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うちの執事の言うことには
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馬車から降りた勢いのまま、1本通りから入った場所にあるアパルトメントの扉をあけて飛び込んだ。
玄関に背を当ててはぁ、と息を吐いた瞬間、ひっ、とリラの背筋が伸びる。
(前門の虎後門の狼って、コレ?)
姿勢良く背筋を伸ばし、入ったところで礼儀正しく出迎える執事服の青年の視線から目を逸らしながら、リラは逃げ場を求めて目を泳がせる。が、この人がこの状況で、助け舟なんてあるわけがないのだ。
「た、ただいま。レイ」
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「うっ」
怒ってらっしゃる。この人がこういう話し方をする時は、ほんと嫌だ。
「いやだ、とか思ってらっしゃいますね?誰のせいなのか、ご理解されていないようで?」
「いや、そんなことは」
思わず否定するけれど、一歩で距離を詰められて、リラはさらに目を逸らす。
(もう、やだ)
今日は本当に、災難だと泣きたくなる。この執事、無駄に顔がいい。顔だけではなく仕事もできるしさらに護衛も兼務できる。だから、うちなんかじゃなくて他所に働き口いくらでもあると言っているのに、聞かないし。
そして、幼いころから近くにいた兄のような存在なので、頭も上がらなければ、向こうも遠慮がない。ライアスからは番犬だなんだと言われているけれど。まあ、番犬というよりお目付役なんだろうな、とは思う。世事に疎くて貴族的な腹の探り合いなんて面倒でやってられない、なんていっているくせに仕事場が城にあるという困った娘の。
「このストールは?」
「あ、そうだ。借りたの。きれいにして返さないと」
「それは、ご自分ではやらないでくださいね。お借りしたものであれば、きちんとして返さないといけませんから」
「う」
「なぜか貴方、ご自分でやると傷めてはいけないものに限って何かやりますから」
「ぐっ」
それで、と、しっかり距離を詰められ、もともと背中を玄関に当てていたので逃げ道は断たれた状態で鋭い目に見下ろされる。
「なぜこんなものを借りることに?」
「職場の懇親会があって」
「お忘れで?」
「いや、急遽行けと言われて」
「ほう。その格好でご出席を。それで、見かねた何方かがお貸しくださった、と」
「ああ、大筋そんな感じ」
「急遽出席しろと言いながら、身支度もさせないような職場ですか」
「いやいや。身内の懇親会で仕事上がりなんだから、いいでしょ」
「良くないから、お借りしてたんですよね?」
「…良くないわけでは、なかったと思うのよ」
そんな会話の合間にも、レイはリラの肩からストールをさらりととって手早く畳んでいる。
「どちらにしても、連絡をください。お迎えにもあがりますので」
「え、いいよ。仕事の時よりへたしたら早く帰ってきたし。途中で抜けたから」
「そういう問題ではありません。お嬢様を1人で帰らせる家だと見られることが問題なのですから」
「うぅ」
と、唸ってから首を傾げる。連絡だけ入れたつもりだったのだけど、と自分の鞄の中をあさってみて、あ、と、見なかったことにした。いや、見なかったことにしようとした。
「お嬢様?」
「あ。あの。連絡を入れるように書くだけ書いて、送るの忘れたみたい」
伝書をしようと思って、書いた紙がそのまま入っていた。
雷が落ちるのを覚悟して首を竦めたものの、雷は落ちてこない。薄目をあけて見上げれば、頭痛がするとばかりにこめかみに手を当てているレイと目があった。
「もう、いいです。お嬢、食事は」
言葉遣いが変わったことで、リラの肩から力が抜ける。
それを見て、レイはため息をついた。このお嬢様は、本当にわかっていない。まあ、おかしなものは近づけさせないから好きなように、のびのびとしていれば良い。
「食事はいいわ。少し仕事する」
「なんの、いやがらせだろうね、ほんと」
「お嬢…」
つい口をついて出たぼやきを聞きとがめて、レイが嗜める声を出す。ただ、それがとりあえず形だけなのは、声でわかる。
リラの家は代々爵位をもらっていたけれど、代々、一代限りの爵位を賜りつづけただけの家だ。当主の仕事に合わせて、騎士爵だったり、魔法爵だったり、と違いはあれど、一代限り。つまり、その立場にある人がいなければ自然と爵位持ちではなくなるはずの家で、そのつもりの気楽なつもりでいて。まあ、功績をあげたときに領地なんてものを与えられたこともあったので、爵位を持つ当主がいなくなるときがきたら、それを返上するくらいかなぁ、と思っていたのだけれど。
「貴族なんて、少ない方が国庫からの支出が減るんだから、返上するって言ってるんだから素直に受け取ってくれればいいのに」
口をついて出てしまったんだから、続きを言ってしまえと続けるリラの手元を覗き込んで、レイがため息をついた。
「苦手なお仕事だからと言って、ぼやかない」
「うっ」
一瞬言葉につまり、わずかに頬をふくらませながらも仕事に戻るリラを、レイはやれやれと見守る。
