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しおりを挟む他の客の顔を見ない方が良いと思っているのか、人を探していると言う割に凪瑚は人の気配に顔を向けない。むしろ他の客が来るまで、という条件を守ろうとするように財布を探すそぶりに、薫音はそれを一旦制して目だけを入ってきた男、ロウ、と界隈で呼ばれている凪瑚の尋人に目を向ける。
どこの国だったか、欧州系の血が流れている日本人離れしたガタイと精悍に整った顔は、それだけで人を引き寄せる。明るい髪色と鳶色の目、物語に出てくる騎士や王子のようだと半ば本気で評する客もいるようなその見た目で、こたろう、と言う日本的な名前を持つ青年は、この店にいないはずの客の姿に何を思ったのか、二つ間を開けてカウンターに座った。
そちらに一瞥もくれない凪瑚と対照的に、琥太狼は薫音からは容易に見て取れるほどに凪瑚の様子を眺めている。
「ごめんなさい、長居して。わたし、人と話すの得意じゃないのに…マスターが聞き上手だからつい話しちゃいました」
「ああ、ちょっと待って」
もう1人入ってきたことでドギマギしている様子に、確かにコミュニケーションは得意ではないのかと薫音は観察する。人探し、と言いながらそちらに目も向けられないのはそのせいか、とも。
「その探し人、見つけてどうするつもり?」
先ほどまでの気にせず話す様子は引っ込んでしまい、困った顔で目の前の女性客が薫音の問いに目を泳がせるのを、薫音は少し面白げに見やる。
「あの…聞いていたその人が、そんな人が、ほんとにいるのか、ただ、見てみたい…と言うか」
奥歯に物が挟まったような言い方に、黙って薫音が待っていると、先ほどあけすけに「噂話」を口にしたのと同一人物とは思えないほどに声が小さくなる。
「わたしに付き合っている相手がいなければ」
「うん?」
話しにくそうな様子に、顔を少し近づけてその小さな声が聞こえるようにしてみると、薫音が気を回してくれたと思った凪瑚は、内緒話をするようにその耳元に口を寄せ、ほっそりとした両手で耳に寄せた口元を隠す。
その仕草に、琥太狼がぴくり、と反応していることには、2人とも気づかずに。
「ぶはッ」
凪瑚の言葉に、さすがに堪えきれずに薫音が吹き出した。
その反応は想定の一つではあっても、反射的に凪瑚は恥じらうような拗ねるような顔を見せる。
おしりでエッチ、してみたら、親友が言ってた「そっちじゃない」って気持ちが少しわかるかな、って
耳許で白状された内容に、薫音は目の前の女性客の感覚に力が抜ける。試しに、女同士の体で触れ合ったことがあるとも先ほど言っていた。
好奇心旺盛なのか、それほど親友になんでもしてやりたくなるほど、友人思いなだけなのか。ただ、面倒な偏見はなさそうで、むしろその独特な感覚は心配になるほどに変わり者で。
急かされるように、居心地悪そうに会計を求められて、紙に書いた金額を渡しながら、一緒に店の名刺を渡す。
「僕はマスターじゃなくて、ただのバーテンダー」
「くりゅう、かのと、さん?」
きれいな字、とそこにある名前を目でたどる。源氏名のようなものなのだろうか。と、そう思っていたのが顔に出たのか、釣りを渡されながら薫音が笑う。
「本名だよ。君、名前は?」
「…羽佐美凪瑚、です」
フルネームを教えてもらったのだから、と、フルネームを伝えると、今度は薫音にははっきりわかるほどに琥太狼が反応した。その目が隠す様子もなく、凪瑚に向けられている。
「なこちゃん、ね。またここに、人探しに来ていいよ。君が探している人を教えてあげることはしないけど。今度は、意味なんて考えずに好きなお酒を飲みにおいで」
「え」
「こう言う時間なら、営業にも問題ない。ところで、探しびとの見た目、何も聞いてないの?」
「はあ…日本人離れしたイケメン、としか」
