溺婚

明日葉

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女除けのため、洗礼を受ける 2

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 嵐のように去っていった浅葱と綾部が帰った玄関の方をぽかんと眺めていた絢佳は、不意打ちで抱え上げられ、驚きで声も出ない。
 なんだか当たり前のようにこの男はひょいひょいと自分の思い通りに動かそうと持ち上げたり持ち運んだりするけれど、どれだけ馬鹿力なのだと文句を言いたい。人1人担ぐって、ありえないでしょう、と。その上平然と動き回るとか。しかも、絢佳は小柄ではない。むしろ、平均的な女性の身長よりも高い方で。となれば軽いわけもない。



 驚きのあまり硬直していた絢佳は、ようやく我に返り、おろして、と抗議の声をあげたときにはもう寝室に入ったところで。
 え、と、思う間に少し乱雑に大きなベッドに放り投げられる。
 程よい硬さで寝心地の良いベッドのスプリングは、そのように扱われて落ちれば、やや痛いような気がする程度には固くて、思わず息が詰まる。
 ひゅ、と背中への衝撃で息を吸い込んだ絢佳が状況を把握する前に、その上に天羽の大きな体が覆いかぶさった。


 驚きと衝撃で硬直している隙に天羽は体を下にずらし、絢佳の足に触れる。足の指先に触れられる感触にびくりと体を引きつらせ、慌てて足を引き抜こうとするが、もうしっかりと掴まれていて。
 上体を起こして抵抗するように動いてみても気にする素振りはなく、足を引き抜くこともできず、手を伸ばして天羽の頭を押し退けようとしてもぴくりとも動かず。
 爪先に柔らかい感触が触れた瞬間、ひ、と息を飲み、本気で暴れ出した絢佳を、聞き分けのない子供を押さえつけるように、自分を押し退けようとする両手を無造作につかみ、押さえつける。

「や…だっ。なんで…」


 驚きからか、まともに言葉を紡げずにいる絢佳を上目に見上げ、引きつった声を出す妻が本気の力で抵抗しているのを体で受け止めながら、不機嫌に、目を細める。
 絢佳の様子を観察するようにその細めた目を、信じられないものを見るような目をしている絢佳としっかりと合わせる。そうして、今度は掴んでいた足の甲に唇をそのまま這わせれば、弱まるどころか抵抗の力は強くなり、絢佳は羞恥に染まる顔で泣きそうに目元が赤くなる。



 湧き上がる苛立ちに凶暴な気持ちになりながら、絢佳の動きをしっかりと封じるようにその体にのしかかり、顔を覗き込んだ。


「俺に触れられるのが、そんなに嫌か」


 声がまだ出ないのか、眦を充血させて無言で見上げられれば、天羽にしてみれば煽られているとしか感じ取れない。嗜虐心をそそられ、思わず一つにまとめた絢佳の両手首を押さえつける手に力が篭れば、さすがに痛みに絢佳の顔が歪む。


 不穏な気配に首を振りながら、ようやく、いつもよりも上擦った声が天羽の体の下から咎めるような響きを伴って上がる。


「そこじゃ、ないっ」


 押さえつけられ、慣れない体勢に照れと羞恥心からいたたまらなさも最高潮なのだが。
 それでも絢佳にとって縋る相手は目の前の逞しい男しかいない。両手を封じられ、全身を押さえ込まれた絢佳は、唯一多少なりとも自由の利く頭を動かし、首をもたげて目の前にある天羽の鎖骨あたりに額を押し当てた。照れなどで沸騰しそうな体温を逃がそうとするようにぐりぐりと押し付けながら責めるような声になる。


「お風呂も入ってないのに、そんな、足に触るとか、ましてやく、口を、つけるとかっ。信じられない」



 震える声が耳元にダイレクトに伝わり、挙句その内容に天羽は急激に苛立ちが引いていく。
 代わりに押し寄せるのは、しまった、という思い。

 不用意に浅葱に足を触らせた。あれは浅葱は、靴の調整のための仕事の手だったのは承知しているが。
 ただその事実に、頭に血が上り、上った血を落ち着けようとしばらく努力はした。のだが。いつまでも玄関に目を向けて見送っている姿に苛立ったら。だめだった。

 少し冷静になれば、ゆるゆると両手を拘束していた手を離す。
 少し、手首が赤くなっているのを見れば自分がしたことなのに胸が痛む。のだが。
 自由になった手を下ろしてきて、なぜか絢佳は自分を押さえつけている天羽の服の裾を掴むのだ。
 昼間、同僚たちに紹介した時のように。
 責める目が無言で退いて、と訴えてくるが、押しのけるでもなく、先ほどのように本気で暴れて抵抗する気配もない。ああ、本当に、あの天羽の行動が心底嫌だっただけなのだと思えば安堵と反省が押し寄せるばかり。
 先ほどの、額を押し付ける仕草も、今の服を掴むその行動も。
 天羽が言えた立場ではないが、言いたくなる。お前を襲っているのも怖がらせているのも俺なんだぞ?と。その相手に縋ってどうする、と。


