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5 氷の獣人公爵

夫婦の約束

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 食卓を囲み、出てくるものを眺めてヴィルは少し目を見開き、それを栞里に向けた。表情を変えることの少ないヴィルのその変化に使用人たちは緊張を走らせたが、栞里の方は、僅かすぎる表情の変化に不服げに口を尖らせる。
「栞里、お前、オレのいない間に何をしていた?」
「食事のことを言うなら、ハンクさんと交渉して、パンを作らせてもらえるようになったよ」
「料理長が折れたのか…」
 最後は脅しだったな、と少し栞里は目を逸らす。出されるパンが、とにかく硬い。獣人ならばまだいいのかもしれない。ただ、彼らにとっても硬く感じるパンを栞里の顎と歯では、文字通り、歯が立たない。スープに浸してみるも、思うようにはならず、交渉したのだ。本当に食べようにも食べられないとなれば、栞里が食事がままならないということになる、と。脅したようなもんだなと思い返して苦笑いになる栞里を眺めて、ヴィルの眉間にシワが寄る。
 それを見て、栞里がまた、不満げな顔になった。
「ヴィルが留守の間も、ちゃんとみんな、よくしてくれたよ。安心して?」
 なんとなく、不服に思っているポイントはわかりながらあえてそんな言い方をする。そうか、と低く唸るように応じたヴィルに、栞里は手にしていたスプーンを一度置いた。味付けも、栞里が食べやすいようになってきているのか、これは慣れ始めたのか。
「ヴィル、パンは口に合う?」
「お前の作るものは、美味しいよ」
「その言い方は、なんか違う」
 とりあえず、一度おいておこう、と小さくため息をついて栞里はふとコルトを振り返った。
「さっきは食事に呼んでくれてありがとう。ヴィルが帰って早々あんな態度だから来にくかったでしょう?」
「いえ。そろそろ、とガルダさんが言ってくれました」
「ガルダさん?」
 意外に感じて思わず聞き返した。なかなか馴染んでくれない、とは違う感じでガルダは栞里にあまり近づかない。いつも厳しい顔をしている。ヴィルから直接引き合わされた人たちの中でガルダだけがそのようだったから、意外だった。人族に抵抗のない人をということかと勝手に思っていたから。
「あのまま放っておけば、閣下はシオリ様のお食事のことなど頭から抜け落ちてお部屋におこもりでしたでしょうから」
「あー」
 思わず声を出してくつくつと笑っているのはサライだ。それでなくても栞里と何日も引き離されていたところに、帰ってくれば他のオスの…いや、この場合性別は関係ない、他の匂いが強くついていたのだから、狼はああなるだろうとはわかっている。あの氷の公爵も同じかと思えば愉快になるだけのことだ。
「ご様子は、だいぶ違いましたが」
 フィオにも言われて、サライは察してしまう。毛並みから見ても、確実にブラッシングをされている。
「栞里、君、彼がいない間は誰かブラッシングしていたのか?」
「ん?」
 つい、好奇心と意地悪な気持ちで聞いてしまうと、栞里はきょとんとした顔で首を傾げている。その目が美しい顔に傷痕のある妖魔に向けられる。
「ノインの尻尾はやったけど。本数が多いと付け根が難しいのね」
「お前…この状況で言うか」
 苦々しそうに顔をあげたノインの尻尾がブワッと膨らんで持ち上がっているのを見て、栞里は首を傾げる。
「九尾の姿になっちゃうから、抑えやすくて助かったけどね」
「…こっちの手加減を察しろ?お前」
「…毛があるお前が羨ましいと思う日がくるとはな」
 憮然と呟くルシエールに栞里は笑ってしまう。不服そうにしているから、髪の毛を梳いてみたりしたけれど、羨ましくなるくらいに綺麗な髪の毛だ。
「ルーシェもいい毛並みじゃない」
「毛並みって」
 つい破顔したルシエールを見て、栞里も笑う。なんだかんだ、既に最初に1人でこの世界に来たときよりもここにいる時間もルシエールやノインと過ごした時間も長い。ただ、さすがにヴィルの不機嫌は察して話を戻そうとコルトを振り返った。
