溺婚

明日葉

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週末でどこまで歩み寄れるか 5

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 先ほど、すり抜けるように逃げられた絢佳の姿を天羽は部屋の中に探す。
 ペントハウスは広くて、部屋数も多少はあって。余裕のある間取りを好むから元のデザインよりは少なくなっているのだけれど。
 リビングにはいなくて、寝室にもいない。自分でもどうかと思うが、それ以外の部屋を絢佳に案内した記憶はなくて、ちょっと頭を抱えそうになりながらガシガシと自分の頭をバスタオルで拭いながら、闊歩する、という表現がしっくりくるような大股で絢佳の姿を探れば。
 奥まった場所にある、きっと、知らない人間が見れば他愛もない趣味の部屋にしか見えない部屋の扉の前で、中に入りたくて仕方ない、という後ろ姿で中を覗き込む絢佳を見つけた。だぼっとした、ワンピースタイプの部屋着を一枚かぶっただけの姿。
 そこは、本当は天羽にとっては一番の仕事部屋なのだけれど。


「絢佳」


 びくり、と背中を震わせて恐る恐る振り返る嫁を、怪訝な思いで見つめる。




「ご、ごめんなさい。勝手にうろうろ」


「?お前の家だ。好きにしろ」



 言いながら、絢佳の背中を押して部屋に誘い込む。
「え、いいんですか?」
「敬語は、だめだ」

 不愉快な声で答えれば、絢佳は慌てて首を振る。部屋に入ってもいいのか、と聞き直されて、天羽は何度言わせるんだと眉間に皺を寄せる。
「お前の家だ。なんでだめだと思うんだ」
「だってここ、大事な場所でしょう?」
 敬語じゃないことに満足しながら、そんな絢佳の感覚にくすぐったくなったのを誤魔化すように背後からぎゅうと絢佳を抱きしめた。顎の下に絢佳の頭頂部があって。彼女の好みのものを買い揃えるようなことはまだしていないから、自分と同じ香りが鼻を擽って、思わずぐりぐりと顎を擦り付けてしまう。
 痛い、と言いながらくすぐったそうに笑う彼女が、実家にいた犬に匂いつけされた時と同じ感じ、と笑うのを聞いて、非常に複雑な気持ちになった。
「この部屋、気になるのか?」
 顎を絢佳の頭に乗せ、腹に回した両腕を強めに引き寄せながら問えば、くすぐったそうに首を竦めながら、絢佳は部屋の中をきょろきょろと見回す仕草のまま頷く。
 部屋の中央には、スクエアピアノが置かれ。そういえば、リビングのグランドピアノにも反応していたな、と天羽は思い返す。その部屋の中は、パソコンと、高性能のスピーカーと、それらとアンバランスな古いレコードプレーヤー。部屋の壁には天井までの本棚と、分野別に整理された圧巻の蔵書。一角には、多少音楽に興味があればわかるような、バイオリンやチェロ、いくつかの管楽器など、楽器置き場がある。
 腕の中からふわふわといなくなりそうなほどの浮足だった様子に、天羽はその耳元に声を注ぐけれど、今までで一番、色気もへったくれもないようだ。
「音楽が好き?本が好き?」
「両方大好きです」
 不意打ちの、あまりにも衒いのない笑顔を向けられて、天羽の方が致命傷を負ったようなものだった。絶句して表情筋が己の意思を無視して動いてしまう前に絢佳の注意は、また部屋の中に戻されている。
「でもここ、天羽さんの、大事なお部屋ですよね?」
「…絢佳は、入っていい」
 腕に力を込めながら、肩に額を埋めてようやく言えば、絢佳は不思議そうに首を傾げる。あまり、背後の天羽を気にすることをやめたのか無頓着に傾げられた絢佳のこめかみは、肩口に埋められた天羽の髪に触れてくすぐったい。
「天羽さんの、お仕事のお部屋?みたいに見えるんですけど。でも、これ、お仕事のお部屋だと、何のお仕事してるんです?」
「…お前、オレに興味なさすぎ。調べろよ」
「調べれば出てくるような有名人なんです?」
 まずは、そんな人が関わりになるという想定のない絢佳には、スタート地点に立ててもいないことだったようで天羽はため息をつきながら、絢佳を抱え上げた。
「ちょっと、興味持って調べて?ろくなこと出てないだろうけど。絢佳ならそういうの見ても、ちゃんとオレを見てくれそうだ」
「買いかぶりですか?」
「理解だと、思っているが?」
「激しい買いかぶりですね」
 難しい顔をしているあやかをそのまま寝室に運んで、大きな寝台の中央に下ろす。忘れていたような顔でおたおたするのを楽しげに見下ろして、天羽は額に触れるだけのキスをした。
「おやすみ、奥さん」
「…おやすみなさい??」

 自分も布団に入り、座ったまま困惑している嫁を背後から腕の中に抱き込んで、天羽は髪に口付けた。
「寝るぞ」









 慣れないシチュエーションで、心臓はうるさいほどにバクバクしていてとても眠れないと思ったはずなのに。人肌の素晴らしさというか。包まれた体温と肌を通して伝わってくる拍動の安心感に思いの外ぐっすりと熟睡していた絢佳は、また寝直したい欲求と行ったり来たりしながら意識を覚醒させて、ふと、身動きできないほどにしっかりと抱え込まれていることに気づく。
 眠っている時はどうやら安心感に繋がったらしいその拘束も、目覚めて仕舞えば戸惑いと羞恥心を沸かせる宝庫でしかなくて。どうしようと葛藤しながらも時間を知りたいのに、普段なら手が届くところに置いているスマホも見当たらない。
 気配で起きたことに気づいたらしい背後の大きな人が、腕に力を込めた。
「まだ寝ててもいいんだぞ」
「…起きてたんですか」
 敬語、と不機嫌に指摘されながら、もぞもぞと向きを変えようとしている気配を感じ取って、僅かに腕を緩めて動きを助けてくれる。すっかり目を覚ましたような表情の絢佳を確認して、天羽の目が細められた。
「朝飯、ごはん?パン?」
「ごはん?というか、わたし、やりますよ?」
「今日はやってやる。普段、できない日の方が多いから。ゆっくり起きてこい」
 くしゃり、と前髪を撫でて起き上がった人の、部屋着の上からでもわかる均整のとれた肢体に心臓が飛び上がりそうになった。





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