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団長は怯えています
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足早に、どころか、駆け抜けていく副団長を騎士棟で不運にも行き合ってしまったものたちは慌てて避けて道を開ける。
血相を変えた様子に、目を逸らして遠ざかる。あれは、近づいてはいけない状況だと、本能が知らせる。
入室の許可も得ずに、ローランドは団長室の扉を開け放ち、ずっと抱えてきた箱を団長の机の上に放り投げた。
ディランは部下の剣幕に思わず身を引きながらその箱を見下ろした。
「それは開けるな。いいな。すぐ戻る」
言った通り、しばらくして戻ってきたローランドに、ディランは目を向ける。
どこかにローランドが外している間に、それまでここで事務作業の補佐をしていた騎士を退室させ、代わりにユランを呼んでいた。
「この時期にお前の慌てぶりならこの間の事件の続きかと思ってユランを呼んだ。シェフィールドはつかまらん。郊外に出ているらしい」
「間違ってない」
どさり、とソファに腰を下ろし、大きく息を吐き出しながら髪をかき上げたローランドの妙な色香にディランが顔をしかめる。
「どうしたんだ」
「その箱。開けた途端に周囲に漂うように香りが封じられていた」
「香り…まさか」
「ひどい催淫効果だ」
自分で処理したんだな、というなぜか同情するような眼差しにローランドは迷惑げな目を向ける。
そうするしかないのに何を考えているんだ、こいつは、と。
あの時、その場にいたリラたちが気がかりだが、あそこにいる面々を考えれば、なんとかなっているはずだ。くれぐれも、便乗していないことを願うしかない。
「こんなふざけたものを、リラに送ってきた奴がいる。あの女以外に考えられない。あの女以外にもこんな悪質なことをする奴がいるとしたら」
「いや、そんなもしもはいい。あり得ん」
ディランは短く応じて、ユランを促してローランドの向かいに座る。ユランは立ったまま、そばに控えた。
「どこで症状が出た」
「ここにそれを持ってくる途中だ。怪しいからと調査するのにここに置いて行くつもりだったんだが」
最悪だ、と息を吐き出す。
こんなに苦しいものを与えられ続けたアレンディオに今さらながらに心底、尊敬をする。熱を散らさなければあれほど苦しいというのに、あの男はそれができないままずっと過ごしていたのだという。そのどちらの原因も、あの女にあるのだから。その存在を表現する悪態が思いつかない。悪魔と言ってしまえば、悪魔が気の毒になるほどの、毒婦だ。
その、荷を送ってきたのはリンドブルム伯爵の名前になっていた。シェフィールド家が持っている領地に近いが、特段の交流があるわけではない。
箱を開けただけでのあの仕込まれた香りだ。チョコレートがどのような状態か、リラが試さなくて良かったとローランドは胸を撫で下ろす。
本能なのか、警戒したようにしていたなと思うと、無警戒に自分が出したものを食べてくれたのがどれだけ珍しいことだったのかが、ようやく分かった気がした。食べるな、と口を酸っぱくして言われていると、言っていたな、と。
「一緒に入っていたメッセージだ。封蝋は、間違いなく伯爵家のものだ」
「そうだな」
渡されたメッセージを、穢らわしいものに触れるように受け取って、無意識にディランは息を詰める。
吸い込めば、何か漂っているか分からない。息を詰めたまま開き、閉じて戻す。ユランには背後から覗かせたが、ユランも同じように、息を止めていた。
「最悪、だな」
吐き出すようにディランは言う。
「こんな状況で10年も、リンデン卿は…凄まじいな」
「ああ」
取り戻せない苦痛の時間を思いやり、それぞれに苦い表情になる。特に、アレンディオの従弟であるユランにとってはもともとあった許し難い感情にさらに憎悪を注がれたような気分になる。
そうしていて、ローランドは不意に、大きく息を吐き出した。
「彼の見舞いの後、リラがその時に話したことを教えてくれていた。事件の解決の役に立つなら、と。薬や香の中には、人の負の感情を煽るものもあるらしい。そして、不安や怒りがそこに加われば、増幅効果は増して行く。負の感情に囚われた行動は、本人にとって良い結果になることはない。そんなものに振り回されるのを、眺め、時に操っているようだったと。そんなことを、彼が話していたらしい」
その言わんとすることが分かるまでは、何を言っているんだ、と、ユランの頭は煮えたようになっていた。
ただ、何の刺激も与えられず、沈黙の中に置かれ、次第に落ち着けば、腑に落ちた。
「副団長、それはリラ嬢に送られたのでしょう。彼女は大丈夫なのですか」
その場では症状は出ていなかった。
だが。
息を止めてメッセージを開いただけで、襲われる異質な全身を逆撫でされるような不快な感覚が襲う。
「残念ながら。彼女の周りには心強いのがいる。何より、詳しいリンデン卿もいる」
だが、とローランドはようやく落ち着いた様子で立ち上がった。
自分がそばにいたいのだと、そして、確かに大丈夫なのだと確認したいのだという気持ちを抑える必要はどこにもない。
「ディラン、さっさとあの女を見つけろ。のんびりしている間に彼女に手を出された。馬鹿にされているんだ」
それと、と付け加える。
「お前の同期のシオン殿にすぐに伝えろ。リラの家に行ってくれと。他のやつじゃない方がいい。その荷物はもともとリラの家に届いたのをエルムが届けて寄越した。彼女も心配だ。様子を見て、可能なら保護した方がいい」
「すぐにやろう」
立ち上がりながら頷き、ディランはユランに目配せをする。
本当に、急がなければまずい。
このままでは、副団長の怒りが爆発しかねない。そんなものに関わりたくもなければ、後処理だってしたくない。
何より実際、野放しにするには危険すぎる人間だ。これまで野放しにされてきたことを考えれば、表に出ていないだけでどれだけの被害者がいることか。
それまでも外には知られぬように慌ただしく動き回っていた騎士団が、そこからさらに昼夜を問わず、まるで戦場にでも駆り出されたかのように走り回ったのは、言うまでもない。
血相を変えた様子に、目を逸らして遠ざかる。あれは、近づいてはいけない状況だと、本能が知らせる。
入室の許可も得ずに、ローランドは団長室の扉を開け放ち、ずっと抱えてきた箱を団長の机の上に放り投げた。
ディランは部下の剣幕に思わず身を引きながらその箱を見下ろした。
「それは開けるな。いいな。すぐ戻る」
言った通り、しばらくして戻ってきたローランドに、ディランは目を向ける。
どこかにローランドが外している間に、それまでここで事務作業の補佐をしていた騎士を退室させ、代わりにユランを呼んでいた。
「この時期にお前の慌てぶりならこの間の事件の続きかと思ってユランを呼んだ。シェフィールドはつかまらん。郊外に出ているらしい」
「間違ってない」
どさり、とソファに腰を下ろし、大きく息を吐き出しながら髪をかき上げたローランドの妙な色香にディランが顔をしかめる。
「どうしたんだ」
「その箱。開けた途端に周囲に漂うように香りが封じられていた」
「香り…まさか」
「ひどい催淫効果だ」
自分で処理したんだな、というなぜか同情するような眼差しにローランドは迷惑げな目を向ける。
そうするしかないのに何を考えているんだ、こいつは、と。
あの時、その場にいたリラたちが気がかりだが、あそこにいる面々を考えれば、なんとかなっているはずだ。くれぐれも、便乗していないことを願うしかない。
「こんなふざけたものを、リラに送ってきた奴がいる。あの女以外に考えられない。あの女以外にもこんな悪質なことをする奴がいるとしたら」
「いや、そんなもしもはいい。あり得ん」
ディランは短く応じて、ユランを促してローランドの向かいに座る。ユランは立ったまま、そばに控えた。
「どこで症状が出た」
「ここにそれを持ってくる途中だ。怪しいからと調査するのにここに置いて行くつもりだったんだが」
最悪だ、と息を吐き出す。
こんなに苦しいものを与えられ続けたアレンディオに今さらながらに心底、尊敬をする。熱を散らさなければあれほど苦しいというのに、あの男はそれができないままずっと過ごしていたのだという。そのどちらの原因も、あの女にあるのだから。その存在を表現する悪態が思いつかない。悪魔と言ってしまえば、悪魔が気の毒になるほどの、毒婦だ。
その、荷を送ってきたのはリンドブルム伯爵の名前になっていた。シェフィールド家が持っている領地に近いが、特段の交流があるわけではない。
箱を開けただけでのあの仕込まれた香りだ。チョコレートがどのような状態か、リラが試さなくて良かったとローランドは胸を撫で下ろす。
本能なのか、警戒したようにしていたなと思うと、無警戒に自分が出したものを食べてくれたのがどれだけ珍しいことだったのかが、ようやく分かった気がした。食べるな、と口を酸っぱくして言われていると、言っていたな、と。
「一緒に入っていたメッセージだ。封蝋は、間違いなく伯爵家のものだ」
「そうだな」
渡されたメッセージを、穢らわしいものに触れるように受け取って、無意識にディランは息を詰める。
吸い込めば、何か漂っているか分からない。息を詰めたまま開き、閉じて戻す。ユランには背後から覗かせたが、ユランも同じように、息を止めていた。
「最悪、だな」
吐き出すようにディランは言う。
「こんな状況で10年も、リンデン卿は…凄まじいな」
「ああ」
取り戻せない苦痛の時間を思いやり、それぞれに苦い表情になる。特に、アレンディオの従弟であるユランにとってはもともとあった許し難い感情にさらに憎悪を注がれたような気分になる。
そうしていて、ローランドは不意に、大きく息を吐き出した。
「彼の見舞いの後、リラがその時に話したことを教えてくれていた。事件の解決の役に立つなら、と。薬や香の中には、人の負の感情を煽るものもあるらしい。そして、不安や怒りがそこに加われば、増幅効果は増して行く。負の感情に囚われた行動は、本人にとって良い結果になることはない。そんなものに振り回されるのを、眺め、時に操っているようだったと。そんなことを、彼が話していたらしい」
その言わんとすることが分かるまでは、何を言っているんだ、と、ユランの頭は煮えたようになっていた。
ただ、何の刺激も与えられず、沈黙の中に置かれ、次第に落ち着けば、腑に落ちた。
「副団長、それはリラ嬢に送られたのでしょう。彼女は大丈夫なのですか」
その場では症状は出ていなかった。
だが。
息を止めてメッセージを開いただけで、襲われる異質な全身を逆撫でされるような不快な感覚が襲う。
「残念ながら。彼女の周りには心強いのがいる。何より、詳しいリンデン卿もいる」
だが、とローランドはようやく落ち着いた様子で立ち上がった。
自分がそばにいたいのだと、そして、確かに大丈夫なのだと確認したいのだという気持ちを抑える必要はどこにもない。
「ディラン、さっさとあの女を見つけろ。のんびりしている間に彼女に手を出された。馬鹿にされているんだ」
それと、と付け加える。
「お前の同期のシオン殿にすぐに伝えろ。リラの家に行ってくれと。他のやつじゃない方がいい。その荷物はもともとリラの家に届いたのをエルムが届けて寄越した。彼女も心配だ。様子を見て、可能なら保護した方がいい」
「すぐにやろう」
立ち上がりながら頷き、ディランはユランに目配せをする。
本当に、急がなければまずい。
このままでは、副団長の怒りが爆発しかねない。そんなものに関わりたくもなければ、後処理だってしたくない。
何より実際、野放しにするには危険すぎる人間だ。これまで野放しにされてきたことを考えれば、表に出ていないだけでどれだけの被害者がいることか。
それまでも外には知られぬように慌ただしく動き回っていた騎士団が、そこからさらに昼夜を問わず、まるで戦場にでも駆り出されたかのように走り回ったのは、言うまでもない。
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