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しおりを挟むセシリアの兄、ノード伯爵家嫡男ルドヴィルに勅書というべき王からの文が届いたのは、事件から3月も経過してからだった。
伯爵は、初めて末娘を甘やかしすぎた、いや、母親に任せすぎたと自覚することになるが、遅すぎた。
あろうことか、フラウは城を出る際に出てきた伝令に気づき、虫が知らせたのか。馬車に乗る際に足元がおぼつかない風を装い、足を踏み外した。
とっさに手を差し出した伝令は、可憐な令嬢を受け止めながらも、王の親書を預かるだけあってその手管にかかるような男ではなかった。ただ、それはフラウがその身一つであれば。
先ほど王家に使おうとした手段を使う。フラウの母が伯爵家の後妻に…いや、前妻を追い落としてその座に収まったと同じ方法。
魅了の呪が刻まれた宝石を摩る。
フラウに見つめられた伝令は、くらりとする意識を止めようと必死になるが、なぜかぼんやりとする。
その間に、フラウが懐から大事な書を抜き取り、あろうことか王の封蝋を破り、中を見る。忌々しげにそれを一読したフラウは、周囲で見守る人に訝しく思われないほどの手早さで、親書を己の書いた殴り書きとすり替える。封蝋を破ったのだから、中身をすり替えても意味はないし、そんな時間はない。
王家と懇意になり、大好きな兄に手紙を届けてもらえるというから、云々と。我ながらひどい乱筆ぶりだが、急がねばならなかったとなれば仕方ないと思われるだろう。事実そうなのだ。
母は気づき、戻った娘を褒めるように馬車に迎えた。
父が知ったのは、王家から更なる処罰を告げる獄吏によって。弁明の機会すら、与えられなかった。
王の封蝋がある封筒は、何かの役に立つかもしれないと、フラウがとっておいたおかげで証拠まで出てしまった。その中に適当な文書を入れ、王命であると伝えればこれほど使えるものはないと。
一向に動いたという話もなく、おかしいと進捗を問う書をもう一度王が送って初めて、ルドヴィルは知った。取るものもとりあえず飛び出したと報告を受け、何の弁明もしなかったというがおかしいと思った王が、最初の伝令を問い詰め、様子がおかしいと呪にたどり着き、解いたことで発覚した。
鬼気迫る様子で、ルドヴィルが留学先を出た頃。当たり前だ。誰よりも、いや。たった一人、他の誰もどうでも良いほどに大事な妹の身に難が降りかかってもう3月も経っているのだ。
そして、その頃には、セシリアはすっかり新しい暮らしに落ち着いていた。
伯爵家にいた頃よりも穏やかで楽しく。
アダンは、優秀だった。アダンの機転で事態が王家に伝わる頃には国外に出ていたセシリアは、町中に住むよりも、人里離れた場所を望んだ。見た目にコンプレックスがあり、見せるな、とそれを隠すことは身についてしまっているセシリアにとっては、人目はないに越したことはないのだ。隠して、隠れて暮らすよりも、最初からいなければ気にせず暮らせる。アダンは見慣れているからそのようには怒らないから気にしなくて済む。
「言いたいことは多いですが、貴女が人目に晒されないということは、歓迎です」
と、森の奥に家を見つけてくれた。いや、正確には、建ててくれた。
そこは複数の国が国境を接する森らしく、緩衝地帯のようにどの国にも属していないという。つまり、国から万が一不敬罪などで追手がかかっても、滞在した国に迷惑をかけることもないし、同時に差し出される心配もないということだ。
小屋を見つけ、それを足がかりに驚くべき手際の良さで住み心地の良い家を建てた。二人の寝室と台所、ダイニング、居間、風呂、トイレ。下水の処理も万全に整え、水も井戸からくむようにはなるがセシリアの力でも楽にできるようにしてくれてある。
「…呆れるほど、器用ね」
怪我が治るまではと手伝いをほとんどさせてもらえない間、セシリアは住みやすいようにシーツやクッション、ベッドカバーや細々としたものを作っていた。
これではまるで、使用人と駆け落ちしたご令嬢の小説みたい、などと思いながら。アダンであれば、そういった物語にも似合いだけれど、自分では嗤われるわね、とすぐに思い直したけれど。だから、出来上がった家で最初の食卓に向き合って座って、アダンに「わたしたちの新居です」と言われた時にはその想像を思い出してつい、赤面しそうになった。見透かされていたかと。
屋敷では、一緒に食べてくれなかったアダンも、今は同じ食卓を囲んで一緒に食事をしてくれる。家に移ってよかったのは、これまでの一つの寝台で二人でくっついて眠るという、わたしなんかにごめんなさいと小さくなってしまう状況から解放されたこと。
「寝室も寝台も一つでよろしいですか」
と聞かれたときは、食い気味に「二つ!」と。手間をかけてしまうけれど二つお願いと、それから付け加えた。
残念ですねと、また揶揄われたけれど。
そんな生活で、細々と暮らすにしても、ここで全てが完結するわけでもないから、街に買い物に行くこともある。そのために何か働かないとと、何をしようかと思案していたところで、仕事の方から転がり込んできた。
夕暮れ。食事の支度をしていると戸を叩く音がした。
追手か、野盗か…と警戒するセシリアを隠してアダンが誰何すると、屋根を貸して欲しいと答える。
セシリアが頷くのを確認してアダンが扉を開けると、くたびれた外套を纏った、けれど元は良い仕立ての服を着た30絡みの男が立っていた。
聞くと、この森は国境を越えるのに通らねばならないが、迷いやすいのだという。仲間と逸れて日も暮れるというところで、空腹を刺激する香りにつられて歩いてたどり着いたのだとか。
食事を提供し、部屋を貸した。その辺りで良い、というが、この先もまた旅を続けるのであれば、とセシリアが自分の部屋を提供しようとすると、ものすごい剣幕でアダンに遮られた。
なぜ、という顔をするセシリアに、アダンは何かを飲み込むようにしてから、絞り出すように言う。
「シアの寝台は彼には狭いでしょう。わたしの方をお使いください」
「アダン、でも」
力仕事を今もあれこれしながら家を住みやすくまだ整えているアダンは疲れているのに、と。
結果、アダンはセシリアの隣で眠り、眠る前に背中からしっかりとセシリアは抱きこまれてしまう。
「貴女の、この寝台を他の男が…いえ、他の何者でも使うなど、あり得ません。良いですね」
心臓の音が聞こえてしまう、と縮こまりながら必死に首を縦に振ると、やわやわと頬をこねられ、わずかに上体を起こしたアダンは、セシリアのこめかみと髪に唇で触れ、その唇を耳に寄せる。客人に聞こえないようになのか、ぞわぞわするけれどそう思うと咎められない。
「おやすみなさい、シア」
抱き込む腕をほどき、腕枕に変え、開いた手の指をなぜか指に絡ませられ、訳が分からないまま、とにかくセシリアはおやすみなさい、と答える。
翌朝。朝食を摂り、アダンに目的とする国のある方角を聞いた旅人は、去り際に言い残していった。
「この森に、このように暖かく美味しい食事ができる宿があれば、少しは安心して旅ができるのだが」
迷子になった者がたどり着ける場所では仕方ないだろう、とアダンが言う前に、セシリアがなるほど、とうなずいていた。
そして。
美味しい定食を食べられる食堂兼、宿屋を始めた。
もちろん、そのためにアダンがまた増設をすることになったけれど。広げるつもりはないから、食堂と、部屋は2つだけだ。足りなければ相部屋雑魚寝上等。こんな場所なのだから。
それが、セシリアが国を出て1月あまり過ぎてからのこと。
3月が経過した、ルドヴィルが動き始めた頃には、この森を通る旅人には、少しずつ、知られた場所になっていた。
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