無責任でいいから

明日葉

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番外

ルードが仕上がるまで

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 母は、絶世とも傾国とも言われる美女だった。
 容姿は母に似ていた。ただ、何にも興味はなかった。あの日まで。何をしても褒められても、できて当たり前と思える以上、喜びもなかった。




 妹が生まれたのは、3歳の頃。興味はなかった。似ていると言われたから、似ているのだろう、程度で。
 生まれてどれくらいした頃だろう。まだ乳飲み子だったからそれほど経っていなかっただろう。
 いつまで経っても泣き止まぬ声に、何事にも無関心であっても流石に気になった。いや、正確に言えば気になり始めると気付くまでは耳に入りもしなかった騒音が耳障りでしかたなかった。誰もいないのかと苛立ちのままに泣き声の方に向かった。張り上げすぎた声は涸れ、苦しげですらあったが、それを可哀想とも思わなかったし心配にもならなかった。今思い返しても、なんてことをと思う。大事な妹の泣き声など、最初に息を吸った瞬間に気づいて涙の原因を取り除けと背中を蹴り倒したい。


 声は分かり切ってはいたが、妹のセシリア。日のあたるサロンで、籐編みの籠に入り、顔を真っ赤にして息も絶え絶えに泣いていた。
 いつからその状態なのか。そこには誰もいない。恐ろしいほどに。
 ガラス越しに日を浴び続けて暑さのあまり体温が上がったところに泣き続け、放っておけば静かになりそうではあった。
 兄だから、と、幼いながらの言葉足らずにも、答えられもしない赤子にばかばかしいと思いながら母の行方を尋ねると、答えの代わりに真っ直ぐに見つめられた。涙はまだ溢れ続けている。
「なんだ」
 思わず身をかがめた。かがめた拍子に、妹の方に髪が流れた。手が届いたようで、掴まれる。
 痛いかと思ったが、思いの外弱い力で、本当にこれは、危ないと気付く。それなのに、なぜか妹は、こちらをじっと見て泣き声を上げるのをやめた。
 人がいないことが不安だったのか、なんなのか。母に似た顔を見て、母が戻ったと勘違いしたのか。ただ、浅い呼吸で眠った。



 理屈も通じないような妹が、自分を見て安心して眠った。その瞬間に湧いた感情は、初めて、心が動いた結果だった。あの瞬間に、セシリアが全てになった。そして、すべてをセシリアのものだと決めた。






 日当たりの良い場所から涼しい場所に移動させ、水を唇に当てて水分をとらせている間に、母が姿を見せた。やけに青ざめ、気怠げな姿は、育児疲れかと思った。かつてであれば美しく微笑みその場で一緒に過ごそうとしたであろう母は、部屋に戻りなさいと言い、部屋を出るときに振り返れば、セシリアをぼんやりと抱き上げもせずに見下ろしていた。







 母はその頃から病んでいった。
 愛妻家で知られた父が心変わりをしたらしいとはすぐに聞こえてきた。侯爵家に生まれ、類稀な美貌でもてはやされてきた母にとってそれは、信じがたいことだったのだろう。
 歩き始めるかどうかの妹に、お前夫を誑かしたのかと呟いた。「も」と言うからには、相手をその頃には知っていたのだろう。
 醜くなりなさい、と、母はセシリアに体に悪そうなものばかりを食べさせた。甘いものは好きだったようだけれど、そういう問題ではない。周囲は、いくら好きだからってそんなものばかりあげてはダメだと、娘を可愛がるばかりの甘やかしだと受け取っていたようだけれど。母の外見を受け継いでいるはずのセシリアを醜くしようとしたのは、最初は母で、次は義母だった。
 夫の心を引き留めようと、様々な化粧品や食品、挙句に薬品にも手当たり次第に手をつけた母は、日を追うごとに美しい肌も表情も、艶のある髪も失っていった。痩せ衰えた母が実家に引き取られるのと入れ違いに、義母が家に入った。いや、入れ違いですらなかった。同居期間があったのだから、父もつくづく最低な男だと思う。
 母の実家は、父に怒りを向け、母の味方にならなかった子供たちへの援助もしないと突きつけた。なるわけがない。夫を挟んでの恋敵だと娘を…いや、俺のセシリアに厳しく接するのは、母親ではなくただの女だった。



