溺婚

明日葉

文字の大きさ
上 下
34 / 41

懲りない人たち 4

しおりを挟む
 天羽が一度家に寄ってくれたので、急いで着替えをする。仕事としてのT P Oとしてはありで。かつ動きやすくて。何かあっても洗濯しやすい服。そして、動き回りやすい靴を履いて鞄に空の水筒を突っ込んで駐車場で待っている天羽のところに戻る。
 職場に紅茶や中国茶の茶葉が置いてあるから、着いてから入れればいい。コーヒーが飲みたい時は、家でいれていくけれど。
 お昼は、どこかに食べに出るか引き出しの非常食カップ麺で済ませよう。



「お待たせしました」
「いーえ」

 なぜか楽しげに応じる天羽の横顔を見て、改めて、実感する。まあ、あれだけの女の人たちが諦めきれずにワンチャン狙い続けるわけだよなぁと。

「なんだよ」
「いーえ。いい男だなぁと思っただけデスよ」
「…何を今さら」


 うっわ、さすが俺様、とまじまじと見て、気づく。
 うん、照れている、この人。珍しいもん、見た気分だと思って絢佳はほくほくと視線を前に戻した。


「とーやは、今日は仕事は?」
「ゆっくり行く。帰りは遅くなるから、寝てていいぞ」
「ふーん」


 仕事は、真面目なのだ。一緒に生活してから、仕事で遅くなるのは当たり前だし、帰ってきてから呼び出されて戻ることも何度もあった。
 言われて名前で検索をして、「異色のストラテジスト」なんて出てきたけれど。調べれば調べるほど分からなくなって、やめた。目の前にあるこの人を知っていくことから始めれば良いか、と。そうしているうちに仕事のこともわかるかと思ったけれど、まあ分からない。挙句にどうやら家具職人にでもなりたかったような過去まで話されたら、混乱を極めた。
 ただ、なんとなく、なぜそこでと言われそうだけれど親しみは湧いた。好きなことをやりたくて、うまくいかなくて、想定外のところで頭角を表してしまったのかもしれない。それでもやりたいことを捨てきれなくて、あちこち手を出すのをきっと続けているのだ。この人に、あなたの本職って結局なんなの、と聞いたら、なんと答えるのだろう。いや、答えてくれるのか、からかもしれないけれど。



 そんなことを思いながら、絢佳はぼんやりと思う。
 残念ながら不意打ちで自覚してしまったので、打ち消す前に巣食ってしまった思い。これは多分、後は膨らむだけ。重いって言われそうで嫌だなぁと思う。
 ミイラ取りがミイラ、だし。と目を伏せて、不意に、結婚することになったあの、天羽の挑発の言葉を思い出す。

 こわいのか、と。



 こわいよ、と言ってやりたい。
 この年まで来たら、避けられるものは避けて通り過ぎてそのままにしたいのだ。この年までうまいかなかったものが今更うまく行くなんて到底思えないのだ。

 自分の気持ちを認めて言葉にするのが、こわい。
 それを知った誰かに否定されるのが、こわい。
 拒絶が、こわい。


 臆病の結果が、ここまで1人だった1番の理由だと思う。
 自分のことなのに、自分の気持ちが理解できないのは、自覚するのを怖がって目を逸らし続けているから。
 自覚しても、否定と拒絶が怖くて、抱え込んだ、沈殿したり消化したり、とにかくなかったことにできるようにばかり苦心していた。




 ただ、そういう逃げが打てない状況に追い込まれているのだよな、と。
 だって、結婚してしまって、一緒に住んでいる。
 この人がそれに、気づかないわけがないと思う。


 今なら傷が浅くて済む、なんて思うのは、また臆病の印だけれど。
 絢佳にとっては、確かな言葉をもらっていない以上、天羽がどういうつもりで、絢佳を選んだのかよく分からない。きっと、物珍しくて面白がったのだろうと理解することにしたけれど。それに、天羽の気が変われば、それほど気兼ねなく終わりにできるとも、思ったかな、と。売り言葉に買い言葉、だったし。むしろそこまで1人だったのに手を差し伸べて一時の夢を見させてもらったと感じるかもしれない。








 もうすぐ着くな、と絢佳は道沿いを眺める。出勤していく、知っている顔、見たことのある顔。
 ハザードをたき、減速して脇に寄せる様子を見せたところで、絢佳は不意に、自分でも、え、今、と思うくらいに不意に口を開いた。



