ヒュゲリ

明日葉

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「凪瑚ー。……何してんの?」
 加瀬の家からなし崩しに連れ出して、そのまま凪瑚が1人で住んでいるワンルームのマンションにそのまま上がり込んで。
 キッチンに立ったまま戻らない凪瑚に、さすがに長いな、と立ち上がってのぞいた琥太狼は、茶器をあっためたままフリーズしたようにぼんやりしている凪瑚に苦笑いをした。
 琥太狼の家より近い。当たり前と凪瑚は言うかもしれないが、加瀬の家と近い。呼ばれれば、すぐに駆け付けられるような距離。自分の家までわざわざ連れ出すよりも、と言うのと、凪瑚のテリトリーにもっと入りたくて、送っていく、と言う言葉でここまで来て、お茶でも、という言葉を引き出して。
 凪瑚の部屋の中は、小さな子供がいないのが不思議なほどに、子供の気配がする。角のあるものは柔らかい布で覆われて、部屋の片隅には子供用のおもちゃ、食器棚には小さな割れない食器のセット…。
 声と気配にはっとした様子で振り返った凪瑚が、しばらく琥太狼をまじまじと見つめていたと思うと、何やらふ、とおかしそうに笑みを見せた。
「凪瑚?」
「この部屋に、サイズ感が合わない」
「…そこは言わないでおこうか」
 凪瑚が1人で生活するには不便のないワンルームの部屋は、琥太狼にはとても窮屈そうで。玄関も高めの設計で作られている印象だったのに、琥太狼は少し屈んだな、と思い出して笑ってしまったのだ。
 凪瑚が普段食事をしている豆テーブルの前に1人用の座椅子クッションを置いてそこに座っていてもらったのだが、それもそういえば窮屈そうだった。規格外、だよな、と凪瑚は途中で手を止めてしまっていた作業を手早く進めて、温めたカップに茶葉からいれた烏龍茶を注いでテーブルに運んでいく。様子を見に立っていた琥太狼のそばを通りながら、やっぱり大きいな、とまた再確認になる。
 柔らかい香りと、口に含むと少し甘さも感じる烏龍茶を一口飲んでほっと一息つきながら、凪瑚は座椅子クッションは凪瑚に寄越して一緒にあったパウダービーズのクッションに座った琥太狼を横目に見る。長い足を曲げて肘を置いて、凪瑚が入れたお茶を飲んでいる姿は、こんな部屋でサイズ感がおかしく感じるようなアンバランスさでもかっこいいとか、あるんだなぁ、とぼんやりと眺めてしまう。とりあえず部屋との違和感がものすごい。
 ふと髪に触られて、はっと凪瑚は顔をあげた。覗き込んでいる顔が良すぎて思わず目を逸らしたけれど、それを琥太狼は何か誤解したようで手を引っ込めた。
「凪瑚に、言わないといけないことがいくつもあって、どっから言えばいいのかなってさっきから考えてるんだけど、な」
「?」
 少し声が篭っている、と訝しく思って顔を上げると、長い足を曲げた膝の間に頭を落として、頭を抱えている。明るい色の髪を掴んでいる長い指も、綺麗で色っぽいなぁ、と見てしまって、それから我に返った。
「琥太狼くん?」
「はは」
 呼ばれて、思わず笑ってしまった。悩んでるのに、凪瑚の声が、唇が自分の名前の形を辿る、それだけで嬉しいとか。
「凪瑚、あの男のこと、好きだったろう?」
「……」
 答えない凪瑚に、やっと腕の間から琥太狼は目を向けた。複雑な顔で口をきゅっと結んでいる様子は、琥太狼の言葉を肯定している。
 プライドも、あったと凪瑚は思う。付き合っている間に心移りされて別れることを受け入れるのに、邪魔なプライド。さっさと、開放してあげればいいのに。そうわかっているのに、手放せなかった。付き合うときに、別れた後が嫌だからと、なくなるものはいらないと言った凪瑚に、最初から終わりを考えないでと言った人に、やっぱり、こうなったじゃない、と、思ってしまう自分も嫌だった。
 きっと、自分の中にある好意を自覚するより先に察したあの人が、手を伸ばしたんだと、思ってしまうのも嫌だった。
 ただ、確かに好意は、ずっとあった。離れてしまう未来を否定できれば、と、無理なのがわかっているのに縋りそうになる程度には。
「俺がうやむやにして、悲しいとか、悔しいとか、そういうのを感じる時間をあの時邪魔したから、凪瑚の中でそう言う感情があいつへの気持ちと一緒に残っちゃっているんじゃないかと思って」
 そこまで言って、あー、と琥太狼はまた頭を抱えてグシャ、と明るい色の髪を痛そうなほどに掴むのを見て、凪瑚は驚いて琥太狼の服の裾を掴む。腕や…どこかに触れるには、いけないんじゃないかと思うくらい綺麗な男の人が…。
「ごめん。凪瑚に、そう言う時間をとっちゃってごめん、て言わないとと思ったのに、話してたら違った。ちゃんと、あいつを凪瑚の中から追い出して消えて欲しいだけだった…」
「えっと」
 さっきの言葉が不意打ちのように思い出されて、かっ、と顔に熱が集まるような気がする。

