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しおりを挟むす、と、テーブルに影がさし、音を立てずにカップが置かれた腕の先を見上げて、加瀬はほんの少しだけ目を細める。その顔を眺めながら、ため息をついて向かいに座ったのは、凪瑚の実の兄で、加瀬にとっては親友でもある晴季で、手にしていた文庫本を閉じてテーブルに置いた。
「待ったか?」
「さあ…読んでいたからわからないな」
淡々と答える様子に、変わらないやつだな、と晴季は少し目を閉じるような仕草で笑う。その笑顔が、凪瑚に似ているな、と加瀬は目の端に捉えながら、少しだけスマホに目を落とした。連絡はない。まあ、ないだろう。
子どもは凪瑚に頼んできた。自分が見ているよりもよほど、問題の起きようもない。そもそも子どもたちが凪瑚の方が慣れているんだから。
「子どもらは?」
「凪瑚に頼んだ」
「お前…俺の妹を」
「僕の、義妹でもあるよ」
まだ言うか、と晴季は呆れを通り越して諦めに近い思いで友人を眺めた。
凪瑚が幼い頃から、自分よりもよほど凪瑚をかまっていたと思う。後から思えばあれは、兄のような感情ではなかったんじゃないか、と、そう思うのに。なまじ、この男が凪瑚ではなく、もう1人の妹、乃笑と結婚をしたからその言葉は飲み込み続けてきた。凪瑚の義兄、と言う立場が欲しかっただけじゃないのか、と言う疑念も、乃笑が死んでしまった今はもう、冗談でも口にする勇気はない。
「墓参り、凪瑚も誘えばよかっただろ」
「朝、うちに来る前に済ませてきたって」
加瀬の家の墓に入るわけにもいかない事情があり、かと言って、実家の墓に入るのは嫌がるだろう乃笑を、加瀬は乃笑が好きそうな場所に墓を買ってやっていた。高台で、海が見えるあの墓地に、凪瑚は1人、暗いうちに行ったのだろう。朝日が昇るのでも眺めて、1人で帰ってきたのか。
そう思うと、晴季はやりきれない思いになる。命日に、男2人は連れ立って行くのに。弟はきっと、行かない。幼い頃に別居した両親は、父が上3人を、母がまだ赤ん坊だった弟を引き取って、そのまま現在に至る。そうやって別に暮らす両親も、それぞれ墓には行かないんだろう、と晴季は思う。どちらも、乃笑の死に方を許していないし恥ずかしいと思っているように感じられて。
「そういえばさ、脩平」
顔を上げるだけで話を聞く加瀬に、晴季はいつものことだからと気にせずに続ける。この間、弟に一応、墓参りを聞いたときに不機嫌な返事の後に聞いた話。
「真叶が言ってたんだけど、凪瑚、少し前に彼氏と別れたらしくて」
「それは知ってる」
知ってるのか、と呆れながら、そこじゃないんだよ、と続ける。
「ちびの頃、よく遊んでた子とばったり再会して、時々会ってるんだって。真叶、この間まで凪瑚が付き合ってた男、気に食わないって言ってたけど、今度は特に言わなかったな」
「…お前に話す時点で、気に入っているんだろう」
穏やかな口調なのに、若干不機嫌を聞き取って、晴季はこっちは知らなかったんだな、と察してやれやれ、と肩を竦める。両親が別居した後も、凪瑚だけは頻繁に行き来をしていた。子どもの頃は弟とよく喧嘩をしていたけれど、それも馴染んでいるからで、多分弟の中できちんと「きょうだい」と言う感覚があるのは凪瑚だけなんじゃないかと思うことがある。
「お前も覚えてるんじゃないか。ほら、外国の血が入った、ちょっとぽっちゃりした子、いただろう」
あいつか、と、すぐに思い出して加瀬は無意識に眉間にシワがよる。夕方、暗くなる前に、と凪瑚を迎えに行くと、責めるような目を向けてきた少年。自分から凪瑚を取り上げる敵のように見られていた。実際そうだったわけだが、遊ぶ邪魔をしていたわけじゃない。あんな目を向けられる筋合いはない。
「お前はいやそうだなぁ」
「別に」
「不機嫌な声。よし、その不機嫌なまま、墓参りいくぞ」
「…はいはい」
ふわりと、加瀬の不機嫌をかわすように晴季はカップのコーヒーを飲み切って立ち上がる。やれやれ、と加瀬も立ち上がった。いつも世話になっているから、あまり文句も言えない。
