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しおりを挟む2人を預けて、いつものように中に入っていくのを見送ると、残っていた担任と、出て来た園長に声をかけられた。振り返ると、気遣わしげな顔をしている。
「聞きました。大変でしたね、羽佐美さん」
担任の言葉に、昨日の騒動が伝わっているのだとわかる。迎えにきたときには言っていなかったのだから、その後の話だろう。
「加瀬さんから連絡がありました。保育園のほうに万が一何か働きかけがあっても、子どもたちのことで一番は凪瑚ちゃんだから、と念押しをされましたよ」
園長の言葉で肩の力が抜ける。でも、と言い淀んだ。
「どこまで聞かれたかわかりませんけど、わたしや加瀬さん以外が迎えにくること、ありますよね?」
「ありませんよ」
思いの外きっぱりと言われて面食らう。その顔を面白がるように、担任の保育士は園長と顔を見合わせた。
「もともと、佳都ちゃんと奏真君のお迎えは、羽佐美さんと加瀬さんだけです。他の方に引き渡しはできません。事前に分かっている方以外からの問い合わせにも応じないことになっていますが、今回のことで改めて周知されましたから、安心してください」
いや、安心というか、と凪瑚はいいよどむ。加瀬のパートナーがそれができないのは、困るのではないか。子どもたちと離れろと言われず、変わらない距離感で接していられることは嬉しいけれど、それはいいことなのか判断しにくい。
「今日のお迎えは?」
「加瀬さんの予定です。よろしくお願いします」
「あらあら」
おっとりと、園長が微笑んだ。
「じゃあまた、大変ねぇ」
「え」
「佳都ちゃんは、しょんぼりした顔をするだけなんだけど、奏真君はまだわからないから、泣いちゃうことあるのよね。パパに慣れてないから仕方ないけど、あれはかわいそうよ、パパ」
あー、とそこは苦笑いでごまかす。
時間はかかっても、互いに馴染んでもらうしかないのだから。
謹慎、って言われたしな、と家に戻ろうとすると、スマホが振動していることに気づく。Low、と出ている名前から、ロウ、と呼ばれる琥太狼を思い浮かべてとった。そう言えば、勝手に交換されたから登録がどんな名前かは気にしていなかったし、昨日メッセージが来たときもよく見ていなかった。
『やっと出た。夕方Hyggeでって言ったけど、凪瑚、日中は何かしてる?』
「は。あの、謹慎って言われてるので、家にいようかと…」
『は!?』
よほど想定外だったのか間が抜けた声に凪瑚の方が驚く。
『お前、学生かよ。つか、学生だって大人しく家にこもってねぇだろ』
「いや、いるでしょ」
『何にしても暇ってことだな。じゃ、待ってろ』
「は、え、ちょっと」
どこで、とも、何時に、とも何もなく切れてしまった通話画面をまじまじと見つめて、ぽかんとする。
見つけるだけで一苦労だと思っていた人に、思いがけず会えて。しかも、実現予定もなかった願望もあっさりと叶えられてしまってそれで終わりのはずの関係だったのに。
なんでこんなことになっているのかわからない。
待て、と言われて、その場で待つのは違うな、ととりあえず家に帰った。家にいるつもりだという会話の流れからしたら、それが正解だろうと思ったのは、とりあえず合ってはいたようで、昨日近くまで来ただけのはずの家にあっさりと琥太狼はやってきた。
車の軽いクラクションが聞こえるな、と思うのとスマホがまた振動するのが同じくらいで、今度はメッセージだけ。
外に出て
慌ただしくスニーカーを履いて鞄の中の財布と鍵だけ確認して、忘れそうになったスマホを持って。
ようやく自分の身なりを見下ろす。洗い晒したジーンズと、薄手のニット。今さらどうにもならないし、これが普通だ、とそのまま外に出た。
どうせ、どれほどおしゃれをしたところであの見た目の男がジーンズとTシャツだけだったとしたって隣に立つには不釣り合いだ。そもそも、おしゃれのセンスは持ち合わせていないし、服だって仕事用と普段着用しかない。
外に出ると、古いデザインの小さな車に大きな男が乗っていた。可愛い車に思いがけず気分が浮上する。
「おはようございます」
「おはよ。乗って」
「は…」
乗ると、運転席と助手席の距離が近い。変に緊張するのをごまかすように、凪瑚は中をきょろきょろと見回す。
「意外でした。ちっちゃい車」
「小回りきいていいんだよ。まあ、イメージしたんだろうでかい車もあるよ。遠出にはそっちの方がいいこともあるし。バイク乗りたきゃバイクの後ろも今度乗せてやる」
「今度…」
引っかかるのはそっちか、と琥太狼は目を細めながら車を走らせる。凪瑚が後部座席の荷物に目を止めているのに気づいて、凪瑚の膝の上から荷物を取ってその後部座席に腕を回して置いてやりながら話す。
「カメラ、気になる?」
「あ、はい。というか琥太狼さん、お仕事は?」
平日なのに。会社勤めなら仕事のはずだ。
「さん」をつけ、ほぼ敬語の凪瑚をじっと見つめて、琥太狼はうーん、と考えるそぶりを見せた。どうやったら、その口調を砕けたものにして、親しく呼ばせられるか。
「俺、カメラマンなの。今日は、ちょっと気ままに動きながら、撮りたいものがあったら撮る感じだから、軽いカメラだけしか持ってきてないけど」
「でもあのカメラ…ドイツのあの有名な。なんか子供の頃にどこかで聞いてから気になって、大人になってからネットで調べたら高くて」
「うん?」
凪瑚が興味津々の目で見ているから、つい、嬉しくなる。その顔は、シャッター押したいのに、今はできないともどかしくもなる。
「後で、触ってみる?」
「いいんですか!?」
言われたのと、赤信号で車が止まるのが同時で。
近くにある凪瑚の首の後ろを大きな手でホールドして、そのまま唇を重ねた。
驚いている凪瑚の口の中に舌を差し込んで、固まっている舌を絡めて吸い上げる。
「凪瑚、俺のことさん付けて呼んだり、敬語使ったらキスな」
「は!?」
「そうそうその調子」
「…なんでそんな」
「凪瑚の近くにいるって実感したいから」
走り出して前を向いたままそう言った琥太狼の横顔に、胸が跳ねる。
そのことに驚きながら、凪瑚はそれを宥める。この人にそんな感情、抱いちゃいけない。抱いても、結果は見えている。暇つぶしに構っているだけ。たまたまいろんな場面に居合わせちゃって、同情されてるだけ。
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