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しおりを挟む不貞腐れた顔で琥太狼はぐしゃ、と前髪を掴んでかき上げた。長い足で風を切って歩いて、待ち合わせの場所に向かう。
凪瑚から返事をもらって、ちゃんと恋人、と呼べる関係になって1週間。朝まで隣で寝ていて、という約束を取り付けて、それは毎日、のつもりでいたのに。あれ以来会うのは初めてなのだ。平日は無理、と言われ、せめて食事だけでも、顔を合わせるだけでも、と言っても、顔見ると流されるから、と。
流されてくれればいいのに、そこは頑固で。
琥太狼の家の方が職場には近いのに、そういうことではない、らしい。それなら琥太狼が凪瑚の家に行くと言えば、いや、それも、と苦笑いをされた。琥太狼の体の大きさでは休めないよ、と。凪瑚はソファベッドを使っていて、確かに、琥太狼の体にはあまりに小さい。でもその狭さに凪瑚を抱えて眠るのは幸せなのに、駄目だと言われた。
やっと会える、と体は急ぐのに、ダメ、と言われた不満は顔に出てしまう。
それでも。待ち合わせた駅で凪瑚を見つけて、顔を上げた凪瑚が咄嗟に見せたのが嬉しそうなほっとしたような顔で。それからどんな顔をするのが正解なのか悩むような様子で困った顔で笑うのを見れば、笑ってしまうのだけど。
「凪瑚、なんで平日だめなの?しかも、今日も一度帰ってるだろ」
金曜日で仕事上がりだと思っていたのに、着替えた様子がある。約束通り、朝までだとあらかじめ釘を刺してあったから、泊まる荷物はあるようだけれど。
仕事で遅くなるからという理由なら、近い琥太狼の家の方が楽なはずなのに。
「けいちゃんとそうちゃんのことやらないといけないから、お義兄さんのところに顔出さないといけないし。そこまで帰ったら、自分の部屋の方が近いから」
「…ちょっと待て」
当たり前のように言われても、と琥太狼はまじまじと凪瑚を見る。駅から歩いて、そのまま琥太狼の家に帰っていた。食事は、琥太狼が凪瑚を迎えに行く前に用意してある。一緒にそれを温め直して食べる支度をしながらの雑談だったのだけれど。
「俺と会えないのに、あいつとは毎日顔を合わせてるってことか?」
「あいつ?…お義兄さん?」
そうだね、会ってるかな、と悪びれる様子もなく答える凪瑚は、本当に悪気はないのだろう。それでも琥太狼は心穏やかではいられない。
ただ、子どもの面倒を、と言われて頭ごなしに感情をぶつけてはいけないことだけは、わかる。わかるのだけれど、言わずにおくこともできない。
「凪瑚、あのさ」
「?」
その、きょとん、という顔をやめてくれ、と目を逸らして凪瑚と向かい合って座りながら琥太狼は一つ息をつく。
「今度から、俺も一緒に行きたいんだけど」
「え?まさか、お義兄さんのところ?」
「他にないだろう」
「でもあそこ、お義兄さん仕事してるし…というかなんで?」
あのな、と見事に伝わらないことにもやもやする。
「凪瑚ともっと一緒にいたいし、凪瑚がどう思っていようと、他の男のところに通っているのは、面白くない」
「…っ」
一瞬間を置いてから息を飲む様子に、さすがにこれは伝わったか、とほっとする。本当はさらに言えば、なぜ凪瑚が当たり前のようにあの小さな子たちの面倒を見続けるのか、ということもあるのだが、さすがにそこには触れられない。状況的に、本当は凪瑚が引き取りたいくらいだったんじゃないかと心の内を想像してしまったりもするくらいの話なのだ。そして、あの男があんなに小さな子を1人で面倒を全て見られるとは到底思えないし、どうやら特定の相手はいなくなったらしい。
返事は聞くまでもなく了解、しかないと琥太狼はそのまま、その話を終わらせる。続けても、不毛だと自分でもわかる。
「あとさ、凪瑚。スマホ変えないのか?」
「んー」
返事が遅い、というか、そもそも既読になるのも遅い。放置癖があるのは聞いているが、子どもたちのことがあるから気をつけるようになったと言っていた。それならなぜ、と確認したら、すぐに充電が切れるのだという。
「もうそれ、限界だろう。つないでないと少し使うと電池切れになるって」
モバイルバッテリーにつないで使っているのを見れば、言いたくもなる。重たいだろう、とも思うし、いつ使えなくなるかわかったものではない。