 口説いてるんで

「順番間違ったのはわかるんだけど、どうしたらいいか、今もわからないんだよ。凪瑚が探しているのは俺だって、教えないとと思った。でも、凪瑚にまた会えたと思った俺も知って欲しかった」
 俯いた琥太狼の視線は、自分の服の裾を掴んでいる手を見つめている。凪瑚は、気付いていないけれど。
「凪瑚が探していた男は、あの日で最後。凪瑚のお願いを聞いて、終わり」
「え」
「凪瑚のお願い、すら、都合よく聞こえた。だって、手を出していいって、望まれてたんだから。ただ、それは俺が欲しいのとは、違う感情だったけど」
 琥太狼自身、どうしてあんな風に過ごしていたのか自覚はしていなかった。恋人を作らない男、手に入らない男、その場限りなら、体は繋げられるけれど。そんな風に言われてもなんとも思わなかった。都合が良いとさえ、思っていた。
 ただ、自分が大事なものに会えると、思っていなかっただけなのだ。大事だと、欲しいと思えるのは子供の頃からたった1人に決まってしまっていて、ただ、嫌な記憶ばかりの幼い頃を過ごしたあの土地の誰かに連絡をとって居場所を知ろうとしなかった。自覚が、なかったから。なおさら。
 でも見つけたら、もう、他に触れたいものもないし、触れられたくもない。

 凪瑚が、掴んでいる服の裾を離さないようにとほんの少しの動きで、それでも離してしまうかもしれないから、離さないでくれと念じながら、琥太狼は自分の鞄に手を伸ばす。この間、凪瑚に持たせた古いカメラ。
 凪瑚が撮った写真を後で見て、恥ずかしさと嬉しさと、いろんな感情でぐちゃぐちゃになった。決して上手な写真ではない。でも、好きな視点。そして、凪瑚の目に写っている自分の姿も、あった。カメラを構えている姿。不意打ちのように、気づかない間に撮られていた表情もあった。そんな顔をしている自分は、知らない。カメラを向けられていることに気づいた自分の顔は、照れ臭そうに、嬉しそうに笑っていた。
 その写真を凪瑚に見せると、自分が先日撮ったものだとわかる凪瑚は不思議そうに首を傾げる。凪瑚にとっては、会ってからずっと、琥太狼は表情豊かで穏やかで優しい。小さい頃のことを話されても、ああ、そうか、と納得する程度。
「凪瑚といると、俺はこんな顔してるんだな、って思った」
 凪瑚に言って信じてもらえるとは思えないけれど、きっと、凪瑚以外の、例えば薫音とかが見れば、絶句するようなことなんだけど。
 服の裾を掴む、凪瑚の腕を琥太狼の大きな手が覆った。
 驚いて反射的に引こうとする凪瑚の手を、痛くない程度にぎゅう、と握った琥太狼の手が、冷たくてちょっと汗ばんでいて、体を固くしながら凪瑚は逃げられなくなる。


「凪瑚、順番が色々ぐちゃぐちゃになったんだけど。この間の俺が言ったことも、凪瑚にしてみたら、何言ってるんだって思わせたんだろうって、後からわかった」


 好きになって


 そう言われて、凪瑚は実際、混乱していた。どう言う感情で、言われたんだろう、と。
 好きになったら、どうするんだろう。好きになって、その人でいっぱいになって、また、なくすんじゃないかと怖がって過ごすのはもう嫌だと思った。しかも、相手の気持ちもわからない。

 暗示に、かかりやすいから。やめて欲しい、と。
 いつも、自覚ないまま恋心は外からやってくる気がしていた。誰かの噂で、あの子のこと好きなんでしょう、と言われて。そうなのかな、と考えたり見たりしているうちに、確かに好きなんだな、と思うのは、もともとあった感情を自覚しているのか、暗示にかかっているのかわからなくて、そんな不確かな自分の気持ちが一番信用できなくて。
 恋愛下手で、男友達も多いのに彼氏がいないからと、女の子が好きなんじゃないのかなんて噂があるよ、と言われたこともあった。それは忘れられなくて、なんとなく頭に残っていて、だから、紬との「確かめよう」ができたような気もする。

「凪瑚」
 過去の記憶に溺れそうな凪瑚の手を握っている琥太狼の手に力がこもる。今という時間の現実に引き戻すように。


「俺と、つきあって…?」
「あの」
「待つって言ってあげたいけど、またない。待てない。誰に譲るつもりもないから。凪瑚の目に映っている、この写真みたいな俺で、ずっと凪瑚といたい」


 腕を引かれて、軽々と、さっきまで琥太狼が頭を抱え込んでいた膝の間に、腕の中に、凪瑚は抱え込まれた。



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