 義母は、フラウを連れていた。セシリアの1歳年下の、妹。血の繋がった。
 母に似ていようと、見た目の良い息子を義母も義妹も味方に取り込もうとした。興味はなかった。むしろ、気持ち悪かった。彼女たちの猫なでごえもご機嫌とりも怖気が立つだけ。なぜ、と不思議そうな顔をするが、なぜそれを疑問に思えるのかがわからない。
 一般には美しい部類に入るのだろうが。恥ずかしげもなく妻子ある男を奪った良識のない女でしかないだろうに。
 自身の魅力を教え込もうとするように、義母は幼いと、内面までも幼いと思い込んでいる様子で俺に語った。
 見目麗しい伯爵に一目惚れしたこと。その時には、自分と出会うのが遅かったばかりに前妻がいたこと。優しい伯爵がその女に向ける眼差しも声もすべて、本来であれば自分に向けられるものと。
 父は、女を狂わせるのだろうか。辟易とした。思い込みの激しい女に。それでも、そう思い込んで実際奪い取った実行力は認めざるを得ないが。
 その方法になんとなく想像がついた時、この家は終わったと確信した。
 父が義母に聞くに耐えない愛をささやいても、違うと荒れる日があった。そんな目じゃない、そんな声じゃない、と。当たり前だ。操られているようなものなのだから。そしてこの女はきっと、という意識がある以上、どれほど与えられても乾き続けるのだ。自業自得の連鎖。
 事情が分かっても、どうする気にもならなかった。実の母に教えてやる気もない。あちらもまた結果自滅したのだ。ならば、自ら壊した過程で滅んでいくがいい、と。
 12歳の時に弟が生まれた。弟に家を継がせたい義母の態度は変わったが、どうでもいい。家を顧みなくなった、いや、仕事をしなくなった父と贅沢ばかりの義母と義妹が傾けたこの家は荷物なだけだ。それを必死で支えているのが幼いセシリアだということが信じがたい。できるわけのない領地運営や屋敷の切り盛りを押し付けられ、できなければ叱責され、その恐怖から覚えは良かったが、限度がある。
 手を差し伸べても差し伸べても、キリはなかった。


「そんなものがなくても、わたしの美しさがあればなんでも手に入るわ」
 そんな高慢な声が聞こえた時には耳を疑った。
「それをさらに助けて間違いなくしてくれるわ。持っていなさい」
 義母がフラウに与えたもの。想像だったものが確信に変わり、もう一つの疑問の答えも与えられた。
 一時期は母と義母のせいでぽっちゃりとしていたが、それでも子どもらしい愛らしさだったセシリア。それなのに、本人は自分を醜いと、人前に姿を見せることも避ける。目に映れば義母と義妹から厳しく言われるためもあるが。だが、意図的な義母は置いておいても使用人も出入りする人間も褒めない上に否定もしない。
 魅了と幻惑の力。
 義母と義妹は、それを俺にも使おうとした。全く、何をしようとしているのかわからないほどに何も感じなかったが。
 そして、セシリアが見つけてからずっとそばに置いているアダンにも。結果は同じ。




 あの日から、俺の全てで唯一はセシリアなのだから。他のものが入る余地があるわけがない。










「だからね、セシル。君がその命を終える時まで俺が守るし、終えた後も守るからね」




 楽しげに働いているセシルの後ろ姿が可愛くて、思わず引き寄せて膝に乗せ、抱きしめた。
「お兄様!?」
 驚いた反応まで可愛い。でも。
「セシル、違うだろう?」
「会ってます!」
「うん?」
「ルード!いい加減にして。それに、急に言っている意味がわからない上に重すぎて怖いっ」


 本気で言われて、それに笑ってしまう。
 気配を消して、感情も表に出さないようにして生活していたセシルがあの家をまんまと出られたのは良かった。本人も言っていたが、責任を取るとここに居座る王子には感謝しているくらいだ。
「だからリール、帰っていいぞ」
「は?」
 間抜けな顔だ。同じように驚いているセシルは可愛い。
「…ルード。頭の中でたくさん考えて、言葉になるのがその一部分だと、伝わらないのよ?」
「うん、セシルはよく分かってくれているから、それでいい」
「よくないわっ」



 本気で逃げようとする様子を、食堂の客が笑って見守っている。邪魔しにくる奴がいたら叩き切るところだが。



「気に食わないのは、お前が時々呼び方を間違えることと、アダンのやつを近づけすぎていることだけだ」



 人が不在の間に、アダンが距離を詰めてきた。それを言えば、セシルが何かを言う前に問題のアダンがにっこりと従者の頃の笑顔で近づいてくる。
「仕事の邪魔をするのでしたら、出て行っていただきますが」


 腹立たしいことに、やけに鍛錬に昔から励むと思ったら、俺にも負けないようにするためだったと言うことが先日判明した。
 国にいる頃にも並ぶものがいないはずだった俺なのに、こいつとやると五分五分なのが実に、許せない。



「セシル、愛しているよ」




 真っ赤になって逃げ出すのか。やめられない。
 そして、アダンがまだそんなに思ったほどには距離を詰めているわけではなさそうだと、目を合わせてみた。





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