメリアに続いて降りようと顔を出すと、真っ白な大きな竜を背に従えた真っ黒な人影が真っ先に目に入る。
領地の境で待ってくれていたらしいヴィクターの姿にほっとした自分は、全く意外じゃなかった。どれだけ自分がこの人に安心をもらっているか自覚している分だけじゃ足りないだろう。
アメリアに手を差し出し、馬車から降りるエスコートをしていたのは、いつこちらに来たのかニルス王弟殿下だった。顔に出たのか、王弟殿下がこちらにも手を差し出してくれながら笑う。
断る方が失礼だ、ということは学んだので、その手を取ってみるけれど、いまだに慣れないから緊張する。こちらをじっと見ているヴィクターには、アメリアに教わったこちらでのマナーがどの程度身についているか採点されているような気分で、尚更緊張してしまった。
そこまで、どうやら殿下には察されてしまったらしい。
笑いを含んだ穏やかな声でお疲れ様でした、と労われる。
「あれは、自分がやるつもりだったのにと拗ねているだけだから放っておいて大丈夫だ」
久しぶりに顔を見た王弟殿下は、気さくで穏やかな様子は前と変わらずホッとする。ただ、王宮で多忙を極めていると聞いていた。国王の護衛と、そして聖女が王都を離れた機会にできることをやっているとか、そんな話だったと記憶している。
「顔に出るのは相変わらずだな。辺境伯領でものびのびとしているようで安心した」
まるで保護者のような口ぶりに思わず口元が緩む。
この世界にくる前の自分を思えば、自分より年若いような人ばかりだ。ただ、見た目も幼くなり、事実魔法を使えないことで庇護の対象にならなければ生きていくこともできない立場では、保護者が何人いても足りないんだろうとは思う。
保護者のようだ、とはヴィクターも思ったらしい。先ほどの「拗ねる」という言葉があまりに不釣り合いで違和感があったけれど、なんだか納得してしまうような雰囲気で歩み寄ってきたヴィクターに引き寄せられた。
「もともと我が家で庇護している。場所が変わったからといって扱いが変わるわけがない」
ぶっきらぼうな物言いも、無礼と取ることはなく王弟殿下は笑っている。
「辺境伯もトワ嬢の庇護者か」
直接会って、辺境伯も正式に了承したということか、とそう聞こえた。それは正しいのだろう。
そう王家に認識されることが辺境伯家にとって良いことなのかどうかも分からない。ただ、それよりも気になることがあった。
「殿下、こちらにいらして良いのですか?」
思わず問いかけてから、アメリアに学んだマナーを思い出す。
上の身分の方にこちらから話しかけてはいけない。
ただし、と笑って言われた。公の場では、と。私的な場でまでそんなことを言っていたら、何もできないと笑っていた。ただ、良い時と悪い時の判断ができるほど空気が読める性格ではない。
内心やってしまった、と焦ったのだけれど、文字通りの後ろ盾のヴィクターが代わりに答える。
「気になることがあって確認しにきたらしい。ここで確認をしたらすぐに早馬で帰るそうだ。聖女より先に帰る必要があるからな」
「先に?」
「陛下の守りが薄くなる」
「今は良いのですか?」
首を傾げるが、その仕草でヴィクターを見上げようとするとヴィクターの腕に頭を預けて見上げているような格好になってしまった。焦って仕切り直そうとしたが、なぜか機嫌の良い顔で頭を預けた格好になった方の腕の肘をおり、ヴィクターの大きな手が額に添えられた。
「それが殿下の確認したいことだ。…それよりもトワ、何かあったか?体内の魔力の流れがおかしい」
「?」
思い当たることがなく、それが顔に出たらしい。これ以上首を傾げて示すことができないから動かせる範囲で首を横に振る。
「本当にお話をしただけです。アメリア様と王太子殿下が同席してくださって、わたしがうまく対応できないところは助けてくださいました」
「王太子が?」
ヴィクターの眉間に皺が寄り、その目がアメリアに向けられる。これまでを思えば、兄としては承服できないのだろう。
「殿下は、大丈夫でしたわ。お兄様。ここ最近の道理をわきまえないところはありませんでした」
アメリアの評価に王弟殿下が複雑な顔になる。
今後、アメリアに婚約を申し込むような話もあったはずで、王都が落ち着いたらと先延ばしにしてはいるけれど、その間に元婚約者の評価が見直されてしまうのは予定外なんだろう。
ふふ、と笑いそうになって、思いとどまる。
そして、ふと体が楽になったのを感じて、ヴィクターを見上げた。
無意識なのか意図的なのか。先ほど魔力の流れがおかしい、と言った先からヴィクターの魔力を流してくれていたらしい。そうやって安定させてもらって、体の不調を自覚するのだから本当に手がかかるのだろう。
ただ、体の不調に無自覚なのはもともとだったから、魔力を感じ取ることができないのとは関係ないのかもしれない。
あの邸に行った時に感じた、体に合わないものがある時のような違和感が消えていく。アレルギーの元になるような、そういう自分の体に合わない何かが蓄積されていたのかもしれない。
普段は使われていないという話だけれど管理する人たちはいるようだから埃が溜まっているとかでもないだろうし、なんだろう、と結局原因はわからないのだけれど。
そう思っていると、少し考える様子だった王弟殿下が、やはり、と呟いてからアメリアを見る。
「アメリア嬢は、体の不調はありませんか?」
真面目な様子に、アメリアは僅かな間をおいて、小さく息を吐き出す。
「ございます」
え、と思わずアメリアを見た。気づかなかった。
気づかせないのだ。アメリアの体に染みついたマナーや身ごなしが不調を感じさせない。一番近くにいたのに。
そう思っていると、アメリアが今度ははっきりと笑う。
「トワ、気にすることじゃないわ。私も、お兄様があなたの魔力の流れがおかしい、と言い出すまであなたが不調を抱えていることに気づかなかったのだから」
「でも、わたしのはわたしも気づいていませんでしたから」
「…それはそれで…」
どうなんだ、と明らかに続くため息は頭上からだったが、聞き流してアメリアを見つめる。
「大した不調ではありません。ただ、魔素溜まりに近づいて、発生した瘴気を吸い込んだような感覚がぼんやりとありましたわ」
あいにく、というか、幸い、というか、まだ魔素溜まりには遭遇していない。ただ、竜の近くにいるのは魔素の濃さとしては似たようなものだという話だけれど、竜は瘴気は発生させない。
だから、その感覚は分からないのだけれど。
ただ、王弟殿下の反応は違った。
アメリアがそう言った瞬間、何かがつながったような顔をする。
「そうだ。その感覚だ」
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