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シェフィールド家の主

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「お前も、誰だ」


 そう、低い声で言う青年を、リラは呆然と見上げた。ずっと意識なく眠り続けていたとは思えない、鍛え抜かれた肢体。不思議と筋力が衰えることもなくしなやかなまま。
 久しぶりに見る、光の加減で印象を変える不思議な、蒼とも碧ともつかない瞳は問いかけるように細められ、拒絶するような鋭さを向けている。
 そして、声は敵意を孕んで、記憶にある通常のものより低く。

「リース」


 リラの呼ぶ声に目を細め、考える風を見せるが、リースの表情に穏やかさは戻らない。

 そのようなリースの手元にリラを置くことを良しとしないローランドが、一番早く我にかえって動こうとした。いや、彼にとってはリースは眠り続ける者という意識が薄いため、そして、そもそも目にした最初がリラを襲っているようにしか見えなかったのだから、そういった意味での驚きは、ほぼ皆無なわけで。
 だが、リラをその後ろから引き寄せるためにリースを止めようとすれば、その動きに反応したリラがリースを庇おうとするのだからやりにくい。
 それでも、騎士団副団長というのは伊達ではないわけで。抵抗するリラを自分の方に引き寄せれば、リラに対して誰だ、と言ったはずの青年が不機嫌な…いや、そんな表現では足りないような刺すような凍りつきそうな視線を向けており、反射的にリラを見えないようにした。
 その動きに、ローランドは自分で自分が不思議になる。彼女の弟に対して、嫉妬しているような、独占欲を剥き出しにするような己の行動。



「自分の姉に対して、随分な物言いだな、シェフィールド卿」


 末の息子が家を継ぐ形になっていたリラの家で、当主は眠り続けたリースだった。
 それを知っているローランドは、やはり調べたのだろうとリラもレイもすぐに察しながらも、その目はリースから離すことができない。


 リラよりも、レイの方が冷静になるのは早かった。
 
 ローランドの腕から有無を言わせず、だが、そうと思わせないほどのさりげない所作で大事なお嬢様を自分の方に引き寄せる。
「ウェルム副団長様、お見苦しいところをお見せしてしまい失礼いたしました。我が家の主人はご覧の通り伏せっており、万全ではございませんので、今日のところはお引き取りいただけますでしょうか」
 当たり前のように、リラを引き寄せたレイのその様子は、ローランドには使用人のそれには見えなくて。それは、大事な女を守る男にしか、見えない。

 この家は。


 ローランドはその整った顔を曇らせ、眉間にしわを寄せる。その厳しい顔を見上げながら、何も気づかないリラはようやくレイの言葉で我にかえった。
「ロー様、気づかず申し訳ありません。今は」
「なるほど」


 それが帰るよう伝える言葉でも、リラの声を聞けば目を細めるローランドの耳にそれを遮る冷たい声が響く。


「レイが控えているのであれば、その女がわたしの姉だというのは、事実のようだが。生憎とこのような女兄弟の記憶はないな。そして、我が家で剣を抜くそちらは、それでは何だ?」


「わたしは、リラ嬢に求婚させていただいている」

「ほう?」
「…え?」


 重なる声に、愉快そうにリースの目が細められた。目を瞠るほどに美しい顔のリースは一分の隙もない所作で寝台から立ち上がると、自分より背の高いローランドにその目を不機嫌に光らせた。



「どうやら、本人は承知していないようだが。何にせよ、どれだけ腕に自信があるのか知らないが、その求婚相手がいる状況で、そこまでの必要も感じられない中剣を向けるような男を、認められないな」

 普段冷静なローランドがカッとして我を失うほどの状況を作り出した男は、平然とそう嘯いてその目をレイに向ける。





「姉だというのなら、部屋があるのだろう。彼女は部屋に下がらせろ。客人はおかえりだ」
「かしこまりました」
「ああ、面倒だから兄たちにはまだ知らせるなよ」


 兄たちの、記憶はあるのだな、とリラはぼんやりと思う。
 自分のせいでこのように何年もの時間を失った弟が、目を開けてくれさえすれば、元気になってくれさえすれば、どのように罵られても構わないと思っていた。家を追い出されても、と。仕事もあるから迷惑をかけることなく生活することはできる。
 だが、忘れられるとは、思っていなかった。