なんだかんだ言って、全てこの人は、やってしまうのだけれど。父親が亡くなり、兄弟は全て外に嫁すか別で家を成しており、この際爵位もなくなるから領地もお返ししようとしていたところで、待ったがかかった。いや、全てといったが、1人、弟がまだ家を出ていないけれど、彼は今、何かできる状態ではない。それもあって、のことなのだが。
領地返納は拒否され、挙句、一代限りの爵位のはずが、留保で残っているのだ。これのどこが一代限り、と、言いたくなる気持ちは分からないでもない。
既に働いていた娘は、自分の仕事を続けながら、帰ってきてから領地運営や、領地にある家の様子を確認しての指示など一通りを行なっている。そもそもが、領民に呆れるほどに慕われているため、これで良かったと思っているものは多いのも事実なのだが。
「ねえ、レイ」
「はい?」
書類に目を通しながら、雑談のように話された内容に、レイは目を瞠った。
「男の人ってさ、姫抱き簡単にできるものなんだね。あんなの、本の中だけだと思ってたよ。本当にやるには、やっぱり重いじゃない?」
「……は??」
珍しく間抜けな声になった執事を振り返り、主人である人は、首を傾げるのだ。事情を聞けば、レイの腹の中で静かに、警戒レベルが上がる。
「お嬢、くれぐれも、必要以上に無関係な男性と接触されませんように」
「え、なんでまた口調怖いの!してないし。自分からは。というかもう、この歳だし。その心配、もうよくない?」
「だめですっ」
リラが目を通しながら話していた書類が置かれる机に思わず片手を叩きつけながら答えれば、驚いたように目を上げられた。
わかっていないのだ、このひとは。見た目で言うなら、二十歳そこそこで通るようなこの人は、本当にきれいな人なのだけれど。男運がないのか、男を見る目がないのか。迷惑なほどに自己評価が底辺なのだ。
「…今日はそこまでで大丈夫でしょう。エルムが風呂の支度をしてくれてありますから、お入りください。その後で、リース様のところにお願いします」
「後で?」
「後で、です。あなたは行ったらしばらく離れないのですから」
言いながら、レイは自分も結局、この人に甘いのだ、と思いながら疲れた顔をしている人に、一包み、好物を渡す。
「チョコっ!」
「この時間ですから、一つだけですよ?」
「ありがとう!十分よ。うれしい」
子どもの頃と変わらない笑顔のリラにつられて、強面と言われる顔がふにゃりと笑ってしまっている自覚は、レイにもない。ただ、レイの方も肩に入っていた力が抜ける思いで、リラを浴室に促す。先ほどのストールはもう、1人だけこの家にいる侍女のエルムがきれいにしてくれていることだろう。
ゆっくり入るのですよ、と釘を刺して、レイはリース…リラの弟の部屋に足を向けた。
玄関に背を当ててはぁ、と息を吐いた瞬間、ひっ、とリラの背筋が伸びる。
(前門の虎後門の狼って、コレ?)
姿勢良く背筋を伸ばし、入ったところで礼儀正しく出迎える執事服の青年の視線から目を逸らしながら、リラは逃げ場を求めて目を泳がせる。が、この人がこの状況で、助け舟なんてあるわけがないのだ。
「た、ただいま。レイ」
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「うっ」
怒ってらっしゃる。この人がこういう話し方をする時は、ほんと嫌だ。
「いやだ、とか思ってらっしゃいますね?誰のせいなのか、ご理解されていないようで?」
「いや、そんなことは」
思わず否定するけれど、一歩で距離を詰められて、リラはさらに目を逸らす。
(もう、やだ)
今日は本当に、災難だと泣きたくなる。この執事、無駄に顔がいい。顔だけではなく仕事もできるしさらに護衛も兼務できる。だから、うちなんかじゃなくて他所に働き口いくらでもあると言っているのに、聞かないし。
そして、幼いころから近くにいた兄のような存在なので、頭も上がらなければ、向こうも遠慮がない。ライアスからは番犬だなんだと言われているけれど。まあ、番犬というよりお目付役なんだろうな、とは思う。世事に疎くて貴族的な腹の探り合いなんて面倒でやってられない、なんていっているくせに仕事場が城にあるという困った娘の。
「このストールは?」
「あ、そうだ。借りたの。きれいにして返さないと」
「それは、ご自分ではやらないでくださいね。お借りしたものであれば、きちんとして返さないといけませんから」
「う」
「なぜか貴方、ご自分でやると傷めてはいけないものに限って何かやりますから」
「ぐっ」
それで、と、しっかり距離を詰められ、もともと背中を玄関に当てていたので逃げ道は断たれた状態で鋭い目に見下ろされる。
「なぜこんなものを借りることに?」
「職場の懇親会があって」
「お忘れで?」
「いや、急遽行けと言われて」
「ほう。その格好でご出席を。それで、見かねた何方かがお貸しくださった、と」
「ああ、大筋そんな感じ」
「急遽出席しろと言いながら、身支度もさせないような職場ですか」
「いやいや。身内の懇親会で仕事上がりなんだから、いいでしょ」
「良くないから、お借りしてたんですよね?」
「…良くないわけでは、なかったと思うのよ」
