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はじめての拒絶
しおりを挟む常盤君、連れておいで、と言ったのはさらっと無視して、橙子が入ってきた。
5年ぶりに足を踏み入れるゲイバー。
「こんなところに、子ども連れてくるわけないでしょ」
こんなところって、ご挨拶ね、と5年分老けたバーテンダーが橙子にコースターを出しお手拭きを持たせる。ただ、注文を聞いてすぐにそれを出したら離れていく。
片隅のテーブル席。
「どこを指定しても連れてこないだろうと思ったからだよ」
言いながら、自分の分は、自分で作る。持ち込んだ酒、近くのコンビニで買った氷、自販機の水。ここで薬を盛られた。あれ以来、はじめて来る。あの時おそらく、ここも捜査されている。何も言わずに、迎えられたけれど。
「ごめん、どう話していいか分からないから…橙子」
「…」
何かを覚悟しているように、橙子は黙って出されたグラスに口をつける。ダージリンクーラー。辛口のジンジャーエールで。女にしておくのは勿体無い、と、ここに連れてきたときに可愛がられていたこいつを思い出した。
「あの子は、僕の小さい頃に瓜二つだ」
「…そう?」
「橙子」
「ずっと蒼と一緒にいたわたしが育てたから、似ちゃったんじゃない?」
「中身じゃない。見た目だぞ」
「…だから?」
橙子は、真っ直ぐに僕の顔を見る。今も。ただ、あまり見ない、不敵な顔をしている。
「わたしは、大事な人の子を育ててる。一個も、欠片も、嘘はついてないよ?」
「ああ…言ってないことが、あるだけだな」
橙子の手が伸びてきて、僕のグラスに水割りを作る。躊躇いもなく飲める。少し薄く感じるのは、濃い酒を飲むようになったと言うことか。
「わたしさ、最初は反射的に連絡したの。でも、蒼は出なかった。メールも。そのうち、冷静になった」
「何…」
「言ってどうするのって。蒼、わたしが一番、聞きたくないこと言おうとしてる」
「橙子」
「あれは、大事な天使だよ。わたしが育てている、大事な人の子」
「ねえ、橙子、聞いて。僕は…」
「責任が取りたい?」
喉が張り付く。僕の表情から、何を読み取ったんだろう。
橙子は、綺麗な笑顔で笑って、僕を拒絶した。
「蒼に、取らなきゃいけない責任は、ない。5年前、わたし、蒼に話してどうするんだろうって、頭が冷えた。責任取ってって言うの?蒼にとってしんどい記憶、ずっと目の前に置き続けるのか、って」
ないよね、と笑う。
「蒼は、自分が好きだと思う人と、一緒にいてほしい。丸ごと受け入れてくれる人と、時間を重ねればいい。わたしは、それを今までと同じように、見ているの」
「…それは、橙子じゃない?」
「それがわたしだって言うなら、考える。わたし、時間かけてその可能性封印したから」
「それで僕から逃げた?」
「逃げてない。タイミングが良かっただけ。蒼の好きな人が、蒼とわたしが親友でいることを許してくれるなら、変わらずにいられると思ってる。蒼が、うちの天使を抱き上げることも、親友の子だったら、あるかもしれない」
蒼、と呼ぶ心が凪いでいくような10年以上僕の拠り所になり続けた声。
「中学の時のあいつ。津田」
僕を蔑んだあいつ。でもなんだか、あの後橙子とは和解をしていて、頭が上がらない様子で。僕にもいつしか普通に接するようになっていた。
「結婚してさ。今度子供生まれる。日本離れて携帯壊して。でも、顔を合わせれば連絡先なんて復活できるから。そこからまた復活していけるから。誰かが連絡くれるかもって、番号もアドレスも変えなかった。蒼は、一度も、連絡寄越さなかった」
橙子に捨てられたと思った。先に遠ざけたのは自分なのに。連絡して返ってこないことを怖がった。
「津田の後さ、蒼、誰か好きになった?感情、動かした?」
橙子の手が伸びてきて、頬に触れる。それで、自分の目に滲んでいるものに気づいた。滲んだ視界で、橙子が困った顔で笑っている。
僕の言葉を防いだのも、僕の胸をこんなに痛めているのも、こいつなのに。
「きっかけが、常磐って言うなら、仕方ない。あれは天使だから」
「え…」
会わせてあげる、と言った後で、考え込む横顔を見る。
「こぶ、ついてくるかも」
「…なんでもいい」
もう、これでもかと言うくらい、感情が揺さぶられすぎている。
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