拾われにきた獣〜氷の獣人公爵〜

明日葉

文字の大きさ
上 下
13 / 87
1 順応しましょう

お出かけしよう 4

しおりを挟む
 坂を下って栞里が鍵を開け、喫茶店の中に入るなり、ヴィルの耳と尻尾が見えるようになった。それを栞里は眺めているのだけれど、ヴィルは素知らぬ顔で買ってきた食材などを持って奥に進んでいこうとする。
 少し左右に揺れる尻尾を眺めながら、ヴィルと手を離して内側から鍵をかけた栞里はシャツの裾を引っ張って呼び止めた。

「シオリ?どうした?」
「一旦その辺に買ってきたもの、置いて?」
「うん?ああ。全部上に持っていくのかと思っていた。違ったのか」


 申し訳なさそうにそう言いながら示されたあたりにヴィルが荷物を置くのを確認すると、栞里はヴィルの顔を覗き込む。整いすぎている顔は恥ずかしすぎてそれほどまともに見ていないのだけれど。それでも疲れているな、と感じる。

「ヴィル、疲れた顔してるよ。それにすぐ耳と尻尾、見えるようになったし。魔力、もしかしてすごく減ってる?人混みとか、慣れないことで疲れたでしょう?部屋で休む?どうしたら、一番楽?」
「っ」

 そんな風に気づかれたことも、気遣われたことも意外で、覗き込む栞里の顔を見下ろしてヴィルの体が固まった。なんて無防備に人の懐にするりと入ってくるのだろう。
 危なっかしくも感じながら、感じたことのないむずむずするような感情に、胸がざわざわと落ち着かないのに無性に暖かくなって、ヴィルはそれを表現する言葉を知らない。


「ヴィル?」
「ああ…」

 我に返って、そうだな、と認めてうなずいた。疲れや、魔力が減っていることを認めることは、危険につながるから決してしなかったのに。膝をつきそうなほどでも、意識を手放しそうな時でも、表面は完璧に取り繕ってきた。身についたそれは、先ほどだって剥がれていなかったはずなのに。

「栞里がさっき淹れていたコーヒーが飲みたい。あと…庭の泉の水を、飲んでもいいか?」

「あそこの?…いいけど、あれでコーヒーもいつも淹れてるよ?ご飯の料理とかもだし。まあ、検査してもらって、そのまま飲んでも大丈夫だって言われているから、好きなだけどうぞ。その間にコーヒー淹れてるよ」





 栞里に、タオルとコップを手渡された。コップで飲んでもいいし、そのまま飲むなら、手や口を拭けるように、と。
 もう、背を向けて準備を始めている栞里の方からは、良い香りがする。そちらを気にしながら、ヴィルは裏口から庭に出た。



 心地よい木陰を作る樫の木の下にある、渾々と水の湧く泉。その水がどこに流れていっているのか、あふれる様子もなく流れ出る水の道があるわけでもない。驚くほどに澄んでいるのに中心は底が見えず深さもわからない泉の水は、心地よい風の通る木陰にあるからか、ひんやりと冷たく甘味すら感じる。
 コップで飲み、ヴィルは安堵するような息をつきながらやはり、と思う。この水には、不思議な力がある。
 先ほど栞里に指摘されたとおり、魔力はかなり減っていた。気を抜いた瞬間に解いてしまうほどには。知らなかったはずのこの場所がこれほど安心できる場所に一瞬でなっているという事実にも驚いたが。生家ですら、気を抜けなかったというのに。

 その魔力が穏やかに回復するのを感じる。慣れない魔術を構築し、木を張り詰める場所を歩いたことで常より効率悪く減った魔力が体に負担のない穏やかな回復をしていく。
 触れれば心地良さそうな水に手を触れてみれば、外を歩いて火照った肌に心地よい。ヴィルの尻尾は嬉しげに大きく揺れて、そのまま手で掬った水に口をつけた。





