27 / 49
かわいそうに
しおりを挟む
二階から降りてくる足音に顔を上げ、ローランドの体が強張るのを、エリスですら感じ取った。
大事そうに、我が物顔でリラを抱き上げて全くぶれることなく降りてくるリースを見上げ、エリスも思わずうっとりとため息を漏らしてしまった。何年も見ていなかったけれど、ずっと伏せっていたことが嘘のような逞しさと美しさ。
それにしても。
そのリースの腕の中でぼんやりと力ない様子のリラを見れば眉根を寄せるしかない。仕事に来ていない、とローランドは言っていたけど、まさか本当に具合が悪くていけなかっただけなのにこの人、早とちりでもしたものかと疑いたくなる。
「エリス嬢、お久しぶりです」
昔と変わらぬ穏やかな優しげな笑顔で言われれば、エリスの疑いはさらにローランドに向くわけで。
ただ、リラは違和感を覚えたようにリースをまじまじと見つめた。
それはそうだろう。自分を知らないと言っているのに、自分の親友を当たり前に親しげに接するのだから。ただまあ、家族ぐるみの付き合いであることを思えば、己の幼馴染みと認識したままでも、不思議はないのだなと察して落胆する。
一応、堪えてはいるのだ。
「急に来るから驚いた。食事中だったのですぐに出てこられず申し訳ない」
リースが言った途端、リラが咎める視線を向け、レイが主人に向かって殺気を飛ばす。
その殺気を感じ取りながらローランドはなんとか自分を落ち着けながら口を開いた。
「彼女にはお願いをして連れてきてもらった。なかなか、リラ嬢に会えなかったので。仕事にもきていないようなので心配をしていた」
「ああ」
リースの腕の中から、リラは申し訳なさそうな顔をする。
エリスにしてみれば、とりあえず一旦、そこから降りなさいと言いたいところだ。自分に向けられていなくても、隣の男が恐ろしい。
「少々家の用事で。明日からは出ますので」
「おい」
気難しい顔になったリースの低い声を無視して、リラはやんわりと弟の胸を押す。
下せ、という合図を無視するが、咎める目を向けられた。
「このままでは、お客様に失礼です」
「今のお前の答えで、用件は済んだだろう」
平然と言ってのけるのを呆れた目で見つめ、リラはきっぱりと、エリスとローランドに視線を合わせた。
ようやく、頭がはっきりしてきた。
「2人とも、ごめんなさい。レイ、奥にお通しして」
「…はい」
「リース、あなた、まさか同席するつもり?」
「エリス嬢がリラと話している間、副団長どののお相手をしておこう」
レイに奥に通され、ローランドは接客セットの椅子を勧められ、エリスはそこから離れたくつろいだ場所を勧められる。
エリスの方にはゆったりと落ち着けるカウチソファがあり、リースはそこでようやく、そっとリラをそこにおろした。
その、大事そうな一つ一つの動作を見守り、ローランドの胸騒ぎは確信を深める。リラがリースを見ているときには冷淡な視線を向けているくせに、目を向けられていない時のその眼差しは蕩けるほどに甘い。
「エリスがうちに来るなんて、久しぶりね」
「だってあなた、家に日中ほとんどいないじゃない」
確かにそうだわ、と笑うリラの顔がいつものように戻っているのを確認して、エリスはそっとローランドとリースの方を伺った。
かわいそうに、とは思う。
彼にしてみれば、自分を頼るだけでも思い切っただろうに。やっと顔が見れたと思ったら、しっかりと牽制されてしまって。
「リラ、あの人、わたしのところに頼ってくるくらい、八方塞がりだったみたいよ?」
「そうなの?もう家は知っていたのだから、普通にくればいいのに。何かそんな新しいマナーあったかなぁ」
貴族の、あるいは騎士のマナーとして1人で女性のところを訪ねるのをよしとしないものがあったかと考えるが思い当たらない。むしろ、人妻であるエリスを連れ出して供に外を歩いてくる方が、問題は多そうだ。
と、そんな間違った方向に理解するリラを見れば、エリスは揃いも揃って、周りが空回りしていることは分かって。
それよりも、気になること。
「ねえ、スィミリアに会ったの?」
遠回しに聞いても、直截的に聞いても、結果は同じこと。
こちらは過たず、セレスの表情から心配と苛立ちを読み取ったリラは、ため息をつきながらうなずいた。
「職場に来たの。最初は逃してもらっていたんだけど。待ちくたびれてまだいるところに戻っちゃった」
「…ばかね」
セレスは、スィミリアから悪意を向けられたことは一度もない。味方を作りたいスィミリアにとって、セレスはずっと自分の味方のはずの人間だと思っているから。けれど、セレスはリラが傷つけられた時から、スィミリアを許したことは一瞬たりともない。全く、伝わらないけれど。
続けようとしたセレスの言葉を、鋭いリースの声が遮った。
「その名をこの家で出すな」
ぴりぴりとした空気。
そうだった、とリラは思う。あの日、リースが目覚めたことでうやむやになって、この家の人は誰も、自分があの日スィミリアやイルクに会ったことを知らない。まあ、聞かれてもいないのに話すつもりもないけれど。
そういえば、と、レイはふと思い出す。
シグルド卿がここしばらく伏せっていると情報が入っていた。あまり表には出していないようだけれど。