「とーや」
「なんだ?」



「とーやのこと、好きになったみたい。とーやのパートナーとしてこういう感情が重くて邪魔なら、短期間で申し訳なかったけど、終わりにして」




 不意打ちの絢佳の声に、ブレーキを踏む足に力が入りすぎてブレーキ音を立ててしまう。


 言葉をなくしている天羽に、絢佳は自分でも不思議なくらい、静かな気持ちで目を向けて、笑った。


「さすがだね。こんな短期間で落ちるとか、自分でもちょろいなぁ、と思うけど。送ってくれてありがとう」




 手を伸ばそうとした天羽の気配を察したのか、それともそれどころではなくこの空間から逃げたかったのか。
 すり抜けるように絢佳は助手席から降りてしまう。


 ドアを閉めて、ひらひらと少しぎこちない笑顔で手を振ると、真っ直ぐ伸びた背中で、大きめの歩幅で、出勤する人並みに紛れてしまった。









しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

催眠術にかかったフリをしたら、私に無関心だった夫から「俺を愛していると言ってくれ」と命令されました

めぐめぐ
恋愛
子爵令嬢ソフィアは、とある出来事と謎すぎる言い伝えによって、アレクトラ侯爵家の若き当主であるオーバルと結婚することになった。 だがオーバルはソフィアに侯爵夫人以上の役目を求めてない様子。ソフィアも、本来であれば自分よりももっと素晴らしい女性と結婚するはずだったオーバルの人生やアレクトラ家の利益を損ねてしまったと罪悪感を抱き、彼を愛する気持ちを隠しながら、侯爵夫人の役割を果たすために奮闘していた。 そんなある日、義妹で友人のメーナに、催眠術の実験台になって欲しいと頼まれたソフィアは了承する。 催眠術は明らかに失敗だった。しかし失敗を伝え、メーナが落ち込む姿をみたくなかったソフィアは催眠術にかかったフリをする。 このまま催眠術が解ける時間までやり過ごそうとしたのだが、オーバルが突然帰ってきたことで、事態は一変する―― ※1話を分割(2000字ぐらい)して公開しています。 ※頭からっぽで

「好き」の距離

饕餮
恋愛
ずっと貴方に片思いしていた。ただ単に笑ってほしかっただけなのに……。 伯爵令嬢と公爵子息の、勘違いとすれ違い(微妙にすれ違ってない)の恋のお話。 以前、某サイトに載せていたものを大幅に改稿・加筆したお話です。

好きな男子と付き合えるなら罰ゲームの嘘告白だって嬉しいです。なのにネタばらしどころか、遠恋なんて嫌だ、結婚してくれと泣かれて困惑しています。

石河 翠
恋愛
ずっと好きだったクラスメイトに告白された、高校2年生の山本めぐみ。罰ゲームによる嘘告白だったが、それを承知の上で、彼女は告白にOKを出した。好きなひとと付き合えるなら、嘘告白でも幸せだと考えたからだ。 すぐにフラれて笑いものにされると思っていたが、失恋するどころか大切にされる毎日。ところがある日、めぐみが海外に引っ越すと勘違いした相手が、別れたくない、どうか結婚してくれと突然泣きついてきて……。 なんだかんだ今の関係を最大限楽しんでいる、意外と図太いヒロインと、くそ真面目なせいで盛大に空振りしてしまっている残念イケメンなヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりhimawariinさまの作品をお借りしております。

好きな人の好きな人

ぽぽ
恋愛
"私には10年以上思い続ける初恋相手がいる。" 初恋相手に対しての執着と愛の重さは日々増していくばかりで、彼の1番近くにいれるの自分が当たり前だった。 恋人関係がなくても、隣にいれるだけで幸せ……。 そう思っていたのに、初恋相手に恋人兼婚約者がいたなんて聞いてません。

じれったい夜の残像

ペコかな
恋愛
キャリアウーマンの美咲は、日々の忙しさに追われながらも、 ふとした瞬間に孤独を感じることが増えていた。 そんな彼女の前に、昔の恋人であり今は経営者として成功している涼介が突然現れる。 再会した涼介は、冷たく離れていったかつての面影とは違い、成熟しながらも情熱的な姿勢で美咲に接する。 再燃する恋心と、互いに抱える過去の傷が交錯する中で、 美咲は「じれったい」感情に翻弄される。

ロザリーの新婚生活

緑谷めい
恋愛
 主人公はアンペール伯爵家長女ロザリー。17歳。   アンペール伯爵家は領地で自然災害が続き、多額の復興費用を必要としていた。ロザリーはその費用を得る為、財力に富むベルクール伯爵家の跡取り息子セストと結婚する。  このお話は、そんな政略結婚をしたロザリーとセストの新婚生活の物語。

一目惚れ

詩織
恋愛
恋も長くしてない私に突然現れた彼。 でも彼は全く私に興味なかった

義父の借金でやくざに売られそうになりましたが、幼馴染みの若衆頭が助けてくれました。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

処理中です...