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ローランドの誤算と、相変わらず碌なことを考えない人
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とりあえず、と。
リラを休ませて揃って戻った部屋で、使用人の顔を捨ててレイはリースの前に立った。
「リース様にも、しつけ直しが必要なようですので。とりあえず、顔と腹、どちらにしましょうか?」
「…見えない方にしろ。リラが気にする」
答えた瞬間、重い音が二回、響いた。
ローランドも驚きに目を瞠るしかない。
躊躇いなく打ち込まれたレイの鉄拳制裁。驚くべき重さで膝を腹に打ち込み、背を丸めたところで拳をその背中い打ち下ろして床に膝を着かせた。
一つ咳き込んで手にとったハンカチに唾を吐けば、血反吐が出る。
すぐに立ち上がるリースも驚異的だが、レイの方は想像を超えていた。身のこなしや足の運びから手練れであろうとは気づいていたが。
「理由は分かって殴られましたよね?」
容赦ない声に言われれば、リースは目を逸らす。分かっていたから腹に力を入れずに受けるつもりだったが、体が覚え込んでいるレイの攻撃の重みは反射的に腹筋に力を入れさせた。
「後で謝る」
「謝罪は必要ありません。ただ、説明はしてください」
「言い訳になるっ」
「言い訳で結構です。あなたのくだらないプライドより、お嬢を優先させていただきます」
淡々と応じるレイの冷え冷えと感じられる声に、あからさまにリースが舌打ちをした。
それを聞いて、レイは使用人の顔に戻る。その目をローランドに向け、腰をおった。
「お見苦しいところをお見せし、お騒がせしました」
「いや、気にするな」
しかし、何が、と無言の問いかけに、レイは答えない。わからないのなら、教える必要はないこと。ただ、後でリースの言い訳を一緒に聴くことができれば、わかることでもある。
今のお前からはいらない
そんな含みはなかっただろう。むしろ、疲れ切っているリラからこれ以上奪いたくないという思いだったのは、レイも承知している。だが、それならそう言えば良いこと。元気になったら頼むと、そう言うだけで良かったのに。
リラは、誤解した。
リースが触れるのも嫌なほどに軽蔑していると。もし本当にそのような感情の片鱗でも抱いたのなら、殴る程度では済ませなかったけれど。ただ、言葉の選択を知らないだけ。
ローランドは、今までも理解したつもりでいた、この美しい青年が忠犬や番犬、挙句に狂犬とまで言われる所以がようやく分かった。主家に対してもこの振る舞い。これが、完全に外部であったらと想像すれば、その注意すら引かないようにする者がいるのもひどく納得できた。
「リラ嬢は、随分と君を信頼しているようだな」
言葉を選び、ローランドは口にする。風呂場から連れ出したのだと分かっても、恥ずかしがったり怒ったりする前に、叱られるとびくついた様子。レイの行動は自分のためであると刷り込まれているような。
ローランドの言葉に、レイはにっこりと隙のない使用人の笑顔で応じた。
「幼い頃から面倒を見ておりましたので。私を含め、お仕えしている使用人一同、信頼していただけないことは非常に不甲斐なく感じることですから。そのこともきちんと、幼い頃からお伝えしてきましたので、素直なお嬢様はその通りにしてくださっているのでしょう」
しれっと言ってのけるレイを、リースは呆れた目で眺める。
まあ、確かに。言葉にすればその通りのしつけ内容だろう。ただ、やり口はそんなに爽やかなものではない。レイが相手であれば、なんでも安全だと、安心して良いと、教え込んだのだ。例えば先ほどのような場面でとがめれば、疑われるとは残念だと、お仕置き込みで。