それを伝えるかどうか、後でリースに確認をしようと思っているところで、ようやくローランドが口を開いた。
「シェフィールド殿、リラ嬢との婚約を認めていただきたい」
「…随分と話を飛ばされたようだ。この間の様子では、本人の理解が追いついていないようだが?」
「そのために話をしたくともなかなか会えず、こうしてお邪魔させていただいている。が、どうやら本人とは話ができないようなので外堀を埋めさせていただこうかと」
食えない男だな。と、リースは目を細める。まあ、リースが眠り続ける前から、有能であることでその名を知られていたような男だ。
「本人の心が定まってから、その話はさせてもらおう」
まるで、本人を尊重するように、ゆったりとリースは笑みを浮かべる。
そしてその頃。
アレンディオ・シグルドは、心身の苦痛に苛まれていた。なんとかそれを逃そうと苦悶し悶えながら、触れようとする気持ち悪い手を振り払う。
罪の意識から、遠慮し続けてきたが、この苦痛に、その気遣いが追いつかない。
振り払われたスィミリアは、仄暗い怒りを目に宿し、口を歪める。
何も知らない、入ったばかりの使用人に命じる。
主人が病に伏して呼んでいると、伝えてきて、と、妻でありながら蔑ろにされ、それでも健気に振る舞う様子を演じながら。
あの女。リラ・シェフィールドを呼べ、と。
あの日のことを知ったとき、2人とも、どんな反応をするのかしら、と。
大事そうに、我が物顔でリラを抱き上げて全くぶれることなく降りてくるリースを見上げ、エリスも思わずうっとりとため息を漏らしてしまった。何年も見ていなかったけれど、ずっと伏せっていたことが嘘のような逞しさと美しさ。
それにしても。
そのリースの腕の中でぼんやりと力ない様子のリラを見れば眉根を寄せるしかない。仕事に来ていない、とローランドは言っていたけど、まさか本当に具合が悪くていけなかっただけなのにこの人、早とちりでもしたものかと疑いたくなる。
「エリス嬢、お久しぶりです」
昔と変わらぬ穏やかな優しげな笑顔で言われれば、エリスの疑いはさらにローランドに向くわけで。
ただ、リラは違和感を覚えたようにリースをまじまじと見つめた。
それはそうだろう。自分を知らないと言っているのに、自分の親友を当たり前に親しげに接するのだから。ただまあ、家族ぐるみの付き合いであることを思えば、己の幼馴染みと認識したままでも、不思議はないのだなと察して落胆する。
一応、堪えてはいるのだ。
「急に来るから驚いた。食事中だったのですぐに出てこられず申し訳ない」
リースが言った途端、リラが咎める視線を向け、レイが主人に向かって殺気を飛ばす。
その殺気を感じ取りながらローランドはなんとか自分を落ち着けながら口を開いた。
「彼女にはお願いをして連れてきてもらった。なかなか、リラ嬢に会えなかったので。仕事にもきていないようなので心配をしていた」
「ああ」
リースの腕の中から、リラは申し訳なさそうな顔をする。
エリスにしてみれば、とりあえず一旦、そこから降りなさいと言いたいところだ。自分に向けられていなくても、隣の男が恐ろしい。
「少々家の用事で。明日からは出ますので」
「おい」
気難しい顔になったリースの低い声を無視して、リラはやんわりと弟の胸を押す。
下せ、という合図を無視するが、咎める目を向けられた。
「このままでは、お客様に失礼です」
「今のお前の答えで、用件は済んだだろう」
平然と言ってのけるのを呆れた目で見つめ、リラはきっぱりと、エリスとローランドに視線を合わせた。
ようやく、頭がはっきりしてきた。
「2人とも、ごめんなさい。レイ、奥にお通しして」
「…はい」
「リース、あなた、まさか同席するつもり?」
「エリス嬢がリラと話している間、副団長どののお相手をしておこう」
レイに奥に通され、ローランドは接客セットの椅子を勧められ、エリスはそこから離れたくつろいだ場所を勧められる。
エリスの方にはゆったりと落ち着けるカウチソファがあり、リースはそこでようやく、そっとリラをそこにおろした。
その、大事そうな一つ一つの動作を見守り、ローランドの胸騒ぎは確信を深める。リラがリースを見ているときには冷淡な視線を向けているくせに、目を向けられていない時のその眼差しは蕩けるほどに甘い。
「エリスがうちに来るなんて、久しぶりね」
「だってあなた、家に日中ほとんどいないじゃない」
確かにそうだわ、と笑うリラの顔がいつものように戻っているのを確認して、エリスはそっとローランドとリースの方を伺った。
かわいそうに、とは思う。
彼にしてみれば、自分を頼るだけでも思い切っただろうに。やっと顔が見れたと思ったら、しっかりと牽制されてしまって。
「リラ、あの人、わたしのところに頼ってくるくらい、八方塞がりだったみたいよ?」
「そうなの?もう家は知っていたのだから、普通にくればいいのに。何かそんな新しいマナーあったかなぁ」
貴族の、あるいは騎士のマナーとして1人で女性のところを訪ねるのをよしとしないものがあったかと考えるが思い当たらない。むしろ、人妻であるエリスを連れ出して供に外を歩いてくる方が、問題は多そうだ。
と、そんな間違った方向に理解するリラを見れば、エリスは揃いも揃って、周りが空回りしていることは分かって。
それよりも、気になること。