 服を掴む絢佳の手をとり、天羽は自分の顔の前までそれを持ってくる。
 強く握り過ぎた細い手首にそっと触れるだけの口づけを落とし、ぱくぱくと口を開けている間抜け顔の絢佳をそのまま引き起こした。


「よし、分かった。風呂入るぞ」




「は???」





 分かってない、という抗議を無視しながら浴室に連れ込み、容赦なく服を脱がせていく。今日は、追い出されてなんぞやらない。
「あんまり抵抗すると破れるぞ」
「困る。て、そこじゃなくて。なんで」
「風呂に入ってないから嫌なんだろう?」
「それでなんで一緒にここにいるのよっ」


 ぽんぽんと言葉を交わすせば気軽な言葉遣いになっていて、天羽は思わず口元に笑みが浮かぶ。



「じゃあ、破かないようにお前、自分で脱げ」


 じゃあって、人の話を聞いてる?と抗議を続ける絢佳の前で天羽は自分の方がどんどん服を脱いでいく。
 途中から黙り込んで目を逸らし、背を向けた絢佳に目を向け、頑固だな、となぜか楽しげに笑いながら脱がす作業を再開する。


「一緒に入る気!?」


「…ここまできてお前、今更何言ってるんだ」


 振り返らずに脱がせる手から逃れようとしながら発した絢佳の言葉に天羽は笑ってしまう。
 この状況で一緒に入らないと思える意味がわからない。


 ハードルいきなり上げ過ぎ。むり。と、しゃがみ込んで体を抱え込んで抵抗を示す絢佳をそのまま抱え込んだ。
 下着をつけたままだが、まあこの後洗濯をすると思えば濡れたところで問題ない。どうにでもなる、とでもいうように。
 既に裸の胸に抱き込んで、しゃがんで小さくまとまっている絢佳の耳に背後からねだるように声を注ぐ。



「なあ、甘えさせろよ。今日は、しないから」


 絢佳は、最初にいきなり迫られた後、そういう行動に出ない天羽にとって、自分はそういう対象ではないのだろうといつからか思っていた。夫婦なのだけれど。ただ、面倒じゃない女で、そばに置いておいて、自分が面倒だと思う女避けに、程度の存在かな、と。
 それに、元彼と別れた時。彼は自分相手ではできなかった。その時まではできていたけれど。いつからこの人は、そういう行為を自分とすることを負担に思っていたんだろう、と思って。本当に魅力のない、お荷物のような彼女だったんだなと思って。だから、そういう対象に見えないのだろうと思うことは自然な流れで。早い段階でそう思っていれば、傷つかなくて済む。



 だから、今日はしない、と言われたのも、それの流れの中で絢佳の耳には届く。
 やっぱり、と。
 それならなんでこんなことを、とも思うけれど。ただ、この距離は緊張感最高潮な上にどうしていいかわからなくて頭真っ白になる寸前なのだけれど、人肌の温もりとか、包み込まれる安心感とかはあって、そんなふうに感じる自分が恥ずかしくて、尚更混乱を極めていく。


 返事をしない絢佳の顔を覗き込み、なぜか哀しそうにしているのを見て、天羽は眉間にしわを寄せる。

「おい?」

「なんで、そういう気にもならない女相手に、性急に結婚なんてしたのよ」


 少し尖った声になったことに絢佳はなおさら抱え込んだ膝に顔を埋めようとする。
 言うつもりはなかったけれど。咎める立場でもないけれど。最初から、女よけ、と言われていて、そんな相手に女を感じるわけもないって、何度も思ったのに。
 一緒にいれば当たり前に触れ合おうとするから、期待してしまう。


 期待?と、首を傾げようとして、自分の気持ちを探ろうとして、探っちゃいけないような気がして、なんてしている矢先に、絢佳の体が固まった。



「お前、それ、本気で言ってる?」


 言いながら、背中にあたる感覚。


 硬直した絢佳の耳に、低い掠れ気味の笑い声が流し込まれた。
 反応で、絢佳が察したことを読み取ったように、押し当てられたものは離れていく。



「今日そんなことしたら、明日の絢佳の家族との挨拶も、夕方の仕事もどうでもよくなる」


 だから、今日はしない代わりに、甘えさせてよ、と、年下をアピールするような甘えた声にも、蕩かすように甘やかす声にも聞こえる声で言われた瞬間、反射的に絢佳はぎゅっと、さらに自分の膝を抱える腕に力がこもった。





 こっっっっっっっわっ






 と。





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