この副団長殿も、察しているだろう。一番手強いのは、この、執事なのだ。しかも下手をすれば、その長年培った信頼と刷り込みで、リラの合意を得た上で、連れて姿を消しかねないのだ。その方が良いと判断すれば、躊躇いなく。
リラを夕食の時間までは休ませようと、ローランドがレイとリースに提案し、シェフィールド家の主従はリラが休む部屋で様子を見守らせてもらうと応じた。彼らが家族である以上、ローランドにそれを拒否することはできず、逆にローランドがついていると願うこともできなかったため、リラが喜びそうな食事でも作ろうと気持ちを切り替える。
そんなことをしていた頃。
王宮では一つ、水面下で騒ぎが起きていた。
決して表沙汰にはしたくないような騒ぎ。兄弟水入らずで今後のことを話していた魔術師棟のシオンの部屋。
王太子と第3王子エリアスに力づくでも引き止めようとされながら強引に押し通したその人は、息子である王太子の側妃、エリカに冷え冷えとした眼差しで一瞥を寄越され、ようやく自分お思いつきが名案ではなかったことに気づく。
「殿下?王家は、シェフィールド家をつくづく、軽視していらっしゃるようですね?」
「待て、エリカ!王家、とまとめるな。何をおっしゃるかと思いましたが、まさかそのようなことを」
嗜める息子の声に、だが、と、言い訳をしようとする耳に、息子の側近、クエルチアの背筋が凍るような声が届いた。
「あの一件だけでも業腹なものを、それを言えばあの子たちを否定することになるからと対応が甘すぎたようですね。そのような王命を発するのでしたら、我らはこの国を見限ります」
飄々とした普段の顔の下の怜悧な眼差しに補足するように、部屋の主人、シオンはにっこりと、普段は見せない笑顔を見せた。
「相変わらず、碌なことを考えない方だ。余計な気遣いは不要ですよ。お言葉を外に出してしまったら取り返しのつかないお立場であることを承知された方がよろしいでしょう。あのようなことのあった我が家であれば身内だとでも、誤解されたのかもしれませんが。此度の陛下のご厚情は、確と、妹にも伝えさせていただきます」
言われた本人よりも、妻と側近の怒りをまともにぶつけられた王太子が、顔を引きつらせた。
リラを休ませて揃って戻った部屋で、使用人の顔を捨ててレイはリースの前に立った。
「リース様にも、しつけ直しが必要なようですので。とりあえず、顔と腹、どちらにしましょうか?」
「…見えない方にしろ。リラが気にする」
答えた瞬間、重い音が二回、響いた。
ローランドも驚きに目を瞠るしかない。
躊躇いなく打ち込まれたレイの鉄拳制裁。驚くべき重さで膝を腹に打ち込み、背を丸めたところで拳をその背中い打ち下ろして床に膝を着かせた。
一つ咳き込んで手にとったハンカチに唾を吐けば、血反吐が出る。
すぐに立ち上がるリースも驚異的だが、レイの方は想像を超えていた。身のこなしや足の運びから手練れであろうとは気づいていたが。
「理由は分かって殴られましたよね?」
容赦ない声に言われれば、リースは目を逸らす。分かっていたから腹に力を入れずに受けるつもりだったが、体が覚え込んでいるレイの攻撃の重みは反射的に腹筋に力を入れさせた。
「後で謝る」
「謝罪は必要ありません。ただ、説明はしてください」
「言い訳になるっ」
「言い訳で結構です。あなたのくだらないプライドより、お嬢を優先させていただきます」
淡々と応じるレイの冷え冷えと感じられる声に、あからさまにリースが舌打ちをした。
それを聞いて、レイは使用人の顔に戻る。その目をローランドに向け、腰をおった。
「お見苦しいところをお見せし、お騒がせしました」
「いや、気にするな」
しかし、何が、と無言の問いかけに、レイは答えない。わからないのなら、教える必要はないこと。ただ、後でリースの言い訳を一緒に聴くことができれば、わかることでもある。
今のお前からはいらない