弁護士になった晴季には、乃笑が亡くなった後に山積していた問題や、その後の2回の離婚でも助けてもらい、今も、別れた妻が亡くなった後、子供を引き取るのに必要な手続きを全てやってもらっている。
「そう言えばさ、脩平。話は変わるけど、お前あの、今一緒に住んでる子いただろ。その子とお前の子どもたちはどうするんだ。結婚考えてるんだろ?」
「ああ、別れた」
「は!?」
脩平にもまだ慣れていない。むしろ凪瑚を追う子どもたちを、脩平の彼女が可愛がれるものなのか、結婚した後の関係は戸籍上どうするつもりなのかと考えを巡らせていた晴季は、想像していなかった答えに面食らう。
確かに、来るもの拒まず去るもの追わず、だからこんな遍歴になっている男だけれど。いくらなんでも急転直下だ。相手の女性にあったことはないけれど、家に住むことを許す程度には、先のことは頭にあったはずなのだ。
「何、子どもとうまくいかなかった?」
「いや…お前に、彼女を訴えてもらいたいくらいだ」
忌々しげな加瀬の声に、晴季は目を細める。
随分と、怒らせたものだ。これはむしろ。
「凪瑚に、なんかあったか?」
「…凪瑚の同級生だっていうから好きにさせたのに、あれがいると、凪瑚が寄り付かなくなった。子どものことがあって、やっと凪瑚が少し戻ってきたと思ったら」
よほど腹に据えかねることだったのか、加瀬の様子に晴季も顔をしかめる。加瀬の手にある、白い花で統一された花束が、少しかわいそうになるくらいに強く握られている。
花束が、似合う男だよな、と少し思考を逸らして気をまぎらせてから、先を言わせれば、確かに、気分の良い話ではない。
「あいつは、そういうことがあっても俺に言わないからなぁ…。誰だ。その同級生って。というかお前、凪瑚の同級生と付き合ってたのかよ」
歳が離れているから、と凪瑚を妹のように可愛がっている男が。だったら、素直に凪瑚に手を伸ばしてくれた方がまだ、このおかしな関係に納得がいく。兄として、非常に、非常に複雑だけれど。
「えみか、て、聞いたことあるか?苗字はなんだったかな」
お前、仮にも付き合って同居していたんだろう、と言いたくなることを平気で呟く親友にため息をついて、晴季は加瀬を促して足を早める。
その名前なら、記憶はしている。そんなに、仲の良い子だったわけではない。あまり、良い印象もない。どちらかと言えば、乃笑に似ているタイプの子だったな、と。
「お前は、少し来るもの拒め。…そのせいで俺の妹に迷惑かけるな」
「ああ…今回ので、さすがに反省したよ」
暗い目でそんなことを言うから、心配になる。
妹にとっては、初恋の、優しいお兄さん。そう言う時期があったのは気づいていた。ただ、あまりに加瀬が妹として扱うから、凪瑚の中でもう、文字通り、幼なじみで義兄、でしかないだろう。あとは、尊敬する大好きな作家。
不意に、加瀬がスマホに目を落として、表情が変わるから、晴季は軽い気持ちで尋ねる。
「凪瑚か?子どもが同化した?」
「ああ…凪瑚だけど。子ども連れて、ちょっと外を歩いてくるってだけだ。家に帰ったときに不在でも、心配しないでと」
「…そんな連絡まで」
子どもがいないと騒がれたのが記憶にあるんだろう、とは加瀬は思う。それで不在だったら、行き先を加瀬が知らなかったら、と。凪瑚が何かするなんて思わない。凪瑚に何かあったんじゃないか、と心配はしても。
あの一件の後、週末を挟んで週明けからは凪瑚も無事仕事に復帰した。その間に、凪瑚の会社の人が動いて、騒ぎを誤解したままかもしれない同じビルに入る会社には挨拶と説明に回ってくれたとかで、嫌な思いはしていないと言うけれど。
ため息が漏れそうになる加瀬の横で、晴季がスマホを取り出しているから様子を見ていると、何かを打ち終えた晴季が屈託なく笑う。
「そんな騒ぎがあった妹の顔見たいし。帰りがけにまだ出先だったら合流して一緒に帰ろうって連絡しといた。佳都と奏真の顔も、久々に見たいしな」
「お前は…親戚のおじさんか」
「似たようなもんだろう…」
少し、救われた気持ちになりながら加瀬は坂道を登る。ただ儀式のように、毎年命日に花を手向ける場所へ。
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