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しおりを挟む車を走らせて、琥太狼は鎌倉の海岸沿いで車を止めた。ぶらぶらと歩いて、江ノ電に乗って、気ままにあちこち歩いていれば十分楽しめるし撮りたいものもあると。
車から降りて海風を受けながら心地良さそうに目を細めた凪瑚の横顔に、車からカメラを持ったそのままの手で、シャッターを押す。髪型に気を使っているわけでもおしゃれをしているわけでもない。化粧気もなくて。それでも、琥太狼には何よりも魅力的にうつる。自分の目に映るそれを切り取るには、写真は難しい。彼女がカメラに慣れて自然な表情を見せてくれることももちろん、必要だし。
「…今、撮りました?」
「撮りました」
答えながら、フレンチキスをする。
「んっ」
「凪瑚はキス好きだね」
「違うっ」
はは、と笑いながら、くしゃくしゃと頭を撫でた。サラサラの髪の毛が手に気持ち良い。海風で背中まである髪を扱いかねているのを面白がりながら、防波堤に座らせて簡単にまとめ髪にしてやる。
物言いたげな凪瑚に、首をかしげた琥太狼をさらに凪瑚は恨めしげに眺めた。
「器用ですn…器用だね」
「…残念、セーフにしてあげよう。子どもの頃母子家庭でね。朝忙しい母親が、化粧している間にまとめるだけでいいからと頼まれてやっていたんだ。本当に、小さい頃だから、ただ括るくらいしかできないのに、それでも母親は嬉しそうだった」
「…うん」
カメラマンだというから、モデルさんにやってあげてるのかな、とか、さすが女慣れしている、という感想だった凪瑚は、思いがけない話に申し訳ない気持ちも湧きながら、ついその整った横顔を見上げてしまう。
「まあ、手先はもともと器用だったんだな。ネットとかでやり方見れば簡単にできるようになったよ。この髪は、凪瑚に会った後ネットで見かけてやってみたいと思ったやつ」
「…いい話だと思ったのに」
「いい話だろう?凪瑚のために覚えたんだから」
「それ、誰にでも言ってるやつでしょ?」
「な訳ないだろが」
まとめてしまったから先ほどみたいにくしゃくしゃとはできなくて、前髪に触れるだけでそう言った琥太狼は、自分が立ち上がってから凪瑚の腕を引いて立ち上がらせる。
「凪瑚、撮りたくなったら凪瑚撮っていい?」
「…えっと」
「外には出さない」
「じゃあなんで」
「俺の趣味」
なんかそれはそれで、とぶつぶつ言いながら、凪瑚は困った顔になる。
「撮られ慣れてないし、撮られると思うと緊張する」
「隠し撮るから任せろ」
「何それ」
ふは、と吹き出した屈託のない顔に、琥太狼はそっとシャッターを押す。その早技に驚いたように目を見開く凪瑚の驚いた顔も素の表情で、そのままもう一度。
「な…」
硬くなったのをみて、琥太狼は凪瑚を手招いてまた歩き始める。
「このタイプのカメラは、こうやってすぐに撮るのに楽なんだよね。カメラはそれぞれにいいところがあるから。それにコンパクトタイプでも、かなり性能はいいし」
「へぇ」
「触る?」
「うん」
楽しそうにカメラの話を聞いている凪瑚に媚も偽りもなくて。琥太狼に気に入られたくて話を合わせる者たちを相手にする不快さは一切ない。
背中のリュックから、もう一台カメラを出す。
「?」
「このカメラの前に使ってたやつ。今も時々使うんだけど。凪瑚、今日これ持ってて。それで、凪瑚が撮りたいな、と思ったものを好きに撮っていいよ」
「え」
「こんな風に撮りたいけどどうしたらいい、とか聞いてくれていいよ」
「…レッスン料、取ります?」
キス。
「それはまあ、考えておこう」
「怖くて聞けません!」
今度は、腰をしっかりと抱いて長めにキスをした。
「凪瑚、やっぱりキス好きだろ」
「…反省し…た。ここまで本気でやるとは」
「俺は凪瑚にはいつも本気だから安心しろ」
開放されて、歩きながら凪瑚は少し前を歩く背の高い人を、大きな背中を見つめる。
こんな風に優しく接して。大事だって大事にされてるって思わされるような言動で。それで恋人作らないとか、よく揉めずにやってきてるな、と思ってしまう。それだけ、うまくやっているというか、そういうところも相手を納得させるのがきっと上手いんだ、と思うしかない。
コミュニケーション取らなきゃと思うだけで身構えてしまう自分には、わからない世界だ。
行ってみたかった、しかけ絵本のお店に立ち寄ってもらって、凪瑚は佳都と奏真に絵本を買う。父親が作家だと言っても絵本、特にしかけ絵本なら畑違いだから問題ないはずだ。
歩いていて見かけたイタリアンの店に入ってランチをして、くずきりを食べよう、とお茶による。
「…このまま鎌倉で夕飯までして行ってもいいなぁ。夕方とか夜もまた写真は面白いし。凪瑚、Hyggeいかなくていい?」
もともと、自分が呼び出したのだしいいだろう、程度に琥太狼は言うけれど、凪瑚は少し微妙な顔になる。
言われて、行きたい気持ちになっていたというのと、あのお店で琥太狼が話を聞いてきたのなら、どんな風に伝わっているのか気になる、ということもある。気にしても、仕方ないことなのに。
「凪瑚?」
竹林の間を歩いてカメラを触っていた凪瑚からの返事に間があって、聞こえなかったかな、と琥太狼は呼びかける。少し俯いて、凪瑚はカメラに目を注いだまま、それでもキッパリと返事をした。
「あの、写真のお仕事で夕方とか夜までいないとダメなら、わたしあのお店は早い時間帯だけ入るの許してもらっているので行けなくて仕方ないんだけど…。もし、お仕事が大丈夫なら、薫音さんのところ行きたい」
返事をしたのに、反応がない、と。
いいよ、なり、仕事だしまた今度な、なり、軽く返事があると思っていた凪瑚が戸惑う間もなく、背後から腕が回ってきて振り向かされる。
深く口付けられて、体を固くして反射的に押し返そうとする。
「なんで…」
今、敬語使ってない。
「他の男のところ行きたいとか、言うからイラッとした。悪い」
「は…?」
またそうやって、誤解させるような、と思っているのに、向き直らされて、やんわりと胸の中に抱き込まれる。はぁ、と息遣いを耳元に感じて、思わず体が震えそうになった。
「俺が誘ったんだもんな。行こう」
そのまま、手を繋いで歩き出す。長い足で、歩く速さは全然違うはずなのに、ついていくのにちょうどいい速さ。そう言うところまで、男前なんだなぁ、と感想が上滑りしていく。
「そういえば、こた…ろうくん」
「君、か。今日一日迷って、呼ばなかったもんな。ずるいやつ」
「昨日の騒ぎ、なんでわかったの?」
他愛ない話を続け、車を琥太狼の家に置いHyggeに歩いて向かいながら凪瑚が尋ねると、ああ、とこともなさげに琥太狼は答える。
「早上がりになったって常連客が、薫音さんに話してたんだよ。凪瑚の会社の人間っぽい話ぶりだったな」
「…昨日いかなくてよかった」
「?気まずいか」
「じゃなくて。あそこ、ゲイバーでしょ?」
ああ、とそれは思い浮かばなかったと言う様子で琥太狼は笑う。
この人はきっと、そういうことを気にしない自由な人なんだな、と思う。
「わたしも気にしないけど。本人が、周囲にどうしたいかは、尊重しないといけないから」
「だな。…凪瑚は…」
最後が聞き取れなくて見上げるのに、小さく笑って琥太狼は二度は言わない。
凪瑚は、変わらない。
大事なことを、当たり前のように息をするようにして過ごしている。
教えてくれる。
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