21 / 49
楽士の君の罪
しおりを挟む
元気そうだった。
そう、思って。思って。なんの立場だ、と、罵り、胸が痛み、そんな痛みさえ、忌々しくて、自己満足に思えて。
楽士の君。イルク・リンドは顔を歪めた。
5年前、確かに、愛おしいと思った彼女。
あんな…くだらない騙され方をして。傷つけた。
侯爵家の庶子であるイルクは、身軽な立場で。期待されないのを良いことに、好きに遊んでいた。
適齢期は過ぎているのに、気にする様子もなく。色目を使われるわけでもなく。
楽しげに、心地よさげにイルクの奏でる音に、離れた場所で耳を傾けている様子が、気になった。懇意にしている夫人に聞けば、予想外に優しげにその人を見やり、普段は社交の場に出てこないから、知らないのね、と言われた。その家の名前は聞いたことがあって。優秀な人材を代々輩出し続ける血筋。その時は断り切ることができなかった夜会に、弟のパートナーとして出席をしていたようで。
声をかければ、不思議そうに見上げられ、ぎこちなく挨拶をされた。
他愛なく言葉を交わし、慣れてきた彼女は、知的で会話も楽しめる相手だった。
恋人、と呼べるような関係になる前に、自分のこれまでの行いを振り返らなかったことに問題があったのだろう。割り切って、火遊びをするようなご婦人たちに混じって、それでも、我がものと、自分のアクセサリーだと主張したい人たちがいるのを承知していたはずなのに。
そして、そこにもう一つの悪意が掛け合わされた。
彼女の学友だと笑顔で話しかけてきたスィミリア。その悪評を、イルクの耳にあえて入れる無粋な人はいなかった。当然知っているだろうと。イルク自身が遊んでいるのだから、知らないはずはないだろうと。
彼女の周囲には、常に男性が取り巻いているのだと。それに、家では彼女にそもそも、使用人の青年をあてがうつもりでいるのだと、すでに深い関係だと。
気遣わしげに囁かれ。
そして、いつも自分が注目をされたいからと振る舞うのだと、そして、嫌がらせを受けたこともあるのだと、今も…と、訴えられ。それは全て、スィミリアが彼女にしていたことだったのに、なぜ信じたのだろう。
体の関係を持つのも、すぐだった。思えばそれも、おかしいと気づくべきだったのに。薬を嗅がされたと気づいても、お互いに楽しめたでしょう?と、小さく笑われた。
身に覚えのない罪でイルクが責めた彼女は、もともと出てこなかった社交界からさらに離れた。
決定的な、その別れが過ぎてから、同類だと思ったらしいスィミリアは聞きたくもない事を、楽しげに話した。
スィミリアの夫アレンディオは、スィミリアよりも3歳年下で。社交界に出てくる前からその美貌を噂されるほどの少年だった。彼はリラと幼なじみで、聞けばずっと、リラを慕っていたのだという。弟のようにしか見られていない事を知りながら、そこから抜け出すのだと、意気込んでいた、その出鼻を、スィミリアが挫いた。
社交界に出たばかり。慣れない酒に酔っていたアレンディオは、目を覚ました時、隣にドレスを破かれたような状態の、スィミリアが隣にいた。そして、寝台には、それとわかる、破瓜の痕。
奔放な貴族社会でも、そこは超えてはならぬ一線で。まるで狙いすましたようにそこに慌ただしく入ってきたスィミリアの侍女に目撃され、逃げ場はなくなり、そのまま婚姻となった。
醜聞を被ったアレンディオは、社交界ではその美貌も翳るほどにひっそりと、妻のいうままに過ごし。もともと領地経営に成功し裕福だった家の財産をスィミリアは好きに使いながら、火遊びも続けている。
そんな、火遊びの一環でイルクとリラを裂き、そして、悪魔のような所業をイルクに伝えたのだ。
あの、アレンディオにとっての悪夢の日。
社交界に初めて参加する日。彼は頼み込んで、リラにパートナーを頼んでいた。
リラを呼び出したスィミリアは、リラに強い睡眠薬をかがせ、人のこない部屋に放り込んだ。
そして、リラを待っているアレンディオに話しかけ、渡すワインに、強い催淫剤を混ぜた。
2人を同じ部屋に入れ、あとは、悪趣味にも次の間で様子を見て。
使用人に言いつけてリラを家に返し。服を整え眠ってしまったと伝えて帰された家人は、どう捉えただろう。そして、パートナーだったはずのアレンディオに翌日降りかかった醜聞。
「だって私、ハジメテではなかったもの。装うことはできても、本物のシルシの方が、よろしいでしょ?」
吐き気がした。
それなのに、首に手を回し顔を寄せながら言うのだ。
「綺麗な夫。初めての思いは、想い人に遂げられたのだから、私、優しい妻でしょう?まあ、本人は知らないけれど。それにリラだって。気づいているのか知らないけれど、貴族のお手つきになれたのだから、身に過ぎたことでしょう」