「ねえ、スィミリアに会ったの?」
遠回しに聞いても、直截的に聞いても、結果は同じこと。
こちらは過たず、セレスの表情から心配と苛立ちを読み取ったリラは、ため息をつきながらうなずいた。
「職場に来たの。最初は逃してもらっていたんだけど。待ちくたびれてまだいるところに戻っちゃった」
「…ばかね」
セレスは、スィミリアから悪意を向けられたことは一度もない。味方を作りたいスィミリアにとって、セレスはずっと自分の味方のはずの人間だと思っているから。けれど、セレスはリラが傷つけられた時から、スィミリアを許したことは一瞬たりともない。全く、伝わらないけれど。
続けようとしたセレスの言葉を、鋭いリースの声が遮った。
「その名をこの家で出すな」
ぴりぴりとした空気。
そうだった、とリラは思う。あの日、リースが目覚めたことでうやむやになって、この家の人は誰も、自分があの日スィミリアやイルクに会ったことを知らない。まあ、聞かれてもいないのに話すつもりもないけれど。
そういえば、と、レイはふと思い出す。
シグルド卿がここしばらく伏せっていると情報が入っていた。あまり表には出していないようだけれど。
それを伝えるかどうか、後でリースに確認をしようと思っているところで、ようやくローランドが口を開いた。
「シェフィールド殿、リラ嬢との婚約を認めていただきたい」
「…随分と話を飛ばされたようだ。この間の様子では、本人の理解が追いついていないようだが?」
「そのために話をしたくともなかなか会えず、こうしてお邪魔させていただいている。が、どうやら本人とは話ができないようなので外堀を埋めさせていただこうかと」
食えない男だな。と、リースは目を細める。まあ、リースが眠り続ける前から、有能であることでその名を知られていたような男だ。
「本人の心が定まってから、その話はさせてもらおう」
まるで、本人を尊重するように、ゆったりとリースは笑みを浮かべる。
そしてその頃。
アレンディオ・シグルドは、心身の苦痛に苛まれていた。なんとかそれを逃そうと苦悶し悶えながら、触れようとする気持ち悪い手を振り払う。
罪の意識から、遠慮し続けてきたが、この苦痛に、その気遣いが追いつかない。
振り払われたスィミリアは、仄暗い怒りを目に宿し、口を歪める。
何も知らない、入ったばかりの使用人に命じる。
主人が病に伏して呼んでいると、伝えてきて、と、妻でありながら蔑ろにされ、それでも健気に振る舞う様子を演じながら。
あの女。リラ・シェフィールドを呼べ、と。
あの日のことを知ったとき、2人とも、どんな反応をするのかしら、と。
0
お気に入りに追加
46
あなたにおすすめの小説

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
I Still Love You
美希みなみ
恋愛
※2020/09/09 登場した日葵の弟の誠真のお話アップしました。
「副社長には内緒」の莉乃と香織の子供たちのお話です。長谷川日葵と清水壮一は生まれたときから一緒。当たり前のように大切な存在として大きくなるが、お互いが高校生になったころから、二人の関係は複雑に。決められたから一緒にいるのか?そんな疑問を持ち始めた壮一は、日葵にはなにも告げずにアメリカへと留学をする。何も言わずにいなくなった壮一に、日葵は傷つく。そして7年後。大人になった2人は同じ会社で再会するが……。
ずっと一緒だったからこそ、迷い、悩み、自分の気持ちを見失っていく二人。
「副社長には内緒」を読んで頂かなくても、まったく問題はありませんが読んで頂いた後の方が、より楽しんで頂けるかもしれません。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

世にも平和な物語
越知 学
恋愛
これは現実と空想の境界ラインに立つ140字物語。
何でもありの空想上の恋愛でさえ現実主義が抜けていない私は、その境界を仁王立ちで跨いでいる。
ありふれていそうで、どこか現実味に欠けているデジャブのような感覚をお届けします。

忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
交換された花嫁
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」
お姉さんなんだから…お姉さんなんだから…
我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。
「お姉様の婚約者頂戴」
妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。
「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」
流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。
結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。
そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる