34 / 49
ローランドの誤算と、相変わらず碌なことを考えない人
しおりを挟む
とりあえず、と。
リラを休ませて揃って戻った部屋で、使用人の顔を捨ててレイはリースの前に立った。
「リース様にも、しつけ直しが必要なようですので。とりあえず、顔と腹、どちらにしましょうか?」
「…見えない方にしろ。リラが気にする」
答えた瞬間、重い音が二回、響いた。
ローランドも驚きに目を瞠るしかない。
躊躇いなく打ち込まれたレイの鉄拳制裁。驚くべき重さで膝を腹に打ち込み、背を丸めたところで拳をその背中い打ち下ろして床に膝を着かせた。
一つ咳き込んで手にとったハンカチに唾を吐けば、血反吐が出る。
すぐに立ち上がるリースも驚異的だが、レイの方は想像を超えていた。身のこなしや足の運びから手練れであろうとは気づいていたが。
「理由は分かって殴られましたよね?」
容赦ない声に言われれば、リースは目を逸らす。分かっていたから腹に力を入れずに受けるつもりだったが、体が覚え込んでいるレイの攻撃の重みは反射的に腹筋に力を入れさせた。
「後で謝る」
「謝罪は必要ありません。ただ、説明はしてください」
「言い訳になるっ」
「言い訳で結構です。あなたのくだらないプライドより、お嬢を優先させていただきます」
淡々と応じるレイの冷え冷えと感じられる声に、あからさまにリースが舌打ちをした。
それを聞いて、レイは使用人の顔に戻る。その目をローランドに向け、腰をおった。
「お見苦しいところをお見せし、お騒がせしました」
「いや、気にするな」
しかし、何が、と無言の問いかけに、レイは答えない。わからないのなら、教える必要はないこと。ただ、後でリースの言い訳を一緒に聴くことができれば、わかることでもある。
今のお前からはいらない
そんな含みはなかっただろう。むしろ、疲れ切っているリラからこれ以上奪いたくないという思いだったのは、レイも承知している。だが、それならそう言えば良いこと。元気になったら頼むと、そう言うだけで良かったのに。
リラは、誤解した。
リースが触れるのも嫌なほどに軽蔑していると。もし本当にそのような感情の片鱗でも抱いたのなら、殴る程度では済ませなかったけれど。ただ、言葉の選択を知らないだけ。
ローランドは、今までも理解したつもりでいた、この美しい青年が忠犬や番犬、挙句に狂犬とまで言われる所以がようやく分かった。主家に対してもこの振る舞い。これが、完全に外部であったらと想像すれば、その注意すら引かないようにする者がいるのもひどく納得できた。
「リラ嬢は、随分と君を信頼しているようだな」
言葉を選び、ローランドは口にする。風呂場から連れ出したのだと分かっても、恥ずかしがったり怒ったりする前に、叱られるとびくついた様子。レイの行動は自分のためであると刷り込まれているような。
ローランドの言葉に、レイはにっこりと隙のない使用人の笑顔で応じた。
「幼い頃から面倒を見ておりましたので。私を含め、お仕えしている使用人一同、信頼していただけないことは非常に不甲斐なく感じることですから。そのこともきちんと、幼い頃からお伝えしてきましたので、素直なお嬢様はその通りにしてくださっているのでしょう」
しれっと言ってのけるレイを、リースは呆れた目で眺める。
まあ、確かに。言葉にすればその通りのしつけ内容だろう。ただ、やり口はそんなに爽やかなものではない。レイが相手であれば、なんでも安全だと、安心して良いと、教え込んだのだ。例えば先ほどのような場面でとがめれば、疑われるとは残念だと、お仕置き込みで。
この副団長殿も、察しているだろう。一番手強いのは、この、執事なのだ。しかも下手をすれば、その長年培った信頼と刷り込みで、リラの合意を得た上で、連れて姿を消しかねないのだ。その方が良いと判断すれば、躊躇いなく。
リラを夕食の時間までは休ませようと、ローランドがレイとリースに提案し、シェフィールド家の主従はリラが休む部屋で様子を見守らせてもらうと応じた。彼らが家族である以上、ローランドにそれを拒否することはできず、逆にローランドがついていると願うこともできなかったため、リラが喜びそうな食事でも作ろうと気持ちを切り替える。
そんなことをしていた頃。
王宮では一つ、水面下で騒ぎが起きていた。
決して表沙汰にはしたくないような騒ぎ。兄弟水入らずで今後のことを話していた魔術師棟のシオンの部屋。
