溺婚

明日葉

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女除けのため、洗礼を受ける 3

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 体を洗われるのは全力で、全身全霊をもって拒否し。結果、なぜか、今だけだぞと偉そうに、目を逸らしたくなる甘ったるい笑顔で言われ、再び悪寒に襲われた絢佳は、拒否する気力もなく、日中からの精神的疲弊のピークも重なり、心地よく、髪を洗ってくれる大きな手に身を任せた。
 目のやり場が定まらなかったものの、目を閉じてと言われて閉じてしまえば、自分でやるより強めの指先は心地良く、気持ち良さげに口元が綻ぶ。
 シャワーで泡を流しながら絢佳の背の中程まである指で髪を梳くと、指先が首筋や背中にあたるのだけれど、絢佳は気にする様子もなく目を閉じたまま身を任せていて。

「よし」


 という言葉と一緒に目を開ければ、なぜか満足げに笑っている天羽と目があう。
 不思議に思って首を傾げるけれど、その答えは得られず。しっかりとバスタオルを体に巻いた絢佳に、またもや天羽は、ねだるような目を向ける。
「俺のも、洗って?ついでに背中も」




 自分は絢佳のお願いを聞いたのにと、とても納得のいかない理不尽な駄々をこねられ、まあ、それで気が済むならばと絢佳は天羽の髪を洗う。
 なんだかだんだんなし崩しにいろんなハードルを越えさせられている気がしないでもない。無理難題を提示されて、じゃあこれでいいよ、と、普段ならそれでも無理無理無理無理、と後退りしたくなるような代替案がとても譲ってもらった気になるような、そんな状況に追い込まれているのをひしひしと感じるのだけれど。

 絢佳の細くて柔らかい真っ直ぐな髪と比べたら、太くて硬い天羽の髪の毛を洗えば、少し楽しくなる。
 人の髪の毛を洗ったことはないけれど、なんとなく、実家の犬を洗う時のようで。ただ、風呂嫌いな犬よりもよほど洗いやすい。指先に力を少し入れてマッサージするように洗っていけば、天羽の顔が心地よさげに緩んだのが分かった。
 髪を洗い流してから背中に回り、注文通り背中を流していく。

「おっきい」

「ん?」

「背中」

 広い背中を前に、どこから手をつけたものかと呟いて、まあ、とにかく、と首回りから。もちもちにした泡を両手につけて洗うのだけれど、この人の背中洗うだけで自分の体洗えるんじゃないかとか思ってしまって、流石にそれはないかと心の内で1人で突っ込んで小さく笑う。

「なんだよ」

「小さい頃、父とか祖父の背中を流した以来だなぁと思って。子供だから背中が大きく感じてたのかと思っていたんだけど」

 男の人の背中って、大きいんだなぁ、と妙な感動を覚える。





 そんなやりとりの後、抵抗虚しく天羽に抱えられて湯船に入れば、マナー違反だとバスタオルは剥ぎ取られ。
 その現実だけでのぼせそうな絢佳を存分に堪能して、風呂から上がると、これは既に日々の習慣になっているのだけれど、天羽は絢佳の髪を乾かしていく。自分でやるとほぼ乾いていない状態で終わらせるのが分かってから、タオルドライから丁寧にしてくれるのだが、それはそれで気持ち良い上に、寝癖がつかないという特典付きで絢佳も断れない。
 そして、髪よりもさらにいい加減な、肌の手入れまでされてしまえば、どれだけ手馴れてるのよ、と言いたくもなるもので。この習慣が始まった最初の頃にそれを言えば、こんなことしてやったことはないと言い切られ、調べればやり方なんてわかるだろうと言い切られ。うまいとすれば、器用なだけだと胸を張られて諦めた。




 風呂上りに、2人揃って冷蔵庫を覗き込んで、簡単に作れるもので夕飯を済ませ、リビングで寛ぐ。スキンシップに慣れさせようとするかのように、絢佳の気に入りのローソファでいつも絢佳を抱えて本を読んだり音楽を聞いたり天羽がし続けた結果、天羽こみで、座り心地の良いソファと認識するようになったらしい。
 時折ピアノをねだられるから、と、天羽はふと絢佳を呼ぶ。

「絢佳。お前は弾かないの?」
「もう、ずっと弾いてないから、指が動かないよ。それにあんなにいいピアノ、もったいなくて触るの怖い」
「ピアノは弾くためにあるんだろうが」

 呆れたように言って自分が立ち上がりながら絢佳も立ち上がらせ、ピアノの前に移動する。
 椅子に座って、絢佳の困惑顔を見上げた。

「好きな曲は?それか、弾きたかった曲」


 少し考え、絢佳は苦笑いする。


「どうしても、両手で弾けるようにならなくて悔しかったのが、幻想即興曲」


 ああ、と苦笑いして、天羽は少し座る位置を横にずらして隙間を作る。
 首を傾げる絢佳を促して座らせると、手を伸ばせば届くところにある棚から楽譜をとった。

「楽譜あれば、弾ける?」


 えー、と言いながらも、目が楽しそうだな、と天羽は楽譜を置く。
 触ってみたい、という気持ちはずっとあったようで、これまでになく素直に絢佳が鍵盤に指を乗せる。絢佳が口にした曲を開いて、片手でいいから弾いてみろと言えば、躊躇いがちではあるけれど鍵盤を叩き始めた。本人が言う通り、ずっと弾いていなかったようで自分の記憶にあるように指が動いていないのが見て取れる。
 ただ、少しほぐれたのかぎこちなさが減ってきたところで天羽は左手を鍵盤に乗せる。
 絢佳が弾くのに合わせるように左手を弾けば、驚いたように振り返り、そして、聞いてしまうのか、だんだんずれていく。
 思わず笑いをこぼしながら、右手を絢佳が鍵盤にのせた手の上に重ね、一緒に動かす。抜き去って聞くことに徹しようとすれば手を止めて、絢佳の右手だけを鍵盤に戻した。

「聞かずに、右手のことだけ考えて弾いてろ。左手は勝手に合わせるから」
「難しいことを」

 むぅ、と口を尖らせながら言われた通りにし始める。楽しいらしいとみてとって、天羽も面白くなってきた。絢佳に聞かせるために弾くのはこれまでも楽しかったが。一緒に奏でるのはさらに楽しい。
 絢佳に触れる体の右側から、熱が伝わってくる。


 疲れたように、指が縺れたところで止めた。
 明日は一日、動き回ることになる。もう寝ようと言って片付けをしながら、頭を撫でた。

「俺がいなくても好きに触っていていい。お前が右手で弾けるようになったら、今度はお前が左手で。それができたら、両手で1人で弾けるように、みててやる」
「片手ずつと両手じゃ、違うのよっ」
「分かってる」

 にやりと笑ってやれば、ぷくっと子供のように膨れるから、つい低く笑いながらその頬を片手で掴んで潰してしまう。
 驚いてから、不満げに見上げるのを、笑いながら天羽は寝室に連れ込んだ。





 約束通り、何もしない。
 今日は。
 生理現象は、気にするなと嘯けば、気のせい気のせい、と、暗示をかけて腕の中で思いの外あっさりと寝息を立て始めた絢佳に、苦笑いをして天羽も目を閉じた。






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