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2 箍とは、嵌める時点で外すことを前提としている

お子様仕様でお願いしますっ

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 電車を降りてヴィルは、これまでは命じられて渋々、誰かにやっていたエスコートをするように栞里に腕を差し出すが、つかまりはするのだが気づけば離してふらふらと離れていこうとする。捕まえて引き戻すのだが、様子を伺っていたかと思えば、また、という調子で。
 改札をくぐって人通りの多い駅前を並んで歩くのに、人を避けるのにわざわざ離れてみたりする。ついに、痺れを切らして首根っこを掴んでしっかりと腰を抱けば、不貞腐れた顔で見上げられた。
「歩きにくい!」
「シオリ。わざとやっているだろう」
「だって」

 腰に巻きついた腕を指一本一本から剥がそうとしながら栞里は口答えをする。どうやら無駄な努力と気付いて、悔し紛れに先ほど小林にやったように、両脇を掴む。が。硬い筋肉でつまめる肉がないどころか、掴もうとした自分の指が痛いくらいだ。

「迎えにきてくれたり、捕まえていてくれたり。なんかかまってもらって、大事にしてもらってる気にさせてくれて、楽しくなっちゃった」


 この、酔っ払いがと唸るように低く呟いて、ヴィルは自分の腰を掴んだ栞里の手を簡単に剥がす。そして、時折すれ違う人間がやっているように、その手を繋ぐ。指を絡めて。
「っ」
「これなら歩きにくくないか?」
「照れてしまって苦しい…」

 酔うと、というほどに酔っているようには見えないが、楽しそうに酒の余韻を受け入れている様子の栞里は、素直に言葉にしてくれる。それが嬉しいのだがこちらも照れてしまって、ヴィルは目のやり場がない。


「…ヴィルも、照れるのね」
「お前くらいだ」
「?何が?」
「わからなくて良い」
「ヴィルって、時々それ、言うけど。なんかものすごく放り出された気になってやだ」


 やだ、と言いながら普段尻尾にしているように繋いだ腕を胸に抱え込む仕草に、ヴィルは本気でこいつ、どうしてくれようかと目が眩みそうになる。酔っ払いのしていることだ、深い意味はどこにもないとわかっているし言い聞かせるのだが、それをぶち壊しにするような懐き方をしてくる。
 照れること自体はもちろん、どんな感情の動きをしているのかが分かるような表情、態度が出るのも栞里にだけだ。それもわからないようなほどに、意識していないのだ。この子は。

「狼を煽るのは、感心しないな」

 分らせてやりたくてそんな言い方をしてもきょとんとした顔で見上げる。たまりかねて、無防備に至近距離にある栞里の額に唇を落とす。
 瞬間、ひっ、と息を吸い込んで慌てて離れようとするけれど、手を繋いでいるから逃げられない。
 これは良いな、と思いながらヴィルは甘く笑みを向ける。
「獣に舐められたくらいだろう?どうかしたか?」
「なっ、なっ、え?」
 おや、と思いながら、見開いている目尻に、こめかみにと歩きながらそうしている間に楽しくて仕方なくて止められない。大きくしっぽが揺れるから見えなくても栞里にはわかってしまい、繋いでいない方の手で尻尾を掴まれてしまう。恥ずかしさを逃すようにその尻尾を握るのだが、逆効果だと、いつ教えてやろうか。しっぽが封じられると感情が逃がせず、だからなおのことこれをやめられない。
「ヴィル、ちょっと…これ、戯れてるじゃ済まないっ」
 やっとのことで抗議を口にするけれど、楽しげに弧を描く口が、そうか、と頷くだけだ。
 なんで、何それっ、と反抗するが、そんな顔でその程度の抵抗をされても可愛いだけだ、とヴィルは喉の奥で笑う。


「なんなのよ、もう」
 離れられないのなら、もはや隠すしかなかった。そして、隠れる場所は、先ほど友人たちの中から回収された時と同じく、ヴィルの腕しかないのが腹立たしい。
 ヴィルの二の腕に額を押し当てて、とにかくその、柔らかい唇から逃れる。唇の形だけじゃなくて、触り心地まで良いなんて、どこまでこの人の造形は隙がないんだろう。と言うか、触り心地って、と、自分の思考でさらにドツボに嵌っていく。

