Chocoholic 〜チョコ一粒で、割といろいろがんばります〜

明日葉

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楽士の君の罪

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 元気そうだった。



 そう、思って。思って。なんの立場だ、と、罵り、胸が痛み、そんな痛みさえ、忌々しくて、自己満足に思えて。



 楽士の君。イルク・リンドは顔を歪めた。






 5年前、確かに、愛おしいと思った彼女。
 あんな…くだらない騙され方をして。傷つけた。






 侯爵家の庶子であるイルクは、身軽な立場で。期待されないのを良いことに、好きに遊んでいた。
 適齢期は過ぎているのに、気にする様子もなく。色目を使われるわけでもなく。
 楽しげに、心地よさげにイルクの奏でる音に、離れた場所で耳を傾けている様子が、気になった。懇意にしている夫人に聞けば、予想外に優しげにその人を見やり、普段は社交の場に出てこないから、知らないのね、と言われた。その家の名前は聞いたことがあって。優秀な人材を代々輩出し続ける血筋。その時は断り切ることができなかった夜会に、弟のパートナーとして出席をしていたようで。
 声をかければ、不思議そうに見上げられ、ぎこちなく挨拶をされた。
 他愛なく言葉を交わし、慣れてきた彼女は、知的で会話も楽しめる相手だった。
 恋人、と呼べるような関係になる前に、自分のこれまでの行いを振り返らなかったことに問題があったのだろう。割り切って、火遊びをするようなご婦人たちに混じって、それでも、我がものと、自分のアクセサリーだと主張したい人たちがいるのを承知していたはずなのに。
 そして、そこにもう一つの悪意が掛け合わされた。
 彼女の学友だと笑顔で話しかけてきたスィミリア。その悪評を、イルクの耳にあえて入れる無粋な人はいなかった。当然知っているだろうと。イルク自身が遊んでいるのだから、知らないはずはないだろうと。



 彼女の周囲には、常に男性が取り巻いているのだと。それに、家では彼女にそもそも、使用人の青年をあてがうつもりでいるのだと、すでに深い関係だと。
 気遣わしげに囁かれ。
 そして、いつも自分が注目をされたいからと振る舞うのだと、そして、嫌がらせを受けたこともあるのだと、今も…と、訴えられ。それは全て、スィミリアが彼女にしていたことだったのに、なぜ信じたのだろう。
 体の関係を持つのも、すぐだった。思えばそれも、おかしいと気づくべきだったのに。薬を嗅がされたと気づいても、お互いに楽しめたでしょう?と、小さく笑われた。
 身に覚えのない罪でイルクが責めた彼女は、もともと出てこなかった社交界からさらに離れた。




 決定的な、その別れが過ぎてから、同類だと思ったらしいスィミリアは聞きたくもない事を、楽しげに話した。




 スィミリアの夫アレンディオは、スィミリアよりも3歳年下で。社交界に出てくる前からその美貌を噂されるほどの少年だった。彼はリラと幼なじみで、聞けばずっと、リラを慕っていたのだという。弟のようにしか見られていない事を知りながら、そこから抜け出すのだと、意気込んでいた、その出鼻を、スィミリアが挫いた。







 社交界に出たばかり。慣れない酒に酔っていたアレンディオは、目を覚ました時、隣にドレスを破かれたような状態の、スィミリアが隣にいた。そして、寝台には、それとわかる、破瓜の痕。
 奔放な貴族社会でも、そこは超えてはならぬ一線で。まるで狙いすましたようにそこに慌ただしく入ってきたスィミリアの侍女に目撃され、逃げ場はなくなり、そのまま婚姻となった。
 醜聞を被ったアレンディオは、社交界ではその美貌も翳るほどにひっそりと、妻のいうままに過ごし。もともと領地経営に成功し裕福だった家の財産をスィミリアは好きに使いながら、火遊びも続けている。
 そんな、火遊びの一環でイルクとリラを裂き、そして、悪魔のような所業をイルクに伝えたのだ。


 あの、アレンディオにとっての悪夢の日。
 社交界に初めて参加する日。彼は頼み込んで、リラにパートナーを頼んでいた。
 リラを呼び出したスィミリアは、リラに強い睡眠薬をかがせ、人のこない部屋に放り込んだ。
 そして、リラを待っているアレンディオに話しかけ、渡すワインに、強い催淫剤を混ぜた。
 2人を同じ部屋に入れ、あとは、悪趣味にも次の間で様子を見て。
 使用人に言いつけてリラを家に返し。服を整え眠ってしまったと伝えて帰された家人は、どう捉えただろう。そして、パートナーだったはずのアレンディオに翌日降りかかった醜聞。



「だって私、ハジメテではなかったもの。装うことはできても、本物のシルシの方が、よろしいでしょ?」



 吐き気がした。
 それなのに、首に手を回し顔を寄せながら言うのだ。



「綺麗な夫。初めての思いは、想い人に遂げられたのだから、私、優しい妻でしょう?まあ、本人は知らないけれど。それにリラだって。気づいているのか知らないけれど、貴族のお手つきになれたのだから、身に過ぎたことでしょう」




 触れようとして固まっていた人を思い出す。


 そう言うことか、と。




 分かっているのかどうなのか。分かっているから、知られるのを恐れたのか。いや、スィミリアが言う強い薬。そう考えれば、ただ、体に植え付けられた嫌悪感なのだろう。










 夫は、自分への罪悪感で何も言わない。夜のこともないけれど、別にいい。飾り物には最高の、お財布だ、と。






 イルクの中に罪悪感ばかりが降り積もる。





 そして落ち込み、スィミリアといることで社交界でも居場所を失いかけた時、手を差し伸べたのがリラだった。
 何も知らないように、何も気にしていないように、お久しぶりです、と声をかけ。
 楽を聴きたい、と控えめに頼まれ。


 ああ、やはり。イルク様の奏でる音が、好きです。



 と、なんの含みもなく言われた言葉に救われた。
 眠れるように、なった。




 それなのに。



 その少しあとだった。
 リラの好きなチョコレートに、毒が仕込まれたと聞いたのは。なぜそうなったのか。リラは助かり、弟が倒れたと。




 それを伝えたスィミリアが、扇の向こうで微笑んだのが目から離れない。





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