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しおりを挟む「貴様、わたしのセシルにその汚い手で触れたな」
非常に残念な思いでセシリアは兄を見上げた。そう、残念なのだ。女性からの誘いも、娘を嫁がせたい親からの釣書の山も全て無視。いや、無視すらしていない。認識していない。同じ二親から生まれた妹が不憫でしかたなくてこうなったのか、控えめに言っても変態級の妹執愛。それはもう、犯罪に手を染めかねないほどに。それで離れれば冷静になるかと留学に出されたはずなのだが、変わってない。
と思ってから、言葉を向けられたリールに目を向け、どんよりした様子にハッとなる。
「お兄様、なんてことを!汚くないわ、汚くないわよ。まあ、急なことで驚いたけど」
「お前を驚かせるとは…それで心臓が止まったら」
「止まりませんっ」
「…ずっと合わなかったのによそよそしいな。それにお兄様だなんて他人行儀な」
「いえ、身内への呼称ですよね?」
「セシル?」
セシリアは次第に面倒になる。何が面倒と言って、ルドヴィルとアダンは何を張り合ったのか、セシリアの愛称を別々にした。あえて、だ。なんでもいい。本当に、なんでもいい。
セシリアに汚くない、と言われたことで浮上したリールがお前はと口を開こうとするが、ルドヴィルはすでにその存在を意識から排除したかのようにセシリアにじっと視線を注いでいる。いや、注意が逸れていない証拠に、切っ先はそのままだ。
「…ルード、離してくださいっ」
「呼び方は合格だが。言葉遣いと言っている内容は…照れ屋だな」
それは認める、とセシリアはきゅ、と唇を引き結び、恨めしげに兄を見上げる。照れ屋に対してやる所業ではない。知っているのであれば。楽しんでいるとしか思えない。兄とは言え顔向けするのが申し訳なくなるような美貌の人に抱き寄せられて平常心でいられる人がいたらその方法を教えて欲しいくらいだ。
「セシルっ」
ただ、妹の恥じらった上目遣いは、無意識ゆえになおのこと、破壊力は抜群だった。思わず腕が緩みくらりとするルドヴィルは、その隙に身を引こうとしたセシリアの細い手首をとり、先ほども聞いたような台詞を吐く。
「なぜ俺を頼らないっ。お前のためなら即日帰郷してあんな家は闇に葬り去ったのだぞっ」
「不穏なことを言わないでください」
焦ってセシリアが言うが、ルドヴィルは聞く気はない。
「その上あの…思い浮かべるのも忌々しい。お前がいなくなったと言う知らせを受け取るのに三月もかかるとは」
それはまた随分遅かったものだ。さすがにセシリアはそれでここにくるのがこの時期だったのだと思えば、やはり見つけるの早いな、と空恐ろしいほどに感心するしかない。
「まあ、安心しろ。お前を追放したことで全員、蟄居を命ぜられ、監禁されている」
「蟄居?監禁?どっちなの?」
さすがに驚いて聞き返すが、答えてくれる気はないらしい。期待もあまりしなかったが。冷静な時には非常に頭の切れる兄なのだが、今は残念モードを爆走中だ。
「だから、安心してわたしと帰るぞ。それで、邪魔者もなく二人で生活できる」
「おいっ」
さすがに黙っていられないらしくリールが口を挟んだが、セシリアも黙っていられない。
なんでこの二人が同じ時に見つけてくるのだろう。でも、2人をばらばらに相手をせず、一度で済ませられると思えば効率的なのか。そうなのか?
「お二人ともっ。確かに、家を出たきっかけは、ノード伯爵から命じられたからですが」
勘当された相手を、父と呼ぶのもな、と敬称で呼ぶ。父と呼ぼうとしたが、嫌悪感に塗れた顔で叱る顔が浮かんで声にならなかった。
「ですが、それまであの家に居続けたのも、出て行くことを許されていなかったからです。むしろ渡りに船なのです。今、生活に不自由はありませんし、初めて自由を味わっている気分なのです。だから、わたしのことはお気になさらずに」
お引き取りください、と続ける前に、2人の声が見事に重なった。
「なぜアダンは連れてきたのにっ」
「あの男は連れてきたのに」
いやもう、比較がおかしいとセシリアは顔を歪める。方や王子。方や勘当された家の嫡男。その2人と手に手を取って出ていくとかありえないと言うか、想像したことすら今申し訳なくて仕方ない。
アダンには、させなくて良い苦労をさせたとは思っているが、来てくれて良かったと心底思っている。
さすがのアダンも、この2人は追い払えないだろうけれど。こんな日に限って、町に買い物を頼んでしまったし。
「大変そうだね、お嬢さん」
不意の声にセシリアが顔を向けると、あの、問題発言の後も懲りずにやってくる金髪碧眼のきらきらしい人がいつ来たのか入り口に立っている。その向こうには、他にもお客様の姿。
「何の痴情のもつれかしらねぇけど、嫌がってんだから連れてくんじゃねぇぞ。その人いなくなったら俺たちが困るんだ」
後ろからのがやに、その青年はまあまあ、となだめるように黙らせて入ってくる。
「はなし、面倒そうだからみんなに食事出しておくよ」
「は、ありがとうござ…違う、そうじゃない。わたしがやりますっ」
慌てたセシリアの向こうで、リールが茫然とした顔でその客の顔を見つめていた。
「お前、リュシー?」
「兄上、ようやく見つけたのですね。公務を片付けて時間を作るような生真面目なことをやっているから時間がかかるのですよ」
兄上??
と、セシリアはその青年を見つめ、だが、一番言いたいのは彼が何者かと言う驚きではない。
「やるべきことをやるのは当たり前のことですっ。それを馬鹿にするなど、いけませんっ」
「…今ので僕が何者かもわかったはずなのに、ほんと面白いよね。兄上、僕はとっくに彼女を見つけていた。やるべきことをやるのもいいけれど、譲れないものじゃなかったんだね」
何を言っているんだ、と顔をしかめているところに、ようやくアダンが帰ってきた。
戸口に立ち止まって中を見渡し、勝手に座れと客を促してから大股にセシリアに歩み寄ってくる。
「シア、念のため確認しますが。彼らがくるからわたしを買い物に出しました?」
「へ?」
助けになるかと思ったのに、と間の抜けた声を出した後でセシリアは悔し紛れに整ったアダンの顔に両手を伸ばし、両の耳を引っ張った。
「どこから聞こえていたのか知らないけれど、この耳は飾りなのねっ」
「…承知しました」
なぜか嬉しそうに蕩けるような笑みを見せたアダンは、容赦なく、王子2人とルドヴィルを戸口から放り出した。
「ようやく、落ち着いて暮らせる場所を得られた方を煩わせないでもらいましょう。お引き取りを」
「アダン、お前っ」
突然のことにルドヴィルは目を見開く。この従者がまさか自分まで放り出すとは思わず、油断をしていて抵抗するのが遅れた。
「ルドヴィル様、あなたでも同様です。伯爵家とは縁が切れております。あなたが命じたのですよ。お嬢様をお守りするようにと。命じられずともそのつもりでおりましたが」
容赦無く扉は閉ざされ、3人の貴公子は茫然とその扉を見つめるしかなかった。
ただ、残念な貴公子と、自己評価の低い王子は、諦めがつかずにずっと。日が落ちて呆れたセシリアが招き入れてくれるまで、そこにしょんぼりと立ち尽くし続けていたのだが。
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