「音信不通になったら、会いにいけばいいんだけど。俺と同じのにする?」
「っ」
言われた瞬間に、なぜかすごく嬉しそうな表情になった気がして、琥太狼は様子を眺める。作っておいた食事は美味しそうに食べてくれていてほっとする。食事を一緒にすると楽しそうに美味しそうに食べるから、食べること、が嫌いなわけではないのがわかるが、ただ、食が細くてだいぶ痩せている。
「口にあう?」
「美味しい。琥太狼くん、ほんとに、料理上手」
口の中のものを飲み込んで、疑いようもないくらい幸せそうに笑うのを見て、琥太狼も箸を進める。
「スマホは、変えないと、とは思っているんだけど」
「一緒に店、行こうよ」
「……」
なんでか、その言葉に嬉しそうにするのを琥太狼はやっぱり首を傾げる。
「なんか、喜ばせること言った?」
「え?」
「顔が嬉しそう。凪瑚が喜ぶポイント、全部覚えたいから教えて」
「…さらっとそういう…。新しいものの使い方を覚えるとか、プランの説明を聞いて必要なものと不要なものを判断するとか、苦手で。誰かに助けて欲しいんだけど、助けてもらう機会ってなかったんだよね」
あ、とそこまで言って思い出したように付け足す。
大学に入った頃、持たせてもらえなくて、大学の友人が連絡を取るのに面倒だから保護者のふりしてやるからとにかく買ってこい、なんて言ってくれたことはあったな、と。結局、成人するまでは持たずに我慢したと言ってから、話を戻す。
「あと、誰か…というか、恋人と同じ、とか、憧れたんだよね。お揃いって」
「…」
はにかんだような笑みに、琥太狼は思わず手で口元を抑え、一旦落ち着こうと目を逸らす。なんだろう、この可愛い生き物は。
それが、凪瑚だから、というのは大きい。そんなこと、他の誰かが言えば面倒だ、勝手に選べばいい、と思っただろう自覚はある。ただ、凪瑚の方はその反応に、居心地悪そうに目を伏せる。
「なんか、いい歳して何言ってるんだって感じ、だよね。前はキャリアも違ったからそういう話も持ち出さなかったし」
「違う違う。他の誰もやってない、凪瑚のやりたいことできるなら、絶対やる。んだけど、なんかまだある?」
言っている端からでも、と言い淀むのを促す。食事は終えて、後片付けに移る前にこの話は終わらせておきたかった。
しばらく考える風で、それから凪瑚は少し唇を噛む。それを、口にするのがまた、辛い。
「買い換える前に、やりたいことが、あって」
「?」
「データを残したくて」
「移行できるだろ?」
「あの。メッセージアプリの、トーク画面を」
そこまで聞いて、琥太狼は察する。そこまでして残したい相手なんて、1人しか思い浮かばないし、もし他の誰かだとすればそれは受け入れ難い。
「それで、やり方を調べたりしないと、と思いながら、まだしてなくて。トーク画面も、あの日から一度も、開けてないから…。開いてみたら何かの拍子に、たとえばやりとりが一定期間ないと消えちゃうとか、あったらどうしようって」
「あー」
思わず、両方の腕を伸ばして、凪瑚の頭を抱えた。びっくりした凪瑚の顔に、笑いかける。
「俺、見ていい?」
「…ん」
きゅ、と、凪瑚は口を引き結んでやっと頷く。
そんなこと、と、誰かに軽く扱われそうで怖かった。だから、誰かに相談して教えてもらって、と動けなかった。ただのやり取りだろう、と言われそうで。残してどうするんだ、と言われそうで。そんなものを残せば、辛いのが長引くだけだともっともらしく言われたら、答えを持ち合わせていない、と。
ただ、当たり前のことのように受け止めてくれた大きな手が、嬉しい。
「むぎ君の言葉で、けいちゃんやそうちゃんへの気持ちがそこにはあるから。もし、それを知って欲しいと思う時があれば、そのまま見せられるようにしたい。もうこれ以上、話すことはできないけど、だから、残したい」
「そうだな」
ぽろ、と、たまっていたいろんなものを全部含んだような大きな水滴が、こぼれ落ちて。
よしよし、と、立ち上がって回り込んだ琥太狼は座ったままの凪瑚の頭を引き寄せる。腹のあたりに息が当たるのはくすぐったいけれど、その熱が愛おしい。
ちゃんと、泣けていなかったんじゃないか、とふと思いながら、ひたすら、甘やかしたいと思う。
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