警護対象は元婚約者の主君

明日葉

文字の大きさ
上 下
5 / 33
第1章

ステラグラン侯爵

しおりを挟む
 旅の埃を落とす前に、早々に用件は済ませようというレオボルトの考えのもと、ルーイが客人の到着を伝えれば謁見の間に国王であるレオボルト、そして宰相のヴァルトが移動していく。
 それを見送り、ルーイ、ルナ、グレンの3兄弟は、呆れたように顔を見合わせた。
 動こうとしない3人を振り返り、レオボルトが目を細める。
「何をしているんだ。早く来い」
「いや、行かないし」
 反射的にルナはさっくりと返す。その場に同行する意味がわからない。何の立場でそこにいさせるつもりだ。
 が、レオボルトは呆れたような目を向ける。
「お前、俺の護衛だろう。俺の姿が見えるところにいて当たり前だ」
 それはつまり、レオボルトからもルナが常に見えるということ。
 その意図を思い浮かべもせず、ルナは渋々彼らの後に従った。





「ステラグラン侯爵、サー、シルヴィエイク・フォン・ステラグラン様」


 呼び込む仰々しい声に、レオボルトが僅かに眉を上げる。その表情の変化に気づいたルナは、そっと目を逸らした。本当は、面倒だから執務室で挨拶を受けて終わらせるなどと言っていたのだ。
 だが、爵位を継いだ報告の謁見をそれで済ませるなど許されるはずもなく。


 ルナの記憶にあるよりも、かなり鍛えたのか体格が良く、凛々しい青年が堂々とした足取りで進んでくる。
 琥珀色の髪はしっかりと整えて後ろに撫でつけられ、狼のような色素の薄い蒼い目は鋭く、何の表情も浮かべていない。


「お時間をいただき感謝いたします。この度爵位を継承したため、ご報告に罷り越しました」
「遠路ご苦労。家中も落ち着かぬ中、ここまで来て良かったのか」
「一通りのことは済ませてきておりますので」
 レオボルトは、侯爵…辺境伯家への疑惑を暗に匂わせるが、さらりとそれを交わし、先代と嫡男の弔いを済ませてきたと応じる。
 その無表情を見下ろし、レオボルトは皮肉なものだな、と歪な可笑しさを感じた。
 あのとき、小娘の挑発にいとも簡単に乗った青年は、そこから感情を見せなくなり、そして、誰にも隙を見せなくなった。こんな場所で、こんなにわかりやすい挑発に乗るはずもない。
「時に、ステラグラン卿。滞在してもらう部屋は用意しているが、なにぶん人手が少なくてな。不自由をさせるかと思うが、困ったことがあれば言ってくれ。可能な範囲で対応する」


 いやいやいや。対応するの、わたしでしょ?



 思わず内心でつっこみながら、ルナは目眩がしそうになる。何が悲しくて、元婚約者の面倒を見ないといけないんだ。
 だが、その内心の声が聞こえたかのようにルナが控える方に一瞥をくれたレオボルトの口元が僅かに上がる。楽しんでいるのを見て、ため息をこぼした。


 わたし、何かしたかなぁ…。






 宰相であるヴァルト自ら、客人を案内する。滞在場所が王の居住空間である以上、仕方のないことだった。ここに入ることができるものは非常に限られている。護衛も側仕えも必要ないと誰も寄せ付けなかったレオボルトがルナをおくまで、実際ここでレオボルトは一人で生活していたのだ。
「ご存知かとは思いますが、この城に使用人は極端に少ない。閣下の滞在中のお世話をする侍女が間もなく参りますので」
 閣下、と、敬称で呼べば、嫌そうに目を細める。素直に受け取れるものでもないのだろう。
「数年前から侍女を置くようになったと噂に聞いたが、本当だったのか」
「社交の場に姿を見せない貴方の耳にも入っていましたか」
 どう見ても文官には見えない武官上がりのヴァルトに丁寧に言われれば、シルヴィは不機嫌そうに目を眇めた。
 その様子を見ながらヴァルトはやれやれ、と、息を吐く。氷の騎士などと呼ばれていても、不機嫌や苛立ちは表に随分と簡単に出る。全ての感情を押さえられるのでなければ、それはただの扱い辛い大貴族だ。


 控え目に扉を叩く音に、ヴァルトが応じてルナが入ってくる。押してきたワゴンには軽食とお茶が用意され、ルナは抵抗し疲れて諦めたのか、侍女のお仕着せに身を包んでいる。
 目を伏せたまま立ち止まり、頭を下げたルナをヴァルトが紹介した。
「閣下の身の回りの世話をします。御用の際はそちらのベルでお呼びください」
「…名は」
 名を知らず呼べないのは不便だと思ったのか尋ねられ、ルナは困って僅かに息を飲む。
 その間に、まったく躊躇うことなく、ヴァルトが答えていた。
「ルナと申す者です。若いですが、一通りのことは全てできますのでお気軽にお申し付けを」
「ルナ…?」
 鸚鵡返しに呟いた声にルナは顔が上げられない。


 確かに嘘を言っても仕方ないけど、心の準備!


