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しおりを挟む過保護の権化のようになってしまったヴィクターから救い出してくれたのは、見事な笑顔を貼り付けたアメリアだった。
さすがは王太子妃教育を受けた女性と言うべきか。むしろ、辺境伯家であり竜の住処の守り番たる家で育った子女の気魄と言うべきか。
美しい笑顔のアメリアは、扉をノックするとしばらくの間を置き、返事をする気がないと判断するに十分な時間を置いてから扉を開けた。
「お兄様、寝入っていても物音に気づく方が、ノックに気づかないはずがないと、どうして思い当たらないのかしら?」
「入室の許可をした覚えはないが?」
こちらも、平然と切り返す。
気まずすぎて逃げ出したいこちらの思惑は、長い腕に阻まれて目の前には大きな背中があるだけだ。
けれど、音もなく近づいたらしいアメリアのほっそりとした手が差し出された。
「複数の魔力を注ぐのは魔力耐性が読めないトワには特に良くないとなれば、お兄様が魔力譲渡をする必要があったのも認めましょう。たとえ契約を結んだ精霊がいたところで、その精霊もどうやら力を大方使った様子があったのも認めましょう。それ以上に、トワを拘束する理由がありまして?」
正直、このまま監禁に近い軟禁をされるのではないかとちょっとだけ覚悟していた。
ただ、そうだった。この屋敷には、ヴィクターに物申せる人は何人もいる。それに、わたしの「教育係」のアメリアやセージ先生が放っておくはずもない。
その差し出された手をじっと見つめていると、少しじれたように、くい、と手先が動く。慌てて手を伸ばすと、思いの外強い力で引っ張られた。
一度力が込められたヴィクターの腕からすぐに力が抜ける。
「ふふ」
愉快そうにアメリアが笑っている。
「フォスは、私でも触れることを良しとしませんものね。トワに害を与える心配もない私相手に、フォスの不興を買う真似をわざわざしないと思いましたわ」
そう言うことか、と納得していると、しっかりとアメリアの方に身を引き寄せられた。
「トワは、私のためにあのような目に遭ったようなもの。十分な説明もしてあげる必要がありますし、一緒に連れてきたお二人にもそろそろ会わせてあげた方がよろしいでしょう。あとは、フォスにも早く見せないと、屋敷のどこかが壊れますよ?」
どうやら、わたしの自由はフォスにかかっているらしい。
だがこれ、一つ間違えば竜騎士並みに人付き合いに困難を抱えかねないのかしら?などと考えていると、さっさと手を引いて部屋から出る方向に動いているアメリアがにっこりと、今度は優しく笑った。
「大丈夫よ。絆を結んだ相手以外に、竜は接触相手を限定しないわ。自分に影響がないから」
先に、フォスに顔を見せた。部屋を出てすぐのところから、鼻を突っ込んでいた。扉の外には、足先と尻尾、胸元と顔の半分が白く、残りが黒い獣。猫科の何かに似ている気がするけど、毛のもふもふ具合がイヌ科の、狼のようにも見える。
「タイちゃん?」
長い名前をつけてしまったけれど、呼びやすくしてしまう。何故か満足げな様子で頷く横で、アメリアも頷いた。
「与えた名前は信頼できる相手以外には知られない方がいいわ。トワ、よくその配慮が持てたわね?」
そんな、たいそうな理由じゃない。
けど、いいことだったらしい。大きな体をすり寄せてくる。無性に、和む。もふりたい、と思わず手を伸ばしかけたけれど、フォスが先だ。フォスの鼻先にヴィクターに言われて手を伸ばすと、しばらく鼻をすり寄せてきた。満足したあたりで、離れていく。過保護2号、か、そもそも拾ってくれたのがフォスだと思えば過保護1号がフォスなのかもしれない。
今度こそ、と手を伸ばすと、首周りのふわふわした毛を触りやすいように身を寄せてくれた。その様子を複雑そうな顔で眺めていたヴィクターがため息をつく。
「お前が精霊と契約したことは、当面伏せておく。…あの場でのことだったから気づいている可能性が高いが」
「?」
「精霊との契約は、竜との絆と並んで、頻度から言えばそれ以上に大事なのよ。…どうやら聖女様は契約を結んではいなかったのね」
アメリアの言葉に、タイを見下ろすとふふん、と言いたげな顔で見上げてくる。
すぐに、通された部屋にいる、知らない顔がレイとブレイクだろう。ブレイクの姿に、ほっとする。他にセージ先生がすでにいて、後からエリンが全員分のお茶を運んできてくれて、疲れ切ったラウルが最後に部屋に入ってきた。
「ラウル?」
「問題ありません」
ヴィクターに頷いて、大きく息を吐き出す。
「城の方は、ニルス殿下が残っていらっしゃいますし、陛下も戻られています。他の騎士隊の状況は分かりませんが、竜騎士隊は陛下をお守りしますから大丈夫でしょう」
「他のことには、竜が動かんからな」
竜騎士隊が味方についたものが、勝つ。と言う理屈は流石に説明されなくてもわかる。
揃ったらしいここで説明をしてもらえるのだろうと思いながら、先に気になったタイの表情の意味を聞く。
「タイちゃん、聖女様との契約で無理をさせてない?」
「契約はしていない」
自分で問いかけておいてびっくりするのも筋違いだろうが、獣の口から人間の言葉が紡がれるのは流石に驚いた。ただブレイクは獣人だと聞いていたし、普通に会話を何日もしていたのを思えば、それほど違和感はない、と考えるしかない。
「この国が聖女を召喚したと言うから、聖女がすべき浄化の手助けをするように、光の精霊王から言われたけど」
光の精霊には浄化をする力があるけれど、世界の摂理に手出しはしない。ただ、聖女の手助けは下位の精霊に言いつけられるのだという。精霊が助けることで、魔力効率が上がるとか、そう言うことらしいが。
「なら、離れたら…」
「大丈夫。彼女は、浄化を求めなかった。訓練の時に、代わりにやれと言われたけれど」
「!なかなか訓練が進まないが少しできたと言うのは」
「代わりにやった時かな」
中性的な声で飄々と話すタイちゃんに、じゃあ、契約は?ともう一度聞く。
「毛玉って、呼ばれてたからなぁ。それは名前じゃないでしょう?魅了の力は欲しがっていて、だからトワ、ごめん。魅了の力は何も持ってないんだ」
魅了の力だけを求められた、その力を失った自分にはもう価値がないと思っているのだろうか?
「精霊から離れた精霊の力など、使えばどんなことになるか判らないんだけどね」
こちらもふわっとセージ先生が怖いことを言う。
それなら、とアメリアの声が低くなっていた。
「あなたから、自分が欲しい能力を奪って、あなたを消滅させることをしたのね?」
精霊に、なんてことを。
それは、人間だけの感覚ではないらしい。エルフのセージ先生も、獣人のブレイクも難しい顔をしている、ブレイクは多分、あの数日の間にそんなことは気づいていたんだろう。
「謝ることなんてないよ、タイちゃん。レイ殿下とブレイクがそこにいるってことは、助けてくれたんでしょう?ありがとう」
しゃがむと大きなタイちゃんの体は、顔が少し見上げる位置になる。そのふわふわした首に腕を絡めて言うと、毛ムクじゃらの顔が擦り寄せられた。
「あれと契約してなくてよかったよ」
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