 リースが目覚めて3日。
 レイとエルムは、ほぼ正確に、リースの状況を把握していた。2人の意見が一致したのだ。間違いないだろう。
 特に、レイはのリースの顔を見ている。シェフィールド家と王家の秘密を偶然耳にした少年は、傷つくでも怒るでもなく、救われたように満足げに笑った、のだ。

「あれは、わざとですね」
 エルムの言葉に、リースは苦々しく頷く。そうと思えば、そろそろ苦言を呈しにいくつもりでいた。
 リースは、リラを忘れてなどいない。忘れるはずがないのだ。
 ただ、を否定し、この機会に拒絶しているだけ。それがリラを傷つけると知りながらも、この機会を見逃すはずがないのだ。
 それに。
「このところの異様な魔力の減りは、あれは回復のためではなかったな」
「レイ様も、そう思われますか」
 憮然としたエルムの顔は、本気で主人に腹を立てているのがわかって、レイは苦笑いになる。
 それが始まったのは、ローランドがリラに近づいてから。
 リラに関して異様に察しの良いリースは、気づいたのだろう。そして、意識のないままに、探っていたのだろう。だから、リラとローランドが一緒の時にタイミングよく魔力枯渇を起こした。挙句、他の魔力を拒絶した。
 拒絶といえば、今も続いている。
「本人は、ずっと魔力だけを糧にしていたのだから、なんて言ってますけど、そんなこと、あります?」
 エルムが言うのは、食事のこと。ずっと口からものをほぼ摂取していなかったことで働いていなかった内臓がすぐには機能しないのは、仕方ないだろう。驚かせないようにとエルムがリラの指示で消化に良いものを作って、食べないわけではないのだ。だが、それがリースの体を維持する働きをしない。
 結果。目覚めてからもリースの食事は、リラの魔力だった。しかも起きて動いているから一日一回で済ませるわけもなく。
 心配したリラは、誰に言われるでもなく仕事を休んでいた。日々様子を見にくるローランドは、命じられるまでもなく、レイが門前払い…いや、この家に門などないが、玄関を叩く前に、お帰りいただいている。
 魔力を感じて人の接近を知るなどのこともできないリラは、ローランドが日参していることを知りもしないだろう。
「…リース様の部屋に行ってくる」
「では、お嬢様と食事の支度でもしましょう。お嬢様が作った食事は、お嬢様の魔力が流れ込むのか、リース様も栄養にできるみたいですから」
 そのくせ、味に不満を示し続ける。口に出さない不満が、かえってリラをいたたまらない思いにさせており、それもエルムの不満になっていた。









「…こわい顔だな、レイ」
 リースの部屋で、リースとリラは2人、真面目にシェフィールド家の書類仕事を片付けていた。今まで仕事が終わってからリラが1人で片付けていた仕事を、押し付けるでも取り上げるでもなく、一緒にやるのがこのリースの人柄だと思えば、腹立ちが去りかけてしまうのをレイは止める。
 リースの方は、この男がよく3日も黙っていたもんだと思いながら、一瞬目を上げた後はまた仕事に戻っているリラに目を向けた。
「リラ、一度さがれ」
 姉に対するとは思えない口調。それに静かに従おうとするリラを、レイが柔らかい声で呼び止める。
「お嬢、エルムが下で待っている。食事の支度を一緒にしたいと」
「ありがとう、レイ」
 花が綻ぶような笑みを浮かべたリラを見送り、その目をリースに戻したレイは、盛大に顔を顰めた。
「そんな、殺しそうな目でオレを見るくらいなら、お嬢にそんな、さっさと辞めるんだな」




「…リラの魔力しか、リラから与えられるものしかわたしを維持できないのは、本当のことだ。自分でも驚くことにな」




 慣らしていけば、当たり前に食事や睡眠で維持できるように体の作りも戻るのだろうが。たとえリラの負担になるとしても、リース自身それを欲していない。


「リース様、お嬢を傷つけるのであれば、シェフィールド家の方々でも、容赦しませんよ」
「…お前を敵に回すのは厄介だが。確かに、誰より大事な姉だとしても。姉としても、大事だが」


 その後に続く言葉は、声にならない。
 レイは、ため息をつき、目を逸らす。
 次に続いた声を、レイ自身も否定することができない。だから過保護なほどに手の中から出したくないのだから。



「もう、人任せにはしない。あんな想いは、二度と、ごめんだ」



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