王太子と第3王子エリアスに力づくでも引き止めようとされながら強引に押し通したその人は、息子である王太子の側妃、エリカに冷え冷えとした眼差しで一瞥を寄越され、ようやく自分お思いつきが名案ではなかったことに気づく。
「殿下?王家は、シェフィールド家をつくづく、軽視していらっしゃるようですね?」
「待て、エリカ!王家、とまとめるな。何をおっしゃるかと思いましたが、まさかそのようなことを」
嗜める息子の声に、だが、と、言い訳をしようとする耳に、息子の側近、クエルチアの背筋が凍るような声が届いた。
「あの一件だけでも業腹なものを、それを言えばあの子たちを否定することになるからと対応が甘すぎたようですね。そのような王命を発するのでしたら、我らはこの国を見限ります」
飄々とした普段の顔の下の怜悧な眼差しに補足するように、部屋の主人、シオンはにっこりと、普段は見せない笑顔を見せた。
「相変わらず、碌なことを考えない方だ。余計な気遣いは不要ですよ。お言葉を外に出してしまったら取り返しのつかないお立場であることを承知された方がよろしいでしょう。あのようなことのあった我が家であれば身内だとでも、誤解されたのかもしれませんが。此度の陛下のご厚情は、確と、妹にも伝えさせていただきます」
言われた本人よりも、妻と側近の怒りをまともにぶつけられた王太子が、顔を引きつらせた。
リラを休ませて揃って戻った部屋で、使用人の顔を捨ててレイはリースの前に立った。
「リース様にも、しつけ直しが必要なようですので。とりあえず、顔と腹、どちらにしましょうか?」
「…見えない方にしろ。リラが気にする」
答えた瞬間、重い音が二回、響いた。
ローランドも驚きに目を瞠るしかない。
躊躇いなく打ち込まれたレイの鉄拳制裁。驚くべき重さで膝を腹に打ち込み、背を丸めたところで拳をその背中い打ち下ろして床に膝を着かせた。
一つ咳き込んで手にとったハンカチに唾を吐けば、血反吐が出る。
すぐに立ち上がるリースも驚異的だが、レイの方は想像を超えていた。身のこなしや足の運びから手練れであろうとは気づいていたが。
「理由は分かって殴られましたよね?」
容赦ない声に言われれば、リースは目を逸らす。分かっていたから腹に力を入れずに受けるつもりだったが、体が覚え込んでいるレイの攻撃の重みは反射的に腹筋に力を入れさせた。
「後で謝る」
「謝罪は必要ありません。ただ、説明はしてください」
「言い訳になるっ」
「言い訳で結構です。あなたのくだらないプライドより、お嬢を優先させていただきます」
淡々と応じるレイの冷え冷えと感じられる声に、あからさまにリースが舌打ちをした。
それを聞いて、レイは使用人の顔に戻る。その目をローランドに向け、腰をおった。
「お見苦しいところをお見せし、お騒がせしました」
「いや、気にするな」
しかし、何が、と無言の問いかけに、レイは答えない。わからないのなら、教える必要はないこと。ただ、後でリースの言い訳を一緒に聴くことができれば、わかることでもある。
今のお前からはいらない
そんな含みはなかっただろう。むしろ、疲れ切っているリラからこれ以上奪いたくないという思いだったのは、レイも承知している。だが、それならそう言えば良いこと。元気になったら頼むと、そう言うだけで良かったのに。
リラは、誤解した。
リースが触れるのも嫌なほどに軽蔑していると。もし本当にそのような感情の片鱗でも抱いたのなら、殴る程度では済ませなかったけれど。ただ、言葉の選択を知らないだけ。
ローランドは、今までも理解したつもりでいた、この美しい青年が忠犬や番犬、挙句に狂犬とまで言われる所以がようやく分かった。主家に対してもこの振る舞い。これが、完全に外部であったらと想像すれば、その注意すら引かないようにする者がいるのもひどく納得できた。
「リラ嬢は、随分と君を信頼しているようだな」
言葉を選び、ローランドは口にする。風呂場から連れ出したのだと分かっても、恥ずかしがったり怒ったりする前に、叱られるとびくついた様子。レイの行動は自分のためであると刷り込まれているような。
ローランドの言葉に、レイはにっこりと隙のない使用人の笑顔で応じた。
「幼い頃から面倒を見ておりましたので。私を含め、お仕えしている使用人一同、信頼していただけないことは非常に不甲斐なく感じることですから。そのこともきちんと、幼い頃からお伝えしてきましたので、素直なお嬢様はその通りにしてくださっているのでしょう」
