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文字通り、身ひとつで放り出された。裏口から出ていくのを遠巻きに眺めている使用人たちに頭を下げると、アダンを見上げる。
「シア様がわたしだけ連れて出たと聞けば、兄上が烈火の如く荒れそうですが」
「お兄様は…そうね。でも、いつお耳に入ることか」
嬉しそうな顔をしながらそんな風にいう時だけアダンが顔を曇らせるから、わたしも困り顔でそれには頷いた。それよりも、とアダンと向き合う。きれいな顔の青年。
妹が、美しいこの青年が、わたしの従者であることに癇癪を起こしたことがあったな、とふと思い出す。ただ、父も母も、それは許さなかった。彼の身元がわからなかったから。彼の目の色を、気味悪がったから。とてもきれいな色なのに。左右の目の色が違う彼は、それを誤魔化すように目に色ガラスを入れている。黒髪に黒目の地味な色合いでも彼の美しさは変わらないけれど。だから、醜い姉に不釣り合いだと妹は駄々をこねた。何をどう説明したのか知らないけれど、そのうちアダンのことも毛嫌いするようになっていたけれど。
だからこそ、彼をこの家に置いてはいけなくて連れてきてしまった。
「アダン。アダンも、わたしのことは放っておいて自由に生きていいのよ?」
言った途端に、アダンの纏う気配がものすごく不機嫌になったのがわかる。ただ、恩義に感じているだけなら、もう十分返してもらった。孤独な家で、一人ぼっちじゃなかったのは、彼のおかげだ。兄がいなくなってからは特に。
「辞めていく人には先立つものを用意していたんだけど。もうわたしにはそれができないからあなたまで身一つになってしまって申し訳ないんだけど」
「何を、言っているのですか」
「え、いや。巻き込んで申し訳」
「セシリア様」
声、怖いって。しかも、呼び方。
散々巻き込んで面倒見てもらった挙げ句が無一文で無職にするのは確かにひどいと、自分でも思う。が、おいてくるという選択ができなかったのは…うん、確かに落ち着いて考えればわたしのわがまま、か。
「わたしのわがままで巻き込んで付き合わせて、ごめんなさい」
盛大なため息が頭上から落ちてくる。不機嫌を感じた瞬間に目を逸らして俯いてしまっていたから表情がわからなかったのだけれど、半ば強引に、顔を持ち上げられた。美形だから様になるけれど、相手がわたしではちょっと、と逃げようとするのに、動けない。
「あなたも、わたしを捨てるのですか?」
「は?」
「あなたがわたしを見つけたあの日から、わたしはあなたのものです。あなたがなんと言おうと、離れるつもりはありません。何より」
普段人前で笑わないアダンが、きれいに微笑んだ。
「あなたこそ、無一文でどうするおつもりですか?」
アダンは、長年の給金にほぼ手をつけずにいたらしく、そこそこまとまったお金があるらしい。話ぶりを聞くに、どうやら運用していたらしく、増やしている気配もある。さすが、兄に仕込まれただけあって優秀、と思いながらため息をつく。どうやら、彼に養われることになりそうだけれど。ひたすら申し訳なさしかない。
優秀で、これほどに美しい外見を持っていて、しかもおそらく一財産もある。どんな女性でも望めば手に入るというか、女性の方から望まれるであろう彼に、これは大きすぎるお荷物だ。ずっと家に、いや、わたしに縛り付けておくためにあの日、連れ帰ったわけではないのに。いずれ自分の幸せを得られるように、それまでのささやかな仮住まいになればというつもりだったのだけれど。
「それで、お住まいはどちらへ。何も当てがないわけではないのでしょう?」
さすが、付き合いが長いだけはある。ため息をついて、アダンを促して歩き出した。
「町外れの森に、家があるわ」
屋敷の庭師が住んでいた家。彼は高齢で、義母が無茶な庭づくりを命じた時に腰を痛めてしまった。腹を立てて追い出せと言われたので、丁重に、治療費とこれまでの働きに報いる給金を渡した上、離れて暮らしていた娘家族に連絡をとった。これからは一緒に暮らすといい、森の家は何か必要が出た時には自由に使って欲しいと言われたので、ありがたく頭に入れてあった。
「そこで少し、支度を整えたら国外に出ようかと」
少なくとも、実家のあまり近くにいたくはない。アダンは話を聞いて難しい顔をしながら、ため息をついた。
「とりあえず、今日はそこで休みましょうか。支度を整える時間は惜しんで移動すべきです。セシリア様がお断りしたことは置いておいても、この国の第一王子の命を助けたのは事実です。偶然だとしても。であれば、王家がなんらかの働きかけを伯爵家にする可能性があります」
「ああ、そうね…」
無事に済む気がしないわ、と思っていれば、見た目に反してかなり辛辣なアダンははっきりと明言した。
「十中八九、いえ、間違いなく、不興を買う言動をするでしょう。その結果、伯爵家もしくは王家、あるいは両方からそれぞれの思惑で捜索される可能性があります。戻るおつもりがないのでしたら、さっさと距離を稼いで、その上で今後のことを考えた方がよろしいかと」
今後。
何か、仕事をしながらのんびり過ごせればそれで良いのだけれど。そんな生活にアダンを巻き込むのは本当に気がひけるし、この人は他にいくらでも仕事があるだろうから解放したいのだけれど。
もう一度、繰り返す勇気はない。
「とりあえずアダン、あの、当面一緒に」
「当面?」
言葉の端々に引っかかるのやめてくれないかなぁ。
「一緒に行ってくれるのは、ありがたいです。いつでも、次の仕事…」
今度は無言の圧力ですか。震え上がりながら、言いたいことの中でアダンの感情を刺激しそうな言葉を削ぎ落として伝える。
「わたし、もう伯爵家の娘ではないし、あなたも従者ではないのだし。言葉遣いとか、様、とかやめない?」
「…そうですね。善処しましょう、シア」
どうやら、これはご満足いただけたらしく。
怒られるよりも心臓が止まりそうな笑顔を向けてくれた上、後で追手がかかった時に(そんなことあるんだろうか)行き先がすぐには知れないよう人目につかないよう、森に促された。
「シア様がわたしだけ連れて出たと聞けば、兄上が烈火の如く荒れそうですが」
「お兄様は…そうね。でも、いつお耳に入ることか」
嬉しそうな顔をしながらそんな風にいう時だけアダンが顔を曇らせるから、わたしも困り顔でそれには頷いた。それよりも、とアダンと向き合う。きれいな顔の青年。
妹が、美しいこの青年が、わたしの従者であることに癇癪を起こしたことがあったな、とふと思い出す。ただ、父も母も、それは許さなかった。彼の身元がわからなかったから。彼の目の色を、気味悪がったから。とてもきれいな色なのに。左右の目の色が違う彼は、それを誤魔化すように目に色ガラスを入れている。黒髪に黒目の地味な色合いでも彼の美しさは変わらないけれど。だから、醜い姉に不釣り合いだと妹は駄々をこねた。何をどう説明したのか知らないけれど、そのうちアダンのことも毛嫌いするようになっていたけれど。
だからこそ、彼をこの家に置いてはいけなくて連れてきてしまった。
「アダン。アダンも、わたしのことは放っておいて自由に生きていいのよ?」
言った途端に、アダンの纏う気配がものすごく不機嫌になったのがわかる。ただ、恩義に感じているだけなら、もう十分返してもらった。孤独な家で、一人ぼっちじゃなかったのは、彼のおかげだ。兄がいなくなってからは特に。
「辞めていく人には先立つものを用意していたんだけど。もうわたしにはそれができないからあなたまで身一つになってしまって申し訳ないんだけど」
「何を、言っているのですか」
「え、いや。巻き込んで申し訳」
「セシリア様」
声、怖いって。しかも、呼び方。
散々巻き込んで面倒見てもらった挙げ句が無一文で無職にするのは確かにひどいと、自分でも思う。が、おいてくるという選択ができなかったのは…うん、確かに落ち着いて考えればわたしのわがまま、か。
「わたしのわがままで巻き込んで付き合わせて、ごめんなさい」