答えながら立ち上がった凪瑚の視界に、自然と琥太狼がうつる。
日本人離れした、整った容姿。
「…あ…」
まさに、今口にしたような相手の姿に、さすがに戸惑う凪瑚から目を逸らし、琥太狼は立ち上がる。高いスツールも、琥太狼の身長と足の長さではまるで普通に椅子に腰掛けているように目にうつる。
「ロウ?」
「もう、外暗くなってるから駅まで送ってくる」
「ああ」
「え、そんな…」
「甘えた方がいい、なこちゃん」
馴れ馴れしい、と言いたげな琥太狼の視線を面白がりながら、薫音は促す。琥太狼がこの子の何に反応しているのか分からないが、この執着は、ただ事ではない。
「君、明るい時間に店の前にきていたから分からないだろうけど、この辺りは物騒なんだよ」
ロウ、と薫音が呼んだ青年が紳士的にドアを開けてエスコートしてくれる。こんな扱いに慣れなくて、ぎこちない動きになりながら、思わず身をかがめて、すみません、と頭を下げながらドアを潜る。
苦笑する気配に顔を上げると、首の後ろが引っ張られる感覚があるほど、上に顔があった。
女性として、どちらかといえば高めの身長の凪瑚が並んで見上げるほどの人は、なかなかいない。厚い胸板が目の前にあって、視線を泳がせると見えた手は骨張っていて、長い指は爪まできれいだ。
「凪瑚、駅、でいいんだよね?」
「あ、はい」
さっきのやりとりを聞いていたんだな、と凪瑚は頷く。
「ありがとうございます、ロウ、さん?」
店を出てみて、周囲を見回せば確かに、1人で通り過ぎるのは勇気がいる。ホテル街で、あちこちに黒服が立っている。
「琥太狼、だよ」
「は…」
名前を聞いた瞬間、違和感が頭を過ぎる。何かが、記憶に引っかかる。
そんな名前の友達が、小さい頃…。
ぼんやりとそんなことを思いながら歩いていた凪瑚は、不意に腰を引き寄せられる。
驚いたが、すれすれのところを通る人の気配に、ぶつかりそうなのを引き寄せてくれただけだと察して、礼を言おうと琥太狼を見上げようとしたその目が、先にぶつかりそうになった人物と交わる。
そのまま、体が強張った。
「凪瑚?こんなところで何を…」
お互い様なのに、探る声に棘を感じて、凪瑚は頭が真っ白になる。
ホテル街で、男に腰を抱かれていれば、誤解だ、なんて誰が信じるだろう。
付き合っている相手がいなければ、と、薫音に言った。
目の前には、その相手が、いる。
向こうも、1人ではないけれど。
嫌になる程、よく知っている顔。
小中学校で一緒だった人。でも、彼女にも今、恋人がいるはずで。
「一方的に責めるようなことしてるけど、あんた、今そこから出てきて彼女にぶつかりそうになっただろう?」
頭の上からの声。
示された先は、と、視線を向けて、反射的に逸らした。
「お互い様、って、ことだよね」
「凪瑚?」
琥太狼が驚くような声で呼ぶけれど、庇うような腕は離れていくことはなく、むしろしっかりと引き寄せられる。
「…さよなら」
「何それ、この状況で言うことがそれだけ?」
尖った声に、思わずカッとする。少なくともそれは、あんたが言うことじゃない。
そう思っても、喉が張り付いたようで、声は出てこない。彼女みたいに、可愛く甘えられない、可愛げなんてない。
謝ればいい?責めればいい?
この状況での正解なんて、それでなくても人とのコミュニケーションの正解を考えている間に疲れてしまうのにわかるわけない。
正直、引導を渡されるのを、待っているようなものだった。いつ、終わりにしようと言われるのかと思っていた。
この人が、悪者にならない形で終わるのは、いいんじゃないかと思ってしまうくらい、覚悟していた。
何にも浮かばなくて、この場にそぐわない言葉だけが、口をついて出た。
「お世話になりました」
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