「お腹がすけばちゃんとヴィルに言えるし、ヴィルはわたしの食事、基本ちゃんととらせようとするから。でも、声かけてもらったおかげでみんなと食べれてるし、迷惑かけずに済んだし。よかった」
 ね、ヴィル、と言われてヴィルはしばらく固まっていたものの、そのうち気まずげに目をあげた。栞里の言いたことはわかる。
「…オレ以外の毛繕いをしたのか?」
「毛繕い…ブラッシングね?」
「それが、面白くない」
「うん」
「パンは、美味しい」
「ありがと」
 さらりと答えられて、ヴィルは深く深く、ため息をついた。
「小さい男だと、笑うか?」
「なんで?笑わないよ。わたし相手に、よくそんなに気にできるなぁ、とは感心するけど」
「…自己評価が低いのは、腹立たしい」
「はは」
 乾いた笑いで応じて、栞里は顔を上げる。食事中にする話でもないが、話の流れ的には今だな、と。
「あんまり今する話じゃない気もするけど、やっと、みんな揃って落ち着いた時間だし、一つ、いい?」
「言いたいことは大体わかるが、どうぞ」
「ルーシェ、茶化さないでよ」
 いや、真面目だな、と思って、と美しい顔が微笑むのに赤面するのを手で覆って抑えながら、栞里はもう、ともう一度仕切り直す。そんなやりとりすら、ヴィルが不機嫌に見ているのは気づいている。
「なんか、わたしもよくわからない間に、4人、伴侶ができちゃったってことよね?ルーシェとノインは、わたしまで出し抜いた自覚はあるんだよね?」
 軽く手をあげて頷く2人に、栞里は軽く睨むような顔を向けてため息をついた。怒る気になれないのは、こちら側に受け入れる意思がなければ成立しなかっただろうということはわかるからだ。ヴィルとサライ、2人を伴侶とすると言うことを納得したあたりで、複数婚への抵抗感は薄れていたし、そもそも2人への好感はあったわけだし。
「とりあえず疑問なんだけど。儀式だけじゃなくて夫婦関係もちゃんとないと、本当の意味では認められない、とかあるの?」
「そんなことはない、が。匂いでわかるから何か思われはするかもしれないな」
「匂い?」
「獣人は鼻が効く。誰がマーキングしているか嗅ぎ分けられなければここでは生きていけない」
「…めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど」
 だろうな、と揃って笑われて、そう言うところは気が合うのが腹が立つ、と思いながらヴィルを睨む。なんでオレだけ、と言いながら少し口元が緩んでいると栞里は困ったなぁ、と思う。時々、ものすごく可愛いと感じてしまう。
「わたしのところは、一夫一妻だし、交際中も複数の人と同時にって言うのは、ないわけじゃないけど悪いことだとされてる。だから、正直この状況にいろいろ追いつかない。てことで、そう言うことは、待ってもらいたいんだけど」
「もちろんそのつもりでいたけど」
 ノインがけろりと言うと、ルシエールがふと顎に手を当てながらだが、と口を挟む。
「放っておけばお前はこのままだろうな。時間はいくらでもあるが…わたしは手は出す。だめなら拒め。…狼、お前はいちいち威嚇するな」
 無理強いはしないよ、とふわりと美しい顔で微笑まれれば、そうか、と納得してしまう。納得してしまいながらも、栞里はその目をヴィルに向けた。
「ヴィルが嫌な思いをしないように、お願いします」
「狼相手にそれって…お前も妥協しろよ?」
 ぶは、と吹き出しながらいったノインに、気まずげに目を逸らし、ヴィルはやっとと言った様子でうなずいた。栞里が自分のために言っているのは、わかるから。


「可能なら、食事は一緒に取れるときは、揃って摂りたいな。だって、これで、家族なんでしょう?」




 栞里が笑う顔に揃いも揃って、つられるように笑う。
 そうしよう、と。
 栞里がいなければ、顔も合わせないだろう顔ぶれなのに。






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