 詰りたくても、口を開くわけにも行かない。
 いつもの、好き勝手に言わせてくれる人たちではない者がいるのだから。
「なにか?」
「いや…顔を見せろ」
 命じるように言われ、ためらえば疑われるとルナは途中まで顔を上げた。直接目を合わせることは不敬にあたるため、上げきらないところで目を伏せる。
 シルヴィが何かいう前に、ヴァルトがようやくルナに助け舟を出した。
「何を運んできたんだ?」
「お疲れのところそのまま謁見に入られたと聞きましたので軽食とお茶を。それが済みましたら、浴場の支度も整っております」


「一通り、な…」


 不意にシルヴィが呟いた。
世話も言いつければ良いのか?」
 思わずきょとんとするルナを尻目に、ヴァルトの纏う空気が一気に冷え込んだ。それと裏腹にアイスブルーの瞳はゆらりと炎が揺らめくように不穏な光を孕む。
「陛下のお身内とはいえ、随分と不躾な。それとも、辺境伯家では侍女はそのような言動に晒しても差し支えないとされているので?」


 不意に目の前で交わされる不穏な空気に、ルナは困った顔で顔を見比べた。
 ヴァルトの怒りで、ようやく何を揶揄されたのかは察したけれど、そんな下世話なことを誰にでも口にするとは思えず。気づいてるのかいないのか知らないが、とにかく、この名前が気に食わなかったのだろうと、そこに落とし所を見つけてため息をついた。
 そしらぬ顔でお茶を入れ、その目をあえて無邪気に屈託なく、ヴァルトに向ける。
「閣下はどうされますか?」
「…喉が渇いた。もらっていこう」
 要するに、見張るのね?
 そう思って遠い目をしてから、ヴァルトの分もお茶を注ぎ、テーブルに置いていく。
「晩餐は陛下が一緒に召し上がるそうです。終わられましたら、ベルでお呼びください。片付けにあがります。浴場へのご案内もその際にご希望でしたらいたしますので」
「そのまま、そこにいろ」
「…」
 給仕しろってことかな?と思いながら、ルナは目立たぬように控える。
 様子を見ながらお茶を足し、軽食を口にするシルヴィの手伝いをする。
 本当は、一度この部屋から出たかったのだけれど。これもまた少ない人数で晩餐の支度をしている厨房の手伝いに行きたい。卵料理一つで姉弟喧嘩になるけれど、別に料理ができないわけではない。ちょっと、だいぶおおらかなだけだ。

 ここでは自分のことは極力自分でやるのが当たり前で、そもそもが騎士上がりのヴァルトにしてみたらそれはなおさらのことで。騎士と呼ばれながら当たり前のようにルナを使うシルヴィをもの言いたげな眼差しで眺める。それを口にしないでいられるようになったのも、多少なりとも宰相という立場を理解するようになったからかもしれない。





 軽食を終えれば、長旅の後のシルヴィは当然、風呂に入りたがった。
 案内して出ていこうとすれば、感情の読めない声で呼び止められる。
「ルナ、背は流してもらえないのか」
「そういった業務はおこなっておりません」
「陛下だけ、か」
「陛下からそのようなお申し付けがあったこともありませんが」
 思わずすっぱりと切り返せば、何が面白くないのか、ふん、と不愉快そうに鼻を鳴らされた。
「その気にもなれないということか」
 大概失礼なことを言われている気はするが、その気になられても困るし、自分もそう思う。むしろ、その気になる人間の趣味を疑う。
 ただ、さすがに言われっぱなしに苛ついて、思わずにっこりと微笑んでいた。
 いや、すぐに気づいて、侍女らしい控え目な視線の向きと微笑みに変えて見せたけれど。
「閣下は感情が表に出ないと噂を聞いておりましたが。負の感情が随分と、わかりやすくていらっしゃる」
「!!」

 言い返されると思っていなかったのか、そもそも言い返されることに慣れていないのか。
 驚いて目を見開いたシルヴィに、ルナは一礼して踵を返した。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼女の幸福

豆狸
恋愛
私の首は体に繋がっています。今は、まだ。

悪役令嬢の去った後、残された物は

たぬまる
恋愛
公爵令嬢シルビアが誕生パーティーで断罪され追放される。 シルビアは喜び去って行き 残された者達に不幸が降り注ぐ 気分転換に短編を書いてみました。

目が覚めたら夫と子供がいました

青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。 1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。 「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」 「…あなた誰?」 16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。 シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。 そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。 なろう様でも同時掲載しています。

【完結】王太子妃の初恋

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。 王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。 しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。 そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。 ★ざまぁはありません。 全話予約投稿済。 携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。 報告ありがとうございます。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】番を監禁して早5年、愚かな獣王はようやく運命を知る

恋愛
獣人国の王バレインは明日の婚儀に胸踊らせていた。相手は長年愛し合った美しい獣人の恋人、信頼する家臣たちに祝われながらある女の存在を思い出す。 父が他国より勝手に連れてきた自称"番(つがい)"である少女。 5年間、古びた離れに監禁していた彼女に最後の別れでも伝えようと出向くと、そこには誰よりも美しく成長した番が待ち構えていた。 基本ざまぁ対象目線。ほんのり恋愛。

未亡人となった側妃は、故郷に戻ることにした

星ふくろう
恋愛
 カトリーナは帝国と王国の同盟により、先代国王の側室として王国にやって来た。  帝国皇女は正式な結婚式を挙げる前に夫を失ってしまう。  その後、義理の息子になる第二王子の正妃として命じられたが、王子は彼女を嫌い浮気相手を溺愛する。  数度の恥知らずな婚約破棄を言い渡された時、カトリーナは帝国に戻ろうと決めたのだった。    他の投稿サイトでも掲載しています。

処理中です...