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明日葉

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止まった時間

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「お前の方から連絡よこすのなんて、初めてじゃないか?」

 表情も変えずに言った男の向かいに座り、そうですね、とただ応じた。
 緋榁はどんな反応をするかと思ったけれど、特段の感情を浮かべる様子もなく、長い足を組んでコーヒーに口をつけている。
「お前は?」
「僕はいりません」
 指定されたコーヒーショップは彼の職場から近い場所だ。いつ呼び出されてもいいようになのだろう。僕の答えを聞いて、少しだけ口の端を持ち上げる見覚えのある笑い方をした。
「だろうな」
 知っているのか。予想していただけなのか。自分の知名度は自惚れではなく自覚しているから知っていておかしくはない。
「橙子に会いました」
「ああ…帰国してるからな。会うこともあるだろう」
「あなたは、ずっと会っていたんでしょう?」
「仕方ないだろう?」
「仕方ない?」
 言わんとすることがつかめずに、思わず聞き返した。そこで呆れた相手の顔に気付いて息をのむ。
 舌打ちをした相手を見ていると、大きなため息をつかれた。
「お前に話すつもりはねぇよ」
「な」
「と言っても、話すべき奴が話すはずがないから、事実だけ教えてやる。中学の時のあれは、まだいい。だが、5年前はだめだ。現行犯だぞ。性的暴行、薬物、恐喝、不法侵入、傷害。お前が訴えないからって不問になるわけがないだろう」
「そ、れは」
 並べ立てられた言葉。関係者に会うこともなかったから、誰も僕に突きつけることのなかった5年前の事件の話。ただ、それを掘り返そうとしているのは、僕のほうだ。
「お前が意識ない間に、橙子が全部引き受けた。あの男たちからの被害も、お前への加害も」
「加害はっ」
「ああ。お前が藍沢に否定したから、なくなった。誰も疑っちゃいない。ただ、そうでもしないと、男と女って性差は、男に不利になることが多い」
 証拠は、橙子が持っていたスマホ。あとからそれをネタに僕を強請ろうとしていたそれは、一部始終を記録した揺るぎない証拠になった。
 後処理を、全て橙子が引き受けた。ということか。
「あいつ、そんなこと何も…」
「まあ、言うつもりもなかっただろうが、お前、あいつに会おうとしなかっただろ?隣に住んでたってのに」

 黙り込んだ僕を促して緋榁は店を出る。隣を歩きながら、身綺麗にすればそれなりだろうに、いつも縒れたスーツを着ている刑事の横顔を眺める。何を考えているのかわからない。ただ、ずっと気にかけてくれてはいた。放っておけなかったんだろう。危なっかしい中学生の坊主は、そのままどんどんひねくれた大人になっていった。
 そして自業自得の事件。
「会って、どうだった?」
「は?」
「橙子」
「どうもこうも…」
 察したように、ふっと顔が緩む。だろうなぁ、とつぶやく男の気の抜けた表情に、自分が放棄したものを一緒に片付けてくれた人なのだと実感する。一番の関係者が知らぬ存ぜぬでいられることなど、あり得るんだろうか。でもそこに証拠があって、あえて被害者の証言が必要なこともなければ。
 わからない。
「あいつな、お前にあんな真似した奴、絶対に許す気がなかったんだよ。まあ、強請のネタってのは場合によっては諸刃の剣だからな。奴らのスマホのおかげで罪状には困らなかった」
「…あんたは、橙子が育ててるって子を知ってるんだろう?」
 前後の脈略を無視した言葉に、面食らう様子もなく子煩悩な親の顔で刑事はうなずく。
「あいつが話したのか?」
「たまたま話題から分かっただけだ」
「育ててる。そうだな。会わせてもらったか?」
「僕が会ってたら、あんたは知ってるんじゃないの?」
「違いない」
 笑うとやけに人好きのするこの人は、確かに正義の味方なんだろう。
「お前が橙子にあったの聞いたら、うちの長男が嫌な顔するんだろうなぁ」
 五十里もそんなことを言っていた。そう思って探るように見ていると、緋榁は父親の顔のまま、僕を見た。背が高いと思っていた警官より今は自分の目線の方が高い。
「5年前に橙子に会った時から、橙子が大好きみたいでな。マセガキだよ」
「僕と橙子は、そういうんじゃない」
「ああ、そう言うんじゃない。でも、一番近いだろう?5年離れてたって」
 そうだ。
 誰にも触れない。人の体温なんて感じることはないだろうと思っていたのに、あっさりとそう言うものを取っ払った場所に橙子はいる。
「ゲイでもない男が男に落ちることがあるなら、ゲイが女に落ちることもあるだろってのが、うちの息子の持論だ」
「…なるほど。でもそんなの、橙子は嫌がるだろうな」
「ああ。いつやっぱり女は無理、って言われるかわからないような関係、嫌がるだろな」





 仕事に戻る、と去り際。
 緋榁が真面目な目で僕を見た。その口が開かれるのは嫌だったのに。この男は容赦ない。

「お前の時間は、5年前で止まったままだな」



 橙子の時間は動いているんだろう。
 子供を育てる、と言う容赦なく時間の経過を感じさせられる行為は、橙子の時間を動かすのに役立ったのかもしれない。でもきっと、そんなことと関係なく橙子の時間は動くだろう。
 言われるまで気付きもしなかった。
 あの時、ただ体の回復をさせるだけで事件から離れられた自分。
 訴えなかったからだ、と、信じて疑わなかった。考えることを拒否して、時間を止めてしまったのかもしれない。




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