そんな含みはなかっただろう。むしろ、疲れ切っているリラからこれ以上奪いたくないという思いだったのは、レイも承知している。だが、それならそう言えば良いこと。元気になったら頼むと、そう言うだけで良かったのに。
リラは、誤解した。
リースが触れるのも嫌なほどに軽蔑していると。もし本当にそのような感情の片鱗でも抱いたのなら、殴る程度では済ませなかったけれど。ただ、言葉の選択を知らないだけ。
ローランドは、今までも理解したつもりでいた、この美しい青年が忠犬や番犬、挙句に狂犬とまで言われる所以がようやく分かった。主家に対してもこの振る舞い。これが、完全に外部であったらと想像すれば、その注意すら引かないようにする者がいるのもひどく納得できた。
「リラ嬢は、随分と君を信頼しているようだな」
言葉を選び、ローランドは口にする。風呂場から連れ出したのだと分かっても、恥ずかしがったり怒ったりする前に、叱られるとびくついた様子。レイの行動は自分のためであると刷り込まれているような。
ローランドの言葉に、レイはにっこりと隙のない使用人の笑顔で応じた。
「幼い頃から面倒を見ておりましたので。私を含め、お仕えしている使用人一同、信頼していただけないことは非常に不甲斐なく感じることですから。そのこともきちんと、幼い頃からお伝えしてきましたので、素直なお嬢様はその通りにしてくださっているのでしょう」
しれっと言ってのけるレイを、リースは呆れた目で眺める。
まあ、確かに。言葉にすればその通りのしつけ内容だろう。ただ、やり口はそんなに爽やかなものではない。レイが相手であれば、なんでも安全だと、安心して良いと、教え込んだのだ。例えば先ほどのような場面でとがめれば、疑われるとは残念だと、お仕置き込みで。
この副団長殿も、察しているだろう。一番手強いのは、この、執事なのだ。しかも下手をすれば、その長年培った信頼と刷り込みで、リラの合意を得た上で、連れて姿を消しかねないのだ。その方が良いと判断すれば、躊躇いなく。
リラを夕食の時間までは休ませようと、ローランドがレイとリースに提案し、シェフィールド家の主従はリラが休む部屋で様子を見守らせてもらうと応じた。彼らが家族である以上、ローランドにそれを拒否することはできず、逆にローランドがついていると願うこともできなかったため、リラが喜びそうな食事でも作ろうと気持ちを切り替える。
そんなことをしていた頃。
王宮では一つ、水面下で騒ぎが起きていた。
決して表沙汰にはしたくないような騒ぎ。兄弟水入らずで今後のことを話していた魔術師棟のシオンの部屋。
王太子と第3王子エリアスに力づくでも引き止めようとされながら強引に押し通したその人は、息子である王太子の側妃、エリカに冷え冷えとした眼差しで一瞥を寄越され、ようやく自分お思いつきが名案ではなかったことに気づく。
「殿下?王家は、シェフィールド家をつくづく、軽視していらっしゃるようですね?」
「待て、エリカ!王家、とまとめるな。何をおっしゃるかと思いましたが、まさかそのようなことを」
嗜める息子の声に、だが、と、言い訳をしようとする耳に、息子の側近、クエルチアの背筋が凍るような声が届いた。
「あの一件だけでも業腹なものを、それを言えばあの子たちを否定することになるからと対応が甘すぎたようですね。そのような王命を発するのでしたら、我らはこの国を見限ります」
飄々とした普段の顔の下の怜悧な眼差しに補足するように、部屋の主人、シオンはにっこりと、普段は見せない笑顔を見せた。
「相変わらず、碌なことを考えない方だ。余計な気遣いは不要ですよ。お言葉を外に出してしまったら取り返しのつかないお立場であることを承知された方がよろしいでしょう。あのようなことのあった我が家であれば身内だとでも、誤解されたのかもしれませんが。此度の陛下のご厚情は、確と、妹にも伝えさせていただきます」
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