そんな会話の合間にも、レイはリラの肩からストールをさらりととって手早く畳んでいる。
「どちらにしても、連絡をください。お迎えにもあがりますので」
「え、いいよ。仕事の時よりへたしたら早く帰ってきたし。途中で抜けたから」
「そういう問題ではありません。お嬢様を1人で帰らせる家だと見られることが問題なのですから」
「うぅ」
と、唸ってから首を傾げる。連絡だけ入れたつもりだったのだけど、と自分の鞄の中をあさってみて、あ、と、見なかったことにした。いや、見なかったことにしようとした。
「お嬢様?」
「あ。あの。連絡を入れるように書くだけ書いて、送るの忘れたみたい」
伝書をしようと思って、書いた紙がそのまま入っていた。
雷が落ちるのを覚悟して首を竦めたものの、雷は落ちてこない。薄目をあけて見上げれば、頭痛がするとばかりにこめかみに手を当てているレイと目があった。
「もう、いいです。お嬢、食事は」
言葉遣いが変わったことで、リラの肩から力が抜ける。
それを見て、レイはため息をついた。このお嬢様は、本当にわかっていない。まあ、おかしなものは近づけさせないから好きなように、のびのびとしていれば良い。
「食事はいいわ。少し仕事する」
「なんの、いやがらせだろうね、ほんと」
「お嬢…」
つい口をついて出たぼやきを聞きとがめて、レイが嗜める声を出す。ただ、それがとりあえず形だけなのは、声でわかる。
リラの家は代々爵位をもらっていたけれど、代々、一代限りの爵位を賜りつづけただけの家だ。当主の仕事に合わせて、騎士爵だったり、魔法爵だったり、と違いはあれど、一代限り。つまり、その立場にある人がいなければ自然と爵位持ちではなくなるはずの家で、そのつもりの気楽なつもりでいて。まあ、功績をあげたときに領地なんてものを与えられたこともあったので、爵位を持つ当主がいなくなるときがきたら、それを返上するくらいかなぁ、と思っていたのだけれど。
「貴族なんて、少ない方が国庫からの支出が減るんだから、返上するって言ってるんだから素直に受け取ってくれればいいのに」
口をついて出てしまったんだから、続きを言ってしまえと続けるリラの手元を覗き込んで、レイがため息をついた。
「苦手なお仕事だからと言って、ぼやかない」
「うっ」
一瞬言葉につまり、わずかに頬をふくらませながらも仕事に戻るリラを、レイはやれやれと見守る。
なんだかんだ言って、全てこの人は、やってしまうのだけれど。父親が亡くなり、兄弟は全て外に嫁すか別で家を成しており、この際爵位もなくなるから領地もお返ししようとしていたところで、待ったがかかった。いや、全てといったが、1人、弟がまだ家を出ていないけれど、彼は今、何かできる状態ではない。それもあって、のことなのだが。
領地返納は拒否され、挙句、一代限りの爵位のはずが、留保で残っているのだ。これのどこが一代限り、と、言いたくなる気持ちは分からないでもない。
既に働いていた娘は、自分の仕事を続けながら、帰ってきてから領地運営や、領地にある家の様子を確認しての指示など一通りを行なっている。そもそもが、領民に呆れるほどに慕われているため、これで良かったと思っているものは多いのも事実なのだが。
「ねえ、レイ」
「はい?」
書類に目を通しながら、雑談のように話された内容に、レイは目を瞠った。
「男の人ってさ、姫抱き簡単にできるものなんだね。あんなの、本の中だけだと思ってたよ。本当にやるには、やっぱり重いじゃない?」
「……は??」
珍しく間抜けな声になった執事を振り返り、主人である人は、首を傾げるのだ。事情を聞けば、レイの腹の中で静かに、警戒レベルが上がる。
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「え、なんでまた口調怖いの!してないし。自分からは。というかもう、この歳だし。その心配、もうよくない?」
「だめですっ」
リラが目を通しながら話していた書類が置かれる机に思わず片手を叩きつけながら答えれば、驚いたように目を上げられた。
わかっていないのだ、このひとは。見た目で言うなら、二十歳そこそこで通るようなこの人は、本当にきれいな人なのだけれど。男運がないのか、男を見る目がないのか。迷惑なほどに自己評価が底辺なのだ。
「…今日はそこまでで大丈夫でしょう。エルムが風呂の支度をしてくれてありますから、お入りください。その後で、リース様のところにお願いします」
「後で?」
「後で、です。あなたは行ったらしばらく離れないのですから」
言いながら、レイは自分も結局、この人に甘いのだ、と思いながら疲れた顔をしている人に、一包み、好物を渡す。
「チョコっ!」
「この時間ですから、一つだけですよ?」
「ありがとう!十分よ。うれしい」
子どもの頃と変わらない笑顔のリラにつられて、強面と言われる顔がふにゃりと笑ってしまっている自覚は、レイにもない。ただ、レイの方も肩に入っていた力が抜ける思いで、リラを浴室に促す。先ほどのストールはもう、1人だけこの家にいる侍女のエルムがきれいにしてくれていることだろう。
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