盛大なため息が頭上から落ちてくる。不機嫌を感じた瞬間に目を逸らして俯いてしまっていたから表情がわからなかったのだけれど、半ば強引に、顔を持ち上げられた。美形だから様になるけれど、相手がわたしではちょっと、と逃げようとするのに、動けない。
「あなたも、わたしを捨てるのですか?」
「は?」
「あなたがわたしを見つけたあの日から、わたしはあなたのものです。あなたがなんと言おうと、離れるつもりはありません。何より」
普段人前で笑わないアダンが、きれいに微笑んだ。
「あなたこそ、無一文でどうするおつもりですか?」
アダンは、長年の給金にほぼ手をつけずにいたらしく、そこそこまとまったお金があるらしい。話ぶりを聞くに、どうやら運用していたらしく、増やしている気配もある。さすが、兄に仕込まれただけあって優秀、と思いながらため息をつく。どうやら、彼に養われることになりそうだけれど。ひたすら申し訳なさしかない。
優秀で、これほどに美しい外見を持っていて、しかもおそらく一財産もある。どんな女性でも望めば手に入るというか、女性の方から望まれるであろう彼に、これは大きすぎるお荷物だ。ずっと家に、いや、わたしに縛り付けておくためにあの日、連れ帰ったわけではないのに。いずれ自分の幸せを得られるように、それまでのささやかな仮住まいになればというつもりだったのだけれど。
「それで、お住まいはどちらへ。何も当てがないわけではないのでしょう?」
さすが、付き合いが長いだけはある。ため息をついて、アダンを促して歩き出した。
「町外れの森に、家があるわ」
屋敷の庭師が住んでいた家。彼は高齢で、義母が無茶な庭づくりを命じた時に腰を痛めてしまった。腹を立てて追い出せと言われたので、丁重に、治療費とこれまでの働きに報いる給金を渡した上、離れて暮らしていた娘家族に連絡をとった。これからは一緒に暮らすといい、森の家は何か必要が出た時には自由に使って欲しいと言われたので、ありがたく頭に入れてあった。
「そこで少し、支度を整えたら国外に出ようかと」
少なくとも、実家のあまり近くにいたくはない。アダンは話を聞いて難しい顔をしながら、ため息をついた。
「とりあえず、今日はそこで休みましょうか。支度を整える時間は惜しんで移動すべきです。セシリア様がお断りしたことは置いておいても、この国の第一王子の命を助けたのは事実です。偶然だとしても。であれば、王家がなんらかの働きかけを伯爵家にする可能性があります」
「ああ、そうね…」
無事に済む気がしないわ、と思っていれば、見た目に反してかなり辛辣なアダンははっきりと明言した。
「十中八九、いえ、間違いなく、不興を買う言動をするでしょう。その結果、伯爵家もしくは王家、あるいは両方からそれぞれの思惑で捜索される可能性があります。戻るおつもりがないのでしたら、さっさと距離を稼いで、その上で今後のことを考えた方がよろしいかと」
今後。
何か、仕事をしながらのんびり過ごせればそれで良いのだけれど。そんな生活にアダンを巻き込むのは本当に気がひけるし、この人は他にいくらでも仕事があるだろうから解放したいのだけれど。
もう一度、繰り返す勇気はない。
「とりあえずアダン、あの、当面一緒に」
「当面?」
言葉の端々に引っかかるのやめてくれないかなぁ。
「一緒に行ってくれるのは、ありがたいです。いつでも、次の仕事…」
今度は無言の圧力ですか。震え上がりながら、言いたいことの中でアダンの感情を刺激しそうな言葉を削ぎ落として伝える。
「わたし、もう伯爵家の娘ではないし、あなたも従者ではないのだし。言葉遣いとか、様、とかやめない?」
「…そうですね。善処しましょう、シア」
どうやら、これはご満足いただけたらしく。
怒られるよりも心臓が止まりそうな笑顔を向けてくれた上、後で追手がかかった時に(そんなことあるんだろうか)行き先がすぐには知れないよう人目につかないよう、森に促された。
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