「何しているんだ、お前」
「放っておいて。自分の思考回路が残念すぎて撃沈しているだけだから」
「何を考えたんだ、一体」
 この状況でと呆れた声に、酔っ払いは素直に答えてしまう。
「唇まで触り心地いいとは、反則だと…」
「それは光栄」
「っ」
 しまった、と思わず顔をあげそうになるのは踏みとどまった。ただ、見なくても分かる。今、ヴィルの顔は見てはいけない。即死できる。


「どこで何のスイッチが入ったのよ、ヴィル」


 栞里の言うスイッチ、が分らないが、言いたいことは伝わって。


「シオリが素直だから、俺も素直に応えなければ失礼だろう?」
 嫌な予感しかしない。そして、楽しんでいるだけだ、この男、と顔を隠していたいのに、栞里が尻尾を離さないように、ヴィルも開いている手で栞里の頭を撫で、やんわりと自分の方を向かせた。


「大事にしてもらっている気、じゃない。大事にしているんだ。いつまでも間違えていられたら困るからな」

 俺が大事にするものなど他にはないのだから、心しておけよ


 と、続いた言葉は耳にあまりに近くで囁かれ。柔らかい甘やかすような声と、シルバーブルーの目が見ている方が目を奪われて蕩けてしまいそうで。


 そのまま少し長めに唇がまぶたに押し当てられれば、栞里は完敗した。へたり込みそうになるのを驚いたヴィルに支えられる。


「おい?」

 そんなに酔っていたか、と驚くが、恨めしげな目に睨みあげられて、その顔は、残念ながら怖くないどころか逆効果だと笑ってしまってなおさら睨まれる。


 どういう意味での大事、なのかはあえて聞かない。藪蛇は突かない。ただ、大事にされているのは、本当だろうからそれを否定もしない。ただ、それでなくても目が潰れそうな美貌で、お色気はやめてほしい。経験値低いどころか、ないに等しいのだ。底辺を這っているのだ。何ならマイナスに振り切ったっていいくらいだ。



「もう無理。心臓持たない。歩けない。後から歩いていくからそっとしておいて。置いていって」
「何を言っているんだ」
 置いていくわけがないだろうと抱き上げようとすると、本気で抵抗するから、ヴィルは珍しい顔になる。眉を下げているなんて、見る者が見れば天地がひっくり返ったような驚き方をするだろう。
「どうしたらいいんだ」
「お色気禁止っ!あと…置いていってくれないなら、おんぶ」
「おんぶ」
「しゃがんで?」
 分らないらしいヴィルに言えば、素直にしゃがんでくれる。これだって思い切りをつけなければ恥ずかしくてやっていられない。
 はしゃいだように、勢いをつけてその背中に乗っかった。
「っつ」
 驚いてヴィルが息を飲んだのが嬉しくて、栞里は背中で首に両腕を回し、笑う。
「驚いた?急に何かされると驚くでしょう?」
 仕返しに、なってないと気づけ、お前は、という言葉は飲み込みながら、ヴィルは立ち上がる。軽すぎて心許ないが、背中全てに感じる体温が心地よすぎておかしくなりそうだ。
 ほっそりとした腕が首に回され、話しかける息が首筋や耳にかかる。
 が、不意に体重が後ろに偏った。背中で栞里が体ごと空を見上げたよで。
「あ、月っ。きれいだよ」
「こらっ危ない。嫌がっても抱き上げる方にするぞ。押さえられるからな」
「ひぅ」
 そんなに嫌なのか、すぐにしっかりと背中に張り付いた。とっさに尻尾で支えたから良かったが、背後では本人がこれでは危なくて仕方ない。
「確かに、月はきれいだな…」
「ね?」



 嬉しそうに耳元で笑うから、ヴィルは大きく尻尾を揺らして、感情を逃した。





「お前は、時々幼い子供みたいだな」
「なんか悔しいけど、そのつもりでいてくれた方が、いいや。お色気ヴィルがそうすれば出てこなさそう」
「考えておく」




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