触れようとして固まっていた人を思い出す。
そう言うことか、と。
分かっているのかどうなのか。分かっているから、知られるのを恐れたのか。いや、スィミリアが言う強い薬。そう考えれば、ただ、体に植え付けられた嫌悪感なのだろう。
夫は、自分への罪悪感で何も言わない。夜のこともないけれど、別にいい。飾り物には最高の、お財布だ、と。
イルクの中に罪悪感ばかりが降り積もる。
そして落ち込み、スィミリアといることで社交界でも居場所を失いかけた時、手を差し伸べたのがリラだった。
何も知らないように、何も気にしていないように、お久しぶりです、と声をかけ。
楽を聴きたい、と控えめに頼まれ。
ああ、やはり。イルク様の奏でる音が、好きです。
と、なんの含みもなく言われた言葉に救われた。
眠れるように、なった。
それなのに。
その少しあとだった。
リラの好きなチョコレートに、毒が仕込まれたと聞いたのは。なぜそうなったのか。リラは助かり、弟が倒れたと。
それを伝えたスィミリアが、扇の向こうで微笑んだのが目から離れない。
そう、思って。思って。なんの立場だ、と、罵り、胸が痛み、そんな痛みさえ、忌々しくて、自己満足に思えて。
楽士の君。イルク・リンドは顔を歪めた。
5年前、確かに、愛おしいと思った彼女。
あんな…くだらない騙され方をして。傷つけた。
侯爵家の庶子であるイルクは、身軽な立場で。期待されないのを良いことに、好きに遊んでいた。
適齢期は過ぎているのに、気にする様子もなく。色目を使われるわけでもなく。
楽しげに、心地よさげにイルクの奏でる音に、離れた場所で耳を傾けている様子が、気になった。懇意にしている夫人に聞けば、予想外に優しげにその人を見やり、普段は社交の場に出てこないから、知らないのね、と言われた。その家の名前は聞いたことがあって。優秀な人材を代々輩出し続ける血筋。その時は断り切ることができなかった夜会に、弟のパートナーとして出席をしていたようで。
声をかければ、不思議そうに見上げられ、ぎこちなく挨拶をされた。
他愛なく言葉を交わし、慣れてきた彼女は、知的で会話も楽しめる相手だった。
恋人、と呼べるような関係になる前に、自分のこれまでの行いを振り返らなかったことに問題があったのだろう。割り切って、火遊びをするようなご婦人たちに混じって、それでも、我がものと、自分のアクセサリーだと主張したい人たちがいるのを承知していたはずなのに。
そして、そこにもう一つの悪意が掛け合わされた。
彼女の学友だと笑顔で話しかけてきたスィミリア。その悪評を、イルクの耳にあえて入れる無粋な人はいなかった。当然知っているだろうと。イルク自身が遊んでいるのだから、知らないはずはないだろうと。
彼女の周囲には、常に男性が取り巻いているのだと。それに、家では彼女にそもそも、使用人の青年をあてがうつもりでいるのだと、すでに深い関係だと。
気遣わしげに囁かれ。
そして、いつも自分が注目をされたいからと振る舞うのだと、そして、嫌がらせを受けたこともあるのだと、今も…と、訴えられ。それは全て、スィミリアが彼女にしていたことだったのに、なぜ信じたのだろう。
体の関係を持つのも、すぐだった。思えばそれも、おかしいと気づくべきだったのに。薬を嗅がされたと気づいても、お互いに楽しめたでしょう?と、小さく笑われた。
身に覚えのない罪でイルクが責めた彼女は、もともと出てこなかった社交界からさらに離れた。
決定的な、その別れが過ぎてから、同類だと思ったらしいスィミリアは聞きたくもない事を、楽しげに話した。
スィミリアの夫アレンディオは、スィミリアよりも3歳年下で。社交界に出てくる前からその美貌を噂されるほどの少年だった。彼はリラと幼なじみで、聞けばずっと、リラを慕っていたのだという。弟のようにしか見られていない事を知りながら、そこから抜け出すのだと、意気込んでいた、その出鼻を、スィミリアが挫いた。
社交界に出たばかり。慣れない酒に酔っていたアレンディオは、目を覚ました時、隣にドレスを破かれたような状態の、スィミリアが隣にいた。そして、寝台には、それとわかる、破瓜の痕。
奔放な貴族社会でも、そこは超えてはならぬ一線で。まるで狙いすましたようにそこに慌ただしく入ってきたスィミリアの侍女に目撃され、逃げ場はなくなり、そのまま婚姻となった。
醜聞を被ったアレンディオは、社交界ではその美貌も翳るほどにひっそりと、妻のいうままに過ごし。もともと領地経営に成功し裕福だった家の財産をスィミリアは好きに使いながら、火遊びも続けている。
そんな、火遊びの一環でイルクとリラを裂き、そして、悪魔のような所業をイルクに伝えたのだ。
あの、アレンディオにとっての悪夢の日。
社交界に初めて参加する日。彼は頼み込んで、リラにパートナーを頼んでいた。
リラを呼び出したスィミリアは、リラに強い睡眠薬をかがせ、人のこない部屋に放り込んだ。
そして、リラを待っているアレンディオに話しかけ、渡すワインに、強い催淫剤を混ぜた。
2人を同じ部屋に入れ、あとは、悪趣味にも次の間で様子を見て。
使用人に言いつけてリラを家に返し。服を整え眠ってしまったと伝えて帰された家人は、どう捉えただろう。そして、パートナーだったはずのアレンディオに翌日降りかかった醜聞。
「だって私、ハジメテではなかったもの。装うことはできても、本物のシルシの方が、よろしいでしょ?」
吐き気がした。
それなのに、首に手を回し顔を寄せながら言うのだ。
「綺麗な夫。初めての思いは、想い人に遂げられたのだから、私、優しい妻でしょう?まあ、本人は知らないけれど。それにリラだって。気づいているのか知らないけれど、貴族のお手つきになれたのだから、身に過ぎたことでしょう」
触れようとして固まっていた人を思い出す。
そう言うことか、と。
分かっているのかどうなのか。分かっているから、知られるのを恐れたのか。いや、スィミリアが言う強い薬。そう考えれば、ただ、体に植え付けられた嫌悪感なのだろう。
夫は、自分への罪悪感で何も言わない。夜のこともないけれど、別にいい。飾り物には最高の、お財布だ、と。
イルクの中に罪悪感ばかりが降り積もる。
そして落ち込み、スィミリアといることで社交界でも居場所を失いかけた時、手を差し伸べたのがリラだった。
何も知らないように、何も気にしていないように、お久しぶりです、と声をかけ。
楽を聴きたい、と控えめに頼まれ。
ああ、やはり。イルク様の奏でる音が、好きです。
と、なんの含みもなく言われた言葉に救われた。
眠れるように、なった。
それなのに。
その少しあとだった。
リラの好きなチョコレートに、毒が仕込まれたと聞いたのは。なぜそうなったのか。リラは助かり、弟が倒れたと。
それを伝えたスィミリアが、扇の向こうで微笑んだのが目から離れない。
1
お気に入りに追加
46
あなたにおすすめの小説

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
I Still Love You
美希みなみ
恋愛
※2020/09/09 登場した日葵の弟の誠真のお話アップしました。
「副社長には内緒」の莉乃と香織の子供たちのお話です。長谷川日葵と清水壮一は生まれたときから一緒。当たり前のように大切な存在として大きくなるが、お互いが高校生になったころから、二人の関係は複雑に。決められたから一緒にいるのか?そんな疑問を持ち始めた壮一は、日葵にはなにも告げずにアメリカへと留学をする。何も言わずにいなくなった壮一に、日葵は傷つく。そして7年後。大人になった2人は同じ会社で再会するが……。
ずっと一緒だったからこそ、迷い、悩み、自分の気持ちを見失っていく二人。
「副社長には内緒」を読んで頂かなくても、まったく問題はありませんが読んで頂いた後の方が、より楽しんで頂けるかもしれません。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

世にも平和な物語
越知 学
恋愛
これは現実と空想の境界ラインに立つ140字物語。
何でもありの空想上の恋愛でさえ現実主義が抜けていない私は、その境界を仁王立ちで跨いでいる。
ありふれていそうで、どこか現実味に欠けているデジャブのような感覚をお届けします。

忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
交換された花嫁
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」
お姉さんなんだから…お姉さんなんだから…
我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。
「お姉様の婚約者頂戴」
妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。
「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」
流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。
結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。
そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる