無責任でいいから

明日葉

文字の大きさ
上 下
5 / 15

しおりを挟む



 セシリアの兄、ノード伯爵家嫡男ルドヴィルに勅書というべき王からの文が届いたのは、事件から3月も経過してからだった。
 伯爵は、初めて末娘を甘やかしすぎた、いや、母親に任せすぎたと自覚することになるが、遅すぎた。

 あろうことか、フラウは城を出る際に出てきた伝令に気づき、虫が知らせたのか。馬車に乗る際に足元がおぼつかない風を装い、足を踏み外した。
 とっさに手を差し出した伝令は、可憐な令嬢を受け止めながらも、王の親書を預かるだけあってその手管にかかるような男ではなかった。ただ、それはフラウがその身一つであれば。
 先ほど王家に使おうとした手段を使う。フラウの母が伯爵家の後妻に…いや、前妻を追い落としてその座に収まったと同じ方法。


 魅了の呪が刻まれた宝石を摩る。


 フラウに見つめられた伝令は、くらりとする意識を止めようと必死になるが、なぜかぼんやりとする。
 その間に、フラウが懐から大事な書を抜き取り、あろうことか王の封蝋を破り、中を見る。忌々しげにそれを一読したフラウは、周囲で見守る人に訝しく思われないほどの手早さで、親書を己の書いた殴り書きとすり替える。封蝋を破ったのだから、中身をすり替えても意味はないし、そんな時間はない。
 王家と懇意になり、大好きな兄に手紙を届けてもらえるというから、云々と。我ながらひどい乱筆ぶりだが、急がねばならなかったとなれば仕方ないと思われるだろう。事実そうなのだ。




 母は気づき、戻った娘を褒めるように馬車に迎えた。


 父が知ったのは、王家から更なる処罰を告げる獄吏によって。弁明の機会すら、与えられなかった。
 王の封蝋がある封筒は、何かの役に立つかもしれないと、フラウがとっておいたおかげで証拠まで出てしまった。その中に適当な文書を入れ、王命であると伝えればこれほど使えるものはないと。




 一向に動いたという話もなく、おかしいと進捗を問う書をもう一度王が送って初めて、ルドヴィルは知った。取るものもとりあえず飛び出したと報告を受け、何の弁明もしなかったというがおかしいと思った王が、最初の伝令を問い詰め、様子がおかしいと呪にたどり着き、解いたことで発覚した。





 鬼気迫る様子で、ルドヴィルが留学先を出た頃。当たり前だ。誰よりも、いや。たった一人、他の誰もどうでも良いほどに大事な妹の身に難が降りかかってもう3月も経っているのだ。



 そして、その頃には、セシリアはすっかり新しい暮らしに落ち着いていた。
 伯爵家にいた頃よりも穏やかで楽しく。






 アダンは、優秀だった。アダンの機転で事態が王家に伝わる頃には国外に出ていたセシリアは、町中に住むよりも、人里離れた場所を望んだ。見た目にコンプレックスがあり、見せるな、とそれを隠すことは身についてしまっているセシリアにとっては、人目はないに越したことはないのだ。隠して、隠れて暮らすよりも、最初からいなければ気にせず暮らせる。アダンは見慣れているからそのようには怒らないから気にしなくて済む。
「言いたいことは多いですが、貴女が人目に晒されないということは、歓迎です」
 と、森の奥に家を見つけてくれた。いや、正確には、建ててくれた。
 そこは複数の国が国境を接する森らしく、緩衝地帯のようにどの国にも属していないという。つまり、国から万が一不敬罪などで追手がかかっても、滞在した国に迷惑をかけることもないし、同時に差し出される心配もないということだ。
 小屋を見つけ、それを足がかりに驚くべき手際の良さで住み心地の良い家を建てた。二人の寝室と台所、ダイニング、居間、風呂、トイレ。下水の処理も万全に整え、水も井戸からくむようにはなるがセシリアの力でも楽にできるようにしてくれてある。
「…呆れるほど、器用ね」
 怪我が治るまではと手伝いをほとんどさせてもらえない間、セシリアは住みやすいようにシーツやクッション、ベッドカバーや細々としたものを作っていた。

 これではまるで、使用人と駆け落ちしたご令嬢の小説みたい、などと思いながら。アダンであれば、そういった物語にも似合いだけれど、自分では嗤われるわね、とすぐに思い直したけれど。だから、出来上がった家で最初の食卓に向き合って座って、アダンに「わたしたちの新居です」と言われた時にはその想像を思い出してつい、赤面しそうになった。見透かされていたかと。
 屋敷では、一緒に食べてくれなかったアダンも、今は同じ食卓を囲んで一緒に食事をしてくれる。家に移ってよかったのは、これまでの一つの寝台で二人でくっついて眠るという、わたしなんかにごめんなさいと小さくなってしまう状況から解放されたこと。
「寝室も寝台も一つでよろしいですか」
 と聞かれたときは、食い気味に「二つ!」と。手間をかけてしまうけれど二つお願いと、それから付け加えた。
 残念ですねと、また揶揄われたけれど。




 そんな生活で、細々と暮らすにしても、ここで全てが完結するわけでもないから、街に買い物に行くこともある。そのために何か働かないとと、何をしようかと思案していたところで、仕事の方から転がり込んできた。


 夕暮れ。食事の支度をしていると戸を叩く音がした。
 追手か、野盗か…と警戒するセシリアを隠してアダンが誰何すると、屋根を貸して欲しいと答える。

 セシリアが頷くのを確認してアダンが扉を開けると、くたびれた外套を纏った、けれど元は良い仕立ての服を着た30絡みの男が立っていた。



 聞くと、この森は国境を越えるのに通らねばならないが、迷いやすいのだという。仲間と逸れて日も暮れるというところで、空腹を刺激する香りにつられて歩いてたどり着いたのだとか。
 食事を提供し、部屋を貸した。その辺りで良い、というが、この先もまた旅を続けるのであれば、とセシリアが自分の部屋を提供しようとすると、ものすごい剣幕でアダンに遮られた。
 なぜ、という顔をするセシリアに、アダンは何かを飲み込むようにしてから、絞り出すように言う。
「シアの寝台は彼には狭いでしょう。わたしの方をお使いください」
「アダン、でも」
 力仕事を今もあれこれしながら家を住みやすくまだ整えているアダンは疲れているのに、と。
 結果、アダンはセシリアの隣で眠り、眠る前に背中からしっかりとセシリアは抱きこまれてしまう。

「貴女の、この寝台を他の男が…いえ、他の何者でも使うなど、あり得ません。良いですね」


 心臓の音が聞こえてしまう、と縮こまりながら必死に首を縦に振ると、やわやわと頬をこねられ、わずかに上体を起こしたアダンは、セシリアのこめかみと髪に唇で触れ、その唇を耳に寄せる。客人に聞こえないようになのか、ぞわぞわするけれどそう思うと咎められない。
「おやすみなさい、シア」
 抱き込む腕をほどき、腕枕に変え、開いた手の指をなぜか指に絡ませられ、訳が分からないまま、とにかくセシリアはおやすみなさい、と答える。




 翌朝。朝食を摂り、アダンに目的とする国のある方角を聞いた旅人は、去り際に言い残していった。


「この森に、このように暖かく美味しい食事ができる宿があれば、少しは安心して旅ができるのだが」
 迷子になった者がたどり着ける場所では仕方ないだろう、とアダンが言う前に、セシリアがなるほど、とうなずいていた。




 そして。
 美味しい定食を食べられる食堂兼、宿屋を始めた。

 もちろん、そのためにアダンがまた増設をすることになったけれど。広げるつもりはないから、食堂と、部屋は2つだけだ。足りなければ相部屋雑魚寝上等。こんな場所なのだから。





 それが、セシリアが国を出て1月あまり過ぎてからのこと。
 3月が経過した、ルドヴィルが動き始めた頃には、この森を通る旅人には、少しずつ、知られた場所になっていた。







しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない

朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

邪魔しないので、ほっておいてください。

りまり
恋愛
お父さまが再婚しました。 お母さまが亡くなり早5年です。そろそろかと思っておりましたがとうとう良い人をゲットしてきました。 義母となられる方はそれはそれは美しい人で、その方にもお子様がいるのですがとても愛らしい方で、お父様がメロメロなんです。 実の娘よりもかわいがっているぐらいです。 幾分寂しさを感じましたが、お父様の幸せをと思いがまんしていました。 でも私は義妹に階段から落とされてしまったのです。 階段から落ちたことで私は前世の記憶を取り戻し、この世界がゲームの世界で私が悪役令嬢として義妹をいじめる役なのだと知りました。 悪役令嬢なんて勘弁です。そんなにやりたいなら勝手にやってください。 それなのに私を巻き込まないで~~!!!!!!

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた

しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。 すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。 早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。 この案に王太子の返事は?   王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。

もしもゲーム通りになってたら?

クラッベ
恋愛
よくある転生もので悪役令嬢はいい子に、ヒロインが逆ハーレム狙いの悪女だったりしますが もし、転生者がヒロインだけで、悪役令嬢がゲーム通りの悪人だったなら? 全てがゲーム通りに進んだとしたら? 果たしてヒロインは幸せになれるのか ※3/15 思いついたのが出来たので、おまけとして追加しました。 ※9/28 また新しく思いつきましたので掲載します。今後も何か思いつきましたら更新しますが、基本的には「完結」とさせていただいてます。9/29も一話更新する予定です。 ※2/8 「パターンその6・おまけ」を更新しました。

拝啓、大切なあなたへ

茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。 差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。 そこには、衝撃的な事実が書かれていて─── 手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。 これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。 ※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

処理中です...