無責任でいいから

明日葉

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 言葉の優雅さとは裏腹に、優雅に見えるのに恐ろしい速さで家に繋がる廊下の扉をくぐって扉を閉めたアダンをセシリアが見上げる間に、向こう側で大きな音がした。
 ただ、この扉はアダンとセシリアにしか開けられない。泊めたものが、不埒なことを考えても実行できないように。
「2人にして大丈夫?」
「…あのままにしていれば、確実に兄君は一緒に寝ようと言い出しましたよ」
「そうね。目に浮かぶわ」

 げっそりとした表情で頷くセシリアの頭を撫で、今日は疲れたでしょう、とアダンはそのまま渡り廊下を進んだ。





「アダンはもしかして、知っていたの?家のこと」
 いつものように、風呂上りの濡れ髪をアダンが丁寧に乾かしてくれるのに身を任せ、セシリアは少し身を捻って尋ねる。アダンは無表情に頷くだけだ。
「耳には入っていましたが。シアの耳に入れる必要はないと判断しました」
「…わたし、それほどお人好しじゃないわよ?」
「ええ。そう言える方なのは存じ上げていますが。気にしていないわけではないのも、分かっています」


 そりゃあ、とセシリアが俯きそうになるのを、やんわりとアダンは背後から顎に長い指を当て、振り向かせる。
「勝手に黙っていたと、怒らないのですか」
「怒ることじゃないもの。アダンの言う通りだし。…でも、あの方達が思い通りに事を進められずに王家の不興を買ってしまうことになるとは思わなかったわ」
「王家の目が節穴ではなかったと言うことで喜ばしい限りです。…無能な伯爵は放置していましたが」
「アダン!」

 咎めるように名を呼ばれて、アダンは気にする様子もなく、髪が乾いたことを確認してセシリアを抱き上げる。そのまま自分の膝の上に横抱きにして座らせた。
「ちょっと!」
 抗議の声は聞こえないとばかりに、アダンは額をセシリアの肩口に擦り付ける。深々と吐き出した息が肌に触れてぞわりとする。
「兄君のお迎えには、ついていかれるかと、思いました」
「…お兄様は、ちゃんとご令嬢をお迎えして、ご自身のことを考えないと。そのためにも、お兄様の近くにわたしはいない方がいいの」
 それは無理難題だとは、アダンはあえて言わない。
「それに。万が一連れ戻されるなら、アダンがいないと嫌だって泣くから、いいかしら?」
 言うや否や、腰に回されたアダンの腕に力が篭る。苦しいくらいでその腕を叩いて抗議するが、離してくれる気配はない。
「許可など…当たり前です。来るなと言われても、ついていきます」
「…あの。さっき殿下にも言ったけど。アダンも、わたしへの責任感とか、いいのよ?」
 言った途端、しまった、と後悔した。先ほどまでの空気は消え去り、アダンの目がいつも通りに見えるのになぜか怖い。
「シア…あの2人のせいでまたそんなことを言うようになるなんて」
「いや、あの」
 本能的に逃げようとアダンの腕をおすセシリアの手を取り、アダンはそのほっそりとした掌を自分の頬に当てさせた。
 そのすべすべとした手触りに思わずセシリアは固まってしまう。先ほどは自分からこの美しい顔の耳を引っ張ってしまったと言うのに。


「あの日。薄汚れた見た目と、それ以上に爛れた心のわたしをあなたは見つけて連れ帰ってくれた。わたしの大事な大事な、美しい宝石のようなお嬢様。あの日から、わたしはあなたのものです。あなたがわたしを不要としたのなら、わたしはあなたの前から消えましょう。そして、わたしは、あなたと共に在れないわたしを、必要としません」



 あまりにも重い言葉にセシリアは目を見開く。
 その間に、頬に当てていた掌に、アダンが唇を寄せて、押し当てた。柔らかい感触にびくりと体を震わせるが、魅入られたように目を逸らすことも逃げることもできない。



「あなたは言葉を尽くしても分かってくれないから。何度言っても、信じてくれないから。それでも、何度でも言いましょう」
「アダンっ」


 心がもたない、とセシリアは慌てて声を上げる。


「わたしのものじゃない。あなたは、あなたのものなの。だから、わたしのためじゃなくて、あなたのためにちゃんとあなたの時間を使って欲しいのっ」

「ええ、それが、わたしにとってはシア、あなたといることなので、ご安心くださいね」





 とてもじゃないが、かなわない。



 セシリアは白旗をあげ、こくこくと頭を上下させた。
 その場しのぎですね、と喉の奥で笑いながら、ようやく唇を掌から離し、手も開放してくれたと思ったのに。アダンはそのまま流れるような仕草で身を引いているセシリアを自分の胸に寄りかからせる。
 疲れ切ったセシリアに、抗う余力はもうない。


「疲れたでしょう、お眠りなさい」
 耳許でささやかれ、セシリアは嫌々をする。
「眠るならベッドに行くわ。子供じゃないから、抱っこはいらない」
 アダンも、今日は町まで行って疲れているのに、と。
 耳の後ろや髪を優しく撫でられて、心地よさに意識が遠のきそうになるのを縛り付けている。
「これはわたしへのご褒美だと思ってくださいと、何度も申し上げておりますのに。それに、子供じゃないことはよく、知っております。あなたが大人の女性だと分かっているから、こうしているのですよ」



 分からない、と言う顔で、ただ、眠気と戦うとろんとした目で見上げられて、アダンは微笑んで額にキスをした。子供扱い、とここでそんな風にセシリアは反応するのだから、これはもうほとんど眠っているなと笑ってしまう。





 安心し切った様子で寝息を立て始めたセシリアの髪を撫でながら、アダンはその頭頂に口付ける。

「あなたが何処かへ嫁いだとしても、誰かを恋しいと思ったとしても、もとよりおそばを離れるつもりはありません」








 ですが。




「シア、このままわたしの手の中に堕ちて欲しいと、願ってやみませんよ」








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