 しばらくして戻ってきたヴィルを振り返って、栞里は楽しげに笑う。
 不思議そうに首を傾げるヴィルの耳が注意を向けていることを示すようにこちらを向き、尻尾が機嫌良さげに揺れているのを見て笑いを深めた。
「だいぶ調子良くなったみたい。よかった。はい、どうぞ?」
 客に出すのとは違う、大きめのカップに入れたコーヒーをわたし、栞里も自分用のカップに口をつける。
 口に含んだヴィルが幸せそうな顔になって目を細めるのを確認して、栞里はしてやったりと笑顔になった。

「このコーヒーは先代のここの店長、もともとここを建てた人なんだけど。その人から仕込まれて。豆の機嫌は天気や季節湿度、いろいろなもので変わるんだーって、厳しかったんだけどね」
 それを、彼が満足するところまで覚えた結果、栞里の今がある。このコーヒーを入れられる人間は他にはいないから、と。味が変わったら、その時点で首だと、とてもいい笑顔で言われている。
「ああ、美味しいな」
 心底そう思っている様子でしみじみとヴィルが言ってくれれば、嬉しいを通り越して恥ずかしくもなるのだけれど。
 ヴィルとスツールに並んで座ると、ヴィルのスタイルの良さが際立つ。栞里はスツールの途中にある足掛けに足を乗せて座っているのだけれど、これほど高いスツールなのに、ヴィルはそのまま足を床についてもゆとりがある。背の高さも足の長さも、羨ましいを通り越して妬ましいくらいだと思うのは、冗談程度、だけれど。


「よかった」
「?」
「無理させたかと思って。でも、これでヴィルのものも買えたし、さっきのペンダントのおかげかわからないけど、離れていても大丈夫だったし。ヴィルも自由に動けるよ」
「ああ?」
 ピンとこない様子に、栞里の方が首を傾げる。この後は、買ってきた服から尻尾を出せるように加工をすればいい。
「帰る方法、まあ、探して見つかるものなのか時期が来れば帰っちゃうのか分からないけど、じっとしていられる気分でもないかなぁと思ったんだけど」
「帰る…」
 不意に向けられた言葉に、ヴィルは凍りついた。なぜ考えもしなかったのだろう。帰りたい、とも思わなかった。こんなに異質な世界で、この狭い空間を出れば体が蝕まれそうな場所だというのに。
 だが、それを思いもしなかった自分への驚きよりも、それを何気なく当たり前のように口にする栞里の様子に胸が軋んだ。そんな素振りは微塵も見せなかったけれど、やはり、迷惑で気味が悪いのだろう、と。自分の国でも恐れられ忌避される己に、獣人が存在しないらしいここではさらにその感情は強まって当たり前だ。
「そうだな…いつまでも迷惑はかけられないからな」
 硬い表情で淡々と応じる様子に、あれ?と思いながら栞里はヴィルを見つめる。少し怒ったような不機嫌な表情。ただ、先ほどまで揺れていた尻尾は、すっかり垂れ下がっている。
「あの。わたし、別に迷惑だとか言ってるわけじゃないよ?なんか、誤解してる気がする」
「…なぜそう思う」
「尻尾…」
「っ」
 憎らしい、とヴィルは目を逸らした。表情だけでなく、感情が現れやすい耳や尻尾すら意志の力で押さえ込んでいたのに、これでは気付いてくれと甘える子供のようではないか、と。
「あんなに辛そうにしていたから、ヴィルの体に合う国ではないんだろうな、と思って。でも、庭とか、気に入っているみたいだし。外に出てもヴィルが嫌じゃなければ、ここにいる間は帰ってくる場所はここにしていてね?帰る方法探すのにわたしも、手伝うから」
 事情を知っていてヴィルが獣人だって理解している人間がそばにいた方が便利でしょ?と笑う栞里に、栞里の方も誤解しているのでは、とヴィルは不安がよぎる。
 栞里のそばが便利だから、離れるように言われるのを嫌がっているのではないか、と。
 それを否定しようとしたところで、不意に栞里に尻尾を掴まれた。
「この手触りは、手放しがたい」
「…どうも」

 不貞腐れた声になったのは、仕方ないだろうと自棄な気持ちで思う。
 自分は確かに男なのに。なんとなく、目の前で無防備に笑う少女は、獣人の男ではなく、獣を拾ったような感覚でいる気がして仕方が無くなってきた。






しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

処理中です...