しれっと言ってのけるレイを、リースは呆れた目で眺める。
まあ、確かに。言葉にすればその通りのしつけ内容だろう。ただ、やり口はそんなに爽やかなものではない。レイが相手であれば、なんでも安全だと、安心して良いと、教え込んだのだ。例えば先ほどのような場面でとがめれば、疑われるとは残念だと、お仕置き込みで。
この副団長殿も、察しているだろう。一番手強いのは、この、執事なのだ。しかも下手をすれば、その長年培った信頼と刷り込みで、リラの合意を得た上で、連れて姿を消しかねないのだ。その方が良いと判断すれば、躊躇いなく。
リラを夕食の時間までは休ませようと、ローランドがレイとリースに提案し、シェフィールド家の主従はリラが休む部屋で様子を見守らせてもらうと応じた。彼らが家族である以上、ローランドにそれを拒否することはできず、逆にローランドがついていると願うこともできなかったため、リラが喜びそうな食事でも作ろうと気持ちを切り替える。
そんなことをしていた頃。
王宮では一つ、水面下で騒ぎが起きていた。
決して表沙汰にはしたくないような騒ぎ。兄弟水入らずで今後のことを話していた魔術師棟のシオンの部屋。
王太子と第3王子エリアスに力づくでも引き止めようとされながら強引に押し通したその人は、息子である王太子の側妃、エリカに冷え冷えとした眼差しで一瞥を寄越され、ようやく自分お思いつきが名案ではなかったことに気づく。
「殿下?王家は、シェフィールド家をつくづく、軽視していらっしゃるようですね?」
「待て、エリカ!王家、とまとめるな。何をおっしゃるかと思いましたが、まさかそのようなことを」
嗜める息子の声に、だが、と、言い訳をしようとする耳に、息子の側近、クエルチアの背筋が凍るような声が届いた。
「あの一件だけでも業腹なものを、それを言えばあの子たちを否定することになるからと対応が甘すぎたようですね。そのような王命を発するのでしたら、我らはこの国を見限ります」
飄々とした普段の顔の下の怜悧な眼差しに補足するように、部屋の主人、シオンはにっこりと、普段は見せない笑顔を見せた。
「相変わらず、碌なことを考えない方だ。余計な気遣いは不要ですよ。お言葉を外に出してしまったら取り返しのつかないお立場であることを承知された方がよろしいでしょう。あのようなことのあった我が家であれば身内だとでも、誤解されたのかもしれませんが。此度の陛下のご厚情は、確と、妹にも伝えさせていただきます」
言われた本人よりも、妻と側近の怒りをまともにぶつけられた王太子が、顔を引きつらせた。
0
お気に入りに追加
46
あなたにおすすめの小説

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
I Still Love You
美希みなみ
恋愛
※2020/09/09 登場した日葵の弟の誠真のお話アップしました。
「副社長には内緒」の莉乃と香織の子供たちのお話です。長谷川日葵と清水壮一は生まれたときから一緒。当たり前のように大切な存在として大きくなるが、お互いが高校生になったころから、二人の関係は複雑に。決められたから一緒にいるのか?そんな疑問を持ち始めた壮一は、日葵にはなにも告げずにアメリカへと留学をする。何も言わずにいなくなった壮一に、日葵は傷つく。そして7年後。大人になった2人は同じ会社で再会するが……。
ずっと一緒だったからこそ、迷い、悩み、自分の気持ちを見失っていく二人。
「副社長には内緒」を読んで頂かなくても、まったく問題はありませんが読んで頂いた後の方が、より楽しんで頂けるかもしれません。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

世にも平和な物語
越知 学
恋愛
これは現実と空想の境界ラインに立つ140字物語。
何でもありの空想上の恋愛でさえ現実主義が抜けていない私は、その境界を仁王立ちで跨いでいる。
ありふれていそうで、どこか現実味に欠けているデジャブのような感覚をお届けします。

婚約者の不倫相手は妹で?
岡暁舟
恋愛
公爵令嬢マリーの婚約者は第一王子のエルヴィンであった。しかし、エルヴィンが本当に愛していたのはマリーの妹であるアンナで…。一方、マリーは幼馴染のアランと親しくなり…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる